585.騎士達は噤む。
「ンなことあったんすね……。」
その夜。
近衛騎士達はアランの部屋でグラスを傾けていた。
今朝プライドが目を覚まし、自室のベッドで眠るようになってやっと近衛騎士達は連日続いていた深夜の護衛任務を解かれた。
一ヵ月経つまで厳戒体制は変わらないが、纏まった休息を回す事も許され、城下の復興も進んだ今は比較的に平和も戻った。まだ気が抜けない為祝杯をあげる事も勝利を分かち合うことも未だ自粛している彼らだが、今夜だけはアランの部屋に集まった。
プライドが今度は何事もなく目を覚ましたことと、彼女を自室でやっと身を休ませることができるようになったことを祝した小さな飲みの席だ。
深夜から午後の時間帯までプライドの護衛に付いていたアランとエリックから話を聞きながら、アーサーは酒を一口飲んだ。
折角近衛騎士が全員集まれたのだから本当は他にも奪還戦の話を色々聞きたい。だが、それは全てが終わるまではアラン達もそして自分も口にしなかった。各隊で報告こそ詳細に騎士団長であるロデリックと副団長のクラークに行ったが、騎士同士での武勇伝や語りはまだ許されない。まだ、彼らの任務は終わってないのだから。
酒すらいつもは瓶をダース単位で空けることもある彼らが、今はたった二瓶だけだった。乾杯を一度交わした後は一口ずつ大事に飲む。
「またあの配達人は……。だが、早期に発覚しただけ良かった。」
溜息混じりに呟くカラムは、酒の所為ではなく顔が赤い。
ヴァルが隷属の契約が解かれたことを良いことにプライドのあらぬ話を撒いたなど、腹立たしさを通り越して呆れてしまう。せめて、早々に全許可を撤回できただけ幸いだと思う。
詳しい内容はエリックが敢えて含んだ言い方で省略したが、それを口にする時の彼の顔が火照ったのとアランの苦笑いを見れば、カラムは大体想像がついた。実際はその三倍は濃い内容までヴァルが偽り語ったとまでは知りもしない。
「いや〜、ほんとびっくりしたよなぁ。奪還前のプライド様だと正直少し考えちまうし。」
「いえまぁでも……もしそうだったらプライド様はもっとレオン王子と気不味くなる気がします。」
今考えてみれば。とアランの言葉に今度はエリックの方が苦笑する。
顔の火照りを酒の所為にすべくグラスを傾けながら、本当に嘘でよかったと心から思う。あのプライドがそんなことをしたら確実にもっとレオン相手に取り乱すだろう。
つまり、そういうことは何もなかったのだという結論に至ればエリックは安心するように肩の力を抜いた。
アーサーは彼らの話を聞きながら、自分もほっと息を吐いた。エリックがかなりぼやかして話してはくれたが、プライドがそんなことをしたのだと想像するだけで顔が熱くなる。
いつものプライドなら絶対にあり得ない、だが奪還前のプライドは何をするかわからないところが多かった。自分がもし、そのヴァルの法螺話の場にいたら確実に騙され、真実を知る前に卒倒していただろうと思う。
エリックが思い出すだけで赤面するならば、自分には到底無理な話題だ。冷たいグラスを熱が篭るほど握り締めながら、アノヤロウと静かにプライドをからかい侮辱したヴァルに腹が立つ。
今度こそぶん殴ってやろうかとも考えたが、三日間寝込んでいた彼の姿を思い出せば気が削げた。
「だよなぁ?反乱中に呑気にレオン王子を脱がすなんてあり得な」
「レオン・アドニス・コロナリア第一王子が肌を晒されていたことは事実だ。」
ブフッ‼︎
アランの笑いを両断した言葉に、近衛騎士達は同時に小爆発を起こした。
アランは飲もうと傾けていたグラスの中身を半分ほど床にぶち撒け、カラムは口から少し零れた酒を手で押さえ、ハンカチを取り出した。
エリックは無理に飲みこもうとして逆に気管に入り、更に噎せこんだ。アーサーは盛大に吹き出し、一口分の酒もグラスの中身も殆ど喉を通らす前に無駄にした。
すみません、雑巾……といつもなら言ったが、それよりも今の言葉が衝撃的過ぎて頭が追い付かない。ぽかり、と口を開けたまま視線をアラン達と同じ方向へと向ける。
「……ハリソン。それはいつの話だ?」
冷めた表情のまま、グラスの中身を飲まずに揺らし続けるハリソンはテーブルの一番隅に居た。
基本的に個人的な飲みの席には関わらないハリソンだが、アランがけしかけたアーサーに誘われたら即答だった。「近衛騎士で飲むンで、良かったら」と本心からハリソンとの酒を望むアーサーを彼が理由もなく無碍にできるわけもない。
ずっと話には加わらず、ぼんやりと所々四人の話に耳を傾けていただけだったハリソンからまさかの投爆だった。ヴァルの話題が出た瞬間、不快になり思考を閉ざして考え事に没頭していた彼だが、殆どレオンとプライドの話になってからやっとまた耳を傾け出した。
カラムからの問い掛けに、一度だけ視線をグラスから彼らへ移したハリソンはまた口を開く。
「瀕死の配達人がレオン・アドニス・コロナリア第一王子を救出した直後だ。」
「ッ待て!お前が保護したのか⁈」
「偶然居合わせた。」
淡々と最小限の言葉しか返さないハリソンに彼らは目を丸くする。
ハリソンが七年前の奇襲者の一味であるヴァルを忘れていないことはこの場の誰もが理解している。更にエリックは、一度ハリソンがヴァルを殺し掛けたのも知っている。
それをよく保護したな、と。全員が思った言葉を飲み込んだ。実際は別段褒めるべきことでも何でもない、騎士として私情を持ち込まずに手を差し伸べるのは当然のことなのだから。
「……あの、…………肌……晒してたって……?」
未だに表情筋が感情に追いつかないアーサーが、ぽつりと尋ねた。
目が丸過ぎて蒼い瞳が水晶のように光っている。アーサーがグラスを手から滑り落とす前にエリックが急ぎ没収し、グラスをテーブルの上に置く。
ハリソンはアーサーからの問いに顔を向けず一言で返す。
「鎧から鎧下まで剥ぎ取られていた。」
カンカンカンッ!と。
既に避難させられたアーサーのグラス以外の三つがテーブルに音を立てて着地した。落としこそしなかったが、叩きつけられるように置かれたグラスの水面へ三人は逃げるように視線を落とす。
耳まで真っ赤に染まった彼らは全員焦点が次第に合わなくなる。顔を上げているのは、放心状態のアーサーと平然とグラスを揺らしているハリソンだけだった。
第一王子どんな状況で回収されたんだという叫びと、まさか本当にという恐ろしい疑念が泡立つほど激しく混ざり合う。
いや、まさかと必死に思いながら、ヴァルが止血の為に脱がせたんだろうとも思ったが鎧下まで剥ぐ必要がわからない。傷の状態を見る為ならわかるが、どちらにしろ本人も重傷を負ったのにそんな余裕があったとは思えない。
そういえばその時の話だけは妙にプライドが否定せず焦ってたようなと思えば、アランとエリックは無言のまま汗が止まらない。顔の熱さによるものか、冷や汗かも考える余裕がなかった。
察しの良いカラムも俯きながらヴァルの今までの言動を知る限り思い出す。あの男は嘘だけでなく敢えて真実も紛れ込ませて話すような捻くれた男だと理解はしている。
だが、プライドがそんなことをして平然とレオンと話せるなどとも思えない。狂気に駆られていた時の記憶があるのならば、いやだがレオンに涙ながらに謝罪していたあの姿はと高速で頭を回し出す。
この場にステイルが居たら、深夜でも構わず瞬間移動でヴァルに真偽を確かめに行っただろうと頭の隅で考えた。
化石のように固まるアーサーに、誰も顔を見れない。どんな顔で赤くなっているか容易に想像がついてしまう。二十代の仲間入りをした彼だが、そういうことに疎く苦手なことをアラン達は知っている。
俯いたままピキピキと固まり、グラスを持つ手どころか肩まで強張らせていると「どうした、酔ったか」と平坦なハリソンの声が放たれる。心の声が三つ同時にお前の所為だと大合唱した。
ハリソンからしても、何故そんなに彼らが潰れているのかわからない。
アーサーに至っては赤色の石像だ。そんなに度の高い酒なのかと、初めて口をつけたが大した度数ではなかった。
何も言わない彼らに、まさかまだ自分に話せという意味なのかと眉を寄せる。自分は語らいが不得意だとアランもカラムも知ってる筈なのにと不満も出たが、アーサーも待たせているのかと思えば、更なる情報開示を考える。
傷の状態か、発見時の様子か、救助の流れかといくつか頭の中で並べ、面倒になる。傷の状態もその時に目についたところから止血したから覚えていない。
発見時の様子や救助の流れもレオンが居たことは驚いたが、セフェクとケメトの妨害の方が頭に残っている。敢えて言うならばヴァルは傷こそ深かったが、一つだけだったから止血はまだ楽だった。レオンの方が傷の箇所が多く、そして小さかった分見つけきるのが少し面倒だった。晒されていた腹部などは止血もしやすかったが、鎧の隙間や下の傷だと手間がいる。あの時思ったことと言えば……
「……いっそ一糸纏わぬ姿であれば止血も楽だった。」
「ちょっと待て?」
「待てハリソン。」
「いっそ⁈」
とんとんとん、と今度も殆ど同時にアラン達が声を上げた。アラン、カラム、そしてエリックが上擦った声を上げる。
放心するアーサーは言葉が耳にすら届いていないように固まったままだった。
突然三人が食い付いてきたことに、ハリソンはグラスを揺らす手を止める。若干、興味とも違う怒りに似た良からぬ気配を感じて反対の手を懐のナイフに届くように身構えた。
「ハリソン。……いっそ、も何もレオン王子は鎧も鎧下も全て剥ぎ取られていたのだろう。」
「?上体正面だけだ。」
ハァ…………、と。
代表として問うカラムに平然と答えるハリソンの言葉に次の瞬間三人が脱力した。
グラスから手放し、バタンバタンとテーブルに突っ伏してしまう。自分達よりも温度の低いテーブルの冷たさを味わった。
アランが悶えるように手だけを開いたままバンバンバンッと力一杯叩き付ける。拳を握っていたら確実にテーブルを破壊していた威力で叩き、置かれたグラスが倒れかかった。ハリソンの話を聞いたこの場の誰もがてっきりレオンが全てプライドに脱がされていたのだと勘違いし、嫌でも勝手に艶かしい状況を想像してしまったことが恥ずかしくて仕方がない。安堵もあるが、それ以上に誤解してしまったプライドとレオンに申し訳なくなった。
アーサーの隣に座るエリックが、起こすように彼の背中を叩き起動を呼び掛ける。若干、八つ当たりのように響きの良い音になってしまったが、アーサーは肩を上下させるだけで済んだ。吃逆のように震えた後「へ⁈……あ⁈」とまるで気絶してたかのように声を上げる。
カラムが突っ伏した顔を無理やり持ち上げられるように片手で頭を抱え「ハリソン……」と若干低い声で唸った。
「初めからそう言え。」
「言っただろう。」
「言葉が足りな過ぎる。」
「問題ない。」
先走ってしまった己を恥じるように言葉を噛み締めるカラムに、ハリソンが淡々と返す。
そのまままた説教かと興味を無くしたように再びグラスを揺らし始めた。近衛騎士についてから、やたらとカラムに怒られることが増えた気がすると思いながらも目を合わせない。
すると今度はバンッ‼︎と両手をテーブルに付いて立ち上がったアランが今度は怒りも混じえて顔を赤くしながら声を荒げた。
「ッいや問題あるからな⁈ていうか今起こったからな⁈新兵時代から全然気にしなかったけど即刻お前はその言葉数の少なさ直せ‼︎」
そう言って肘を伸ばして指を指すアランの導線から逃れるように、ハリソンは僅かに身体を横に逸らした。
しかしそれ以上は歯牙にも掛けず「必要ない」と返すハリソンにアランが席から外れた。一瞬、ハリソンに殴りかかるかとエリックとカラムは思ったがそうはならず、アランはアーサーの背後に回るとその両肩をバンッ‼︎とまた鋭い音で掴み、激しく揺らした。
「アーサー‼︎お前からもハリソンに言ってやれ‼︎」
紛らわしい言い方すんなって‼︎と、対ハリソンの切り札を前にアランが叫ぶ。
がくんがくんと頭を揺らされたアーサーはまだあまり状況を飲み込めてない。あとでもう一度誰かに聞こう、とぼんやり思いながら先に何かをハリソンに言おうと考えて口を動かした。ハリソンさん、……と呟くような声で呼び掛けられ、ハリソンがグラスをテーブルに置いて顔を向ける。すると、まだ呆けたような赤みも治まっていない顔でアーサーは彼に投げ掛けた。
「プライド様は……なンで、ンなことしたンすかね……?」
純粋な疑問だった。
頭が変にシャッフルされた所為で、もう何が本当かわからない。本当に疚しいことがあったのか、未遂で終わったのか、一体どのような状況だったのか。それを知るのは当事者のプライドとレオン、目撃したヴァル、そして
「心臓を抉るところだったらしい。」
「「「「………………………………………。」」」」
グビッ、と話すことが増えて喉を潤したハリソンの喉の音のみが部屋に響いた。
ハリソンからの二撃目の投爆に、頭が熱していたアーサー達は凍り付く。
『ヴァルが居なかったらレオンなんて心臓抉られてたんだから‼︎』
当時、セフェクが訴えた言葉を思い返せばそんな所だったのだろうと、ハリソンは今になって思う。
当時彼はヴァル達が誰に襲われたのかよりも救護を優先したが、今思えばあの時に何処から逃げてきたか方向だけでも聞き出しておけばと少し反省した。結果、それが将軍の捕獲に繋がったのだから怪我の功名と言えなくもないが。
ハリソンの言葉に頭が深奥まで冷やされたアーサー達は、互いに目だけで会話した。
エリックはヴァルに指摘された時にプライドの顔が青くなっていたのを思い出し、カラムは当初のプライドにアランの耳が齧られたことを思い出し、アランはその両方を思い出す。
更に彼女は教師をペンで刺すという凶行まで行っている。アーサーが思い出せば、狂気に取り憑かれてたプライドは衛兵を嬲ることを確かに楽しんでいた。口にせずとも、四人の目が同じ確信を宿す。
間違いなくそれだ、と。
「…………うん、この話は無かったことにしようぜ……。」
同感だ。そうですね……。はい……。と、アランの言葉にカラム、エリック、アーサーが順に頷いた。
その後にアーサーが大分落ち着いた萎れた声で「ハリソンさんも今の話はどうか内密にして頂けませんか……?」と願えば即答が返ってきた。よくやった、とアランとカラムが同時に無言でアーサーの肩を叩き、やっと大きく息を吐き出した。
アランも元の席にもどり、落ち着いた手で各々が酒を飲んだ。今の今までも何十何百以上も思ったが、改めてプライドが元に戻って良かった。そして少し悔しいが、やはりヴァルが居て良かったと思ってしまう。
互いの心の傷もそうだが、隣国の次期国王の身体に特殊能力でも消せないような傷や、ましてや心臓を抉り出されて殺されたなど歴史に残る大事件だ。
すると、話を変える為にカラムは改めて最初の話の続きをとエリックに投げ掛けた。
「……それでエリック。配達人の許可を取り消した後は。」
そこで帰ったのか。と尋ねるカラムにエリックは少しだけ悩んだ。
プライドが泣いてくれていた一連の流れを、酒の肴にするのには苦すぎる。もし語らうとしてもそれは今ではなく、全てが終わった時に安堵の中で語りたい。そう思って悩んでいると、アランが先に口を開いた。
「あー、そういえばさぁ。今回の褒美にっつって、配達人がプライド様に頼み事してたんだよ。」
なあ?と投げ掛けるアランの言葉に、エリックも促されるまま頷いた。
褒美?頼み事?第一王女殿下に……⁈と、それぞれが興味深そうに反応する。ヴァルのことだからとんでもない要求でも吹っ掛けたのではないかと各々が予想してしまう。それはなんだ?とカラムが続きを促すと、アランはもう一口酒で喉を鳴らした後にエリックに目で尋ねた。どうぞアラン隊長から、とエリックが話の主導権を譲れば、アランは背凭れに寄りかかったまま三人に指を三本立てて見せる。
「三つだけ、隠し事をする権利だってさ。王族にも、主であるプライド様に聞かれても隠し通せる権利をくれって。」
その場でプライド様が叶えてたけど。と、気楽に言うアランが軽くエリックに目線で主導権を返す。
それに気付いたエリックが補足するように言葉を続けた。
思ったより大したことではない望みだったことに、ハリソンはもう興味を無くしてグラスを揺らし出す。その為エリックは主に隣に座るアーサーと斜め向かいに座るカラムに向かって話す。
「勿論、条件はつけていました。契約の時に命じた禁止事項に背く内容で無いことに限り、今この場で本人が頭で望んだ三つの事項のみ生涯何者にも秘匿することを許すと。」
つまり、違法行為関連や王族やプライドへの裏切り、またはそれを示唆する内容は禁止。そして隠し事はあの場で決めたその三つのみ。生涯変えることもできない。
無限にプライド達へ隠し事ができては信用にも欠けるが、制限された上で三つなら良いだろうとステイルも頷いた。彼女からしてもここまでしてくれたヴァルに少しぐらいはプライバシーが確保されても良いと思えた。プライドや王族に聞かれれば彼は抗うことができないのだから。
「アイツに隠し事があるのは驚かねぇけどさ、三つとか言われると気になるよなぁ。」
「まぁ……もう知りようもありませんけどね。」
アランとエリックの会話を聞きながら少なくとも一つ、アーサーは確信する。
ケメトのことだと。
彼の情報をヴァルは自分の口からも秘匿した。あの特殊能力の存在を隠す為に。
プライドすら知らないかもしれない、ケメトの特殊能力をアーサーは静かに思い出す。細かい事はわからない。ただあれは間違いなくケメトのお陰だったとそれだけはわかる。ヴァルとセフェクにだけ作用していた能力増強の特殊能力が他者にも使用が可能になったのだと。
ヴァルにも口止めを受けた以上、アーサー自身気になっても聞けない。少しは事情を知っていると思われるカラムや七番隊騎士のマートに相談する訳にもいかない。右腕の代償にアーサーはあの奇跡を決して誰にも口外せず、墓まで持っていくと決めたのだから。
おもわず軽口も出て来ず、ハリソンのようにグラスの水面を見つめて唇を結んだ。ふとそこで、カラムも二人に相槌をしていないことに気付き、恐る恐る俯いたまま目だけを向けてみた。その途端、ばっちりとカラムと目が合ってしまう。
思わずビクッと背筋を伸ばしてしまうと、アランとエリックが「どうした?」と顔を上げた。
「……どんな隠し事か、その場で聞く者もいなかったのか?」
アーサーから注意を逸らす為に、カラムは何でもないように二人へ話を続けた。返答を待ちながらグラスを傾け、軽く酒を舌の上で転がす。
カラムもまた、ヴァルの隠し事の一つが件のことだろうとは理解している。ただ、彼はアレが一体何だったのかまだあまり把握していない。
ヴァルの特殊能力は土関連の筈。何故あの時にあんなことができたのか、考えても確信には結び付かない。ケメトの可能性も勿論考えはしたが、正直あの時は自分も目の前のことで頭が回らず冷静に周りの状況を把握できてはいなかった。
一応、同様に目撃者である七番隊騎士のジェイルにも強く口止めをしたが、彼も突然自分の特殊能力が増加したこととヴァル達の内の誰かに触れられた気がするくらいしか分かっていない。振り返った先にケメトはいたが、その傍にはヴァルもセフェクも居た。
漏洩の心配は無いが、カラムもジェイルも気にならないわけがない。恐らく右腕を治されたアーサーはもっと詳しくわかっているのだろうが、ヴァルに口止めをされている以上探りを入れようとも思わない。事後の一方的な口止めではあったが、もしあの場でヴァルに「誰にも言うな、隠せ」という条件をアランを救う前に言われたとしても、自分は迷わず頷いたのだから。それを治した後に言われたからといって、守る義務はないとカラムは考える人間ではない。
七年前のこともある。騎士である自分達は容易に前科者であるヴァルを讃えられないし、頭も下げられない。だが、それならばせめてヴァルの要求には従うべきであり、報いたいとも思う。
まさか当時新兵だったエリック達や騎士団長を殺し掛けたヴァルに自分が二度も借りを作ることになるとはと、それだけが少々苦々しかった。彼が前科者ではなく、素行と口と性格が悪いだけの一般人であればもっと自分は心から礼を尽くせたのだがと悔しく、残念にも思う。
そしてアーサーもまた、カラムと言葉は交わさずとも考えていることは同じだった。
もしそうであれば、この場で話題には出さずとも本人に感謝の意を伝えたかったと思ってしまう。お陰でプライドの元へ間に合った。お陰で騎士を続けられると。
「あー、そういやぁプライド様が聞いてたよな?」
「はい、やんわりとですが。それで一つだけヴァルも答えていました。……何とも言えない返答でしたが。」
アランとエリックの言葉にアーサーとカラムが気になるように無言で視線を注ぐ。
二人からの反応が意外と大きかったことに驚きながら、アランとエリックは軽く笑い合った。いや本当に大したことではなかったんですよ、と何故か苦笑するように笑う二人は次の瞬間には声を揃えた。
「「何処ぞの誰を助けようが、もう二度と恩に着られたくねぇ反吐が出る。」」
一生蒸し返されたくねぇ、と。
そう悪態を吐いてあとは何も言わずにベッドに転がったと、エリックが最後に纏めればアランが「変だよなぁ」と明るく笑った。数少ない隠し事の一つを何故そんなのに使うのかと騎士であるアランには不思議でしかない。エリックも穏やかに言葉を返す中、アーサーとカラムは
「……………………そう、……っすね。」
「………………………………不思議、だな。」
顔ごと僅かにアランとエリックから逸らし、ぎこちなく笑った。
無理やり引き上げた口端がヒクついてしまうのを自覚しながら、首まで冷や汗が伝い落ちる。
アーサーは無意識に自分の右腕をテーブルの下で撫で摩り、カラムは今だけは間違ってもアランと目を合わせないようにと意識する。
すると最後だけ話が耳に届いていたハリソンは、視線を落としたままグラスを揺らす手を止めた。
「……少なくとも騎士団であの男に借りを作るような無能はいない。」
─ッマジですみません‼︎‼︎
ハリソンの呟きに、アーサーの肩がビクッと上がる。
心の中でそう叫びながら、気付かれないように歯を食い縛る。摩った右腕を力の限り鷲掴んだ。
それに気付かずハリソンへ視線を向けていたアランは彼の低い声に右肩を上げて苦笑う。
「いやでもアイツ色々すげぇぜ。ほら、今回も色々あったしさ。許す許さねぇとは別に騎士でも腹ン中で感謝する奴ぐらいはいても良いんじゃねぇか。」
─ お前は胸の内どころか自覚すらしてないぞアラン‼︎‼︎
アランの言葉に、カラムは拳に力を込める。
アラン本人はヴァルに助けられたことを知らない。今の言葉も自分ではなく、寧ろ一年前の防衛戦で助けられたカラムの件や騎士団に貢献してくれた件のみをアランは思い浮かべている。
「まぁ少なくともハリソン副隊長や隊長格の方々には、配達人との貸し借りなんて無縁でしょうね。」
皆さんお強いですから。とエリックが穏やかに笑う。
エリックは直接的にヴァルに助けられたことはない。寧ろ七年前に殺され掛けた新兵の一人だ。
そしてこの先もせめて直接はヴァルに借りだけは作りたくないと切に思う。プライドと関わることが多い近衛騎士の自分達は、ヴァルと関わることも他の騎士より多い。しかし、その中で間違っても直接借りを作ってしまうような騎士はこの五人の中でも自分ぐらいのものだろうと思う。それぐらい、目の前の彼らは全員実力のある優秀な騎士なのだから。
だが、そのエリックの言葉に真っ直ぐ頷けたのはハリソンだけだった。
─ 俺、一年前にカラム助けられたしなぁ……。
─ すみません、すっっっっげぇ借り作りました……‼
─ 私といい、アランといい、……示しがつかない。
アラン、アーサー、カラムが心の中でのみ語る。
エリックやハリソンに言えるわけがない。これ以上は混乱させて場を乱すだけだと、カラムはやはりヴァルの件は墓まで持ち帰ると心に決めた。
最後にカラムとアーサーはそれぞれグラスの中身を空にする。
そして二杯目の酒瓶に手を伸ばす。カラムが伸ばしたのに気付き、アーサーがすぐ手を引っ込めるとカラムは無言で先にアーサーのグラスに酒を注いだ。
ありがとうございます、と言葉を返しながら頭を下げたアーサーは、瓶を受け取り今度は自分がカラムのグラスに注いだ。二人で二杯目に口を付けながら、さっきのエリックとアランの話したヴァルの言葉を思い出す。
『何処ぞの誰を助けようが、もう二度と恩に着られたくねぇ反吐が出る』
つまりは自分達の感謝は、胸の内であっても確実にヴァルには迷惑なのだと。
それが謙遜なのか、彼の性分なのか。確実に後者だろうとそう思う。感謝されたくない、礼も言われたくない、隠せるなら本人にも隠し続けたいと。
アランの命を助けたことを本人にすら知られたくない。
プライドを助けろと、その条件の為に秘密がバレることを承知でアーサーの怪我を治したことをプライドにすら知られたくない。
過去に犯したヴァルの大罪を抜いたとしても、彼には感謝を示してはいけないのだと二人は理解する。
それよりも口を噤み、恩も忘れ、いつも通りに接し、彼の言動を睨み、指摘し、そして
彼の秘匿に協力するぐらいが丁度良い。
そう思いながらカラムとアーサーは二杯目のグラスを早めに飲み干した。




