知られ、
「ッ姉君‼︎‼︎この男に今後一切そういうのは不要ですから‼︎‼︎大体、それをしてしまったら配達人として機能しなくなります‼︎‼︎」
ステイルが怒りが収まらないように声を荒げ、ヴァルを指差した。
ずれた眼鏡が落ちそうになるのも気にせず怒鳴るステイルにプライドも肩から小さくなる。「はい……」と言いながら、本当に尤もだと反省する。あの時にヴァルへ全てを許したのは自分に報復できるようにする為だったが、元々ヴァルは罪人の刑罰として隷属の契約を受けている。
それを特別処置どころか殆ど完全撤廃しては意味がない。更に言えば、ヴァルに嘘も裏切りも違法行為も逃亡も許してしまえば、配達人としての仕事も任せられなくなる。彼がその任を任せられているのは、第一王女であるプライドの命令下でその全てが制御、管理されているからなのだから。
ステイルが思わずプライドにも怒鳴ってしまっている間も、ヴァルはレオンを肩に垂らしながら手をヒラヒラさせ「だ、そうだ」と他人事のように笑っている。
アランとエリックが何度も細かく口の中を飲み込んで自身を落ち着け、セドリックが服の胸元を摘んでパタパタと冷まし、ティアラが自分の顔を手で扇ぐ。一体何が起こったのかわからない様子で首を傾げるセフェクとケメトは、ヴァルにもたれ掛かるレオンと競うようにその隣に座り直した。
呼吸を整え、ステイルからの叱咤に反省しながらプライドは額に手を置いて俯く。本当にヴァルは契約が無いと何をするかわからないと改めて思い知らされた時、…………思い出す。
はっ、と。顔を上げ、そういえば!と思わず声を上げたプライドはヴァルへと向き直る。
じっ、とニヤニヤ笑っていたその顔を凝視すれば、ヴァルがすぐ訝しむように眉間に皺を寄せてきた。「……なんだ」とさっきとは打って変わって面倒そうな低い声色と、プライドの様子に全員が注目する。
彼女は瞬きもせずにヴァルを見つめ、思い出した疑問を投げ掛け……ようとして、一度止めた。再びセフェクとケメトへと目で示せば、二度目だからか今度はわかったように自主的にセフェクがケメトの耳を、そしてヴァルが無言でセフェクの耳を塞いだ。再び二人を除け者にすることを悪いと思いつつ、プライドは今度こそ疑問を投げかける。
「奪還戦の、あの時。……何故、私の命令に背けたの?」
奪還戦。
その間ヴァルは、プライドが知るだけでも明らかに命令から逸脱した行動を取っていた。
自分の命令を全て無視し、平然と抗い、主である自分を拘束すらできた。だが、プライドの記憶では彼はその許可どころかプライドへの全ての許可を剥奪されている。本来ならば、ヴァルはレオンを救出どころかプライドを前に平伏してその場から動く事もできなかった筈だった。
もし言いたくなかったら構いません、と続けながら尋ねるプライドにヴァルは目を丸くする。きょとん、としているようにも見えるその表情はケメトにも似ていた。
つい先程全て秘匿しろと言った矢先だ。
主であるプライドからの問いならば、強制的にヴァルは答えなければならない。しかしプライドから「言いたくなかったら」と付け足された為、沈黙も許されたヴァルはすぐには答えなかった。眉間に皺を寄せ、プライドよりもステイルやティアラに投げかけるように鋭い眼差しを向ける。その視線の意味を理解したティアラは顔を背け、ステイルは眼鏡の縁を押さえてプライドとティアラへ順々に視線を注ぐ。
アランとエリックが全くわからないまま彼らの目配せに注視していると、ヴァルよりも先にレオンがその口を開いた。
「?プライド。君が許可したんじゃないのかい⁇」
え、と。
レオンの言葉にプライドは目を丸くする。
許可、といっても自分はヴァルにそんなことを許した覚えがない。むしろ彼から自分への権利全てを剥奪した。訳がわからず目を白黒させていると、今度はヴァルがレオンの言葉に押されるように「本当に覚えていねぇのか」と意外そうな声で尋ね返した。
一体自分が何をしたのか、まさか狂気に飲まれている間の記憶に誤りでもあるのかと。プライドが次第に悩み出した時。
「姉君。………………まさか七年前のこと、お忘れですか?」
恐る恐るステイルが問いに続いた。
七年前。と、予想を上回る前のことにプライドは更に困惑する。ジルベールやセドリックほどではなくても記憶力はかなり良いプライドだが、どうにもパッと思い出せない。
自分がヴァルに尋ねてから、ティアラが顔ごと反らし続けるのも妙だなと思いながらプライドは腕を組んで目を浮かせ記憶を手繰る。
七年前。……ヴァルを裁判にかけた時だ。
ヴァルと隷属の契約を交わし、そして解放した。
しかし、それが今の問いに何故繋がるのかわからない。悩み続けるプライドに、ヴァルが「まだ頭弄られた後遺症でもあるんじゃねぇのか」と訝しむようにステイルへ投げ掛けた。その言葉に眉間を痙攣させるステイルは不安を薙ぎ払うように更に想起を促す。
「ヴァルを解放する前、……姉君は最後にヴァルへ何と命じたか覚えていませんか?」
「?覚えているわ。もし、助けが欲しかったら私の元へ来なさいと命じたことでしょう?」
「それは二つ目です。…………貴方は、当時もう一つヴァルに命じています。」
ステイルとプライドの会話を聞きながら、ヴァルは腹立たしそうに彼女を睨んだ。
むしろ何故、そちらの方だけ覚えているんだと心から思う。そしてその事をレオンやセドリック、騎士二人にまで知られてしまい気分が悪い。耳を押さえているセフェクが本当に聞いてないだろうなと手にじんわりと力を込めた。
実際、レオンやセドリックもそちらの方は初耳だった。もう一つの命令についてはティアラがアネモネ王国に援軍を求めた時に二人も彼女から簡単に聞いた。そして今のプライドからの発言に、改めて彼女は七年前から彼女だったのだなと思い知る。何故、当時罪人だったヴァルにそんなことを願ったのか詳しく聞いてみたくもなったが今だけは控えた。
そしてアランやエリックからすれば、衝撃にも近い。
ヴァルの罪状については当然知っているが、何故そんな命令をと口をポカリと上げて目を丸くしてしまう。当時、騎士団長を救いに行ったプライドはそれで一度死にかけた。処刑にしなかったどころか、何故そこまで手を差し伸べたのか。
そんな彼らの困惑にも気付かず、プライドは再び記憶を辿る。二つ目……?と視線を彷徨わせ、向かい側で自分を驚愕の色で見るセドリックからティアラへと目が止まる。彼らと違い、顔ごと逸らすようにして俯いている彼女だけ様子がおかしい。そして
「……あっ。」
思い出す。
大きく口を開けて声を漏らしたプライドの反応に、ステイルが思い出したらしいと肩からほっと力を抜いた。
何故かティアラの肩がピクンッと跳ねた気がしたが、プライドはそれ以上は思考が続かなかった。
ヴァルがその反応に「遅ぇ」と舌打ち混じりに短く文句を吐く。ヴァル自身が覚えていなくても、関係なく命令は適応される。しかし、ヴァルはそれをこの七年間一度も忘れたことはなかったのだから。だというのに、それを命じた本人が忘れているなどと頭の中で悪態つく。
『では、最後。これから生きていく貴方へ最後になるかもしれない命令を二つ、下しましょう』
どちらの命令も、当時の彼にとっては意味不明で訳もわからず、そして今ではあって良かったと心から思ってしまえるものだった。
プライドは思い出す。
七年前、まだ自分の予知した未来が色濃く残っていた時の記憶を。
ヴァルと出会い、契約を交わし、そして別れの時に自分は確かに望んだ。七年後に来る自分の暴走を止めるその為に。
『もし貴方が察知できるような緊急の事態が起こった時…私の大事な妹、ティアラをその特殊能力で守ってください』
そう、命じたのだと。
その命令があったからこそ、ヴァルはティアラと合流してすぐ彼女の護衛と指示下につけた。いくら許可を奪われていようとも〝ティアラの為ならば〟彼はプライドの命令から逸脱できた。
『これは最優先事項です。その為ならば…ティアラを守る為ならば私の命令に歯向かうことも許可しましょう』
〝最優先事項〟……全てに勝り優先されるとそう宣言した。
いくら主であるプライドが彼に命令しようとも許可を剥奪しようとも、〝最優先事項〟を撤回しない限りそれだけは守られる。
そう、主であるプライド自身が許可したのだから。
七年前から次第に予知した記憶が薄まっていた彼女は、当時の自分が行った対抗策の記憶もまた同様だった。薄まり、そして自分がいつか戻ってしまうという〝目を背けたい記憶〟の一部として記憶の底に沈められていた。奪還戦中彼が現れた時に一度は水底から頭を引っ掻いたが、どうしても頭が思い出す事を拒絶した。
自分からティアラを、そして愛する国を守るその為に望んだ一手。
そしてそれはヴァルにとって、プライドの命令下から逃れられる唯一の手段でもあった。
『最優先事項ですっ‼︎‼我が国は大変なことになってます!私はお姉様を助けたいんですっ‼︎どうか貴方の力を貸してください!』
『仰せのままに!……王女サマ』
だからこそヴァルはティアラが現れた時には思わず逸った。
彼女こそが、自分がセフェクとケメトを失わずプライドの元へ駆けつけられる手段だったのだから。何度も〝ティアラの為〟だと口にしては確認し、許可を得た。
あの時、戦場でプライドを救う為に立ち回るティアラを護る為にヴァルと彼女自身が望み選んだ方法は〝早期にプライドを止め、戦を終息させること〟そして真実を知ってからは〝プライドを取り戻すこと〟だったのだから。
その結果、ヴァルはプライドを取り戻すまでは〝ティアラを護る為に〟プライドの命令下から逃れることができた。
「因みに、既にティアラはそれで一度ヴァルを姉君の命令下から奪ったことがあります。」
えっ、と。
ステイルの言葉にプライドは目を丸くしたまま顔を向ける。
直後にティアラから「にっ、兄様‼︎」と慌てるように抗議の声が上がったが、ステイルは目も向けない。腕を組みながら知らんぷりといった表情で「まさか姉君が今まで気付いていないとは思いませんでした」と続けた。記憶力の良いプライドが自分で命じたヴァルへの抜け道を忘れていたなどと思うわけがない。
プライドがティアラに目を向ければ、怒られる前の子どものように肩を竦めて上目で見返した。
ごめんなさい……と謝るティアラに、プライドは茫然とし過ぎて返せない。一体ステイルが言うそれはいつなのか、と考えた時、今度はすぐに思い出せた。
一度だけあった。何故ヴァルが契約の主である自分に隠し事ができたのか疑問に思ったことが一度だけ。
『王女サマのお望みに応えてやっただけだ。残念ながらこの俺様はコイツに逆らえねぇからなあ⁈』
そう、ヴァルはステイルに言っていた。
ティアラにナイフ投げを教えていたことが発覚した時に。
言い方や命じ方さえ考えれば、ティアラが自身の為にヴァルを口止めすることも容易だとプライドは理解する。
道理で自分やステイルにも隠し通せた筈だと。当然だ、主である自分がそう〝命令〟したのだから。
「…………。」
プライドは言葉が出ない。
色々な感情が一気に湧き上がり、どこから手を付ければ良いのかわからない。自分が七年前、未来は変わらないと諦めていた時に考えた小さな対抗策は、信じられないほど大きなところで実を結んでいた。
「ですが、……結果として姉君のあの〝二つ〟の命令のお陰で、俺達は犠牲者を誰も出さずに姉君を取り戻すことができました。」
少しだけ悔しいと思いながら言葉を続けたステイルは、ヴァル達へと目をやった。
プライドが七年前にヴァルへ生きる機会と救いの手を差し伸べておかなければ、三年前に人身売買組織からケメト達も取り戻せず、彼は自分達の戦力にもならなかった。
そしてティアラを守れと命じておかなければ、彼はプライドに歯向かえずレオンを救出することもできなかった。
その事実をステイルは顔には出さず噛み締める。当時は無駄で余計で甘過ぎると思ったプライドの判断は、確かに国と彼女を救った。
ティアラが「私のことは言わなくても良いじゃないっ」とまだ苦情を訴えてきたが、彼は気にしない。それよりも何も言わないプライドが心配になり、ゆっくりと彼女へ顔を向ける。
ティアラがヴァルからナイフ投げを教わっていたことは未だに兄として解せない。だが、しかしプライドのあの時の判断は間違いなく──
「⁈っっぷ、ッ姉君⁈」
思わず傾げるように向けた顔をステイルは大きく正面にして向ける。
声を上げ、漆黒の瞳を丸くしてプライドを凝視する。ステイルだけではない、その場にいる全員がステイルより先にか、ステイルの叫びに反応してプライドを注視し、狼狽えた。
呆然とした顔のまま大粒の涙を零す彼女の、姿に。
どうしたのですか⁈お姉様‼︎プライド様!と全員が過剰なほど声を上げてしまう。
また何かあったのかと困惑し、ステイルとティアラが椅子から立ち上がり彼女の肩に触れる。彼らの呼びかけに目が覚めたようにプライドは瞬きをし、最初は小さく掬う程度に指先で涙を拭った。
泣いていると気付き、自分が湧き出る感情の中でどれを選んだのか理解した途端、今度はくしゃりと顔が歪んだ。涙が余計込み上げ、軽く握った両手で目を押さえつける。
お加減が、どうしたのですか、まさか予知をと口々に温かすぎる言葉が周りから放たれる。大丈夫、そんなんじゃないのと言いたくても歪む唇から搾り出される言葉はそうではなく
「……っ、…………良、かっ……。」
安堵だった。
幼くも聞こえるその言葉をプライドの唇から聞いた途端、ステイル達からも安堵が満ちる。
ティアラがハンカチを取り出し、大粒の雫を零す目元に差し出した。それに気付いたプライドはくしゃりとした顔のまま笑ってお礼を言った。ありがとう、と少し引っかかったままの喉で伝えればティアラの眉がしょげた。
彼女は彼女で、自分が勝手なことばかりしていた事を怒っていないのかと未だに気にしている。だがそんなティアラの頭をプライドは優しく撫でた。怒っているわけがない、むしろ抱き締めたい。
十年前に思い出した前世も、そして見てしまった予知も、決して無駄なものではなかった。
単に自分の余生を苦しめるだけのものではなく、ちゃんと未来に意味を成してくれた。自分の大事な人を増やしただけではない、守れたのだと。そう思えば思うほど涙が止まらなくなった。
ポロポロと涙を零し続けるプライドを、セフェクとケメトも心配そうにベッドの上から覗き込む。二人に向かい、ふにゃりと無理した下手な笑顔だけを向けてしまう。今は十四歳と十歳に成長した二人が、また一つの奇跡だと思えて仕方がない。
良かったと。そして嬉しそうに泣くプライドにステイル達は理解こそするが少しだけ複雑になる。
彼女が安堵し温かな涙を流すほど喜んでくれているのは嬉しい。だが、自分達からすれば何処か不甲斐ない。
奪還戦で被害無く済んだ理由の一つは間違いなくヴァル達の協力だ。だがその彼を救ったのもまたプライドだったと知り、改めて考えれば結局プライドは自分自身で己を助けたようなものではないかと思えてしまう。
彼女の見返りを求めない全てが十年の時を経て彼女へ返って来たのだと。
ステイルが、あれほど必死になっていたのは誰の為だったか。
アーサーが騎士になったのは。
騎士団をラジヤ帝国に一歩も引けを取らないほどに強大にしたのは、誰が救ってくれた騎士団長か。
今、前線で活躍している騎士の内、七年前の当時新兵だった彼らを救ったのは誰の計らいだったか。
宰相として優秀過ぎるジルベールが今もそうであり続けているのは。
アネモネ王国騎士団、そして敵の将軍という手掛かりを残してくれたレオンを二年前に救ったのは。
フリージア王国の誰にも参戦を認められなくなったティアラを離れの塔まで連れてきたセドリックを一年前に救ったのは。
カラムとアランが最後に自害しようとしたプライドの行動に気付けたのは、引き止められたのは一年前の何が原因か。
アーサーの右腕は。アランの瀕死は。死にかけたヴァルをハリソンが見捨てなかったのは。奴隷になった特殊能力者達全員を生きて取り戻せたのは。
ティアラが、プライドを救う為に見せたその未来は。
その場にいた彼らが各々考えたことはその全てではない。
だが、そのどれを取っても最後に行き着くのはプライドだった。
彼女がそのどれか一つでも見捨てていたら、フリージア王国には必ず犠牲が出ていた。
そうなれば、プライドを奪還できたとしても彼女はこんなに早くは笑えなかった。一生その罪を背負いながら、笑顔も失い生きていくか、再び死を選んだかもしれない。プライドの自覚を遥かに上回るほど彼女の救いは
自身を、救っていた。
一見どれほど不要であろうと、甘過ぎる行為であろうと、無意味なことであろうとも。
多くに尽くし、そして多くに尽くされる。
それこそが彼女の在り方なのだと。
梅雨あけの花のように笑いながら泣く彼女を前に、口を噤んだ誰もがそう思った。
549-1
340-2




