612.継承者は語る。
コンコンッ。
衛兵にお願いして、ノックを鳴らしてもらう。
扉の向こうからすぐに返事が返ってきて、名乗る前に口の中を飲み込んだ。
……お姉様を取り戻して、今日で六日目。
いつものようにヴァルとレオン王子のお見舞いに向かったお姉様を兄様にお任せして、今日だけは別の場所に向かった。護衛の衛兵と、そして専属侍女のチェルシーとカーラーが付き添ってくれた。
まだラジヤ帝国との会合までは厳戒体制だから騎士をつけようと兄様が言ってくれたけれど、宮殿内から出ないから大丈夫と断った。どちらにしても、部屋の外で待ってもらうつもりだったから。
だって、私がこれからお会いするのは
「こんにちは、セドリック王弟殿下。ティアラ・ロイヤル・アイビーですっ。……お時間、宜しいですか?」
上擦らないように前に結んだ両手にぎゅっと力を込める。
声を上げた途端、すぐに扉の向こうからガタッと椅子が傾いたような音が聞こえた。名乗り終えた後には、本当にすぐ扉が開かれた。
赤い瞳を携えた目が丸くなっていて、慌てて開いてくれたのか金色の横髪が顔に掛かっていた。こんにちは、ともう一度挨拶すると、一言返してくれながら大きく何度も瞬きをした。焦らせてしまったのか、顔まで僅かに火照ってる。私が訪れたことを、本当の本当に驚いているようだった。
「ティアラッ……何故、ここに……⁈」
「改めてお話をしようと思って伺いました。……あれから、ちゃんとお話する暇もありませんでしたから。」
防衛戦で貢献してくれたセドリック王子……王子は、本人の希望で明日まで我が国に滞在している。特別な来賓として、私達が住む宮殿の客室に宿泊している彼に会うのはとても簡単だった。
上擦ったセドリック王子の声に、私から意識して落ち着いた言葉で返す。すると、何かを察したようにセドリック王子の顔色が変わった。深刻そうに眉を寄せて、私の耳にも聞こえるくらい喉を鳴らした。
そのまま「わかった」と短く返して部屋から出てきてくれる。できれば廊下ではなくお部屋でお話をとお願いすると、閉じた自分の部屋を一度だけ振り返った後に「いや」と首を振った。
「客室とはいえ、王女であるお前を俺の部屋に招き入れる訳にはいかない。二人きりならば、どうか客間を貸して欲しい。」
……初対面の時から、そういう人だったら今頃もっと仲良くなれたのに。
少しだけそう思いながら、私はセドリック王子の言葉に「そうでしたね」と返す。カーラーと衛兵に手配してもらいながら一緒に客間へ向かった。今は誰も使ってないし、お話も……きっと長くは掛からないから。
ゆっくりと歩いて客間に向かう間、私の後に続くセドリック王子は何も言わなかった。既に私がお話することが想像ついているのかもしれない。私の予知能力が母上達に知られてしまったことは彼も知っていることだから。
部屋に着いて、お互いに向かい合わせに座る。
沈黙のまま、私もセドリック王子も俯いてしまう。カーラーが運んできてくれたお茶のセットを早速チェルシーが淹れてくれるまでの時間が何故だか今だけはとても長い。
我慢できずに何度か膝の上の手を置き直し、結び直しながらお茶が入るのを待った。お茶を淹れる音とカップの音、私達の視線の先に湯気が上がったカップをそれぞれ置いてくれた。
それから挨拶をして頭を下げた後、カーラーもチェルシーも護衛の人達と同じように部屋の外へ引いていった。パタン、と殆ど音もなく扉が閉じられてお互いの呼吸の音だけが耳に入った。
「…………奪還戦の、あの時は本当に色々ありがとうございました。お陰でお姉様を助けることもできました。本当に感謝してもしきれません。」
最初に、一番大事なお礼を伝える。
セドリック王子がいなかったら、きっとお姉様の元へ辿り着くことなんてできなかった。彼が騎士達を押し退けて、私を塔の上まで連れて行ってくれなかったら……きっと悲しい未来が待っていた。
ぺこりと頭を下げて言う私に、セドリック王子が「いや……!」と慌てたように声を上げた。
「とんでもあり……、ッない。プライドを救うことは俺にとっても望みだった。それにプライドを救ったのは俺ではなくティアラ、お前だ。」
うっかり敬語が出てしまいそうになる彼は、急いで言い直す。
少し恥ずかしそうに目を逸らした後、すぐにその燃える瞳を私に向けてくれた。くすっ、と思わず口元を隠して笑ってしまうと彼の顔が真っ赤になって肩が上下した。……そうあからさまに照れられてしまうと、こっちまで恥ずかしくなっちゃうのに。
思わず頬を膨らませそうになるのを途中で止める。肩を竦めて「失礼しました」と謝ってから改めて彼を見る。
「そんなことありませんっ。セドリック王弟殿下のお陰です。兄様や母上に逆らってまでアネモネ王国に連れて来て下さって、……あんなに力になってくれましたもの。」
思い出せば思い出すほど、本当に助けてもらってばかりだった。
三年前から、自分の力でお姉様を助けると頑張ってきたけれど、結局はまた色々な人に助けて貰ってあそこまで届けられた。支えてもらって助けてもらって、……ちょっぴり悔しいくらい。
気持ちが表情に出てしまったのか、セドリック王子の表情まで暗く影が差した。いけない、せっかくお礼を話している途中なのにと慌てて今度は笑ってみせる。
「とても!とても、格好良かったですっ。本当にセドリック王子殿下が一緒にいて下さって助かりました。すっごく頼りになりました。本当に本当にありがとうございますっ!」
心からの笑顔を、彼に向ける。
本当に本当に感謝してるから。あんなに助けて貰えて、力になって貰えたことを心から。
目を丸くしたセドリック王子が、信じられないような顔で私を見る。唇を結んだまま、顔がポンッと赤い。指摘しちゃうのも逆に申し訳ない気がして、気付かないふりをしながらテーブルの下で手にぎゅっと力を込める。
「……あ、明日のっ……話し合いが終わり次第、一度ハナズオ連合王国に帰られるのですよねっ。」
今度は声が上擦ってしまって、途中からゆっくりゆっくり意識して話す。
笑って話しているのに目が合わせられない。なんだか凄く恥ずかしい空気になっている気がして肩に力が入って上がる。
「あ、ああ。……ステイル王子に、送って頂く。兄貴達にもフリージア王国やプライドの健在を早く伝えたい。二十六日後の祝勝会には兄貴と兄さん共々招待も頂いた。またすぐ会うことになるだろう。」
「そうですかっ。ランス国王とヨアン国王にお会いできるのが楽しみです!」
良かった、普通にお話できる。
こんなに普通に会話できたのは、初対面の最初の最初だけかもしれない。だけど、セドリック王子はコクコクと戸惑い気味に頷いた後はそのまま黙してまた深刻な眼差しを私に向け始めてしまった。……やっぱり〝本題〟がまだなのだと気付いている。
その静かに燃える瞳があまりにも真っ直ぐで、誤魔化せずに固まった笑顔のまま膝の上にある手に視線を落としてしまう。
「……………………。」
「…………その、検討会のことか?」
言葉に迷っていると、先にセドリック王子から促されてしまう。
一度だけ小さく頷けば「そうか……」と溜息くらいに小さい声が返ってきた。
明日の母上達との話し合い。セドリック王子も参加を許されたそこで、私は今度こそ審議が入る。
……予知能力を発覚した私の、進退が。
『……成る程。わかりました。つまり、セドリック王弟殿下がティアラの予知能力について知られたのはアネモネ王国へ向かう途中の船で、ということですね。』
奪還戦直後、お姉様達がレオン王子の元へ会いに行ってから私とセドリック王子は予知能力について、そしていつから情報を共有したのかと問いを受けた。
私がいつ、どんな予知をしたのか。どんなことができるのか。そしていつからセドリック王子は私の予知能力を知ったのか。どちらも、フリージア王国にとっても、そしてハナズオ連合王国との同盟関係としても重要なお話だった。
私も、……きっとセドリック王子も嘘偽りなく問いには答えた。それからすぐに奪還戦の後処理になって、残りはお姉様達も含めた場で検討会を行う事で一度話は終わった。
そして、その話し合いの場が明日に行われる。
「本当に、本っ当に感謝してます。セドリック王弟殿下。」
気が付けば、噛み締めるような声が出た。
だけど今は、あの燃える瞳に目を合わせられない。俯くばかりでどんな顔をすれば良いかわからない。笑えば良いのか、謝罪の顔かすら。
「一緒に塔に登ってくれたことも、ずっと守って下さったことも、ハナズオ連合王国から飛び出して下さったことも、サインのことも、お部屋の前で慰めて下さったことも、…………それに。」
私を国に残す為に、手を差し伸べてくれた。
あの時が、本当に一番嬉しかった。
法律を知ってから初めて、ずっと隠していたお願いを叶えてくれたから。
国に残れると思ってからの一ヵ月はとてもとても幸せだった。本当に貴方がとても素敵な人だと思えてしまったくらいに。
素敵な夢を見せてくれてありがとう。お姉様を取り戻させてくれてありがとう。こんな私を、……選んでくれてありがとう。
だけど
「……ですが、セドリック王弟殿下。私が貴方と結ばれることはありません。……本当にごめんなさい。」
強張る首に力を込めて、必死に顔を上げて彼を見る。
燃える瞳に焼かれながら、その目を見るだけで顔に力が入った。彼のその目には驚きはなくて、やっぱり既に想像がついていたように哀しげに揺れていた。
……ごめんなさい。でも私の運命は、もう決まってしまったから。
お姉様を救う、その願いと引き換えに私はあの時全てを手放した。
明日の検討会でそれが確定する。だから、母上に言われる前にちゃんと私から彼には伝えといて置きたかった。
「ああ。…………そう、だろうな。」
下唇を噛んで、必死に目を合わし続ける私にセドリック王子が静かに口を動かした。
覇気のない声で、それでも納得だけはしているかのようだった。指を組んだ手を硬くして、顰めているように眉を寄せた顔からは怒りは感じなかった。苦々しい表情で、重く最後は私へ向けて頷いてくれた。
「……謝る必要はない。俺も今はそこまで愚かではない。たとえ明日がどう転ぼうとも、……そうだと。ちゃんと、わかっている。」
優しく低めながら言ってくれた声が、冬の水面のように静けきっていた。
セドリック王子もやっぱり、明日のことを予想がついている。昨日もジルベール宰相のお手伝いをしていたと兄様から聞いたし、その時にある程度聞いた後なのかもしれない。
「明日、検討会が終わった後に私は、……お見送りも難しくなるかもしれないので。なので、先に私の口からお伝えすべきと考えました。」
「気を遣わせてすまない。わざわざ足を運んで貰えたことに感謝する。俺も、明日は無理に参加させて貰う身分だが、……先に謝っておこう。」
すまない。と、今度は彼から頭を下げて謝ってきた。
参加は母上が許したことだから、謝ることなんかじゃないのに。何故本当に今はこんなに丁寧なのと、何だか胸が苦しくなる。
噛みすぎて唇に血が滲みそうになって、強く結んで代わりに口の中を噛む。自分でも表情が難しい顔になってしまっているのがわかる。
するとセドリック王子の方が「そんな顔をしないでくれ」と眉を垂らして笑った。自分の方が悲しい顔しているくせに、と思いながらそれを言葉にすると何かが込み上げそうで押し黙る。
「俺の望みはお前に誓ったあの日から変わらん。……お前が幸せでいてくれればそれで良い。」
〝セドリック王弟〟
〝私は〟
〝貴方のことが〟
……そう、言ったら。彼がどんな顔をするかしらと小さく思った。
驚くかしら、知ってたと笑うのかしら、また的外れな切り返しでもされてしまうかもしれない。
彼への返事がすぐには思いつかない代わりに、そんな悪いことを考えてしまった。そんなことを言ったら卑怯で、とても酷い。
私の自己満足で、彼をもっと傷付けて困らせるだけだとわかっているのに。……今更こんな時に伝えたいなんて、絶対おかしい。
だから、私の答えはこれで良い。
「っ……、……ええ。セドリック王弟殿下のお陰でとてもとても幸せですっ。だってお姉様を助けられたんですものっ。」
そう言って、笑ってみせる。
そうよ、私は幸せなんだから。
全部を捨ててでも、助けたいと思った人を助けられた。
変えたくて変えたくて堪らない、苛まれ続けた予知の先にも打ち勝てた。
あの日のことは、私の生涯の誇りになるのだからっ。
「………………俺は、今もこの先もお前の幸せを願っている。」
セドリック王子の低い声でのお返事は、とても優しかった。
ありがとうございますっ、と笑いながらソファーから立ち上がる。そろそろ私も部屋に戻りますねと一足先に部屋を出るべく早足で扉に向かった。
セドリック王子も続くように立ち上がったまま私に笑みを浮かべてくれた。扉に手をかける前に、もう一度だけくるりと振り返る。すぐに燃える瞳と目が合って、今度は逸らさずに最初からまっすぐ合わせた。
「……これからもお会いできる時は仲良くして頂けると嬉しいですっ。フリージア王国とお姉様達のことも宜しくお願いしますね!」
ああ、勿論だ。と、その言葉だけが穏やかな微笑と共に返ってきて私からも力いっぱい笑い返した。
扉を開いて、部屋の外へ軽い足取りで逃げる。部屋の前で待っていてくれたカーラーとチェルシー、そして護衛と一緒に私は自室へ向かった。
お姉様達が戻ってくるまでは、ナイフ投げの練習でもしようかしらと思いながら手を背後に結んで歩く。
「明日のこともちゃんと考えなくちゃ。」
一人、言い聞かせるように声に出す。
大丈夫。これで心配事も何もない。あとは母上達への受け答えだけ考えておけば、きっと平気。
私が少しでも戸惑ってしまえば、優しいお姉様達はきっと悲しんでくれるから。そうならないように今から心の準備をしたかった。
覚悟は特殊能力を見せたあの時に決まっていた。
たくさんご迷惑をかけたセドリック王子にもちゃんとお詫びもお断りもできた。大丈夫、思い残すことなんて、きっとない。
お姉様達の幸せは、私が守るから。




