588.継承者は目覚めた。
「ッもう終わりだ‼︎もう貴様から何一つ奪わせてなるものか‼︎」
…………ここは……?
「セドリックっ……‼︎」
私が、誰かに叫ぶ。
とても辛くて、怖くて。ここから逃げ出したくて、逃げられなくて、だけど立ち向かわないといけないと思う。
暗くて冷たい世界に、月明かりに照らされた金色が光り輝いた。
ああそうだ……私は、彼と一緒にやっとここまで……、………
……あの人達は、だれ?
「できるものならばやってみなさい‼︎貴方程度が選ばれし予知能力者の私に勝てるとでも」
「もう貴様は選ばれし者ではない‼︎神は貴様ではなくティアラを選んだ!貴様の居場所など何処にもあるものか‼︎」
「ッお黙り‼︎‼︎」
憎憎しげな言葉がぶつかり合う。
剣を打ち、銃が火を吹き、何度も互いに翻る。相手を殺すという覇気がここまで届く。
私が予知を見せつけてから、あの人は一気に取り乱して動きが鈍り出した。焦燥と狼狽に飲み込まれるあの人を、彼が一歩ずつ追い詰める。
あの人の動きを全て取り込み、ぶつける。信じられないけれど、本当に戦うにつれてあの人の動きをそのまま返すようになっていた。
動きも一緒、剣技も一緒、銃の腕さえ速さ以外はもう対等で、確実にあの人を追いつめた。あの人よりも力の強い彼が、同じ動きで、同じ剣技で、上回る力であの人を超えていく。
「この忌子がッ‼︎吐き気がする……‼︎貴方を一生嫌悪し呪い続けるヨアンは!貴方の勝利を望んでくれるのかしら⁈」
「望まれずとも良い‼︎兄さんと兄貴が……民が笑む為ならば他の誰に認められずとも許されずとも構わない‼︎今の俺には……ッ信じてくれる人がいる‼︎」
言葉で彼を責め、揺らそうとするあの人にそれでも彼は屈しない。
今の彼が私を信じてくれることが嬉しくて、指を組んで祈るように私は彼の背中を見つめた。
……ヨアン様。彼の……セドリックの大事なもう一人のお兄様。
レオン王子を倒して、騎士団長も最後には私達の言葉に耳を傾けてくれた。兄様は自ら剣を突き刺してまで私達を先に見送ってくれた。そしてヨアン様も、……最後は譲ってくれた。
必死に訴えて、剣も向けたくないと戦いを拒むセドリックに最後は道を開けてくれた。あの時のヨアン様も、セドリックもすごくすごくそうで、痛くて、……見ているだけで胸が苦しくなった。
それに、私は見た。
さっき、一度は追い詰められたセドリックを助けようとして私の方があの人に捕まってしまったあの時。
どこからともなく飛んできた何かがあの人の頭にぶつかって注意を逸らしたあの時。
お陰で隙を突いたセドリックが人質になった私を奪い返してくれたあの時。
……ぶつかったまま塔の下に転がり落ちたそれは、ヨアン様がいつも胸に下げていたクロスのペンダントだった。
あの人も、きっと心の底ではまだセドリックを想ってくれている。……なのに。
何故、皆が幸せにはなれないのだろう。
「ッ終わりだ‼︎‼︎」
セドリックの叫び声が響き渡る。
あの人の剣を読んだ彼は、受けると見せかけてその剣を上から叩き落とした。カラァンッと金属が石畳みを叩き、転がる音が響く。
剣を握っていた手を痺れたように震わせるあの人が揃った歯を食い縛ったと思った瞬間、目にも止まらない速さで銃声が響いた。……けど。
セドリックは、それすらも読んでいた。
無駄だ。と言い放つのと弾道を読んで身体を捻った彼が、あの人を斜めに斬り裂いたのは同時だった。
アアアァアアアッッ‼︎と、甲高い悲鳴と真っ赤なドレスが自分の血で更に赤に染められる。返り血がセドリックの頬にまで跳ね、彼はそれにも気付かないようにあの人を燃える眼差しで睨み続けた。
あの人が、膝をつく。
震える足で、石畳に広がる真っ赤な水面が揺れて音を立てた。白くて細い手と爪先まで彩られた手で、あの人が信じられないように自分の傷を押さえれば全てが赤に塗り変えられた。
真っ赤に濡れた両手を睨み、あの人が顔を上げる。
絶望と憎しみに染まった表情で、口からも咳込むように血を吐き出した。血色も白くなり、赤と白に褪せていく中で紫色の瞳が恐いくらいに爛々と光った。そして、鋭いその眼差しが
「ッやって、くれたわね……‼︎」
……私へと、向けられる。
セドリックではなくその背後に立つ、私に。
話す度に、あの人の口からコプリと真っ赤な泡が零れて弾けた。
その言葉に、身体の血が全て凍ってしまうのではないかと思うくらいに寒くなる。両肩が上がり、歯がカチカチ音を立てるから強く噛む。それでも息もできないくらい苦しくって怖い。
瞬きどころか身動ぎ一つできずに私はあの人を見つめ返すことしかできなかった。あの人が憎んでいるのはセドリックではないのだと、すぐにわかった。
「アンタさえっ……アンタさえ居なければ、私……は……ッッ……‼︎」
強風が吹く。
その風に、あの人の長い深紅の髪が煽られて一瞬だけその顔が隠された。
一緒にあの人もまるで糸が切れた人形のように揺れて崩れ出す。真っ赤な水面に倒れ込むその瞬間、一瞬だけ髪の隙間からあの人の紫色の瞳が見えた。月明かりに照らされて光っているようにも見えた眼差しが射抜くように最後まで私に向けられていた。
言葉も出ずに、あの人が水面を跳ねさせてからやっと身体の自由がきいたように私は駆け出した。
「セドリック‼︎」
大好きな、大好きな彼の名前を呼ぶ。
私の為に戦ってくれた、あんなにたくさん傷付いてそれでも再び立ち上がってくれた。この国を救ってくれたあの人の名を呼ぶ。
彼に駆け寄り、大好きな人を失わずに済んだ安堵と……あの人からの恐怖を拭いたくて力の限りしがみつく。ティアラ!と私の名前を呼んでくれた彼は、剣もその場で放って私を抱き締めてくれた。
力強い両腕と彼の温もりに震えが少しずつ治っていく。ほっとして、腕にだけ力を込めたまま腰から下が崩れ落ちてしまいそうになる。それでも彼は私が落ちないように両腕でしっかり包んで支えてくれた。
「っ……良かった……無事でっ…‼︎怪我はない……⁈私っ……本当に本当に何も出来なくてっ……‼︎」
「何を言うんだ……‼︎お前が、お前が居てくれたから俺はここまでこれた……‼︎お前が暗闇に蹲るしかなかった俺にっ……光を、与えてくれた……!」
そう言って、更に彼に抱き締められた腕に力がこもる。今にも泣き出しそうな声で荒げる彼に、私からも腕の力で返す。彼の声と温もりに本当に彼が無事なのだとわかって涙が込み上げた。
顔を上げれば、彼の燃える瞳が潤んでいる。まるで長い長い苦しみから解放されたように安堵で険しく歪む顔が、どれだけ彼が今まで辛い思いをしてきたのかを物語っているようだった。
手を伸ばし、彼の頬に飛び散った血をそっと指で拭う。すると、彼は何も言わずに伸ばした私の手のひらに口づけを落としてくれた。
まるで祈るように目を閉じて、手のひらから鮮明に彼の唇の感触と湿り気を感じて、恥ずかしかったけれどそれ以上に嬉しかった。私を愛してくれていると、そう思っただけで救われた。
彼と確かめ合った後、静かに彼から手の力が緩む。
私もゆっくりと離せば、もう自分の足で立てるようになっていた。呼吸を整えて両手で胸を押さえつけた後、私は勇気を出して顔を向ける。
……あの人の、亡骸へ。
もう、生きていないと一目でわかった。
口が僅かに力なく開いたままで、横向きに倒れた所為で口の中にまで石畳に溢れた血がじわじわと染み入るように入っている。
目も力なく開かれたままで、さっきみたいな力強さもなく光を宿してもいなかった。長い深紅の髪が血に濡れて重く垂れている。顔の半分は血の池に沈んだ所為で真っ赤に濡れていた。
そっとあの人の前に膝をつく。ドレスがすぐに血を吸って膝下までを赤く濡らした。それでも構わずに、横向きに倒れた肩を倒すようにして仰向けに寝かせる。開いた瞼を手でそっと閉じさせて、撫でるように髪を整えれば、そこに居たのはとても綺麗な女の人だった。
白い肌と、深紅の髪。つり上がった目元は姿絵で見た父上に似ていた。顔が血に汚れていても褪せないくらい高貴な顔立ちで、とてもとても綺麗な人。記憶の片隅にある母上にも、……そして私にも少し似た人。
私の、たった一人のお姉様。
「お姉様……。」
産まれて初めて、この人をそう呼んだ。
ぽつりと泡のような小さな声を自分の口から自分の耳で聞いた瞬間息が詰まった。
唇が震えて、堪えようとしてもだめだった。指先まで力が入らなくて見つめ続けたお姉様の顔も視界もぼやけた。喉も目もこんなに熱いのに、身体だけが信じられないくらいに冷え切って、頬を伝う熱を隠すように私は両手で顔を覆う。
震えた肩をセドリックがそっと背後から優しく抱き締めてくれる。こんな風に泣いちゃ駄目だと本当はわかっているのに。
彼は私の為に手を染めてくれた、その手で私の大事な国を救ってくれた。なのに、こんな風に泣くなんてひどい。……まるで、彼を責めてるみたい。
なのに、彼は怒ることもせずにずっと抱き締めてくれた。
全てを包み込んでくれる彼に、私からもちゃんと気持ちを言葉にしなきゃと掠れた声を必死に紡ぐ。
「……っ、……私っ、……ずっ、と……、…っ。………ずっと……‼︎」
彼は、何も言わない。
私を優しく抱き締めて、待ってくれる。
彼の国を、お兄様達を、彼自身を苦しめた人のことで泣いてしまっている私を許してくれる。……そんな彼だから、私も吐露できる。
震えた唇と、自由に動かない舌とヒクつく喉で息を吸い上げ、ずっとずっと胸にしまい続けた想いの蓋を開く。
「お姉様にっ……愛されたかった…………‼︎」
とても、とてもとても我儘な私の願い。
願ってはいけないと、口にしてはいけないとずっとずっと隠していた。
言葉にした途端、悲しみが滝のように胸を叩いて息が荒くなる。必死に声を殺し、顔を覆ったまま手で口も押さえつける。それでも嗚咽が止まらなくって、彼が私の吐露を促すようにまた強く抱き締める。
「ずっとずっと……憧れてた……っ。絵本の物語みたいに仲良しで、ずっと一緒で、手を繋いだりお話したり……たくさんたくさん笑い合いたかったっ……‼︎」
小さい頃から、憧れていた。
お姉様がいると知った時は、すごく嬉しかった。
たくさん読んだ絵本みたいに優しいお姉様に会えると思って、何度も何度も胸が浮き立った。
だけど、叶わなかった。
とうとう嗚咽が耐え切れず、ひっくひっくと喉を鳴らしながら泣いてしまう。息も涙も熱も全部が辛くて苦しい。死んでしまいたいと思うほど、胸が引き裂かれるみたいに痛くて堪らない。
何故、私はこの人をもっと早く止めてあげられなかったのだろう。
沢山の人の中でずっとずっと一人でいた人。私が産まれてこなければ、この人は幸せになれたのかもしれない。
世界でたった一人の父上と母上の娘として、もっとたくさん愛されたかもしれない。そうしたら、この人はこんなことにならずに済んだかもしれない。
私の所為で、居場所を失わせてしまった。身体の弱かった私の為に、母上も私とばかり居てくれた。まだお姉様だってたったの八歳だったのに。
ずっと、寂しい想いをさせてしまった。私はこの人の妹なのに何もできなかった。
愛されたいと願いながら、愛される努力もできなかった。
お姉様と呼びたいと思いながら、誇って呼んでもらえるような妹になれなかった。「役立たず」「王族の面汚し」と言われて、その通りだと思った。だって本当に私は何もできなかったのだから。
ずっとずっと離れの塔で、私はお姉様に何もしてあげられなかった。
「ティアラ、姉妹の片割れの罪を片方が背負う必要などない。……これからは、俺がついている。お前が責を負うと言うならば俺も共に背負ってやる。」
耳元で、優しい低い声が囁かれる。
ひび割れた心に染み込むような言葉と声に、私は覆った両手から顔を上げて振り返る。涙も顔も火照って、眉が垂れた私はきっと酷い顔をしてる。
なのに醜くなった私の顔を、愛おしそうに燃える瞳が映し出す。ひっく、とまだ喉がなり、言葉にならない。
「愛している。……お前の心の隙間を、今度は俺が一生かけて埋めると約束しよう。世界で最も幸せにすると、俺の名にかけて誓ってやる。」
赤い瞳が、私を燃やす。
彼の愛が、優しさが、縋り付きたくなるほどに嬉しい。
私を愛してくれる……これから先、私の大好きな人が傍にいて、ずっとずっと愛してくれる。
これ以上の幸せなんてきっと他には何処にもない。
うんっ……と頷き、彼に潤んだ声で答えた。
セドリックが私の顎を指ですくい、持ち上げる。ゆっくりと近付けられるその燃える瞳と唇に、私も目を閉じ身を任せた。両腕を彼の首の後ろに回して引き寄せる。その途端、私の背中がしなるほど強く彼の腕も私を引き寄せた。
彼の温度が、肌が、腕が、唇が、その全てが私の空っぽだった心の隙間を埋めて、満たしてくれる。
大丈夫、私には彼が居てくれる。嬉しくて、嬉しくて……
幸せ過ぎて、涙が伝った。
……
…
「おはようございます、ティアラ様。」
チェルシーがカーテンを開けてくれる音で目が醒める。
眩しくて一度目を擦る。おはようございます……と返しながら、まだ頭がふわふわする。擦った目から涙が滲んでて……また、泣いてしまったのだと思う。
「また、夢を見たのですか?」
優しく笑ってくれるチェルシーが、そっとハンカチで私の涙を拭ってくれた。
まだ寝ぼけて頭がうまく働かなくて、頷いてそれに答えると「そうですか」と言って楽しそうに笑ってくれた。もう四日続けてのことだから、チェルシーも慣れたみたいに朝の支度を進めながら私の目が醒めるようにと話しかけ続けてくれる。そして最後には昨日と同じ質問を私に投げかけた。
「今度はどんな王子様でしたか?」
「……すごくきらきらした人。……くっ……口付けまでされちゃいました……。」
あらっそれは。と可笑しそうにチェルシーや他の侍女さん達が笑う。
自分で言っても恥ずかしくて、唇の感触までまだ残っている気がして顔がどんどん熱くなった。頬に自分で手を当てて冷やしても全然落ち着かない。侍女さん達に気付かれちゃうのが恥ずかしくて、もう一度ベッドに潜り込んで顔を隠してしまう。
「ティアラ様。二日前の〝男らしい王子様〟にも口付けをと仰っていましたね」
ふふっ……と笑う侍女さんの言葉に、そうだったかしらと思いながら足を毛布の中でぱたぱたしてしまう。もう夢だから覚えてないものっ!と言いながらも、言われてみればそんな夢だったとも思う。
ほわほわと残る私の夢。
最近よく見る、素敵な王子様が悲しんでいる私を優しく慰めて愛してくれる夢。
覚えているのも断片的で、王子様の顔も名前も覚えていないのに、何故か毎回〝違う人〟だということだけはわかった。そして最後は甘くて蕩けそうな幸せな気持ちになるの。…………だけど。
目が醒めると、少し悲しい。
目が醒める直前は本当にすごくすごく幸せなのに、起きた後には胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになってしまう。
まるで悪いことをしてしまったような、誰かの幸せを横取りしてしまったかのような気持ちに胸がきゅっと締め付けられる。
チェルシーが「そろそろ起きましょうか」と優しく言いながら、ベッドに潜る私から毛布をゆっくり取り上げた。侍女さんに促されるまま私はベッドから起き上がる。化粧台で髪を解かれながら、ぼんやりと鏡に映る自分の顔を眺めた。
「……せめて王子様の顔が誰か一人でも覚えていられたら、絵本みたいな恋ができるのに。」
そう言ってプクッと頬を膨らませた。
すると苦笑するように笑うチェルシーが、ぐっすり眠れないなら寝る前に読む本の数を減らすのはいかがでしょうかと言った。私が思い切り首を横に振り続けると、侍女さん達の柔らかな笑い声が上がった。
ティアラ様、と優しく呼ばれてからやっと振る首を止める。鏡越しに背後に立つチェルシーの顔を見ると、暖かな眼差しで私を見つめ返し、口を開いた。
「もうティアラ様の六歳の生誕祭まで二カ月しかありません。あまり夜更かしを続けていけませんよ。」
はぁい。と、乳母のチェルシーに言葉を返し、私は改めて鏡に目を向けた。
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