583.宰相は片付ける。
「そうか、無事に目覚めたか。………………何よりだ。」
そうだな、と衛兵から報告を受け終えた私は王配のアルバートと共に息を吐いた。
奪還戦から四日。昨日まで三日間、プライド様は重傷を負ったヴァルが目覚めるまで付き添われておられた。自室にも戻らず、近衛騎士達が護衛する中とはいえ、朝も夜も休みなく過ごされていた。
不眠不休というわけではなく、ステイル様や衛兵の話では椅子の背もたれや配達人のベッドに突っ伏して休まれていたらしいが、……彼もなかなか贅沢な休息を取っていたものだと不謹慎ながらに思ってしまう。
そして昨日、配達人が無事目覚めたことに安堵した反動でプライド様は卒倒された。最初は「まさか」と報告を聞いた私もアルバートも肝を冷やした。が、医者の話では単なる過労と睡眠不足。充分な休息さえ取れば問題ないと聞き、目眩を覚えるほどに安堵した。
「まったく……あの子は何度私達の心臓を脅かせば気が済むのか……。」
アルバートにしては珍しく愚痴めいている。
これも安堵から来るものだろうと思えば、彼の刻まれた眉間の皺すら微笑ましい。彼の言葉に思わず苦笑してしまう。
今頃、女王であるローザ様とヴェスト摂政にも報告が届いている頃だろう。昨日のプライド様の卒倒には、ローザ様とヴェスト摂政もアルバートと同じように仕事も置いてすぐに見舞いへ向かわれていた。
「だが、今日からはプライド様もゆっくり御自身の部屋で休めるのだと思えば嬉しい限りじゃないか。」
「……そうだな。」
プライド様のお部屋。一度は家具も全て離れの塔に移送され、広い空間ばかりが残されていた。だが、プライド様が正気に戻られてから再び家具も運び直し、今は元通りに整えられた。
帰還自体は、あまりにも感動のない卒倒による強制送還とされてしまったが、それでもあの御方が再び第一王女の部屋で過ごされる日々が戻ってきたことに変わりはない。……そう、戻って……、…………。
「……ジルベール、いい加減に涙を仕舞え。もう四日は経つぞ。」
……しまった。
アルバートの言葉に慌てて指先で目元を拭う。また感極まってしまったらしい。すまない、と言葉を返しながら意識的に深く息を整えた。
プライド様が正気に戻られてから四日。
当時の状況をお聞きする際や質疑応答で何度か直接お会いしたが、その度に全く変わりなく私にも向けて下さるあの笑みを思い出すだけで涙腺が緩んでしまう。アルバートも既に乗り越え、騎士達に至っては未だに緊張感を途絶えさせていないというのにも関わらず、些か私一人が腑甲斐なくも感じるが。
しかし、一度は諦めたあの御方が再び戻られた。それだけでもどれほどに奇跡のようなことか。まさか百年も経たない内に奇跡に二度も遭遇することになるとは思わなかった。
「ところで、マリアとステラは元気か。まだ旅行中なのだろう。」
私に気を遣ってくれたのか、アルバートが話題を変える。
愛しい我が妻、娘。彼女らはひと月ほど前から屋敷の使用人達と共に〝旅行〟という形でフリージア王国から離れていた。以前の反省も活かし、屋敷の衛兵とは別に城から護衛に通信の特殊能力を持つ騎士も付け、定期的に連絡も取り合っていた。そして昨晩、通信兵を通して話しをした時も彼女達はヤブラン王国で健在に過ごしてくれていた。……ただし。
「ああ。まだ帰っちゃだめなのかとステラには怒られたよ。」
本当はラジヤ帝国の滞在期間までの旅行にさせるつもりだったのだが、あれほどに乱れての奪還戦。
そして今もひと月後のラジヤ帝国との条約締結まではフリージア王国が完全に安全とは言えない。宰相の関係者である彼女達にはせめてそれが終わるまではと更に滞在を延ばしてもらった。
マリアには事情も話せる範囲までは伝えたが、ステラほどではないにしろ彼女も若干の憂いを見せていた。「無理しないでね」と不安げに瞳を揺らされた時は胸も痛んだが。
未だプライド様の回復については話せないから余計に心苦しい。彼女達の安全の為とはいえ申し訳ないことをしている。帰ってきたらきちんと誠意を示さなければ。……といっても、奪還戦の後に連絡を取った際には「良かった」と勝利を伝える前に顔だけで察せられ、笑まれてしまったが。恐らく、今の私がこの上なく健在であることもわかってくれてはいるのだろう。彼女はいつも私より私がわかっている。
「今は仕方ないだろう。帰ってきたら私とローザからもマリアには挨拶をさせて貰おう」
アルバートが書き上げた書状を一枚机の端に置く。
マリアの友人であるローザ様やアルバートからの後押しがあると思えば心強い。
感謝するよ、と返しながら私は彼が済ませた書状を回収する。インクが乾くまでは封もできない為、彼の邪魔にならないように私の机に移動させた。
ティアラ様の誕生祭に招かれた国内の来賓へ改めて我が国の勝利と安全、そしてプライド様の回復を伝える為の書状だ。
私も私でラジヤ帝国のひと月後の来訪と、その後の祝勝会やローザ様からの正式な御言葉、式典の整理や情報統制で忙しい。彼の腕が痛む前に私も早くこちらを終わらせ、彼を手伝わなければ。
私が期限内にやると言っているのに「これも親と王配の務めだ」と言って今回は全く譲らない。しかも、ローザ様まで国外の王族貴族への書状を自ら積極的に手がけているらしい。お陰で元々所用でもお忙しいヴェスト摂政が更に溜息の数を増やしておられた。アルバートに報告へ部屋を訪れた際に「お前もか、アルバート」と開口一番に嘆かれる程度には。
「ラジヤ帝国に条約を締結させるまでは安心できない。……むしろ、一度違反した国では締結してからもだがな。」
苦々しく放つ彼からは怒りの色が滲んだ。
彼の怒りも尤もだ。今回ラジヤ帝国は我が国と結んだ和平条約を違反し、その結果あのような悲劇を招いたのだから。いや、それ以前にアダム皇太子とティペット嬢自体が……。
「……既に突き付ける条約内容は決まった。あとは奴らがあれを飲めば、一先ずは終わりだ。」
彼の怒りを宥めるように今度は私から言葉を掛ける。
それに深く頷いたアルバートは自らを落ち着けるように咳払いをすると、止まりかけたペンを再び走らせた。
「式典も祝勝会も今からとても楽しみだ。今度こそ憂いなく成功させる為にならば私も努力は惜しまないよ。」
お前もそうだろう?と投げ掛ければ、期待通りの返答が返って来た。
条約締結の三日後には国を挙げての祝勝会も執り行なわれる。上層部や国内の貴族は当然のこと、今回の奪還戦に貢献してくれたアネモネ王国とハナズオ連合王国の王族も招く。未だ王子二人は理由あって我が国に滞在しているが、祝勝会では改めて歓迎したい。彼らがいなければ、死者を出さない戦など叶わなかっただろう。……少なくともプライド様を救う事は叶わなかった。
第一王位継承者であるレオン王子の慧眼と、セドリック王子がティアラ様の手を塔まで引いて下さらなければ、とても。
さらに祝勝会の二週間後にはアレも待っている。無事に行うことができるという事実が、それだけでまた込み上げそうになる。つい一週間前までは夢のまた夢だったのだから。
「ラジヤ帝国との条約締結後はすぐにマリア達を呼び戻してやれ。必要ならばステイルに頼むのも許そう。」
一刻も早くお前もマリア達に会いたいだろう、と言ってくれるアルバートに思わず頬が緩む。
よりによってステイル様に望むことまで許してくれるとは。マリアのことが絡むと彼はいつにも増して私に親切だ。
ありがとう、と返してから私は首を横に振る。締結後は勿論すぐに呼び戻すつもりではある。だが、今回は安全も保証されている。馬車でゆっくり返ってきて貰えれば充分だ。大事な存在が全員健在な今、これ以上は贅沢過ぎる。マリア、ステラ、プライド様、どういう奇跡か右腕を回復されたアーサー殿。そして……
「アルバート。お前やローザ様、ヴェスト摂政も目覚めてくれて良かった。……お前達にまで死なれては、私もマリアも辛いからね。」
「……心配を掛けたな。だが、お前だけでも無事でいてくれて良かった。」
固い口調で言葉を返してくれる彼だが、一度だけ私に真っ直ぐと目を向けてくれた。あの御方と同じ、澄んだ紫色の瞳だ。友である彼がまたこうして仕事をしているのを見られることすら、今の私には幸福の一つだった。彼らが未だにあの状態では私は全く幸福とは思えない。
正直、彼やローザ様達が倒れた時も平静でいられたのも、人為的要因とアーサー殿の存命を知っていたことが大きかった。そうでなければ一時でも確実に打ち拉がれた。
私が無事だった理由に関しては、プライド様が己を殺させる為に意図を理解していた私を弾いたと仰っていたが。……恐らく、そうでなくとも皇太子の特殊能力は掛からなかっただろう。以前、彼と始めて相対した時のことを思い出せば察しはつく。
あの時は騎士団長ではなく私が握手を交わしておいて良かった。そうでなければあの時点で惨劇が待っていただろう。…………私に効かなかったことに関しては、若干苦々しいが。
しかし、五年前の忌まわしき経験のお陰で、結果としてあの御方を救う事に一役買えたと思えばこれも何かの因果だろうかとも思う。
今回の悪しき元凶が、悪しき歴史の遺物である展望台に潰され跡形も無くしたように。
私には知る由も無いが、ローザ様とヴェスト摂政がアダム死亡に異議を唱えないということは、そういうことなのだろう。あの方々がそれを抜かるとは思えない。
皇太子の出生に同情はするが、今回のことはとても許されない。彼が生きて捕縛されていれば、ティペット嬢共々その扱いも両国で難しいものとなっていた。
「……さて。そろそろ本腰を入れるぞジルベール。仕事はまだ山のように残っている。」
「ああ、わかっているとも。」
無駄口を止め、本格的に仕事へ再度取り掛かる。
プライド様が目覚められたと聞いたからには、これでやっと私も彼も仕事に集中できる。今回の後始末だけではない、その合間にいつもの公務も山のように残っている。どれ一つも手を抜くわけにはいかない。
二度とアダムのような怨嗟と悲劇が生まれないようにする為にも、決して。
……
……………頭……痛ぇ……。
最初に思ったのは、それだけだった。
誰か水をよこせ、おい医者は、薬、何処だここはと荒げようとすりゃあ声が出ねぇ。寝ている場所も慣れたベッドでもなけりゃあ毛布もねぇ。硬い地面に転がされているのだと身体の痛みで気が付く。
この俺様をこんなところに転がしやがって何処の誰だ殺してやる。開かねぇ目を無理やり開ける前に一瞬
……十三年前に戻っていたらと考え、怖気が走る。
あり得ねぇし、と思い直して今度こそ目を開ける。あまり変わらねぇ暗闇の中に俺はいた。
冷たい空気と地の匂い。身体を起こそうとすりゃあ全身が悲鳴を上げる。痛みに顔が引き攣らせれば、タンタンッと何がが俺様の傍に近付いてくる。
暗闇の中で姿も見えねぇが、話し掛けられたその声に覚えはある。ああ、コイツかと思った瞬間
『もし万が一私が捕まりそうになったら手筈通りにね』
あああああああああああああああああああああああああああああああ
そうだ、ティペットを使って塔に入った!
プライドが命じる通り馬鹿共諸共吹き飛ばす為爆弾に火をつけた‼︎
プライドを他の連中へ渡すぐらいなら、平和ボケしてつまらねぇあの馬鹿女に戻すぐらいなら、たとえ助からずともあのままのプライドで殺した方がずっと良い。そうすりゃあプライドは永遠に俺の物だ。フリージア王国の連中に捕まって殺されるよりあの女を奪ったまま死ぬ為に火をつけた。避難よりも奴らが逃げる前に皆殺しにする為に導火線も使わず直接火を付けた。なのに
俺は、生きている……‼︎
記憶が薄い。
確か火を付けた時、コイツも横に居た。爆破は間違いなくした筈だ。一瞬で視界が白くなって爆破音が耳を潰し、そこから意識もなくなった。
どうなってる?あの爆破で生きてるわけがねぇ。何故俺はここにいる?ここは何処だ、プライドは。
プライドが死んでいようと俺が生きてるのは別に良い。まさかプライドも生きてんのか?それでフリージアの連中に掻っ攫われたなら死んでも取り替えさねぇと。
そこまで考えていると、目の前の馬鹿が……ティペットが俺の身体を起こす。手を添え、腕を肩に回させ、担ぐようにして立たせる。か細い腕で掴み、引き摺るようにして歩き出す。
どうやらコイツが俺をここまで運んだらしい。こんな汚ぇところに俺を転がしやがってこの屑が。
国に返ったら処分してやると決めながら、声を出そうとすれば枯れて呻きになった。ここが何処か、何処に向かって歩いているのか、いったい今はいつだと、言いてぇことも聞きたいことも山ほどあるが、しょうがなくいくつかだけに減らす。「おい」と今度こそ声に出し、俺は疑問を絞り出す。
「……プライドは。……なん……で、俺は助がッた……?お前、何し……だ……?」
単純な馬鹿みてぇな問いになる。
ティペットは小声でぼそぼそと答え出す。一歩一歩薄鈍に歩きながらの声がテメェの足音に掻き消されかける。
プライドはわからねぇと。それを聞いてふざけんなとコイツをこの場で殺したくなる。役立たねぇ愚図が、せめてプライドがどうなったかだけでも俺様が寝てる間に確認しとけ。
だが今はティペット無しじゃ歩けねぇし仕方なく今だけは生かしておいてやる。
次にまたティペットが答える。何故俺が助かったのかを。それを聞いた途端、嘘吐くんじゃねぇと睨んで唾を吐きかける。コイツにそんなことが出来る訳がねぇ。そんなこと出来たらもっと今回だって楽だった。本当だと、淡々と答える馬鹿に俺は言う。じゃあ見せてみろと吐きつける。この屑が塵が馬鹿が俺様に嘘を吐くとかふざけんな。馬鹿がカスがドブスのガラクタ道具が証拠を見せろと答えるまで枯れた喉で吐き続ける。
「…………」
ぴたりと、ティペットが立ち止まる。
近くの土壁に俺を掛けて座らせ、正面に座る。本当のことを今度こそ言いやがるか。それともこの場で頭を擦り付けて謝るか。そうなら踏んづけてやると今決める。
ティペットの口が開くのを待つ。汚ねぇその唇を睨み続けてやれば、気安く俺の肩に触れてきた。意味もなく触れるんじゃねぇ、俺様を好きに触れるのはプライドだけだと腹に力を入れて怒鳴る。
殆ど言葉として口から出なかったそれに、ティペットは反対の手を動かす。俺様の命令しかきけねぇ役立たずが、言われたことしかできねぇ木偶が、大した役にもたたねぇ屑が道具として拾ってやらなけりゃあとっくに使い捨てられて腐ってた塵が狂気を受けたところで俺様に逆らえなくなっただけの口答えすらできねぇただの木偶塵屑馬鹿人形が、その女特有のか細い腕で
「……ハ…………?」
俺の中心を、貫いた。
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