608.継承者は惑い、
『泣いてる女から奪う趣味はない。…泣かせるのは、嫌いではないがな』
『母さっ……すまな、ごめんっ……俺はっ、僕はっっ……‼︎‼︎』
『貴方様にとって、騎士とはどのような存在でしょうか……?』
『いやだ……っ!いやだいやだいやだ……あ……ああ、あああああああああああああああ⁈いやだいやだいやだ来るな来るな来るなあああああ‼︎!』
『多くの罪なき者を苦しめ、その命を奪いました。……たった一人の命を、救いたいが為に』
どんな夢なのかはいつも目が醒めると忘れてしまう。
ただ、目が覚めた時にも感情だけが引き摺るように残っていた。しかも年を重ねるごとにはっきりと。
何かが頭の中を駆け巡った気がして、だけど本当に一瞬で気がつくと忘れてしまう。ただ感情だけがぽつんと足跡のように残っていた。
まるで何かの予感のようで、その数は月日を重ねるごとに増していた。
夢だったり予感のようだったり本当にその時々に様々で。
記憶に残らないだけで感情がざらりと残る感触に、この先の未来に何か怖い事が怒るんじゃないかと思えて怖くなった。
夢と予感の数は、お姉様が目を覚まされた日を境として急激に数を増した。……私の不安を、煽るみたいに。
『ッわかってる……‼︎そのようなことをしても約束を反故にされることは目に見えている……!だが、だがっ……それでも俺にはそれに縋るしかっ……‼︎』
『予知と…⁈つまり女王陛下はあの時全てご存知で…ならば何故、撤退命令も出さず先行部隊を崖上などにっ…』
『ッ落ち着いていられるわけないだろう……⁈なんで……?なんで突然そんなことを言うんだい……⁈』
『ッティアラ様から手を離しやがれッ‼︎‼︎』
『跪きなさい、アダム。……私に噛み付いた貴方は駄犬以下だもの』
『……本当は、お前に兄と慕われるような人間ではない。俺は多くの人間を……この手にかけてきた。数えきれないほどの命を』
「フリージア王国は、今日から私のものになる」
〝逃ガサナキャ〟
……
…
「っ……‼︎」
また、だった。
目が覚めた途端、とてもとても呼吸が苦しくなって声が出なかった。夢だと確認する為に身体を起こして胸を両手で押さえる。身体に掛かっていた毛布が身体から落ちて、くぐもった音が息に紛れて耳に届いた。
息を整えたいと思ったら、息が震えて全身も震え出してくる。
暗くした部屋が、今はとても怖い。
強張った身体を何とか動かす。手を伸ばしたら、閉め切ったカーテンの端に指先が掠めた。前のめりに手をついてなんとか今度はカーテンを掴む。指の震えが伝わって布地が揺れた。
まだ太陽がなくって、代わりに怖いくらいに眩しい月光がカーテンの隙間から溢れてきて、視界から身体に薄くだけ熱を灯してくれた。まだ……深夜。
「…………お姉様っ、兄様……ジルベー……」
それでも光に触れたお陰で凍り切った身体が少し溶け出した。
カーテンの隙間から白いぼやけた光しか見えなくて、目に涙が溜まっていた所為だと、頬から零れ落ちてからやっとわかった。指先で片目ずつ拭って瞬きを繰り返して、少ししてから視界が鮮明になる。残酷なくらいに眩しい月がとてもとても綺麗で怖い。
……今のは、予知だった。
深く息を吸い上げて、身体中の空気を吐き出してから頭が回る。
もう夢とは思わない。間違いなく〝予知〟だった。今は確信できてしまう。
お姉様が、怖い顔で笑っていた。隣には何処かで見たことのあるような男の人が二人、ジルベール宰相と兄様が両手にまるで罪人のように枷を掛けられて怖い顔をしていた。
沢山の人が倒れていて、立っているのはその数人だけだった。間違いなく玉座の間だった筈なのに。
「女王になる」って……母上は?父上は?ヴェスト叔父様は?何故あの場に立っていなかったの⁈ただ居なかっただけ?それともっ……
……このまま、未来がどちらも変わらなかったら。
「……っ、……いや!……そんなの、絶対嫌っ……!」
誰もいないのに、誰かに向けて訴えてしまう。
窓の外から目を逸らし、俯いて自分の手に視線を落とす。
兄様とジルベール宰相達を助けたい。だけど今の私にはどうすることもできない。今の未来はいつの未来⁇これから?明日?明後日⁇もっと先⁇
一年前は予知をしてすぐ未来が来た。なら、これも今日の予知⁇だとしたらこれから兄様達はっ……!
お姉様は生きていたけれど、……まるで三年前に見た予知の、布石みたいな未来。
お姉様を助けたい。
三年前に視た予知みたいにお姉様が死んじゃうのも、あんな死に方をするのも嫌。お姉様が死んでしまえば私だけでなく大勢の人が悲しむ。とてもとても悲しむ。
だけど、私一人で助けられるかわからない。皆に言わないと、知らせないと。
……だけど、言ったら今度こそ全てを知られてしまう。お姉様を取り戻しても、……最後にはまたきっとお姉様を追い詰めてしまう。そうなってしまったら優しいお姉様がきっときっと傷付いてしまう。
どうすれば良いの?どうすればお姉様を助けられるの?兄様もジルベール宰相も母上も父上もヴェスト叔父様も皆も、誰も傷つかずに誰も悲しまずに誰も犠牲にならずにどうすれば、…………どうすれば。
コンコンッ。
「…………?」
扉が、叩かれた。
突然のノックに一瞬だけ息も忘れた。振り返り、毛布を握り締めて扉とは反対方向に後退る。誰なのかは予想もできていて、それでもどなたですかとまだ震える声で尋ねれば、数秒後に低い声で答えが返ってきた。
「……セドリック・シルバ・ローウェルだ。夜分にすまない。……その、夢見でも悪かったか?やはり船では良く眠れんか。」
「…………また、そこに居られたんですか。」
……船の上。
セドリック王子と船でハナズオ連合王国を出て、二日目の夜。
いつもとなれないベッドだけれど、……だから眠れないわけではない。アネモネ王国到着までに私にできることは身体をちゃんと休めること。だから昨晩も今日もちゃんとこうして毛布に包まった。……だけど、どうしても不安で心配で上手く眠れなくて。
いっそ専属侍女の二人にも隣の部屋ではなくて一緒に寝て貰えば良かったと思う時も何度かあった。
「そんなことばかりされても困りますっ。……貴方に風邪を引かれたら元も子もありません。」
すまない。と、返事はそれだけだった。
セドリック王子は航海を始めた昨日から割り当てた自分の部屋ではなく私の部屋の前で夜を過ごしていた。今朝に扉を開けたら、毛布に包まったあの人が居た時はびっくりした。
「…………貴方は、何故いつもそんなことをなさるんですかっ。」
彼が、……こんな風に私の部屋の前に居たのは船の上が初めてじゃない。
ベッドから足だけ下ろして座り直し、膝の上で重ねた両手に力を込める。見られているわけでもないのに乱れた髪を整え、身嗜みを整える。
そうしながら扉越しに投げ掛ける私の言葉に、すぐには返答は返ってこなかった。口の中を少しだけ噛みながら数秒待てば、扉一枚分くぐもった声が返ってきた。
「以前と理由は変わらん。……俺にできることがこれだけだからだ。」
それに外にいる方が進行方向も確認できる、と。彼はまるで平気そうにそう私へ言い返した。
この人がわからない。
迷い無く言う彼は、……たぶん今夜も同じように扉の前にいるのだろう。ちゃんと休める時は休んで欲しいのに。
できることがこれだけ、なんて。こうしてフリージア王国に戻る為に協力してくれて、最短でアネモネ王国に着くために朝から夜まで外では航海指示か進路確認、船長室でも航海士と打ち合わせばかりしている……くせに。
ぷく、と頬を膨らませて気が付けば一人で怒ってしまう。
すると、セドリック王子が何か勘付いたみたいに「…………足りんか⁇」と少しだけ困ったような声を出した。足りませんっ!とすぐ声を上げれば、また沈黙が返ってくる。
……私の誕生祭の、翌日のことだった。
倒れたお姉様にずっと付き添っていて、ヴェスト叔父様のお手伝いをしていた兄様が部屋に戻って来てくれた。
『……ずっと姉君の傍に居てくれてありがとう。だが、もう休むんだ』
そう言って、最後は優しく抱き締めてくれた兄様に言われた通り私は自分の部屋に戻った。
専属侍女とチェルシーとカーラーにも「もう寝るから大丈夫」と言ってお部屋から出て貰った。お姉様のことでただでさえ皆が心配なのに、私のことで余計に心配をかけたくなかった。お部屋に戻っても絶対に眠れる気がしなくて。……ううん、違う。眠れる気がしなくて、じゃない。
眠りたく、なかった。
お姉様が心配で心配で眠れなかったのも本当。だけどそれ以上に、……眠るのが怖かった。
眠ってしまったら、また予知をしてしまいそうで。お姉様に付き添っている間も妙な〝予感〟はしたけれどそれだけだった。記憶には残らないし、その時は今までと違って怖くも悲しくもならなかったからそこまで気にもならなかった。
それに眠っていた時だけ予知を見るとは限らない。一年前の防衛戦だってそうだった。
だけど、もしまた眠っている間に予知をしてしまったら。もしくは記憶に残ってしまうような怖い夢を偶然でも見てしまったら。
─ 予知では、お姉様はあんな風にはなっていなかった。
なら、未来が変わった?それともお姉様はすぐに目を覚ましてくれるの?この後にあんな酷いことが待ってるの⁇
未来なんて知りたくないと。
お姉様がこのまま死んじゃう夢を見たらどうしよう。
これが、あの予知した未来の前兆だったらどうしようと不安は尽きなくて。
私が未来を予知しているのか、それとも私が見た夢が未来になってしまっているのかもわからなかった。
考えれば考えるほど怖くなって、もしかしてお姉様があんな目に遭っているのも私の所為なんじゃと考えた時
コンコンッ、と。
……そう考えていた時に、扉が叩かれた。
顔を上げて返事をすれば、ノックの相手はセドリック王子だった。
何ですか、と泣きそうなのを隠す為に頑張ってできるだけ低い声でそう返したら「すまない、扉の前に居させてくれ」と言われた。
部屋に入れて欲しいならわかるけれど、何故扉の前なのかしらと不思議だった。何のおつもりですか、と強めに言ったら、それでもやっぱりセドリック王子は落ち着いた低い声だけを返してきた。
『俺にできることがこれだけだからだ。……話してくれる時は、聞く。』
意味がわからなくて、何を話せと言うのと思った。
私が沈黙で返し続ければ、彼はその後もずっと何も言わなかった。
暫く経っても彼の足音が去っていくのが聞こえなくて、むしろ扉の前の護衛が戸惑っているようなざわつきが聞こえてきた。厳戒体制の時に他国の王族が第二王女の部屋の前に居たら皆戸惑うに決まってる。仕方なく「勝手にして下さいっ」と叫んだ後に、扉の方に背中を向けてベッドに転がった。
扉からベッドは充分に離れてる。セドリック王子からも「感謝する」の一言の後は、何の音も扉越しには聞こえて来なかった。私が許可したことで、扉の向こうにいる護衛の方々も落ち着いて、本当に誰もいないみたいな静けさが戻った。
背中を向けて、枕を抱き締めて顔を埋めて、…………扉からずっと離れている筈の背中が少しだけ暖かかった。
それから半刻もしない内に扉越しの騒ぎで目が覚めた時、ほんの数分だけ眠れてしまっていたことに少し驚いた。
そして、お姉様が目を覚まされたと聞いてー……、…………。
「…………。」
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