624.貿易王子は終わりを知る。
「ええ、僕のところにも護衛が解かれると同時に報告が来ました。……ラジヤ帝国との条約締結、本当に良かったです。」
滑らかな笑みと共にレオンはベッドの上から言葉を返した。
騎士団に隣接された救護棟。そこで、治療の為に保護を受けていたレオンはもう完治といっても問題ない程に回復していた。暇を持て余すように隣国であるアネモネ王国から届けられた貿易の経過報告書に目を通していた彼は、今は目を書面からも外していた。
今朝からアネモネ王国の騎士だけでなく、フリージア王国の騎士も多くが自分の護衛の為に詰め寄って厳戒体制で構えていた。一定時間が経過すればラジヤ帝国との条約締結と退去を衛兵が報告に訪れ、それにより騎士達も警戒を解除し、今はいつものアネモネ王国の騎士が彼の周りに集っていた。
この一ヶ月間、隣国であるアネモネ王国の国王からも滞在の許可を得てからは資料や私物だけでなくアネモネ王国の侍女も派遣され、今では彼の病室は立派な私室と言えるほどに整っていた。
レオンはわざわざ報告に来てくれた青年に笑いかけ、安堵して見せた。
「本当に今日までお疲れ様でした、ステイル王子。……これでプライドもひと安心ですね。」
そう言って自分の元へ報告に来てくれた第一王子を労えば、ステイルは深々とレオンに頭を下げた。
「本当にありがとうございました。こんな厳戒態勢中にまでお引き留めすることになって申し訳ありませんでした。」
「いえ、僕が望むところでもありましたから。……フリージア王国がちゃんと終戦を保証されるのを確認できて満足です。」
苦笑するように肩を竦めて笑うレオンに、ステイルも思わず同じような表情を返した。
ラジヤ帝国との条約締結を知らされた後、厳戒態勢が解けて近衛騎士が通常の人数に戻ったのに合わせてステイルは早速レオンの病室に訪れていた。この後にはヴェストとの仕事が待っている彼は、長話する暇はない。にも関わらず、レオンと形式的な挨拶を済ませた後にステイルは眉を寄せて口を閉ざした。
お互いに他にも言いたいことは色々残っている。完全に勝利を約束された今ならば話せる状況でもあったが、部屋にいるアネモネ王国の彼らを人払いしてまで語るべきことでもなかった。
アネモネ王国とはまだ今後に祝勝会も控えている。ならば、その時にこそ一対一で話すべきだとステイルもレオンも思う。そして、相手もそう考えているだろうとわかるからこそ、自ら野暮な促しも話し出しもしなかった。だが、そうなると
「……今日は、他に……何か?」
レオンが尋ねる。
ステイルがこの場で互いの密約やヴァル達、そしてプライドのことを話したがらないことはわかっている。だが、そうでなければ第一王子である彼がわざわざ単身で自分の元に訪れる理由も見つからなかった。
条約締結ならば既に衛兵により知らされた。そしてわざわざ報告に来なくても、挨拶だけならばこの後いつものようにプライドとの見舞いに来た時に済ませれば良い。それをわざわざプライドより一足先に一人で訪れたのには理由があるようにしか思えなかった。
レオンからの言葉に、ステイルはゆっくり彼の元へ歩み寄る。数歩ベッドから離れた位置で言葉を掛けていた彼はとうとうその傍らまで近付いた。侍女に椅子を勧められたが、すぐに戻りますからと断ったステイルはレオンに向けて前屈む。
「お耳を、……宜しいでしょうか。」
少し申し訳なさそうに言うステイルは、小さく笑った。
まさか今からその話をするつもりなのかとレオンが少しだけ驚いたように目を開く。それから自ら顔の横の青い髪をかきあげ、耳に掛けるとレオンはそっとステイルに顔を傾けた。護衛の騎士や侍女達も気を払い、盗み聞きをしないように距離を置く。ステイルは彼らの配慮とレオンからの許しに一言礼を伝えると、手を添えながらそっと彼の耳へ声を潜めた。
「……以前、ヴァル達を保護して頂いた時の件なのですが……。」
その言葉にレオンは少し意外に思う。
やっぱり今その話をするつもりなのかと考え、目だけで周りを見回す。ならばこちらも人払いをすべきか、それとも自分からその話は祝勝会の時にと提案すべきかと
「─────────────────────────────」
「!……。」
ステイルの言葉にレオンは目を丸くする。
いえ、それは……と小さく声にしたが、言い終えてすぐに顔を離したステイルは笑みだけでそれに返した。にっこりと笑うその笑みに、レオンはステイルが譲る気はないのだと理解する。
「祝勝会の時にお返事を頂ければ幸いです。」
はっきりと言い切るステイルに、レオンは丸くした目を緩めると諦めたように肩を軽く落とした。眉を垂らし、それでも今のレオンはステイルの気持ちもよくわかった。だからこそ
「……わかりました。その時までには。」
ありがとうございます、と。レオンからの返事にステイルは感謝の言葉と共に改めて頭を下げた。
それからすぐに礼をしたステイルは足早に病室を去った。部屋の前で待っている護衛の衛兵を連れ、軽い足取りでヴェストの元へ向かう。
ステイルと護衛が去る足音を聞き届けてから、レオンは脱力するように背もたれにした枕に身体を埋めた。お疲れですか、と侍女やアネモネ騎士達が心配したがレオンは滑らかな笑みで「大丈夫です」とだけ返す。そのまま絵画のような精巧な彩りを凝らされた天井を眺め、溜息を吐いた。部屋に入ってきてから、去って行くまでのステイルの顔と言葉を思い出し、早々と彼は安堵する。
「本当に……終わったんだなぁ。」
まさかプライドに会う前にこんなに心が温かくなるなんてと。そう思いながらレオンは深呼吸をしようと目を閉じた。
ひと月過ごしたその部屋は、今は愛する自国のように居心地が良かった。
……
「……ああ。先程、無事に終わったよマリア。」
宰相の執務室。
ラジヤ帝国がフリージアを去った確認を受けて間もなく、ジルベールは王配のアルバートに許可を得て連絡を取っていた。通信兵に頼み、自室から最愛の妻であるマリアに映像を送り、その返事もすぐに返ってきた。互いの映像が繋がった後、視点を固定した通信兵は今は彼の部屋の外で待っていた。
「勿論だ。帰ってきてくれ。長いこと待たせてすまなかったね。」
一際穏やかな声で語るジルベールの視線の先には、愛する妻とそして愛娘が映し出されていた。
帰れる、とーさまに会えると、喜び燥ぐ娘のステラに並び、マリアも嬉しそうに顔を綻ばせた。本当にもう心配事はないの?と念を押すように尋ねるマリアへジルベールも躊躇いなく答えた。
ラジヤ帝国との条約締結した今、残すは三日後の祝勝会のみ。普通の馬車でも二日あれば帰れる距離にあるヤブラン王国ならば、今から準備しても充分に祝勝会の日取りには間に合う。
「三日後には祝勝会もある。また君も招待も受けるだろう。ぜひ……、…………っ……⁈」
突然、ジルベールの言葉が止まる。
彼の言葉を遮った映像からの言葉に、彼の思考が停止した。表情も笑んだまま乾くように固まり、無理に口を動かし言葉を紡げば、その後は干上がった。
暫く呼吸も忘れたジルベールは、ただただ映像とそこから自分へ放たれる言葉を前に茫然とすることしかできなかった。




