594.継承者は懇願し、
『…ぁ、…あ、ァ、ぁ…っ、…すま、ない……私、…私の…せい、で…皆…皆…。』
ある日、とてもとても悲しい夢を見た。
『今の出来損ない女王のお陰で商売しやすくなったからってこの値段は足元見過ぎっつってんだよ‼︎』
ある日、とても残酷な夢を見た。
『でも!考えでもみろよ⁈俺とお前の方が今じゃあの女王より騎士達からの支持は圧倒的にある‼︎騎士団全員で革命を』
ある日、とても怖くて辛い夢を見た。
どんな夢なのかはいつも目が醒めると全部忘れてしまう。
ただ、目が覚めた時にも感情だけが引き摺るように残っていた。しかも年を重ねるごとにはっきりと。
…………今も。
「配達ご苦労様です、ヴァル。……城前へ、何やら騎士団が急ぎ出動したと聞きましたが。」
私が十三歳の時だった。
お姉様が雇用することが決まった〝配達人〟のヴァルが、書状と報酬を受け取りにお城までやってきた。
「あー?途中で人身売買の連中に絡まれたんでな。命令通り回収しただけだ。」
城門前で捨てて来たからそれだろ、とヴァルはどうでも良さそうにお姉様へ言葉を返した。
チャリッ、と手渡した小袋がヴァルの手の上で音を立てる。お姉様は「またですか……」と少しだけ呆れたように言葉を返した後、肩ごと使って息を吐いた。
「次は、……できるだけ騎士団に引き渡して下さい。毎回、貴方が現れる度に緊急出動では彼らにも負担でしょうから。」
お姉様の言葉にヴァルが嫌そうに顔を顰めた。
この人は昔騎士団に捕まったことがあるから、あまり騎士団とは関わりたくないみたい。それでもお姉様の命令に舌打ちだけ返すと後は何も言わなかった。
ヴァルの舌打ちを返事として受け取ったお姉様は、次にその足元にいる二人へ目を向けた。
「ごめんなさいね、セフェク、ケメト。怖い思いとかはしていない?」
いえ!全然です‼︎とお姉様の言葉に二人が勢いよく言葉を返した。
セフェクとケメト。十一歳と七歳の二人は、とてもとても可愛くて良い子達だった。この二人もヴァルもお姉様が助けてあげた人達だった。
二人を助けて欲しいと望むヴァルの為に、お姉様は兄様やアーサー、ジルベール宰相と危険な人身売買の本拠地まで飛び込んだ。
そして本当に皆を助け出してくれた。三人も捕まった我が国の民も無事に騎士団に保護されたと聞いた時はとても嬉しかった。
本当に昔読んだ絵本の戦士や勇者、英雄や王子様みたいなお姉様は私の自慢で憧れだった。
……だけど。
「んじゃ、次はこの二国だけで良いんだな?」
ヴァルがお姉様から受け取った書状をピラピラと揺らした後に懐へ仕舞った。
どちらも最近我が国で同盟を結んだ二国だった。ヴァルの特殊能力はとても凄くて、あっという間に国と国の間を往復してしまう。
お姉様と兄様がそれぞれ返事をすれば、ヴァルはくるりと背中を向けてしまう。セフェクとケメトと手を繋いで歩く彼らに私は
「っ、……待っ、て下さい!」
勇気を振り絞る。
両手をぐっと握り締めて、思い切りすぎて大きな声になってしまった。
皆が私の方に振り向いて、驚いたように目をまん丸にする。大声を出してしまったことが恥ずかしくて、私は慌てて結んだ手を広げて口を押さえつけた。えっと、そのっ……と、慌ててしまって最初は上手く言葉が繋がらなかった。
「……わ、私!もっとセフェクとケメトとお話したくって。宜しければ三人で私のお部屋に来てお茶でもしませんか?美味しいお菓子も面白い御本もたくさんあります!」
緊張と焦りで声がとても上擦った。
だけどこうでもしないと、お姉様や兄様にも内緒でヴァルとお話しする機会なんて絶対無いもの。
私の言葉にお姉様や兄様はびっくりした様子だったけれど、セフェクとケメトは目をきらきらさせてくれた。「お菓子……」「僕、本って読んだことないです……!」と言ってヴァルと手を繋いだまま彼を見上げた。
ヴァルはとても訝しむように眉を寄せていたけれど、二人のきらきらな目を見たら面倒そうに視線を別方向へ向けた。
「良いのか」と、まるで確認をとるように鋭い眼差しをお姉様と兄様に向ける。ヴァルの視線の意図を理解したお姉様と兄様は顔を見合わせた後に私を見た。
「私は良いけれど……」と目を丸くしたまま不思議そうに呟くお姉様に続いて、兄様が口を開く。
「……だが、俺と姉君はこれから母上に学校制度と書状の件で報告に行かなければならない。すぐには合流できないぞ」
「大丈夫です!兄様とお姉様はゆっくりしてらして下さい。」
むしろ、そうだから今を逃したくなかった。
お姉様や兄様の前では絶対話せない。聞かれたら絶対に止められてしまうし、禁じられてしまう。内緒でお話しする為には今しかない。
お姉様と兄様からも許可を得られた私は、お姉様達が用事を終わらせる前にと急いでヴァル達を部屋に招いた。
セフェクとケメトはヴァルからは離れない。だから私から彼の背中を押して「お部屋までどんどん歩いて下さい!」と声を掛ける。王族の命令通りに早足で歩いてくれたヴァルだけれど、私に触れられた背中を不快そうに反らして振り返った顔で私を睨んだ。「アァ⁈」とか「触れんじゃねぇ!」と言いながらもスタスタと命令通りに早足で歩いてくれる。
お姉様と兄様に挨拶をして、私は急いで三人を案内しながら部屋に向かう。押されるヴァルに釣られるように並んで歩くセフェクとケメトも、何度か私の方を振り向きながら目をぱちくりさせていた。
部屋の前まで着くと専属侍女のカーラーにお菓子とお茶をお願いし、専属侍女のチェルシーと一緒に私は彼らを部屋へ押し入れた。
バタン、と背中で扉を閉めて先に中へ入った彼らに向き合う。「すぐお茶の準備をしますから!」と笑い掛ければ、怪訝そうな表情でヴァルに睨まれてしまう。
セフェクとケメトの方は、それより私の部屋が気になるようにヴァルの裾を掴みながら首が疲れそうなほどぐるぐると見回していた。
「強引にごめんなさい……!本当は貴方とお話しがしたかったんです……‼︎」
そう言って見つめるとヴァルはぐっと眉を寄せた。鋭い眼が更に鋭くなる。
彼との関わりは殆どない。お姉様が彼を保護した時も、私のことは嫌いだと言われてしまった。彼がお姉様の味方になってくれたことは嬉しい。でも私のことはきっと嫌いなまま。
だけど、今は彼しか頼れる人がいないから。
「わっ……私に、ナイフ投げを教えて、下っ……さいっ……‼︎」
言葉にしただけで心臓が破裂しそうなほど膨らんでは叩いて、喉も変に乾いて手のひらも湿った。扉に背中を預けたまま足まで震え出して、一気に息を吸い上げたら細かに切れた。
私の言葉にヴァルの目が初めて丸くなる。意味がわからないかのように見開いて、セフェクとケメトも私と彼を見比べた。「できるの?」「できるんですか⁇」と、二人も彼がナイフ投げができること自体知らないようだった。
だけど、私は見た。
隠し部屋に彼が匿われている時、お姉様に彼がナイフを投げたのを。とても正確で、虫を貫いたその腕はまぐれとは思えないくらい確かなものだった。
「…………冗談なら、今すぐ撤回しろ。テメェに逆らえねぇのは知ってる筈だ。」
丸くした目を再び鋭くして睨む彼は、怒っているようだった。
だけど「冗談ではありません!」と今度ははっきりと言葉を返す。しばらくの後、チェルシーが「ティアラ……様……⁈」とやっと声が出たように呟いた。だけど今だけは人差し指を唇に当てて見せて噤んでもらう。
「命令……です!どうか私にもその技術を教えて下さい!今すぐにとは言いません、ナイフも買ってきて下さった分は手間賃として倍額でお支払いします。こうして城に来られる時だけで良いですから……!」
お願いします!とその場で頭を下げる。
彼に命令を使うことは、狡いし酷い。だけど、話を聞いてもらう為にも今はそれしかなかった。
頭を下げたまま床を見つめ続けて彼が言葉を返して貰えるまでじっとする。
王族の私がこんなに頭を下げることは本当なら許されない。でもこれから彼に迷惑をかけるのだから、ちゃんとこのくらいを誠意は示したかった。
じっと動かない私に、視界の隅で戸惑うようなチェルシーの足元が見える。更には無言のヴァルへ尋ねるようにセフェクとケメトが「どうするの」「ヴァル?」と声を漏らしていた。それでも何も言わない彼に、私からも言わないとと一度絞った唇を開き始めた時だった。
「…………何故、王女サマなんざがそんなもん欲しがる。」
彼が、重そうに言葉を返してくれた。
今までの不機嫌そうな声よりも、疑問のような疑うような低い声に私は顔を上げる。彼へと見上げ、視線を合わせればジトリとした鋭い眼差しが私を静かに見下ろしていた。
口の中を飲み込んだ後、それに答えようと口を動かせばまるでわざとのように彼は先に私へ言葉を放った。
「王族なら守ってくれる人間なんざ掃いて捨てるほどいる。それともテメェの手で〝始末〟してぇ奴でもいるってのか。」
彼の言葉は大きな刃物のようで、攻撃的だった。
どこか威嚇するような凄みを効かせた声と、静かに剥き出しにした牙のような歯が本当に獣を相手にしているかのようで。
彼のことが、初めて出会った時からとても怖かった。
騎士団を襲撃した人だからというだけじゃない。鋭い眼と憎々しげに食い縛られた歯が、いつ見てもお姉様や私や兄様を強く恨んでいて、〝嫌い〟だと〝死んでしまえ〟〝消えてしまえ〟と言っているようだったから。
私がセフェクとケメトを取り戻したくないのかと彼に尋ねた時もそうだった。
二人を大事じゃないと、心配じゃないと言って「死ぬ程うざってぇ」とまで言いきる彼が信じられなかった。あんなに、あんなに辛そうに心が悲鳴を上げていたのに。それでも彼は私を、私達を拒み続けていた。
それに……
『気が済んだならとっとと消えな、王女サマ。恵まれた人間は恵まれた世界で大人しくしてな!虫唾が走る…‼︎』
生まれて始めて悪意と殺意をはっきり向けられた。
四年前のようにお姉様越しでもなく、直接。あの時の恐怖と衝撃は今も忘れられない。
私が彼に嫌われていることは、わかっている。兄様達のように感謝もされていないし、お姉様のように慕われてもいない。それどころか一度も心を開いてすらもらっていないのだから。
だけどそれも当然だと思った。だって、だって私は彼に
何も、してあげられていないのだから。
……彼の叫び出したいほど辛い気持ちには気付けたのに、何も。




