580.配達人は朝陽を掴む。
朝陽に焼かれ、目を覚ます。
「ッ……、…………?」
眩しい、と最初にそう思った。
身体が酷く重怠い。腕一本すら動かすのが億劫に感じた彼は、目を覆うのをすぐに諦めた。代わりに眉間へ皺を寄せ、意識もまばらなままに薄く目を開ける。
自分が誰で何がとも考えがいかないままに、朧げな頭で近くの気配へ無意識に首を傾ける。
自分が眠るベッドの傍に、突っ伏すようにして二人の少年と少女が眠っていた。すうすうと気持ち良さそうに寝息を立てた彼らは、まだ目を覚ます気配がない。
いつもは自分より起きるのが早いセフェクまで寝ていることから、まだ大分早い時間なのだろうとだけ理解する。自分の毛布をベッドの上から握り締めた二人には別の毛布が掛けられていたが、ケメトと違いセフェクは既に毛布が落ちかかっていた。寝相の悪いセフェクらしいと思えば溜息が溢れる。
重い腕をぐんなりと今度こそ持ち上げ、最初に手前のケメトの頭へ伸ばす。わしゃり、と寝癖のような髪が潰れ、小さくケメトが呻いた。今から起きられたら面倒だと、置いた手をそっと持ち上げ離した。次に、セフェクへ手を伸ばす。彼女から落ち掛かっている毛布を引き上げ戻そうとしたが、手が微妙に届かない。無理をして伸ばすのも面倒な彼は、諦めて代わりに舌打ちを鳴らした。まぁどうせこの程度なら風邪を引くわけもないと、思い直したところでやっと此処が何処かと考え
「ヴァル…………?」
突然、聞き覚えのある声が微睡みのような色で放たれた。
反射的に振り返り、ケメト達と反対側へと顔を向ければ、視界が鮮やかな深紅に染まる。自分の目と鼻の先に深紅の髪を流した女性の顔があった。
至近距離で写る彼女の紫色の瞳が丸く開き、そして揺れる。たった今目が覚めた彼女は、確かめるように何度も瞬きを繰り返し、その手を恐る恐る彼へと伸ばす。褐色肌の頬に触れ、細い指でくすぐるようになぞった。
茫然としたまま理解が及ばず、言葉が出ないヴァルは指の感覚に少しだけ見開いた目を細めた。記憶を辿り、ゆっくりと思い出す。自分は何故、何の為に動いていたのか。
ヴァル、とまた小さく呟いた彼女が今度は指から手のひら全体で彼の頬に触れ、焦茶色の髪を彼の耳へと掻き上げた。突っ伏した身体を起こし、ヴァルを上から覗き込む。完全に眠りから覚醒した彼女の目が次第に潤んでいった。
なんで泣きやがる、とヴァルの頭に疑問が浮かぶ。
だが、ドレスから露わになった素肌の上から包帯が見えた途端、記憶が更に引き戻る。すると余計に自分が見ているのは未だ夢なのではないかと疑ってしまい、遅れて確かめるように口を開く。
「…………主。」
掠れた、声だった。
喉が酷く乾いていると後から気付く。だが、水を求めるよりも先に口を噤んだ。自分が話した途端に余計プライドがその目を潤ませ、零し出す。
こんな水が欲しかったわけじゃねぇ、とぼやけた頭でそう思いながらヴァルはとうとう身体を起こす。
重い身体を腕で支え、上半身だけを起こせば今度は自分の方が背中を丸めて小さくなったプライドを見下ろすことになる。起きた途端、背中に激痛が走り一気に目が醒めた。歯を食い縛り、顔を顰めたが部屋を見回すこともできず目の前のプライドから目が離せない。
肩を震わせ、小さく丸まり泣くプライドは、どこからどう見ても自分のよく知るプライドだった。戻ったのか、取り戻せたのか、正気なのか、特殊能力は解けたのか、同じ意味の言葉ばかりが頭に浮かぶ。
泣く顔を隠すように白い手で顔を覆い、俯いてしまうプライドに手を伸ばす。その顔が見たい、もう一度本当に〝彼女〟なのかを確かめたいと。顔を覆うプライドのその細い腕を、壊れ物かのようにそっと掴
……めなかった。
ピタリ、と指先が触れるその直前で不自然に手が止まる。
その感覚に一度手を引っ込めたヴァルは、自分の手の平へと視線を落とす。そして、理解した。心臓がまだ目の前の現実を信じ切れずとも、頭は認めている。
もう、自分が眠っている間に全てが〝終わった〟のだと。
……暫く動けねぇな。
泣いているプライドに触れることもできず、生殺しの状態にヴァルは口の中を強く噛む。
怪我人である今だからこそ、平伏せずに済んでいる。もしこれ以上身を起こせば、次の瞬間にはこの場で強制的に平伏させられる。ヴァルは経験上それを嫌という程わかっていた。
言葉を掛けたいとも思ったが、どんな言葉も今は自分に似合わない言葉遣いにしかならないことが不快で口を閉ざす。
王族である彼女に指一本触れられない、気安い言葉も掛けられない。本来、隷属の身である彼と王女であるプライドはそういう関係だ。
泣いているプライドを眺めながら、顔を顰める。彼女のそんな姿を見たくて自分は死にかけたわけじゃないのだから。
次第に嗚咽だけだった筈のプライドの口から「良かった」「目を覚ましてくれて」と辿々しい言葉が紡がれる。……プライドが、誰のせいで泣いているのか嫌でも理解する。
手が届かないならば、せめて言葉を掛けたいと。ヴァルは唇を結びながら思考を巡らす。どんな言葉ならばプライドにかけられるのか、今の自分が、隷属の身分の自分がどのような言葉ならば放つことを許され
「許しますっ……。」
突然、涙の混ざった声がヴァルの耳を擽った。
言葉を疑うより先に、プライドが泣いて赤くなった顔をヴァルへと上げた。紫色の瞳と真っ直ぐ目が合い、息が止まる。目の前にいたプライドが今度は両手を伸ばし、自分の胸へと飛び込んでくる。
思わず身を反らすヴァルをプライドは両腕で抱き止め、包帯の巻かれた彼のその胸に顔を埋めた。腕の中にすっぽりと入ったプライドを、ヴァルは茫然としたまま無意識に両腕で受け止めてしまったことに気が付く。
「許します、許可しますっ……何もかもっ……全部、全部許します……‼︎……っ、……本当に……ッごめんなさい……‼︎」
涙で詰まった喉から、プライドがやっといくつもの言葉を紡ぎ出す。
一度はセフェクとケメトを彼に殺させようとした。ヴァル本人までをも足蹴にし、隷属の身に落とされた彼から自由を奪い、弄び、そして全てを奪おうとした。
ヴァルの目覚めを待ち続ける間、本当に何故彼がここまでしてくれたのかとプライドは何度も考えた。
彼になら、何をされても良いと本気で思えるほどに。
たとえ殴られても足蹴にされても構わない。それほど非道なことを自分は彼に犯したのだから。
プライドの言葉にヴァルは息を飲む。全てを許すなど、信じられない言葉を放つ腕の中の女性が、間違いなくプライドなのだと思い知る。
自分などの為に泣き、たかが元罪人への罪の意識に苛まれ、何をされても仕方のない無防備な状態で自分の胸に飛び込んでくる。プライドを受け止めた拍子に胸と背中の傷が同時に痛みを叫んだが、今はそれにすら意識がいかなかった。
プライドからその全ての許可を与えられた彼は試しに腕に少し力を込める。簡単に腕の中にいるプライドを抱き締め返すことができてしまった。だが、これなら主であるプライドからの抱擁に拒めないだけかと、今度は回した腕からその手で揺らめく深紅の髪を撫でてみる。さらりとした細いしなやかな髪質が褐色の指の隙間を流れて通る。甘い花のような香りが鼻腔を掠め、プライドのものだと理解する。
彼女の香りと感触を、全身で確かめるように目を閉じる。
細く、軽いその身体を抱き締めたまま引き寄せれば、腕の力だけでプライドの身体が上半身だけでなく膝下までベッドの上に乗り上げた。ヴァルに引き込まれるまま、膝立ちのようにしてベッドの上に上がったプライドはまるで抱き上げられた子どものようにしゃくり上げて泣いたままだった。
一瞬、このままもう一線を越えてやろうかとも考えたが、腕の中で泣き噦るプライドにその気も削がれる。まだやっぱりガキだ、たかが俺のことで泣くなんざと、呪文のように頭の中で繰り返す。
次第に包帯がプライドの涙で沁み、じわじわと痛みを増してきた。泣き噦るプライドに頭が冷え、傷の痛みが思考の邪魔をする。
舌打ちの代わりにうんざりと息を吐き、泣いたまま俯くプライドの顔を片手でそっと顎から自分の方へと持ち上げた。涙に腫らし、頬をいくつもの涙腺で湿らせたまま彼女は真っ直ぐとその顔をヴァルへと向ける。まるで懺悔をするかのように苦しそうに歪んだその表情に、余計ヴァルの不快が増す。グラグラと空っぽの胃の中が揺れ、傷とは別の部分が酷く痛んだ。
恨んじゃいねぇ、正気に戻ったんならそれで良い、と。抱き締め返した腕を緩め、プライドからの腕も突き放そうと……した時だった。ヴァルが腕を緩めると同時に自分から手を一度解いたプライドが、膝立ちのまま更に背中を伸ばしてヴァルへ身を乗り上げる。
腕をヴァルの背中からその首へと回し、また抱き締めるようにしがみつく。プライドの波立つ深紅の髪が顔に掛かり、先ほどよりはっきりと花の香りに襲われた。
思わず身を強張らすヴァルは、何のつもりだと、やはりまだプライドは正気ではなくこれも何かの罠なのではないかと警戒を
「貴方が居て、良かった……‼︎」
「───────ッッ‼︎……」
その、言葉に。
冷め切り始めていた頭が熱くなる。
その言葉だけは卑怯だと、そう思いながらも衝動が抑えられない。
気が付けば緩めていた筈の腕で再びプライドを抱き締める。さっきまでとは比べ物にならない強さで締め付けられ、プライドの背中がしなった。息が詰まり、僅かに声を漏らせば、膝立ちになったまままるでヴァルに押し倒される間際のように仰け反った。
「……ヴァル……?」
突然、どうしたのかと今度は逆にプライドの方が驚いてしまう。丸くした目から涙が止まる。
さっきまでは自分の謝罪を受け止めてくれていた彼が、今は感情をぶつけるように抱き締めてきた。殴られるわけでも、突き離されるわけでもない。嫌悪や憎しみとは反対の感情がプライドに注がれる。
ヴァルの首に手を回したまま見返せば、触れた彼の肩が何かを堪えるように震えていた。
「黙ってろ。…………もう喋るな、主。」
唸るような低い声でプライドの呼びかけを断じ、その温もりに身を委ねた。
喉から込み上げる熱を噛み殺し、力を込めすぎてギリリッと歯を食い縛る。腕の力を緩めず顔を埋め、密着するプライドから聞こえる鼓動に耳を澄ます。
……主が、戻ってきた。
その事実を、改めて内側に噛み締める。
人が良すぎて甘すぎる。下らない、他人の事ばかりで泣き喚く。自分のような人間にまで心を傾け、手を差し伸べる。そんな自分の主が戻ってきた。
一生執着しても足りないほどに、喉から手が出るほど取り戻したくて堪らなかったプライドが今この手の中にいる。
ティアラやレオンの使い走りとガラでもない世話を焼いたぐらいで、結局は狂気に落とされたプライドからもレオンを連れて逃げる事しかできなかった。
帰国を果たしておいてベッドの上で目が醒めるなど無様でしかない。自分が喜べるような立場でも、偉そうに踏ん反り返れる立場でもないとわかっている。
無駄にセフェク達を危険に晒し、更にはケメトの特殊能力を一部に知られてしまった。考えれば考えるほどに無様で情けない、醜態を晒したものだとそう思う。だがそれでも
今、全てが報われた。
自分が少しでも、僅かでもプライドを救うことに貢献できたなら良いと。ガラでもないことを考えてしまう。
プライドに、自分が居て良かったと思われる程度には彼女の力になれたのだと。……その言葉を、プライドの口から聞けたことが狂おしい程に彼の心を満たす。もう二度と、手放したくないと思ってしまう。
ヴァルに言われた通り、何も言わずに口を噤むプライドは首に回した手でそっと小さく彼の髪を撫でた。硬い髪質を寝かすように繰り返し撫で下ろす様子は、まるで言葉にせず懺悔しているようだった。
肩の震えが収まり、ヴァルは大きく息を吸い込み吐き出した。いくら自分が気にするなと、あれはテメェじゃねぇと言ってもプライドが無駄に責を負うことはヴァルも知っている。だからこそ、今度こそ彼は彼女への言葉を決めた。
「……………………次はもっと上手くやるんだな。」
低い声で耳元に囁かれ、びくりとプライドの肩が揺らされる。
え……?と疑問が思わずといった様子で小さく漏れた。プライドを抱き締める腕を意識的に緩め、腕の中にいる彼女の顔を覗き込む。ギラリと睨むように見つめられ、鋭い眼光が強い光を放つ。
まだ涙で濡れたままの目でポカンとした表情を向けるプライドに、ヴァルは敢えて鼻で笑うような悪い笑みを浮かべて見せた。ニヤリ、といつもの調子で笑い、鼻先が触れ合うほどの距離から静かな声で言い放つ。
「〝次は〟テメェと一緒に堕ちてやる。」
次のプライドの反乱を今度は共謀してやると、そう言わんばかりのヴァルの言葉にプライドは目を丸くする。
それが彼の嫌味でも共謀への誘いでもなく、ヴァルなりの優しさと許しなのだとすぐにわかった。
ありがとう、とプライドは涙がまた込み上げたままの顔で笑い、もう一度だけ最後に彼の頭を抱き締めた。それを受け止めたヴァルもそっと彼女の肩から顔を覗かし、深紅の髪を小さく掻き上げた。目だけで覗き、その首にまだうっすらと〝誓い〟の痕が包帯から顔を覗かせていることを確認し、瞼を閉じた。
もう暫く消えなけりゃあ良いと、少しだけ思いながら。
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