598.継承者は止める。
「馬鹿じゃないの⁈」
…………お姉……様……?
目を醒ますと、お姉様がいなかった。
座っていた筈の体勢からいつの間にか芝生に転がっていて、周りには誰もいない。
それに気が付いた瞬間、ぼんやりした視界が開けて一気に心臓が跳ね上がる。立ち上がって見回して、お姉様の声がどこから聞こえたかしらと記憶を辿る。すると
「ッお前に…何がわかる⁈」
ゾワッと肌を冷たいものが急激に背中をなぞった。
怖い声。それに、すごくすごく怒っている。まさかと思って声のした茂みの方へ顔を覗かせれば、セドリック王子が乱暴にお姉様の手首を掴んで木へと押しやっていた。あまりの光景に声も出なかった。
……やめて。
「俺が、兄貴が、どれほど必死だと‼︎この同盟にどれ程のものが掛かっていると‼︎兄さんがどれだけ追い詰められていると思っている⁈」
顔を真っ赤にして怒鳴るセドリック王子と、痛そうに顔を歪めながら睨み返すお姉様。
頭の中で、あの時の悪夢を思い出す。どうしてセドリック王子が怒鳴っているのかも何を言っているのかもわからない。ただ、お姉様だけでなく何故か怒鳴っているセドリック王子まで怒っているのに辛そうで。
助けを呼ぼうとしたけれど、あんなところを見られたらお姉様や母上の念願の同盟締結が白紙になってしまう。きっとお姉様も、だから声を上げようとしない。一言でも呼べば近衛騎士や近衛兵が来てくれるのに。
お姉様が我慢しているのに私が呼ぶわけにはいかない。ずっとお姉様と母上はハナズオ連合王国との同盟を結びたがっていたのに。
「お前達にとっては同盟国を増やしたいが為の打診だろうが俺達には違うッ‼︎これに全てが掛かっている‼︎兄貴の、兄さんの、俺達の全てが‼︎」
やめてッ‼︎
ドレスの下に、手を伸ばす。
これ以上お姉様を傷付けないで。これ以上お姉様に近づかないで。
ずっと、ずっと誰かの為に傷付いてきたお姉様を、貴方の勝手で苦しめないで。
あの悪夢を現実に持ち込まないで‼︎‼︎
ナイフを、放つ。
セドリック第二王子にもお姉様にも当たらないように。細心の注意で牽制する。
狙い通り、ナイフは二人をすり抜けてセドリック第二王子の注意を奪った。先に動いたお姉様がやっと声を上げてセドリック第二王子を蹴り飛ばした。
お姉様と距離が空いたことにほっとして息を吐く。すると、茂みの向こうでアーサーの声がするのと殆ど同時に背後からも誰かが近付いてくる音が聞こえてきた。凄い速さと「ッ失礼致します……‼︎」と眠っているかもしれない私達を気遣うように潜めた声にアラン隊長達だとすぐにわかった。
ドレスの中のナイフが隠れているか慌てて確認しながら、急いで茂みから離れる。私がその場から飛び退いた直後、アラン隊長とエリック副隊長が飛び込んできてくれた。「あちらからっ……」と声のした方向へお姉様のいる茂みの向こうを指差せば、すぐに助けに行ってくれた。
近衛兵のジャックも続いて茂みの向こうに走り、チェルシー達侍女や衛兵は私を守るように駆け寄ってくれた。
それからすぐ衛兵にセドリック王子が連れて行かれたけれど、……まだ身体の震えは止まらなかった。
また、お姉様を一人にしてしまった。
ちゃんと私が最初から気付いたら、お姉様はセドリック王子に怒鳴られることも怖い思いをすることも痛い思いをすることもなかったのに。
「ごめんなさいっ…私が眠ってしまったばかりにっ…!」
「私こそ心配かけてごめんなさい。貴方を置いて動いた私がいけなかったわ。」
違う、お姉様は悪くない。
だってあの怖い夢を知っているのは私だけだもの。
……だけど、良かった。
抱き着いた私の頭を撫でてくれるお姉様の手にほっと緊張が緩みながら、胸を撫で下ろす。お姉様が無事なことに、怪我一つないことにほっとする。やっぱり、あの夢の通りにはならなかった。
お姉様と手を繋ぎながら宮殿へ向かう。途中、小さく声を漏らしたお姉様は背後を振り返って、また優しく笑った。
「さっきは駆けつけてくれてありがとう。アーサーもアラン隊長もエリック副隊長もジャックも、皆とっても格好良かったわ。」
ああ良かった。
やっぱり、いつもと変わらない日常のまま。
お姉様と顔を見合わせて笑い合いながら、再び歩く。
大丈夫、こんなに頼れる人達がお姉様の傍には大勢いるんだもの。きっとセドリック王子から、皆もお姉様を守ってくれる。私だって、ほんのちょっぴりだけどお姉様を助けられた。
もう大丈夫。
怖い夢なんて、絶対現実になりっこない。昨日見た夢も、そして二年前に見た夢も
「私もっ…お姉様と共にハナズオ連合王国へ同行してもよろしいでしょうか…⁈」
絶対に、させない。




