606.継承者は拒んだ。
『アーサー・ベレスフォード。……お前は、私のようにはなるなよ』
ある時は、寂しさが胸を過った。
『騎士団に責などない。…私とて、理解しているというのに』
『…今は聞き心地も悪くない』
ある時は、悲しみが胸を過った。
『何度でも、永遠に私はお前を諫め続ける。それが、ローザもアルバートもできなかった…私の最期の役目だ』
ある時は、苦しみが胸を過った。
何かが頭の中を駆け巡った気がして、だけど本当に一瞬で気がつくと忘れてしまう。
ただ、感情だけがぽつんと足跡のように残っていた。……まるで、何かの予感のようで。
「……っティアラ。話しても、……良いだろうか。」
兄様の誕生祭。
険しい表情で話しかけてきたセドリック王子は少しだけ頬が赤かった。眉間に皺を刻んでいるみたいに怖い顔だから、怒っているのか緊張してるのかもわからない。
私への挨拶の列に並んでいたのだからお話するのは当然なのに、断りまでいれてくる。来賓の手前、私も何とか落ち着いて見せながら了承すると、最初に兄様の誕生祝いを綺麗な言葉遣いで言ってもらった。それからまた、敬語ではない言葉で私に語りかけてくる。
「婚約者候補を……もう決めたらしいな。」
〝婚約者候補〟の言葉に思わず肩が跳ねた。
まさか、もう国王に聞いていてこの場で話してしまうつもりなんじゃないかととても焦った。
顔を必死に取り繕いながら頬が引き攣った。前で重ねた手の平が、びっくりする勢いで湿っていった。口の中を飲み込んで心で「変なこと言わないで!」と叫ぶ。こんなところで婚約者候補が誰か知られたら、大変なことになってしまうのに‼︎
だけど、続けられた言葉は意外なものだった。
「……やはり、国外の者なのか……?」
そう言って、少し苦しげに燃える瞳を揺らしたセドリック王子はとぼけているようには見えなかった。
どうやらまだランス国王とヨアン国王が内緒にしてくれてるみたいでほっとする。お二人に知られてしまった時も恥ずかしかったけれど、……彼に知られるのはもっともっと恥ずかしい。
〝まるで〟彼の言葉に本当に私が揺れてしまったみたいで。…………そう、〝みたい〟で。
「……私は第二王女ですもの。我が王族の規定通りだと思って頂いて結構ですっ。」
これくらいなら、話しても大丈夫。
我が国の王族の婚姻についてはこの場にいる全員がわかっていることなのだから。
何とか笑ってみせながら答えれば、セドリック王子の表情が陰り出す。「そうか……」と呟いて瞳の焔をゆらりとさせるセドリック王子が少しだけ不思議だった。
この人が本当に私との婚約を望んでくれているなら、どうしてそんな顔をするのと。……規定に、自分が当てはまる事はわかっている筈なのに。
もしかして、やっぱり私への求婚を断りたくて理由を探しているのかしらとまで考えてしまう。すると
「お前は、…………本当にそれで良いのか……?」
「?……どういう、意味ですか?」
重々しく語ったセドリック王子の言葉に首を傾げてしまう。
本当にも何も、何故私が選んだ相手も知らない彼がそんなことを言うのかわからない。少しだけ眉を寄せてしまいながら返事を待つと、セドリック王子は更に言葉を重ね出す。さっきよりも更に声を潜めて低めて、誰にも聞こえないように細心の注意を払っているようだった。
「……嫌なのだろう?他国の王族との婚姻など。プライドやステイル王子と共に在りたいと強く願っているのならば、国を離れたくなどない筈だ。」
……これで、二度目。
この、感覚を私はもう知っている。既に一度、私は彼に心を覗かれたから。
心臓を無遠慮に掴まれたような感覚に、唇をきつく縛っる。笑顔も忘れて睨んでしまえば、セドリック王子が怯むようによろけてしまった。だけど今だけは怖がらせてしまっても構わない。
「変な……ことを言わないで下さいっ。私は第二王女です。嫌とか良いとかのお話ではないんです。王族としての役割は絶対に果たします。」
「それが本当にお前の望みなのか?プライドやステイル王子に心から幸福だと言えるのか?」
「っ……、…………どうして……そんないじわるな事を言うんですか……?」
否定できなくて、言葉に詰まった。
心の中で認めてしまったことに、涙腺が引っかかった。あと少しで目から滲みそうになったものを必死にぎゅっと握って堪えた。我慢した顔でセドリック王子を睨んでしまった私はきっと、とても怖い顔をしてる。
この人が、嫌い。大嫌い。
私を好きみたいに言って、なのに他国の王族との婚姻を否定して揺さぶってくる。
変えられるわけも変わるわけもないのに、私の選択を否定する。
「!そ、ういうつもりではない……‼︎ただ、お前の望みは……、……っ。」
「私の望みが何だと言うのですか?」
声を潜めていて良かった。
きっと、私もセドリック王子と同じように今とても嫌な言い方をしてしまっているから。
だけど当てられたくなくて否定したくて、彼の言葉が的外れなことを願うように無理矢理促してしまう。
私の言葉にセドリック王子が一度唇を結ぶ。一度だけ目を逸らし、周囲の来賓の様子を確認した後にまた一歩私に近付き、高い背から私を覗いた。
瞳の焔に照らされて私は目を少し窄めてしまう。だけど次に放たれた彼の言葉に、また一気に瞼が開いた。
「……プライドの、幸福が望みなのだろう。ステイル王子も望まれるプライドの幸福な未来が。その為だけにお前は全てを飲み込もうとしている。…………違うなら、否定してくれ。」
……否定、できない。
怖いくらい、その通りで。
当てずっぽうだと、私がお姉様を慕ってるから見ればわかることだものと思いたくても思えない。
それらしい言葉を選んだだけには聞こえなくて、彼の言葉は水底を覗いた後のような確信を抱いていた。
「確かにお前が王族の使命を全うせず国内で婚姻を済ませたいなどと言えば、多少は迷惑がかかるかもしれん。それに第二王女が王位継承権を確実に失わずに国内に留まれば、上層部や周囲から」
「ッもうやめて下さいっ……‼︎」
やめて。それ以上は開かないで覗かないで。
掠れた声での訴えは僅かに悲鳴になってしまった。周りに聞こえないように声量は抑えても言葉が抑えられない。
耐え切れずに俯けば、慌てるようにセドリック王子から「申し訳ありま……ッすまない!」と謝罪が返ってきた。
何故、そんなふうに申し訳なさそうに謝ってくれるのに酷いことを言うの?気遣ってくれながらどうして意地悪な言葉を言って揺さぶるの⁇この人が怖い、この人がわからない、この人が嫌い、大嫌い。
だめ、兄様の大事な誕生祭なのに泣いちゃ駄目。これ以上怒ることも、悪い口も言っちゃ駄目。
自分にそう言い聞かせながら、俯いたまま数秒だけ息を止める。それから深呼吸を静かに肩だけで繰り返して、やっと落ち着いた声がでた。
「……ごめんなさい。そろそろ他の来賓の方とのお話も控えていますので、これで。どうぞこの後もゆっくり楽しんでいかれて下さい 。」
顔を上げ、自分でもわかるくらい力なく笑ってしまう。礼儀正しく頭を下げてセドリック王子との会話を切れば、彼は「!俺はっ……‼︎」と少しだけ声を上擦らせた後に噤んだ。周りを見回して、まだ後に控えている来賓に「確かに、……長くは話せんか」と小さく呟く。
それから私に挨拶を返すと「言い過ぎた、すまない」とまた謝った。二歩退がって離れると、最後は悲しげにその瞳を揺らして静かな口調で私に言い放った。
「俺はっ……ただ、お前が幸福であって欲しいだけだ……。」
失礼致します、と。最後だけ言葉を整えた彼は、そのまま私の反応も待たずに去ってしまった。
時間で言えば、本当は全然掛かっていない。むしろ他の来賓とのお話よりずっと短いくらいだった。だけど、他の来賓との長いお話よりも彼とのあっという間の時間が私には苦しくなるほど長過ぎた。カラム隊長がボルドー卿としていらした事よりもずっとずっと印象に残ってしまうほど。
本気で、婚約者候補からやっぱり彼を外そうかなとも思った。
彼が本当に私を好きだと思ってくれてるのかもわからなくなって、そんなことで悩んでる自分がただただ惨めで辛かった。
彼がわからない。
彼が怖い。
彼が大嫌い。
なのに、まるで縋るように願うようにどうしてもたったの一歩が踏み出せない。機会が何度あっても母上に「やはり変えます」の一言を言いに行く勇気が持てなかった。
…………これじゃあ、まるで私の方が。
彼の本音や真意が知りたくなって。どういうつもりで私に誓いのピアスをくれたのか、どうして揺さぶりをかけるのか、どうしてあんな意地悪ばかりするのか、何故あんな悲しそうな表情で私の幸せなんて口にするのか。
考えれば考えるほどわからなくなって、気が付けば毎日のように彼の事を考えてしまって、時々眠れなくなった。ベッドの中で彼の声と最後のあの言葉を思い出すと顔が熱くなって、引き摺られるようにあの愛の言葉が何度も何度も頭の中で蘇るから。
何故、居ない時まで彼の存在でこんなに胸が掻き乱されるのかわからない。
お姉様には、幸せになって欲しい。
民に王族として報いたいのだって本当。それに兄様やアーサー、ジルベール宰相、レオン王子、ヴァルやセフェクとケメト……たくさんの人がお姉様の女王戴冠と幸せな未来を願ってる。だから、私はこれが良い。
お姉様はレオン王子と婚約解消を一度した。だから、これ以上は妹の私まで異例を起こすわけにはいかない。過去にも恋した人との愛を貫く為に異例な処置や婚姻を実らせた王族は何人もいる。だけど、お姉様が一度大きな異例を起こした今、私に望まれることはちゃんと王族の使命通りに全てをこなすこと。
ちゃんと他の王族と婚姻して、王位継承権を捨てないと。王位継承権放棄を書類で示すだけでは足りない。王族の血が私に流れている以上、王位を奪える立場にいればいくらでも祀り上げることはできてしまう。いつかの革命の画策をしていると訝しまれてもおかしくない。私はせっかくのお姉様の治世に波風を立たせたくなんてない。
だから良いの、このままで。
ちゃんと、私は幸せ。
大好きなお姉様が居てくれて、素敵な兄様にも出逢えた。
普通の第二王女より二年も長く家族と一緒に居られる。
たくさん愛して貰えて、一生分の幸せをたくさんの人達から貰った。これ以上私が欲しがってしまうのは我儘過ぎる。
ちゃんとわかってた、覚悟もできていた。だからお姉様達との一分一秒を大事にした。そしてこの幸せを大事にする為にたくさん努力した。いつだって後悔しないように生きてきた。
こんなに愛して貰えて、大事にして貰えて、幸せな生活をさせて貰えた。そしてまた、ハナズオ連合王国へ嫁げばきっとあの人達は私に親切にしてくれる。
フリージア王国にもお姉様達にも貢献できて、最後にお姉様の治世を脅かさずに民も皆もずっとずっと笑顔でいられる。
これ以上の幸せなんてきっと他には何処にもない。
私の最後の願いはただ一つ。
三年前に視てしまった、あの悲しい未来を変えること。
それさえできればもう思い残す事は何も無い。きっと私は心から笑ってこの国を去れるから。
もう、悲しい夢も怖い夢も視たくない。
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