581.義弟は怒鳴る。
「ッお、前は‼︎‼︎目覚めたそばから何をやっている⁈‼︎」
扉を開けた直後、杖をついたステイルの怒鳴り声が部屋中に響き渡った。
顔を真っ赤にしたステイルへ振り向いたプライドは、何故そんなに怒っているのかと首を傾げる。それを受けたヴァルも面倒そうに「アァ?」と顔を顰め唸った後、腕を緩めてプライドを手放した。それからやっと気が付いたようにステイルへ投げた視線から部屋の中を見回す。見ればどこか覚えのある病室だと気が付いた。
「アーサー‼︎カラム隊長‼︎‼︎これは一体どういう状況でしょうか⁈」
荒げたステイルの声が扉の前から一瞬でベッドの傍らから発せられる。
更にその隣には今の今までベッドの上にいた筈のプライドも並んでいた。膝立ちの体勢のまま瞬間移動されたプライドは、ストンと床に着地したまま視界が切り替わったことに瞬きを繰り返す。
ヴァルは一瞬でプライドを自分の膝から回収されたことに舌打ちすると、仰ぐようにステイルの視線の先へ喉を反らした。見れば、自分の背後でベッドを挟むようにしてアーサーとカラムが控えてる。その傍にはプライドの専属侍女であるマリーとロッテと控えている。
一部始終見られていたのかと、ヴァルは気分を悪そうに顔を顰めたが、騎士二人の顔色に気付けばすぐその顔をニタリと嫌な笑みへと切り替えた。
アーサーもカラムもステイルと同じように耳まで真っ赤にしてステイルから目を逸らしていた。焦点が合わずに瞳をグラグラさせ、唇を結んだまま息も止めた。それでも熱気に当てられたかのように顔の火照りも気まずさも隠し切れない。その二人の様子と専属侍女達が口を覆っている様子に、自分は〝見られていた〟ではなく〝見せつけていた〟と思えば悪くないとヴァルは思う。
「いや……その、俺もカラム隊長もちゃんと見ては、……〜〜っ。」
「ッ申し訳ありません、ステイル様……‼︎ですが、一応疚しい行為まではっ……‼︎」
何とか言葉を絞り出す二人は、それ以上を言いにくそうに口を閉ざした。
ヴァルが目覚める前から、プライドに「彼が私に何をしても咎めないで」と近衛騎士もステイル達も何度も頼まれていた。ヴァルが目覚めてからプライドとの一部始終を監視していた二人だが、あくまで抱き締め合っていただけ。もしそれ以上の行為になれば絶対に止めに入ろうと思ってはいたが、結果としてそれはなかった。
しかし、ただ抱き締め合っていただけならば暖かい眼差しで見守られたが、ヴァルがプライドを引き込んだ所為で場所がベッドの上へと変わり、一気に疚しい雰囲気に見えてしまった。
ステイルが怒鳴ったのも強制回収したのも仕方がないと二人も心から思う。だが、最初からの流れを見ていれば、泣くプライドとそれを許しているヴァルに対して間に入ることはできなかった。
あまりにも距離が近過ぎるとも思ったが、カラムはプライドがレオンとも抱き合って「愛している」を連発されているのを見ている。更にアーサーに至っては人の事を言えない。
「ケチケチすんなよ王子サマ。主の方から俺様の好きにしろっていうお望みだ。」
ケラケラと激怒するステイルを嘲笑いながら、最後に「なぁ?」とカラムとアーサーに敢えて投げ掛ける。
その途端、更に唇を固く閉ざし出すアーサーとカラムの反応にステイルが凄まじい勢いでプライドへと振り返る。見開いた目が「本当ですか⁈」と訴えていた。それにプライドは「いえっ、その」と目元を拭いながら必死に弁解をと言葉を探す。
「本当に、本当にヴァルにも酷いことを沢山したから。だから、私もやり返されるぐらいは当然だと……」
「なんだ?唇ぐらいはくれてやるっていう意味じゃなかったのか、主。」
「ッッそうは言っていません‼︎‼︎」
折角ヴァルの弁護を含めていたにも関わらず、それを木っ端微塵にするような発言にプライドの顔まで赤くなる。
膝立ちの状態から勢い良く立ち上がり、うっかりドレスの裾を引っ掻けて倒れ掛かった。ステイルが慌てて支えたが、彼も杖をついた状態の為に二人一緒に倒れそうになった。アーサーが見事な反射神経で飛び込み、二人が倒れ込む前に受け止める。
慌てふためくプライド達の姿に、ヴァルがゲラゲラと笑い出した。怒ったプライドが自分の足で今度こそ立て直し、頬を膨らませて睨んだが、ヴァルはニヤニヤと笑ったままだった。
逆にさっきまで怒っていたステイルの方が、ヴァルの言葉をはっきり否定されたことに安堵した。息を吐き、杖を突いたままフラついて上手く立てなくなる。アーサーが肩を貸し、なんとか支えられたがそのアーサーもまだ顔は沸騰したままだった。専属侍女のマリーが急いでステイルの傍に椅子を移動させる間、ヴァルは機嫌良さそうにプライドが目くじらを立てる様子をニヤニヤと眺め
「っヴァル……?」
「……ヴァル?」
溶けた声でぼんやりと放たれた二つの声に、ヴァルは目を見開いた。
ステイルが怒鳴り込んできても目を覚まさなかった二人が、目を擦りながら突っ伏していた顔を上げていた。二人にしては起きるのが大分遅かったと思いながら、ヴァルは無言で二人を見返した。すると、段々と覚醒していく二人の表情が驚愕に固まる。目を覚まし、平然と身体を起こして自分達を見下ろしている彼を見上げ
「「ヴァル‼︎‼︎」」
同時に、飛び付いた。
カラム達が制止する間も無く靴のままベッドへ上がり、そのままヴァルの胸へと飛び込んだ。両手を広げ、自分の胸へ文字通り突進してくる二人分の衝撃に流石に傷が悲鳴を上げた。グァッ、と刺されたかのような呻きが漏れ、押し倒されるようにしてベッドに倒れ込む。痛みに顔を諫めたヴァルだが、セフェクもケメトも気付かずそのままヴァルの上へ乗り上がった。
痛ぇな、退きやがれと怒鳴りたかったが、自分の上で首や胴回りにしがみ付き、泣きながら「ヴァル 」と繰り返し名前を呼んでくる二人に怒る気力も失せた。
傷口だけは運良く圧迫されずに済んだが、渾身の一撃を受けた上に十歳と十四歳の下敷きにされ、完全に動けなくなる。
諦めて大人しく天井を仰ぎながら、そういえば刺されてぶっ倒れた後だったのだと思い出す。あれから助かったのだと思えば、二人が心配をしたのも何となく納得はできたが、それでも大袈裟に思えてしまう。思い返してみれば、プライドもヴァルからすれば随分と大袈裟だった。
自分にケメトとセフェクを殺させようとはしたが、ヴァルを刺したのはプライドではなくティペットだ。それなのにあそこまで泣かれたと思えば、妙に気恥ずかしくすらなってくる。これだからガキは、とうんざり思いながら唸っていると、セフェクが八つ当たりのように肩をペシペシと叩いてきた。
「っ……起き、るの!遅っ……すぎるわよ……っ、……本当……死ッ……かと……っ。」
ひっく……としゃくり上げ、ヴァルの首越しにシーツで目を拭きながら怒るセフェクに、彼は「あ゛ー?」と力無く返す。
腕を回し、片腕でセフェクを抱き締めるように背中からその頭に手を置いた。すると、ひっぐ!ひっくと泣き続ける彼女は、また両腕でヴァルの首を絞めんばかりに力を込めた。
「良かっ……です‼︎……ちゃんと、……僕っ……もセフェクもっ……我慢、でき……したっ……‼︎」
更にケメトもセフェクに続く。
同じように喉を鳴らし、何度もしゃっくりで言葉を切らしながら言葉を放つケメトは、ヴァルの胴回りに掴まりながら自分の袖で何度も目を拭った。
反対の手をケメトの頭に置きながら、ケメトの言葉の意味を理解する。恐らく、自分の言い付け通りに特殊能力を隠す為騎士やプライド達に他者へ能力増強させることができると言わなかったことだろうと考える。そりゃあ偉かったなと適当に相槌を打とうとしたが、プライド達にも見られている手前、敢えてそこは飲み込んだ。
「……たかが一晩寝ていただけじゃねぇか。」
クソガキ共。と、代わりに悪態をついてしまう。
二人の頭に手を置きながら、げんなりとした表情で天井を睨めば、突然ステイルが自分を覗き込んできた。若干まだ怒ったような表情のままヴァルの視界に顔を出したステイルは、片手で杖を、片手で眼鏡の黒縁を押さえたまま彼を見下ろした。
「優秀な医者と特殊能力者の治療を受けておきながら三日も目を覚まさなければ、心配するのは当然だ。」
ア゛ァ⁈と、初めてそこでヴァルの顔色が変わる。
声を荒げ、身体を起こそうとしたが、やはり二人に潰されて動けない。退けと跳ね除けるわけにはいかず、顔だけを起こしてステイルを睨めば、冷ややかな視線が返ってきた。
「既に奪還戦から三日が経過している。今晩になっても目を覚まさなければ、診断を改めるべきだと医者も話していた。」
そう言ってヴァルを睨むステイルはカンッ‼︎と怒りを示すように杖で床を叩いた。
その拍子にまたフラついたが、今度は反対の足で耐え、更に絶対零度の眼差しをヴァルへ突きつける。顎だけでヴァルに抱き着くセフェクとケメトを「見ろ」と言わんばかりに指し示した。
「セフェクとケメトも、朝も昼も夜も関係なくお前が起きるのを待ち続けていた。」
それでか、と。人の気配に敏感な二人が全く起きなかった理由をやっとヴァルは理解する。
睡眠不足な上に、昨夜もヴァルが起きるまでずっと限界まで起き続けていた二人が眠ったのは彼が起きるたった三時間前だった。三日間、生きた心地もせずにヴァルが起きるのを待ち続けていた二人は、食事も殆ど喉を通らなかった。
二人がここまで大袈裟に泣く理由を理解したヴァルは、ステイルに言い返すこともできずに目を逸らす。
理由がわかったが、何故ステイルにまでここまで睨まれるのかと厄介そうに顔を歪めた。単にさっきのことをまだ根に持っているだけかとも考えるが、今はセフェクとケメトの三日間の方が気になって思考が散らかった。
二人ともヴァルにしがみ付いたまま未だに離れようともしない。顔も上げず、肩を震わせ喉をヒクつかせる二人へ仕方なくヴァルは頭から軽くその背を叩いた。
「……お前には、俺も感謝はしている。」
ぼそっ、と潜めるような声が、ステイルの口から降らされた。
突然の殊勝な言葉に、どういうつもりかわからずヴァルは眉を潜めてステイルを見上げた。すると、まだ不満そうな表情のまま一度口を強く結んだステイルは再びその口を開く。
「レオン王子もお前のお陰で一命を取り留めた。今も絶対安静ではあるが、お前が居なければ……助からなかっただろう。」
最後はプライドを気遣うように声を最大限まで抑えたステイルは僅かに眉を寄せた。
レオンの名前が出たことに、ヴァルは片眉を上げながら「おい待て」と言葉を掛ける。レオンが生きていたことは理解したが、そういえば今どうしているのかと少しだけ気に掛かる。しかし、ヴァルのそんな心情は知ったことないと言わんばかりに無視してステイルは言葉を続ける。
「ティアラとセドリック王弟もお前には感謝している。回復したと聞けばすぐにでも見舞いに来るだろう。」
一方的に情報を告げ、最後に「暫くは絶対安静だ」と言いつけた。
そこまで言われ、聞くタイミングを削がれたヴァルは舌打ちだけでそれに返す。これ以上噛み付けばまるで自分が心配しているようだと思い、不快になる。ああそうかよ、と後から投げやりに言いながら、ステイルから顔ごと逸らした。
「欲しいものや望む褒美があれば遠慮なく言え。可能な限りは叶えよう。……契約を解くことはできないが。」
「興味ねぇ。」
ステイルの潜ませた声を一刀両断するヴァルは、逸らしたままもう視界にもいれたくないとばかりに彼を手で払った。
しかしその直後にあることに気付き「取り敢えず」と、自分の上にのし掛かる二人をステイルへ指差した。
「ガキ共を何とかしろ。」
降ろせ。と、いつの間にか自分の上でまた眠ってしまったセフェクとケメトを示す。
「緊張の糸が切れたんだろう。まともに眠れなければ疲労も溜まる。」
そう言いながらステイルは疲れたように頷き、側にいたカラムに声を掛けた。
二人にのしかかられたまま目だけで部屋の中を見回せば、やはり見覚えのある部屋だとヴァルは思う。三年前に自分が運ばれたのと同じ部屋かと適当に見当付ければ、うんざりと息を吐き出した。
騎士団演習所に隣接された救護棟。
その重鎮用の特別室。そこに備えられたソファーへ寝かすべく、カラムは最初にケメトを抱き抱えた。が、眠ったままヴァルの毛布も掴んでいた彼を持ち上げれば、毛布まで一緒に釣り上げられた。起こさないようにカラムがそっとケメトの手から外そうとすればヴァルが先に身体を僅かに起こし、乱暴にケメトの手から剥ぎ取った。
首に巻きついたままのセフェクを片腕で抱き抱えたまま手で払うようにしてカラムを促す。さっさとケメトをソファーに転がせと無言で意思表示するヴァルに背中を向け、カラムはケメトをソファーに丁寧に寝かせた。
続けてヴァルは、セフェクも押し付けようとしたが今度はカラムが抱き抱えようとすればセフェクの腕がヴァルの首にしがみ付いたまま取れなかった。鬱陶しそうに顔を歪めるヴァルはやはり力尽くで乱暴に自分の首に巻かれたセフェクの腕を解いた。
二人続けてあまりにも雑な扱いにカラムは無言で眉を寄せたが、それでも何も言わず両腕で丁重にセフェクを抱き抱え、ケメトと同じようにソファーへ眠らせた。二人揃って同じような寝顔をし、閉じた目から涙を伝らせる姿にカラムは小さく口を結ぶ。ケメトだけでなく、もう十四歳の身体で手足も伸びたセフェクすらその寝顔は幼かった。
「…………聞きたいんだが、他でもないお前がどう育てれば、あんな善良に育つんだ?」
「育てた覚え自体ねぇな。」
杖をついたまま眼鏡の縁を押さえるヴァルに投げ掛けるステイルに、やっと再び身体を起こせたヴァルがげんなりと答える。
二人分の体重から解放されたヴァルは、カラムに毛布を掛けられる二人を鋭い眼差しで眺めた。そしてもう一度だけ、ステイルかこの場にいる誰かに確認すべく彼の状態を問いかけようとした時
「プ、ライド様⁈プライド様!大丈夫っすか⁈」
しっかりして下さい!と叫ぶアーサーの声に、全員が振り返る。
見れば、さっきまで終始無言だったプライドがグラグラとよろめいていた。「だ……大丈夫……」と言いながら、力無く笑うプライドは次の瞬間アーサーへ崩れるように倒れ込んだ。
これにはヴァルも目を剥き「主‼︎」と前のめるが、傷が痛みそれ以上は動けない。ステイルが瞬間移動でプライドの傍に移動すると同時に意識を手放したプライドをアーサーが両腕で抱き上げた。
ステイルが「プライド‼︎」と声を上げ、彼女の呼吸を確かめる。
「ッですからご無理はなさらないで下さいとあれほど言ったではないですか‼︎‼︎」
「アァ⁈おい!どうなってやがる⁈」
顔を真っ青にして叫ぶステイルにヴァルが声を荒げる。カラムが急ぎ、部屋の外から医者を呼び掛ける中、ステイルがギラッと殺気の混ざった目でヴァルへと振り返った。
「セフェク達と同じだ‼︎姉君も三日三晩ずっとお前についていたんだからな‼︎‼︎」
ハァ⁈と、それ以上はヴァルも絶句して言葉が出なかった。
奪還戦の被害者でもある第一王女が何故自分に付き添っているんだと思ったが、聞くまでもなかった。目が覚めた時のプライドの反応を思い返せば、それがそのまま答えだった。
茫然とするヴァルを置いて、ステイルが医者を待っていられず先にプライドをベッドに運ぶぞとアーサーに声を掛ける。近衛騎士のアーサー、カラムと共に瞬間移動でプライドが消え、彼女の専属侍女達も続いた後、ステイルは「医者はまだか‼︎‼︎」と廊下へ声を荒げた。杖をつきながら部屋を出ていくステイルは「お前はもう大人しくしていろよ‼︎」とヴァルに怒鳴り、扉の外に控えていた衛兵と侍女に後を任せた。
『母上。……その件で、一つお願いがあります。どうか御許し下さい』
奪還戦後、プライドは女王であるローザに願った。
『今回の件で、今も目を覚ましていない者がいます。彼は、重傷を負いながらレオン王子を私から助けてくれました。ですから、私は彼が目を覚ますまで傍に居たいと思います』
王女が一般人……むしろ前科者と共に居ることに当然ローザや王配のアルバート、そして摂政のヴェストも良い顔はしなかった。
だが、レオン救出並びにプライドが手を染めることを阻止してくれた功労者とすれば無碍にもできない。当時のティアラやセドリック、ジルベールの後押しもあり、近衛騎士を必ず共に置くことを条件に、ヴァルが目を覚ますまでの間のみそれを許された。
そして彼女は宣言通り、レオンの見舞いや食事などの時間を抜いて殆どをセフェク達と共にヴァルの目覚めに待つことに費やした。
奪還戦の前日から殆ど眠らず、激しい戦闘を繰り広げ、あれほど泣いて心身共に疲労を蓄積させた彼女は今の今まで一度もベッドでは眠らなかった。
今回の貢献者であるヴァルは、ステイルの手により奪還戦の翌日には安全性の高い騎士団演習場に併設された方の救護棟に移されたが、レオンの部屋と行き来するプライドの負担を減らす意味でも必要な処置だった。
王女として慣れていない椅子の上での睡眠で、身体の疲れが取れないのを自覚しながらそれでもプライドはヴァルが起きるのをセフェク達と共に待ち続けた。……そして今、とうとう緊張の糸が切れた彼女は気を失うようにして眠りに入った。
結果。奪還戦で取り戻したばかりのプライドを誰よりも長い間独占していた事実に、ヴァルは片手で頭を抱えベッドへ倒れ込む。動けるようになったらなったで、今度はプライドを慕う連中に殺されるのではないかと半ば本気で思う。
「面倒くせぇ……。」
それでも。
この現実が夢でない事を願う自分に、ヴァルは再び舌を打った。