潜め、
「…………。」
思い出してしまったら、また悲しくなった。
あれから、どんどんと遠い所へ行ってしまったお姉様。私が最後に国から離された時にはお姉様は離れの塔にいて、あれだけ大勢居たお姉様の周りの人達からも離れ離れになっていた。兄様も、そしてアーサーも。
お姉様に何が起きたのかはわからない。兄様は「もうこのままだ」と言っていたけれど、私はまだ諦めきれない。
予知した未来でだって、あんなにもたくさんの人がお姉様の死に泣いていた。皆、お姉様を取り戻したがっていた。たとえ今、お姉様がどれほど皆を突き放してもどれだけの人が離れても、私は絶対お姉様を諦めたくない。
私が見た未来では、お姉様の為に泣いてくれる人があんなに居た。きっといつか、……お姉様を取り戻す為に何かが起こる。
その時にちゃんと私はお姉様の味方でいたい。お姉様のことも、お姉様のことが大好きな人達のことも裏切りたくない。
予知した未来では、お姉様が死んでしまった理由はわからなかった。
自殺なのか、発作なのか、誰かに殺されたのか。……少なくともあの場にはお姉様を殺した人はいなかった。皆がお姉様の死を悲しんで嘆いていた。
発作なら、そのきっかけを全部避ければ良い。自殺なら、貴方には死んだら悲しむ人がいるのだと、貴方は一人じゃないのだとちゃんと伝えて届けたい。その為にも最後までずっと胸を張ってお姉様の味方でいたい。……たとえ、兄様や皆が離れてしまっても。
そう思うと胸が苦しくなって、ベッドに座り直したまま枕を抱き締める。お城のよりずっと硬い枕だったけれど、腕の力を込めればその分形を変えた。
身を硬くすると自分の呼吸や心臓の音まで小さく聞こえてくる。こんな時にお姉様が居てくれたら、と思ってしまい、弱気になってしまう自分が情けなくなった。
今は、そのお姉様を守る為に……助ける為にここに居るのに
「…………一年程前。まだ愚かだった俺が、お前達の城に初めて訪れた。」
突然、ずっと沈黙を続けていた筈のセドリック王子が語り始めた。
一年前。その話は私もよく覚えている。だけど何故いまその話をするんだろうと一人首を傾げた。
だけどセドリック王子は構わないように言葉を続けていく。低く、ゆっくりと敢えて平坦にしているような口調で。
「お前も知る通りの愚行を犯し、プライドに何度も救われ、そしてコペランディ王国からの侵攻が早まり兄さんからは同盟破棄、そして兄貴の〝急病〟に絶望し、帰国をと喚いた俺をまた彼女は救った。」
それも知っている。
お姉様がたくさんセドリック王子に協力してあげたことも、自ら戦場に立つことを決められたことも全部翌日にお姉様が話してくれた。その為にセドリック王子へたくさんの言葉をあげたことも。
「翌日まで女王の判断を待てと言われ、一人部屋で嘆き怯え、当然夜も眠れなかった。」
どこか自嘲じみた笑いが混じって聞こえた。
何とも情けない、とそう言っているようだった。情けなくなんて無いのに。私だって、今もこうして……、…………あれ?
「そんな時、扉の前にプライドが現れた。」
お姉様……!
それは私も知らなかった。驚いて、さっき以上にセドリック王子の話に黙って耳をすませる間も彼は話を続けた。
「扉を一枚隔てて彼女は俺に語りかけ、勇気付け、慰めた。第一王女である彼女が、無礼ばかりを犯した要注意人物の俺の部屋の前に一晩中だ。今でも信じられん。」
今度は最後に少しだけ明るい笑いが混じってきた。
お前も信じられないだろう?と言いたげで。だけど、……すごくすごくお姉様らしいなと思った。優しくて悲しんでいる人には手を差し伸べてくれる。久しぶりに聞く、優しいお姉様の話が懐かしく聞こえて、もっと聞きたくなった。
ベッドから立ち上がって、枕と毛布を抱いて引きずって扉に歩み寄る。近付いたことを気付かれたくなくて、一生懸命足音を消す。
扉を前にその場にぺたりと座って毛布を肩に羽織る間も、セドリック王子は変わらず話し続けた。
「何故、そんなに俺に構うのかと聞いた。彼女が俺にそこまでする理由も義理もない。許さないと言いながら、俺を嫌うと言いながら、何故あんなにも優しい言葉を掛けるのかがわからなかった。」
それが、私の大好きな皆が愛したお姉様。
だから皆が集まった。だからあんなに大勢の人に囲まれてたくさん愛された。そんなお姉様だから、……幸せになって欲しいと、そう願った。
「プライドは答えた。俺の為ではない、ただの罪滅ぼしだと。……恐らく、ハナズオにすぐ帰国できる特殊能力についてまだ俺に明かせなかったことだったのだろう。」
当時、まだハナズオ連合王国は同盟国じゃなかった。
我が国は、同盟国でない限りは特殊能力の詳細は何も明かせない。どんな特殊能力があるのか、どんなことができるのかも。
お姉様がそれで気負う必要なんて、どこにもないのに。そう思っていたら重ねるようにセドリック王子が「プライドがそれで気負う必要などどこにも無いというのに」と言って思わず息を止めた。
「そして言った、知ってるからと。〝家族が、大事な人が辛い目に合っていると知りながら何も出来ずに苦しんだり、悲しんだ人を〟……何人もと。」
……それも、知ってる。
私がちゃんと知ってるのはきっとその一部だけだろうけれど、お姉様は昔からたくさんの人を助けてくれた人だから。ジルベール宰相やヴァルを助けてくれたのは間違いなくお姉様だから。
「……だから、俺は今もここに居る。お前が俺を嫌っていても構わない。お前が、……悲しんでいる時や眠れぬ夜を過ごしている時はこうして居たい。」
?……わからない。
どうして今のお姉様のお話でそうなるのか。
何か聞き逃したことでもあったかしらと、それともまた彼の言葉足らずかしらと尋ねようと思った。だけど、声に出したら扉の前まで居るのが知られちゃうから躊躇ってしまう。いっそ、もう一度ベッドの方へ戻ろうかと思った時
「〝一人で泣くのに夜は長過ぎる〟」
息が、詰まった。
きっとお姉様の言葉だと、聞く前からそう思った。
枕を抱く腕にぎゅぅぅ……と力を込めて口を絞る。するとやっぱり私の返事を待たずに彼は言葉を続けてくれた。
「プライドの言葉だ。あの時も、確かに俺は彼女に救われた。」
穏やかなその声に、……何故だか無性に泣きたくなった。
込み上げてくるものに、それでも必死に耐えた。彼の思った通りになってしまうのが恥ずかしくて悔しくて、口の中を何度も何度も飲み込んだ。座り込んだまま手足を床につけて動かして、……扉に背中をつけて寄りかかった。
その途端、一枚向こうからセドリック王子の息を飲む音が聞こえたけれど気付かない振りをする。そして、私からも口を開く。
「……私は、泣いてなんかいませんからっ。」
予知と夢以外では、ずっと。
アネモネ王国行きの船に乗ってから、ずっと泣くのは我慢してきた。今は最善を尽くしてるし、船員の方々に心配もかけたくなかった。それに今は泣いてる場合なんかじゃないとわかっていたから。
私の言葉に、セドリック王子は「ああ、そうだろうな」と簡単に同意する。軽く笑い声まで聞こえて来て、扉越しに彼を睨んだ。
「わかっている、お前は俺などとは違う。俺よりも遥かに強い人間だ。……だが、〝泣かない〟のと〝泣きたくない〟のとは違う。」
……いじわる。
まるで、私のことを全部わかったように言って、……当ててしまう。
やっぱりこの人が嫌い、と思いながら私は毛布の上から膝を抱える。立てた膝の上に顎を置いて視線を浮かすと、カーテンの隙間から月の光が見えた。
「プライドに俺が救われたように、俺もお前の力になりたい。プライドの真似しかできん俺はさぞ滑稽だろうが、……許して欲しい。」
「……お姉様のこと。とても慕って下さっているのですね。」
自分でも意外なくらい弱い声になってしまった。
お姉様を慕ってくれるのは嬉しい。まだお姉様に酷いことをしたのは許してないけれど、この人がちゃんと今はお姉様を心から大事に思ってくれてるのも知っている。とても慕って、大事にして、感謝もしてくれている。お姉様とお話する時はとても心を傾けていて、嬉しそうで楽しそう。…………だから、未だにちょっぴり信じられない。
彼が、お姉様ではなく私を選んでくれたのが。