622.沈黙王女は口を開く。
─ その日は、風が強くも晴れ渡った空が広がっていた。
「……もう、終わる頃かしら。」
部屋の締め切られた窓の隙間から外を眺めながら私はぼんやりと呟く。
まだ午前だというのに陽の光をカーテンで遮断されてる所為もあって、気持ちは少し暗く息苦しい。
─ 奪還戦からひと月の経過。
「そうですね。もう二時間は経っていますから。……問題さえ無ければ締結が完了する頃でしょう。」
私の向かいのソファーに腰掛けたステイルも今は落ち着かない様子だった。膝の上に肘を付いて、合わせた両手を口元に添えていた。眼鏡の奥が微弱に揺れて、意識的に呼吸を深くしていた。
─ ラジヤ帝国、本国より最高権力者である皇帝とその一軍の来訪。
「ティアラは大丈夫かしら……。まさかあの子が母上達と一緒に同席するなんて。」
「騎士団長達も付いていますから。……アイツも、今は自分の〝立場〟に向き合いたいのでしょう。」
今回、被害者である私は厳戒体制で部屋にいるようにと命じられた。補佐のステイルも、今回はヴェスト叔父様付きよりも私の傍に付くことの方を優先された。もし万が一のことがあっても、ステイルがいれば瞬間移動で逃げられるからもあるだろう。
そして、第二王女のティアラだけが私とステイルを残して母上達と一緒にラジヤ帝国との同席を望んだ。今までは私が参加しないものには自分から同席を望まなかったティアラが、初めて。第二王女ではなく次期〝王妹〟としてできることは全て務めたいとそう言っていた。
私もステイルも最初は心配だったけれど、ティアラが自分から務めたいと強く望んだことは止められない。彼女はもうただの王女ではないのだから。
城全体の警備強化だけではなく、母上達とラジヤ帝国の会談には騎士団長と副団長、そして温度感知の特殊能力者も含んで多くの騎士が護衛と警備に務めていた。
そして今、私の部屋もいつもの倍以上の警備が敷かれている。部屋の外や窓の外は当然のことながら、部屋の中にも近衛騎士五名を始めとした九番隊の騎士達が守ってくれていた。
─ ラジヤ帝国による一方的な和平反故。その謝罪に伴う罰則と再条約締結。
「それに。……この期に及んでラジヤ帝国が反故を否認するか歯向かうつもりなら、俺にも考えがあります。」
ギラリ、と眼鏡の奥を光らせるステイルは凄く怖いけどある意味頼もしい。
ひと月前にラジヤ帝国へフリージア王国の勝利と告訴を伝える為の書状と使者を瞬間移動でラジヤ帝国に送ったのはステイルだった。その時はラジヤの使者を背後から瞬間移動しただけで自分は行かなかったらしいけれど「瞬間移動でいつでも爆撃可能だと言ってやりたかったですが」と私に報告に来た時に呟いていた。確かにそれを言ったら確実に脅迫としては最強だろうけれど。
でもまだステイルは特殊能力を公にはしてないし、正直脅しでもラジヤ帝国にステイルの能力は知られたくない。今回はアダムの独断だったけれど、ステイルの特殊能力をラジヤ帝国が欲しがったらまた大変なことになる。
─ 法外な賠償金、ラジヤ帝国と支配下国からフリージア王国並びにその同盟国への絶対的不可侵。
「プライド様。申し訳ありません、いまは窓にも近付かないようにお願い致します。」
馬車の音がした気がして、気になってソファーから立ち上がったらエリック副隊長に止められる。
危険なので、と言われて私は焦りながらソファーに座りなおした。……そうだ、今は駄目だった。
ごめんなさい、と謝ると一言だけ言葉が返された。エリック副隊長も他の近衛騎士も奪還戦の後から私とは殆ど話さない。怒ってるわけじゃないらしいけれど、張り詰めた空気は毎回肌にまで伝わってきた。それだけ今も騎士団にとっては奪還戦は終わってないということなのだろう。いつも温厚なエリック副隊長まで引き締まった表情ばかり続いていると、やっぱり心配になってしまう。
三人と比べて比較的いつもの調子で話してくれるアーサーも、以前より私達の会話に入ってくれることは少なかった。アラン隊長とカラム隊長も、まるで防衛戦直後の時みたいに静けてばかりだ。ステイルやティアラ、レオンやヴァル達が普通に話してくれることだけが救いだった。ジルベール宰相にも最近は忙しい過ぎてなかなか直接話せることは少ない。
─ 属州を含めたラジヤ帝国内でのフリージア王国国民の売買禁止とフリージア王国全奴隷被害者の返還。ラジヤ帝国属州から六国をフリージア王国へ〝献上〟。
「……馬車です。ラジヤ帝国の物だと思われます。」
一瞬で窓の際に移動したハリソン副隊長が私の代わりに確認してくれる。
独り言のような声で報告してくれるハリソン副隊長にお礼を伝えてから私は息を吐く。馬車、ということはもう帰るということか。なら会合は無事何事もなく終わったと思って良いのだろうかと考える。
ガタンガタンと馬車の音がずっと続くから、多分捕虜になっていた兵士を含めてかなりの数なのだろう。私に報告した後もハリソン副隊長が窓に張り付いたままカーテンの隙間から射抜くような眼光で外を睨みつけていた。長い黒髪と相まって窓の外からうっかり見てしまった人はなかなかのホラー体験だろうと思う。
─ 敗北国の証として、ラジヤ帝国と支配下国全域にて無条件にフリージア王国民の商業と往来許可。
「ハリソン。窓から殺気を飛ばすな。……気付かれたらどうする。」
カラム隊長に窘められて、ハリソン副隊長が無言で窓から離れたる。
ある意味、近衛騎士で一番以前と変わらない態度なのはハリソン副隊長だろうか。……といっても奪還戦から騎士は殆ど休みなく厳戒体制だったから今日までハリソン副隊長と会う事自体少なかったけれど。
アーサー曰く、奪還戦からはいつにも増してハリソン副隊長に睨まれているらしい。……というか、ハリソン副隊長だけでなく騎士団の殆どからアーサーは今よそよそしく扱われているらしい。虐められたり怒られてる訳ではないけれど、素っ気なかったり遠目から見られて目を逸らされたり。所属してる個人主義の八番隊からはいつものことだけど、騎士団全体からそんな感じだと少し落ち込んでいた。一緒に話を聞いていたカラム隊長があと数日の辛抱だと肩を叩いてあげていたけれど、それでも少し表情が陰っていた。……何故かそれを聞いてステイルが顔を逸らして笑っていたから深刻な理由ではなさそうだけれど。
─ 皇帝は捕虜として捕らえられたラジヤ帝国とその支配下国の者全員を引き取り、その日の内にフリージア王国を去った。
「お姉様っ!兄様‼︎」
馬車の音が遠退いて聞こえなくなった後。暫くしてからコンコンッというノックの後にティアラが部屋に飛び込んで来た。
明るい笑顔で駆け寄ってきてくれる姿に、それだけでほっとする。言われる前から悪い知らせではないと私もステイルも理解した。ティアラ、と呼べば胸の前で両手の指を組んだティアラが早速ラジヤ帝国との条約締結について結果を教えてくれた。
─ フリージア王国より突きつけられた罰則と条約全てを、ラジヤ帝国皇帝は一つの反論もなく受け入れた。
その報告に、さっきまで緊張状態だった部屋の空気が一気に晴れた。
「良かった」と声を上げられたのは私だけで、護衛任務中の騎士や衛兵達は無言のままそれでもはっきりと安堵の息を吐いたのが聞こえた。
これでもう大丈夫ですっ!と声を跳ねさせるティアラが私とステイル両方に両手を広げて抱き着いてきた。私達からもそれを受け止めて、細い身体を抱き締め返す。お疲れ様、御苦労だったなと私もステイルも言葉を返しながらティアラの頭を一緒に撫でた。
─ これによりフリージア王国の完全勝利と大国としての名は世界中に広まることとなった。
「私は何もしていませんっ。ですけど、今日まで城の皆さんや騎士の方々はずっとずっと頑張って下さったので、たくさん労いたいです!」
満面の笑顔で素敵なことを言うティアラに私も全面的に同意する。
ラジヤ帝国との締結が終わるまで、厳戒体制だった我が城ではずっと緊張状態が続いていた。条約締結までは褒賞や労い、表彰や祝勝会に関しての話すら最低限まで自粛していた。だけど、今は
─ 城から公式に広められた全ての収束に、フリージア王国全土が歓喜に包まれた。
「私も祝勝会の日が楽しみだわっ!ステイルの提案を聞いてからずっと待ち遠しかったもの。」
やっと思い切り祝勝会の話ができて嬉しい。
祝勝会を行うと決まった頃から、ステイルは私に一つ提案をしてくれていた。ティアラからの発案らしいけれど、その為に今回はステイルがその企画も全て請け負ってくれた。ティアラからの発案とステイルの企画で素敵なことにならない筈がない。
祝勝会の話ができると、いよいよ本当に自粛解禁だなと思って私は弾む胸を両手で押さえつけた。立ち上がり、私を抱き締めていたティアラもすぐに察したようにぴょこんっと隣に立った。ステイルも笑みを隠すように眼鏡の黒縁を押さえつけながら立ち上がり、私の横に控えてくれる。
突然王族三人が動き出したことに、部屋の空気がまた少しだけ張り詰める。私はある一点に向かって振り返るとそのまま真っ直ぐ彼らに向き直った。
「アラン隊長、カラム隊長、アーサー隊長、エリック副隊長、ハリソン副隊長。」
一人一人名前を呼べば、近衛騎士全員が順々に姿勢を正した。
ピンッと剣のように真っ直ぐ伸びた背中と、引き締まった表情と目の色が頼もしい。
私からもちゃんと彼らに敬意を表するべく、王女として恥ずかしくない佇まいを指先まで意識する。胸を張り、顎を引き、心からの笑みで彼らに告げる。
─ 彼らの〝奪還戦〟は、今やっと終わりを告げた。
「今回の件で、第一王女として皆さんにお伝えしたいことがあります。……明日、近衛騎士の任務でお会いする時に返事を聞かせて下さい。」
専属侍女のマリーとロッテの手でとうとうカーテンが開かれる。
薄暗かった筈の部屋に光が差して、窓に背中を向けていた私は陽に照らされた彼らの顔がはっきり見えた。ごくりとそれぞれが喉を鳴らし、真っ直ぐと私に目を向けてくれていた。
「城からとは別に〝私個人から〟差し上げる褒美に、何を望まれるのか。」
本当に、ありがとうございました。
そう言って心からの笑みでお礼を伝えれば、陽の光に温められた騎士達の顔がみるみる内に赤らんだ。
一拍置いた後に了承の意思と感謝を示す為に五人全員が跪いてくれたけれど、今から悩ませてしまったのか全員が頭を下げたまま言葉での返答が全くなかった。
─ 三日後の国を挙げた祝杯に、誰もが胸を躍らせた。