590.継承者は夢を見せた。
「…っぐ、ああああああああ…。」
…………誰……?誰が泣いているの……?
「あら?ステイル、もう戻ってきたの早いじゃない。ちゃんと命令通りすぐ見つからないように戻ったのね、偉い偉い。」
……泣いてる男の子と、怖い顔で笑う女の子。
見ているだけで胸が苦しくなるほど、男の子は辛そうで。女の子は見るだけでとてもとても怖い。……なのに、どんな顔かわからない。まるで黒く塗り潰されたみたいに真っ黒で。
泣いて、ナイフを突き付けてくる男の子を女の子が笑う。
馬鹿にして、信じられないことを言って、怖いことをたくさん言って、怖くて怖くて仕方ない。
「じゃあね、おやすみステイル。明日の生誕祭までにその汚らしい庶民の女の血を洗い流しておいてよ。」
怖い。
どうしてそんな酷いことを言うの?男の子があんなに泣いているのに。
女の子がいなくなった後も男の子はずっとずっと泣いていた。地面を拳で叩いて、吠えるみたいに泣いていた。とても辛くて、悲しくて、手を伸ばしたいのに伸ばせない。
見えるだけで声を掛けることすらできなくて。
─ ……ごめんなさい。
泣いている男の子が、まるで傷を負った獣みたいで。
地面に伏して、声を上げて泣いていて。全身を震わせて、涙声すらまるで唸りのようで。
─ 何もできなくて、ごめんなさい。
その背中を抱き締めたい。
力になれなくても、一緒に泣いてあげたい。
話を聞いて、一緒に苦しみたい。
まるで世界に一人取り残されたかのように小さくなって泣く彼に、一人じゃないよと言ってあげたい。一緒に居たい、助けたい、力になりたい。
なのに、私の声も手も何も届かない。
ずっとずっと残された男の子は、ただただ喉が枯れるまで声を上げて泣いていた。
─ 助けてあげられなくてごめんなさい……っ……。
どうか夢なら早く醒めてと思う。
こんな怖くて悲しい夢は見たくない。
こんな悲しいことが現実でありませんように。
どうか泣いてる彼に、こんなことが起こりませんように。
どうか、教えてあげて。
こんな、こんな辛くて悲しいことが起こるその前に。
彼が、こんな悲しい選択に迫られるその前に。
どうか、どうか……どうか誰か、あの子に
伝えて、あげて
……
…
「おはようございます、ティアラ様。」
……いつものように侍女さんが開けるカーテンの音で目が覚める。
ふんわりとした頭で目を開けると、目元に涙が溜まっていた。
ぐしぐしと目を手で擦って、……全然幸せでない気持ちに気付く。おはようございますと挨拶を返しながらぼんやりしていると、乳母のチェルシーが少し心配そうに顔を覗きこんできてくれた。
「今日は魘されているようでしたが、……怖い夢でも見ましたか?」
怖い夢……。
そうか、私は怖い夢を見てしまったんだわと気付く。せっかくなら五人の王子様の夢が見たかったのに。
……不思議な夢。今までみたいに起きた途端忘れちゃう夢とも違う。まるで大きく膨らませた泡みたいに触れた途端ぱちんと弾けて、輪郭すら残さず消えちゃった。
もう一度目を擦りながら「たぶん」とチェルシーに返事をする。
昨夜はしゃぎ過ぎましたね、と笑われて恥ずかしくなる。でもチェルシーが優しく頭を撫でてくれるともうそれだけで許してしまう。「今日は明日の最終調整ですよ」と言われれば一気に胸が弾んだ。
私の、六歳の生誕祭。
ずっとずっと会いたかったお姉様とお兄様に会える日。
一体どんな人だろうと、身支度の為にベッドを降りながら、私はわくわくともう何十度目かになる想像を膨らませた。




