614.王弟は奪われた。
「私はっ…大嫌いですから‼︎」
最初は〝嫌われている〟という認識しかなかった。
プライドと既に何度も関わり、救われ、言葉を交わした俺だったが、その妹であるティアラ王女との関わりは殆どなかった。
ジルベール宰相と共に彼女と城に残った間もそれは変わらず、寧ろ互いに距離を置いていた。
嫌悪、ではない。彼女が俺を嫌う理由とその言い分は正しいと思った。自分とその周りの人間にとって大切なプライドに不敬を犯した俺を嫌う。言われてみれば当然だ。俺も、もし兄貴が他国の王族に軽んじられれでもすれば、確実に相手を不快に思うだろう。
だからこそ、俺を嫌う彼女へは弁えるべきだと考えた。
プライドが〝特別〟であるだけで、妹であるティアラ王女が俺に嫌悪を抱くのは当然だ。俺と兄貴が全く異なるようにプライドと彼女も別の人間なのだから。
ティアラ王女は普通の王女だ。王女としての教養も知識もあるが、か弱く力のない
「危ないですから動かないでくださいセドリック王子」
…………か弱くは、なかった。
彼女もまたプライド同様に強く美しい女性だったことのみをあの時理解した。そして、俺がどれだけに無力な存在か。
尊敬よりも羨みよりも敗北感に近い。俺よりも年も若く、細く、女性である彼女は俺よりも遥かに強い存在だった。
だが、ティアラ王女の強さはプライドの強さとは根本的に違った。
「私だって、戦えます。私はお姉様と兄様の妹なんだからっ。」
俺の所為で傷を負い、戦場を駆けることが叶わなくなったプライドの代わりにと彼女は立ち上がった。
俺一人では戦力として信用も足りない、隊を率いることも認められないその中で。彼女は堂々と名乗り出た。俺のような無鉄砲ではなく、確かな勝算を宿し、胸を張っていた。
ナイフ投げの名手。その実力を公前で披露した彼女は戦場に出る権利を自らの力で捥ぎ取った。何故、プライドのみならずティアラ王女まで強いのか。
「流石プライドの妹だ」と、そう言ってしまうのは容易かった。だが、俺にはどうしてもそれ以上のものを感じられて仕方がなかった。そして
「たくさんたくさん練習しましたもの!大好きなお姉様を守る為にっ!」
共に兄貴の元へ駆けた時、それは確かな輪郭を宿して俺の中に確信付いた。
彼女の強さの根元を、俺はあの時確かに垣間見た。
「ずっとずっと!私にも何かできないかと探してっ!…強くならないとお姉様も誰も守れないって知ったからっ‼︎」
焦がれる、強さだった。
プライドとは違う美しさと強さを同時に宿した彼女は、放つ言葉の端々に痛みを宿していた。
何処か覚えもある気がしたその痛みの源に、最初は言いようもなく胸がざわついた。彼女からの俺への叱咤を聞きながら、改めて彼女の今までの言葉を思い巡らせれば、余計に鼓動が歪に速まった。胃にぽかりと穴が空き、全身の血を落ち着きなく走らせた。
単なる偶然、単なるこじつけだとも思った。だが、彼女の今までの言動と環境を思い巡らせば巡らすほど、次第に白布に色が染み渡るかのように確信へと浸っていった。
「ならば今、剣を取ろう。」
高慢な考えだとは、思う。
ただ……それでも彼女はまるでと、そう思ったら消えなかった。
その強さを望み、得た理由も彼女という人間が形成された理由も全てが凝縮されていたように思えてならない。
それに気付けば、胸が意図せず高鳴った。神に出会えたよりも圧倒的に奇跡に近い高揚感に、地を踏む感覚すら白に消えた。
まだ、確証を得た訳でもない。単なる俺の思い込みだ。だからこそ俺は、彼女に問いた。
「お前は俺が嫌いだろう」と。
答えは予想通りのものだった。
当然だ、俺は一度彼女にそう宣言されている。だが、その肯定の言葉に俺は笑ってしまった。初めてプライドにそれを言われた時も、ティアラ王女に宣言された時も、愉快になど思いはしなかった。しかし、あの時だけは彼女からの当然の答えが無性に〝嬉しかった。〟
彼女に不快に思われたことがではない。俺が問い、促せば促すほど彼女の語りは予想通りの答えだったことに拍動が止まらない。だからこそ最後に俺はティアラ王女へ向き直り、取り繕わぬ想いを告白する。
「……プライドのような美しさが、俺〝も〟ずっと欲しかった。」
彼女の反応は、……思った通りだった。
目を見開き、金色の水晶のような光を揺らす。僅かに喉を反らし、しなやかな顔の筋肉を硬く硬ばらせた。驚愕と共に、彼女がやはり〝そう〟なのだと確信を持った。言葉を無くしたように口を噤む彼女にもう一言添えたかったが、直後の投爆でその機会は永遠に失われた。
「お前もだろう」と、言いたかった。
彼女の強さは、間違いなくプライドに焦がれたからこそ身に付けたものだと思った。
初めから恵まれたのではない。いくつもの方法を手探り、その中でやっと彼女は〝ナイフ投げ〟という手段に辿り着いたのだろう。並大抵ではない努力を重ね、そうまでしてでも彼女は自らプライドに己を近付けようとした。
真似、ではない。プライドになろうとしていたのではない。ただ〝ティアラ・ロイヤル・アイビー〟としてプライドに一歩でも近付き、並ぶ為に努力を重ねていた。
プライドがどれほど偉大で精錬し尽くされた人間であるかを理解しながら。プライドがどれほど自分とかけ離れた人間であるかを理解しながら。それでもプライドに少しでも近付く為に、プライドと並ぶ為に彼女は己を研磨し続けていた。
確信と、事実。その二つが寸分の狂いなく合わさった瞬間、心を奪われた。
……彼女のことは、殆ど知らない。
まともな会話も三度だけ。彼女の話や噂すら殆ど聞いたことが無かった。
ただプライドを慕っていることと、ナイフ投げの名手であること。そして俺を嫌っていることしか知らない。
だが、彼女のこれまでの言動と、その身に取り巻く環境を思い起こせばどうしても〝そう〟思わずにはいられなかった。揺らす分だけ軽やかに音を奏でる鈴のように、彼女は俺の〝知る〟答えばかりを常に示した。
あまりにも高慢なその考えは、口にするのも烏滸がましい。だがどうしても
似ている、と。
そう、思えて仕方がなかった。
烏滸がましいにもほどがある。俺が口にすれば侮辱とも無礼とも取られるだろう。王女としての教養も器量も持ち合わせ、多くの者から信頼を寄せられている彼女と俺を比べようとすること自体がおかしい。……が、それでもそう思えた。
彼女に通じ合うものがあると感じて仕方がない。
優秀で自分と比べ物にならぬほど高みにいる兄姉を持ち、そして血の繋がらない兄がその隣に並んでいる。
自分が居らずとも、上の兄姉を完璧に支える兄がいる。二人の姉兄は力不足の弟妹を常に守ろうとしてくれ、弟妹が弱いことすら許してくれる心広き器を持っている。常に自分を守り、支え、救ってくれる姉兄。その背を見ながら俺もティアラも育った。王族でありながら兄姉達と共に育つことも許された。兄姉を慕い、守られ、無力も許された。……だが、それだけではない。もっと決定的に似た〝何か〟を彼女から感じられて仕方がなかった。
血の繋がりにも似た、濃い繋がりだ。今まで兄貴にも兄さんにもプライドにも感じなかったそれが何なのかはわからない。
そして俺に近いと、通じると、似ていると思えたティアラ王女は
『…セドリック第二王子殿下は、今まで何をされていたんですか?』
俺とは、違った。
単にナイフ投げの腕前ではない。俺と〝似た境遇〟でありながら、彼女は俺のように立ち止まりはしなかったのだと。そう理解した途端、彼女に焦がれた。
俺は己が望みの為に自ら時を止めた。だが、彼女は前を見た。
俺が容姿だけに頼り、愚かな無能になることを選んだのに対し、彼女は自らの意思でプライドの力になることを選び、努力を重ねていた。
俺と似た境遇で全く異なる道を選んだ彼女の在り方は、目が眩むほどに美しかった。
俺と似ていること。そして何より、〝似ているにも関わらず〟全く異なり、強く美しく気高い心を持ったティアラ王女に気がつけば心を奪われた。
「えいっ。」
共に戦場を駆け、戦い、共に並んでくれた彼女は終戦を迎えた途端に俺の背を押した。
二歳も年下の彼女は、それでも俺よりも遥かに早く覚悟を決め、強さを持ち合わせた尊い女性だった。そしてその彼女は俺にはっきりと言い放った。
「貴方の居場所は私の隣ではありません。」
兄貴の元へ駆ける寸前、一瞬だけその言葉が胸に刺さった。
敗北感でも無力感でもない。ただただ純粋に彼女にそれが事実であるということと、今の俺では彼女に不相応だという現実が突きつけられた。
気高く、美しい。俺と似ていながら非なる存在。
それに気が付けば、どうしようもなく惹かれる俺が居た。
彼女の強さが、気高さが、全てが愛おしい。俺にとって誰よりも近い存在に思えた彼女は、この手が届かぬほどの高みに立っていた。俺が怠惰を続けていた間、彼女は一歩一歩プライドと並ぶ為にその細い腕と足で断崖を登り続けていた。
〝高嶺の花〟と、そんな言葉では足りぬほど。満天に輝く星々よりも遠く眩い、だからこそ
「…必ず、相応しい男になってみせる。」
俺は誓う。必ずいつかこの手を届かせてみせると。
彼女がプライドを目指し、天へと足を掛けるのならば俺もそこへ行く。
プライドと、兄貴と兄さんと、そして貴方に並びたいと願った俺もまた共に行こう。
たとえどれ程高き果てにまで上がろうとも、何処までも貴方を追い続ける。
「知識も、技術も、教養も全て。…必ず身につけてみせる。」
必要なものは全て身に付ける。
一も百も千も億も全てをこの身に宿してみせる。
貴方に相応しき男となれるのならば、貴方に近付けるのならば、貴方の願いを叶える為ならば、貴方の〝その〟痛みの片鱗に指先一つでも触れることが許される場所へ行けるのならば‼︎……どのような痛みも躊躇いはしない。
「その隣を俺は、…生涯の居場所にしたい。」
俺よりも遥かに早く高みを目指し、傷を負い、それを隠しながらもプライドへ手を伸ばそうと藻搔き続ける貴方の隣に、俺も立ちたい。
貴方と共に在りたい。貴方の力になりたい。そして何よりも、俺よりも遥かに強く気高く高みを目指し努力を重ね人知れず修羅の道を選び苦しみ続けた貴方を、それに気付けて〝しまった〟この俺が‼︎
「ティアラ・ロイヤル・アイビー。…貴方に、心を奪われました」
必ず、幸せにしてみせる。
貴方の心を得られるかなどわからない。強く眩い貴方には俺よりも遥かにもっと相応しき男もいるだろう。
だが、俺と通じるものがある貴方はきっと、……今も暗闇の中にいる。それがどのようなものかは愚かな俺にはまだわからない。だが、陽だまりのような貴方の笑みは己だけは照らさない。
貴方の気高さも強さもその全てが俺には羨ましい。自らの意思と力のみで輝けた貴方が愛おしくて堪らない。
怠惰を続けていた俺の方がプライドに全てを救われ与えられ、そして人知れず傷を負いながら努力を続けた貴方が今も自分を殺している。……かつての、俺のように。
だからこそ俺が貴方の願いを、叶えたい。
その為なら何でもしよう。どのような努力も厭わない。いくらでも可能性を探し、求め、何度でも天へと手を伸ばそう。貴方の優しさも強さも努力も傷も、その全てが報われて欲しい。
貴方は、幸せになるべきだ。そして貴方に似た俺だからわかる、確信を持ってこう言える。
『私も、…叶うならお姉様と兄様とずっと一緒に居たかった』
ティアラ。お前の幸せは、そこにある。
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彼女の嘆きは彼にだけ届いていました。




