崩れ、
「……お姉様、何を……?」
……お姉様の方が、早かった。
私だけじゃない、兄様も母上達もあまりにはっきりとしたお姉様の物言いに上手く言葉が出ないようだった。なのに、お姉様は全く惑う様子もなく次の言葉を続けてしまう。
「今回の件を終息してくれたのはティアラです。操られていたとはいえ、私は許されぬ大罪を犯しました。責任を取り、第一王位継承権も返還します。勿論、それ以外の処罰に関しても」
「!待ってください‼︎お姉様はアダム皇太子に操られた被害者ですっ!お姉様を助けられたのだって私一人の功績ではありませんっ!」
思わず慌ててお姉様を止めてしまう。
あまりにも凛とした態度で母上を見上げるお姉様は、もうまるで最初から決めていたかのように曇りがなくて。私が声を上げても、こっちを振り返ってくれなかった。
「それに、予知能力の優秀性でもティアラは歴代最高です。この子は予知した未来を他者に見せる事もできるのですから。」
それは、母上達も知っている。
あの日、セドリック王子と一緒に聞かれた時に話したから。過去に人に予知を見せることのできた者はいないらしく、とても詳しく説明を求められてしまった。……だからこそ、きっと母上達もお姉様と私で判断が難しいのだろうと思う。
「……ですから、ティアラこそ本当に選ばれし予知能力者だと思います。ティアラは優秀な王女ですし、私も十年前に今回のことを予知してからずっと許される範囲はティアラに女王の公務も教えてきました。」
……確かに教えて、貰ってきた。
お姉様が、いつか役に立つかもしれないからと小さい頃から教えてくれていた。てっきり私が他国の王妃になってからのことを考えてのことだと思ったのに。
何より、十年前から今回のことを予知していたという言葉に驚いた。やっぱりお姉様はずっと前から、……ご自身がああなってしまうことを知っていたんだわと思って胸が痛くなった。
……ああ、駄目。ちゃんと、こうなると〝わかっていた〟から決めたのに。
あまりにも、お姉様からの切り替えしが真っ直ぐで。
知っていた、お姉様は昔からそういう人だって。
優しくて、自分よりも他人のことばかり。いつだって私を守ろうとしてくれて庇ってくれてそして、……自分を犠牲にしちゃう人。
大丈夫、わかってたの。だから今回だけは絶対に
「……お断りしますっ。」
私〝だけ〟が犠牲になると決めていた。
大好きなお姉様と大事な人達の為に。
誰一人犠牲にしない為に〝私が〟犠牲になると決めていたから。
だからごめんなさい、お姉様。今だけは貴方の敵になります。
「ティアラ……⁈」
私が強く張った声は広い広間中にくっきりと残った。
今度はお姉様が目を丸くして私を振り返る。私からまっすぐお姉様の顔を見返しながら、ちゃんと決めていた言葉を母上とそしてお姉様へ向ける。
「私はもう既に一度王位継承権を破棄しましたっ。そんな人間が女王戴冠なんて有り得ません。それに今この場で最善の選択は、私が予知能力ごと隠して嫁ぐ事です。そうすれば民の戸惑いも不信もありません。」
母上達だって、心の中ではわかってる。
今までずっとお姉様が次期女王として民の前に出ていた。ここで私が突然予知能力者として台頭して、その上で次期女王なんて話せば民は絶対にすぐには受け入れられない。
しかも、ラジヤ帝国の侵攻から間もなくでは絶対に不穏が広がってしまう。お姉様を公式に断罪すれば、それは王族への不信にも繋がる。操られていたから許してなんて民全員が納得するわけがない。
「責任を取るならば、それはお姉様がこのまま女王になることですっ。……たとえ裁かれたくとも、王族と民との関係を保つ為に黙す形で〝犠牲〟になることが本当の償いです。」
お姉様もそれはわかっていたみたいに、苦そうに眉と眉の間が狭まった。
一瞬だけ視線を別の方向に投げて逸らしたから私からも一度確認すると、ジルベール宰相が何か覚えがあるような悲しげな色に切れ長な目を揺らしていた。もしかしてお姉様も同じようなことをジルベール宰相に言ったり言われたことがあるのかしらと頭の隅で思う。
その頭言うのを堪えるように意識的に固く唇を閉ざすお姉様に私から続ける。
「お姉様は既に次期女王としての実績もたくさんあります。私よりたくさん予知をしていますし、予知を開花したのもお姉様が遥かに先ですっ。私がこの国を去ります。」
それが一番良い。
そう思って言えばお姉様が「いえ予知の数はっ……」と途中まで声を漏らしてから堪えるように噤んだ。
お姉様は十年前から何度も何度も予知をしていることは皆が知ってる。母上達が知らない分もいれたらもっとたくさんある。予知の能力が優れていても、そっちの方がずっと良いに決まってる。その分、今までみたいにたくさんの人を助けられるもの。
「お願い、ティアラ待って。貴方は本当に、本当に素晴らしい力を持っているわ。……それに、またもし私が今回のような」
「大丈夫ですっ。お姉様には守ってくれる人も止めてくれる人もたくさんいますから。兄様やアーサーとも約束していたでしょう?」
慌てるように私に向き直って肩に手を置くお姉様に、笑って返す。
お姉様が今回のことに責任を感じてくれてることも、たくさん後悔していることも知ってる。だけど大丈夫。きっとお姉様なら素敵な女王になれる。だって女王になる為に誰よりも今まで頑張ってきた人だもの。
兄様とアーサーの名前を出した途端、お姉様の瞳が揺れた。何かを飲み込むように喉を鳴らした後に閉ざした唇に力を込める姿は色々なことをたくさん考えてくれているようだった。
塔の上で兄様達とした約束。絶対に兄様達はそれを守ってくれる。……それに、不思議ともう私の役目は終わったとそう思えたから。
「ティアラ、貴方も〝処置〟はわかっているのでしょう?契約で防げるのはあくまで意識的な特殊能力の使用だけ。きっと処置をしても予知は視てしまうわ。契約で防ぐのは……」
「それを他言したり、その予知に基づいた行動することを禁じるだけですよねっ。私の場合は他者に見せる事もなくなります。大丈夫です、わかっています。」
予知は、勝手に見てしまう。
だから、それを外部に漏洩するのを防ぐというのは視ても〝何もしない〟こと。どんな辛い予知を視ても何もせず、誰にも教えないこと。……大丈夫。私は、たった一度のあの奇跡を起こす為だけにきっと予知を手に入れたのだから。
もう、満足。
「母上、これが私の結論です。後継者争いも、民に私の予知能力を報せる必要もありませんっ。知ってしまった騎士達にだけ緘口令を。処置を受けた後は、来年の誕生日に第二王女としてこの国を去ります。」
……できるだけ、遠くの地に。
声を張る私に、母上達は暫く何も言わなかった。
とても暗く、沈んだ表情を浮かべてすぐには決断を下せないかのように黙してくれた。
それだけ私のことを簡単に切り捨てられないくらい考えてくれている母上も父上もヴェスト叔父様もジルベール宰相も大好き。きっと、私の予知能力が優れていなくてもとても悩んでくれたと思えるから。お姉様だけでなく、私のこともたくさん愛してくれた母上達のこともずっと大好きだった。
この結論に終わるのは、最初から母上達もわかっていたのだろうなと思う。それが一番綺麗に終わって、民の不安もない。それに、国中の人が望むようにお姉様が女王になれるもの。
そして私も心からそれを望んでる。兄様だって、それを望んでる。だから、……兄様までそんな辛そうな目をしないで欲しい。
これは兄様達の為でもあるんだから。
隣からお姉様が掠れた声で「ティアラッ……」と私を呼んだ。
正面から顔を向ければ、泣きそうな顔のお姉様がいた。綺麗な紫色の瞳が揺れて、僅かに滲んでいて瞬きを三度もすれば雫が落ちそうだった。そんな悲しい顔もしないで欲しいのに。
「大丈夫ですよ、お姉様。もともと私はずっと他国に嫁ぐつもりだったのですからっ。殆ど何も変わりません。」
そう言いながら肩においてくれたお姉様の手にそっと両手を添えて握る。
心から満面の笑みで私に惑いはないことをお姉様にもこの場の全員にも伝える。だけど、……まだ皆が悲しい顔のままだった。
唇を絞って小刻みに首を横に振るお姉様はまだ納得できていないようだった。大きく呼吸をして、吐き出した息が小刻みに震えて僅かに鼻を啜る音も聞こえた。一生懸命泣くのを我慢してくれてるお姉様は、本当に優しい。
わかってる。殆ど何も変わらない、じゃない。
セドリック王子とさえ婚姻すれば、本当はこの国にも居られる筈だったもの。
それに、予知能力を秘匿して国を去る私は……もう来賓としても国に戻れない。きっと公式にはただの第二王女としても、掟通りにお姉様達との接触も内密に禁じられる。それくらいに遠い遠い国へ嫁ぐことにもなる。そしてこの先の未来でどんな予知をしても私はもう何もできなくなる。今回みたいに動く事もできない。
だけど、それで良いの。
もうこの十年、充分たくさん幸せを貰えたから。遠い空の向こうでお姉様達が幸せでいてくれたらそれで良い。予知能力を自覚してしまった時から、私の願いはもう叶ったから。
お姉様達の危機だって、きっともう見ることはない。だってお姉様の周りにはたくさんの人がいる。今度こそきっと予知がなくてもちゃんとお姉様を皆が守り抜いてくれると信じてる。
私の役目は、終わった。
お姉様が幸せになって、誰一人犠牲にならなかった。あとは皆が笑って幸せに過ごしてくれれば、私は充分に幸せ。お姉様が、そして皆の幸せは私がちゃんと守るから。一人だけ犠牲になろうとするお姉様を今回は絶対に私が止めると決めていた。
……だから、私は
「ッお待ち下さい……‼︎」
…………え?
突然、さっきまで何も話さなかった人の声が強く放たれた。
必死に荒げるのを抑えるようなそれでも強い声。そして、確かな意思の焔を瞳に宿していた。
セドリック王子がここに来て初めてその声を張った。
お姉様や兄様、そして母上達も少し驚いたように目を見張っている。セドリック王子も全員の注目を浴びたことで、畏まるように「申し訳ありません」と頭を下げると自分の胸を手で示しながら母上に向き直った。「叶うならば、無礼を承知でどうか意見を御許し願えないでしょうか」と望まれて、母上は金色の瞳を丸くしながらもそれを許した。
本来ならフリージア王国のこの話し合いの場に未だ発言権のないセドリック王子だけれど、今回は参列を認められている時点である程度の発言も許されている。
母上に深々と礼をした後、セドリック王子は強く床を踏み締め姿勢を正して再び声を張った。
「私のような部外者が、このような意見を述べることが恐れ多いことは重々承知しております。先にお詫び申し上げます。ですが、どうか御検討願いたいのです……‼︎」
丁寧な口調で言いながら、その言葉は一音一音が真摯に訴えていた。
ビリビリと緊張感が私まで伝わってきて、お姉様も感じたように「セドリック……?」と小さく零した。兄様も身構えるように眼鏡の淵を指先で押さえながらセドリック王子を見つめた。ジルベール宰相もとても不思議そうに眉を寄せている。
ヴェスト叔父様も父上も訝しむように口を閉ざしながら険しい眼差しをセドリック王子に向けていた。当然だわ、今はフリージア王国の王族の掟に関わる話なのに彼は〝御検討〟と何か意見を言おうとしているのだから。
また何か無茶をしようとしてるのか、お願いだから自分の立場を悪くするような馬鹿なことだけは言わないでと心の中で叫びながら、私は唇を結ぶ。
声を上げたいのを必死に耐えながらセドリック王子を睨む。母上が「聞かせてください」と少しだけ探るようなさざ波のような声で続きを促した。
全員が静まり返る中、セドリック王子はゴクリと響くほどに喉を鳴らし、最後にどこか覚悟するようにその口を重く開いた。
「…………ッ不可能……なので、しょうか……?」
噛み締めるような声だった。
どういう意味かわからなくて、誰もが口を閉ざす中セドリック王子が更に言葉を続ける。
「予知能力者である王女〝二人が〟共に国を支えるという選択は、本当に不可能なのでしょうか……⁈」
……何を、言ってるの……?
言葉を疑う。
呼吸を忘れて、自分でも目が丸くなっていくのを感じる。気付けば何かを期待するみたいに指先が微弱に震え出した。
まるで夢物語と思えるくらい突飛な話を、彼は読み上げるようにスラスラと語り出す。
「我が、ハナズオ連合王国はフリージア王国と比べれば遥かに小国ではあります。ですが、今は〝二人の国王〟が共に手を取り合い、一つの国を司っております。」
─ ……この人が、わからない。
「先日、ジルベール宰相よりお話を伺いました。フリージア王国では過去にも第二王位継承権を持つ王女や、予知能力ではなくとも極めて優秀な特殊能力を持つ王女が国外ではなく国内に留まった前例はいくつもあると。」
そう言って、次々と歴代の王女の名前を上げていく。それが何年の第何王女で、どのような経緯と判断でそうなったのか全て。その上でフリージア王国の歴史上に問題がなかったことすら事例を踏まえて語り出す。
セドリック王子の言葉にどんどんジルベール宰相や兄様の目が丸くなる。言葉もなく、肩に力が入っていくのが見てわかった。
─ どうして?何故……?
「……以上、主には第四王位継承権以降を持つ王女が本人の意思と当時の女王の許可を得て国内の貴族と婚姻した事例。また、当時の予知能力を開花させた第一王位継承者の〝義弟〟と婚姻した王女などがそれに値します。」
義弟……気がつけば目線が兄様に行く。
そう、ずっと前から知っていた。我が国では王族でも義兄弟姉妹の婚姻が許されている。そうして女王の補佐になった王子と婚姻した王女も珍しくない。女王の補佐である王子と夫婦になれば、第二王位継承者ではなくなり、立場も絶対的に女王の下になるから。婚姻と同時に王位継承権も完全に剥奪されると同義になる。
だけど、予知能力を得てしまった私ではもうそれも許されない。そんなのじゃ誤魔化せないくらいに〝予知能力〟の存在は甚大だから。
「つまり、それは〝王女〟ではなくとも〝フリージア王国の王族〟として従事する者であれば国内にとどまることが許されるということではないでしょうか。」
指先どころか、身体が震え出す。
色々な感情が胸から身体中に広がって込み上げて、息も辛くなる。身体中が怖いくらいに忙しいのに、彼の言葉から耳が、姿から目が離せない。
─ どうしてここまでするの?
「そして今、偶然にも次世代の〝王族〟としての席が一つ空席のままです。」
奥歯までカチカチと小刻みに震え出した。
気が付けば、身体が助けを求めるみたいにお姉様の裾を掴んでしまう。すると無言でお姉様も手を掴み返してくれた。その手も、私と同じくらい震えていた。
母上も言葉にならないみたいに口がぽかりと開いたまま。あの冷静なヴェスト叔父様まで目を見開いたまま瞬きも忘れている。ジルベール宰相も手の中の書類を落としそうになっていた。そして父上は
─ どうしてここまでしてくれるの?
「……セドリック王弟殿下。その席とはもしや……。」
父上の探るような声に、畏れ多そうにセドリック王子がその場で片膝をつく。
不敬を謝罪するように頭を下げながら、それでも燃える瞳が真っ直ぐと火矢のように父上へと射る。
「〝王配〟です……‼︎」
誰もが、言葉を無くした。
「その職務を継承するに相応しき者こそ〝予知能力〟を得たティアラ第二王女殿下ではないかと私は考えております……‼︎」
怖いくらいにセドリック王子の言葉は衝撃的で。なのに、信じられないくらいの説得力がそこにあった。
─ 助けてなんて、言ってないのに。
「フリージア王国で予知能力が次なる王の啓示とされているならば、今ここに二人存在することもまた啓示かと!」
低い姿勢で、なのに高らかと語る彼はあまりにも強かった。
ヴェスト叔父様達が熟考するように、それぞれ顎や口元に指を当てて顔を顰めた。真剣にセドリック王子の意見を検討している。母上を見上げれば険しい表情のままだった。怒ってるんじゃない、本当にその可能性を考えてくれている。
父上は驚いたまま視線を泳がせたけれど、最後には母上の判断を待つように視線を向けた。兄様も口を閉ざしたまま母上達に目を向けている。少し希望を持ったような眼差しは、まるでセドリック王子の意見を推奨しているかのようだった。そして沈黙に広間内が沈みかけた時、……さっきまで黙していたジルベール宰相が口を開いた。
「…………確かに。私も検討の余地はあるかと思われます。」
ジルベール宰相の言葉に、父上が「ジルベール宰相……‼︎」と驚きの声を上げた。
父上達だけでなくセドリック王子もそれには驚いたように顔を上げる。そんな中でジルベール宰相は優雅に笑いかけるように父上へ言葉を続けた。
─ ちゃんと「幸せ」だと言ったのに。
「セドリック王弟殿下が提案されておりますのは、あくまで〝王配〟という職務をティアラ様が引き継ぐということです。そして未だ婚約者候補はプライド様もティアラ様も検討段階の為、必要であれば新体制に対応した婚約者候補を選び直すこともまた可能です。その為の猶予期間ですから」
一瞬だけ、目配せするようにジルベール宰相が私とセドリック王子を見た。
柔らかな笑みが、まるでもう全て計算し終えたかのように落ち着いている。セドリック王子が片膝をついたまま無言で大きくそれに頷いた。
「女王制の我が国ならば〝王妹〟としてティアラ様がプライド様に並ぶことは充分に可能かと。何せ、幸運にも今我が国では二年以上も前から摂政業務だけではなく王配の職務すらも補佐、兼任できるほどの力量を持ち合わすべく努められておられる優秀な次期摂政殿下が居られ、体制は既に整っているのですから。」
ですよね?と、ジルベール宰相が同意を求めるように兄様に笑みを向ける。
兄様が⁈王配の職務まで⁇そんな体制ができていたなんて初めて聞いた。お姉様も初耳だったみたいに目をぱちくりさせている。
なのに兄様はジルベール宰相の笑みに一瞬だけ不満そうに顔を険しくした後「その通りです」とはっきりと頷いた。
「問題はないと思います。ティアラの王女としての優秀さは僕もよく知っていますから。」
兄様まで、ジルベール宰相とセドリック王子の言葉を押した。
信じられなくて、段々頭がついていかなくなる。なのに、ふと目を向ければセドリック王子の目は眩しいくらいに兄様へ向けても輝いていて。
兄様の返答に満足したようにジルベール宰相が「それに」と言葉をまた紡ぐ。
「婚約者候補者も再考は難しくないかと思われます。もしプライド様とティアラ様の婚約者候補それぞれが〝王配に就かずとも我が国での己が職務や立場を確立させた者〟でなくとも、またそれに準じる御人を選べば良いだけの話しですから。」
勿論、今の婚約者候補がどなたかは全く存じませんが。と言ったジルベール宰相がにこやかに笑う。
笑んだ切れ長な目が怪しく光って、まるで本当は見当がついているみたいに見えてしまう。父上がジルベール宰相の言葉に今度は本気でギロリと睨んだ。
……いつのまにか、本当にセドリック王子の意見が前向きに検討するようにその場の空気が構築されている。
─ 一体どうなっているの?
「ッ私も!……」
また、違う声が上がる。
隣から放たれた大きな声に顔を向ければ、お姉様だった。
握ったままの私の手にぎゅっと力を込めて、反対の手で胸を押さえたお姉様は一度下唇を噛んだ。母上達の注目を受け切った後、再び声を張る。
「私も、それを望みます……!セドリック王子殿下の意見は尤もです。何より、ティアラまで私の王制を支えてくれるのならこれほど心強いものはありません。ティアラは今までだって何度も私を助けてくれました。」
凛としたお姉様の声が、胸に刺さる。
息を止めないと、本当に目の奥から込み上げたものが零れてしまいそうだった。堪える為にお姉様と繋いだ手に力を込めれば、震えるくらい強い力でまた握り返してくれる。
─ こんなこと、あり得ないのに。
お姉様の言葉に、ゆっくりと母上と父上が殆ど同時に視線を私に向ける。
尋ねるようなその視線に、何を言うべきかわかったのに緊張で喉が働かない。カラカラに乾いて、空気が素通りするだけだった。
母上と父上の目を交互に見返しながら、二人の眼差しのことばかりで頭がいっぱいになる。身体中の血が指先まで流れ巡っている感覚に、視界が白黒に光る。今、この場の状況が全て夢なんじゃないかと思ってしまう。
─ 本当に、夢じゃないの?
「ティアラ。……貴方は、どう思いますか?」
母上が、優しい声で私に尋ねた。
催促でもなく、本当に純粋に意見を聞いてくれている。父上もヴェスト叔父様も、真剣な表情を私に向けていた。だけど、その誰もが否定的な表情じゃなかった。本当に、本当に大きな流れが〝その〟方向へ流れているのだと肌で感じた。
セドリック王子の提案に私がどう望むのか。その問いに答えようと思ったら唇も舌も震えてしまった。「本当に」と無意識に口から出そうになった言葉すら痺れたように出なかった。
一度思い切り口の中を噛んで引き締めようとしたら、思い切り過ぎて口の中が鉄の味になった。だけど、代わりに舌も動いて、思い切って声に出す。
─ もし、望めるのならば……
「わた、……私っ、は……!」
言うことが、怖い。
ずっとずっと覚悟していた。ちゃんと諦めていた。
それでも充分すぎるくらいに私は幸せで、これ以上望んでしまうことは我儘だと思ってた。
皆が幸せなら本当にそれで良いと、本当にそう思った筈なのに。
「私、はっ……、……っ。」
言葉にする為に頭に浮かべたら、視界が先に滲んだ。
声がまだ震えて、上擦って一度飲み込んだ。顔に力を込めて瞼を絞ったら大粒になって床に落ちてしまう。
ひっく、としゃくり上げてしまって肩が何度も上下に震える。お姉様と繋がった片手だけが熱いくらいに温かい。強く握り返してくれる力が、本当にこれが夢じゃないのだと教えてくれる。
「私はっ……、……そう、したいですっ……‼︎」
声が、震える。
さっきまで、もっともっと辛いことはちゃんと笑顔で受け入れられた筈なのに。本当の本当の望みを言葉にするのがこの場で逃げ出したくなるくらいにとても怖い。
だけど、もう一度話したら止まれない。ちゃんと、言葉にして伝えなきゃと必死に絞り出す。
「私も、そうしたいです……っ。兄様と一緒にお姉様を支えてっ……、……もっともっとお姉様達や民の役に立ちたいですっ……‼︎」
涙声のまま搾り出して、言い切れたと思ったら嗚咽になってもう言葉が出なくなる。
言葉よりも涙の方がボロボロボロボロ零れてきて、母上達の前だというのに止まらない。顔を俯けて、顔を振って髪の中に顔を隠す。涙で溺れそうになって痙攣する喉が息切れをした。顔を手で覆いたくても、それ以上に今握っているお姉様の手を離したくなかった。
優しい髪を撫でてくれるお姉様に、余計に込み上げた。
─ お姉様に、並びたい。
大好きな大好きなお姉様に並びたい。
これからもたくさん助けてあげたい、力になりたい。
ずっとずっと皆で一緒にいたい。
子どもみたいな望みは、本当に私の我儘だけど。
「そうですか。……わかりました。」
自分のしゃくりあげた声に混じって聞こえた母上の声は、とても静かではっきりしていた。
ぐちゃぐちゃの顔を上げられないで、耳だけを必死に澄ませて母上の言葉を手繰り寄せれば、また私は耳を疑った。
「……確かに。予知能力者が二人ということは、そう捉えるべきだったのかもしれませんね。」
ざわり、と空気が揺れる。
母上の言葉だけを待つ中で、ちゃんと私も顔を上げたくて指先で涙を拭う。何度拭っても拭っても片手じゃ払いきれなくて反対の目がすぐに涙を零してしまう。いけないとわかりながら、手の甲でひと思いに両目を擦る。なんとか視界が開けて、鼻を啜りながら真っ赤になってしまっただろう目で母上を見る。
母上の眼差しは、とても穏やかだった。柔らかい目もとを化粧で釣り上げたその瞳は陽だまりのように光っていた。うっすらと緩んだ口元が、……まるで許してくれているようで。
「まだ、この場で確定とは言えません。アルバートとヴェストと検討し、それから答えを出しましょう。…………恐らく、貴方達の望むものとなるでしょう。」
最後の言葉に心臓がドキリと大きく跳ねた。
聞き返したい気持ちを押さえて、お姉様と殆ど同時に繋いだ手に力を込める。小さく息を吐きながら、母上が力が抜けるように金色の髪を耳に掛けた。手摺に肘を優雅に置いて、柔らかな仕草で首を傾ける。
母上のその仕草に応じるように父上が眉間を指で押さえて、ヴェスト叔父様が深々と了承するように母上へ頷いた。
「王配……〝王妹〟の職務は消して容易なものではありません。女王と同じく責任は重く、そして大変なものです。……それでも、貴方は望むのですね?ティアラ。」
はいっ……!と、今度はすぐに声が出た。
もう目の前の光に目が眩んで、それ以外考えられなくなる。ただただ受け止めたくて、必死に齧り付く。
涙で滲んだ光の先に見えたのは、母上とその隣に並ぶ父上の席。私が、ずっとずっと立ちたかった〝女王〟の隣。胸を張ってそこに立つことを目指して良いのなら、どんなに辛くても構わない。
「……祝勝会の式典では、今までになく民が沸き立つこととなるでしょう。」
下がりなさい。と、最後に退室を許可した母上は柔らかな微笑を浮かべていた。
母上から〝相談がある〟というお姉様と最上層部だけを残して、私と兄様、セドリック王子とジルベール宰相までもが退室する。
お姉様と繋がった手を離すと「また後でね」と笑ってくれた。その顔がとてもとても嬉しそうで、目がちょっと潤んでるのに笑い皺ができちゃうくらいの満面の笑顔だった。
それが堪らず、ぎゅっと一度だけ抱き着いた。すぐに抱き締め返してくれたお姉様の腕の力が強くて、それがとても嬉しかった。手を離して、顔を見合わせると背後から兄様がそっと肩に手を添えてくれた。
そのまま、兄様に連れられて謁見の間を後にする。
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162.163-2.389.390-1




