そして迎える。
「残すは、ティアラの件ですが……。」
びくっ‼︎と、目に見えてティアラの肩が跳ねる。
私に駆け寄ってきてくれたままのティアラは、母上の言葉に顔色を変える。そのまま私と母上を交互に見つめ出した。セドリックも察しているのか表情に影が差す。ティアラと私を見比べながら、苦しそうに顔を歪めていた。
「一週間後に、改めて話し合い……〝検討会〟を行います。それまではティアラの予知能力に関しては箝口令を。……それで、構いませんね?」
ティアラ。と、声を掛けられた本人は唇を結んだままこくりと頷いた。
ティアラの予知能力に関しては一日二日で判断できることではない。恐らく私がレオンの元へ行っている間に二人から色々事情を聞いたのだろうけれど、きっと母上達にも衝撃的事実だ。まだラジヤ帝国との問題も全ては解決していないし、急いで結論を出すべきではない。
続けて母上が、我が城の滞在者の処遇についてまとめていく。
捕らえたラジヤ帝国軍は地下牢に。
レオンは本人とアネモネ王国から許可を得られれば暫く我が国の特殊能力者の治療の為に滞在。
そして、ハナズオ連合王国の王弟であるセドリックはというところで一度言葉を切った。彼へ眼差しを向け、ゆっくりと口を開く。
「セドリック王弟殿下。我が国としては、恩人でもある貴方にいくらでも滞在して頂いても構いません。心から歓迎致します。ですが、ハナズオ連合王国へ帰還を望まれるのでしたら、今すぐにでもステイルに送らせましょう。」
母上の言葉を最後まで聞いて飲み込んだセドリックは、片膝をついた状態から音もなく立ち上がった。
母上の正面へと身体を向け、顎を引いて胸を張り「ありがとうございます」と礼を尽くした後に堂々と言葉を放つ。
「御許し頂けるのであれば、もう暫しの滞在を望みます。そして無礼を承知で願えるのであれば……どうか、その一週間後の検討会に私も同席の御許可を頂けないでしょうか。」
どうか。と、最後にセドリックは再び片膝をついて頭を下げた。
正式に女王へ願い出る姿勢に、母上は数秒だけ考えるように黙す。それでも、結論を出すように小さく頷くと「わかりました」と答えを落とした。
「歓迎致します、セドリック王弟殿下。すぐ部屋も用意させましょう。」
ありがとうございます……‼︎と再び声を張るセドリックに、ティアラが小さく俯いた。
まだ暗い表情のティアラが心配になりそっと背中を摩る。すると、気がついたように私へ笑みを返してくれた。にっこりと笑ってくれるけれど、まだ眉が力なく垂れている。
ステイルもティアラの背に手を置いて気遣ってくれる。眉間をぎゅっと寄せたまま唇を絞るステイルは、ティアラと同じくらい思い詰めた様子だった。
「話は以上です。騎士団は引き続き、国の警護と後処理を。アーサー・ベレスフォード〝騎士隊長〟も正式に任へ戻します。近衛騎士と各隊の采配は騎士団長に一任。城の地下に避難している者達を呼び戻しなさい。」
従者や侍女など、彼らを守っている衛兵も全て。と命じる言葉に、騎士団長と副団長が一声で返した。
父上やヴェスト叔父様にも指示を出した後、母上は私達にも目を向けた。ステイル、ティアラ、セドリック、そして私は医者と特殊能力者の検査と治療を受け、侍女達が戻り次第部屋で休みなさいと命じられれ。
ステイルはヴェスト叔父様のお手伝いをすると言ったけれど、一度身体を休めてからだと叔父様に断られてしまった。各部屋には衛兵と騎士、私は近衛騎士を護衛に付けることと続けられ、護衛の騎士と共に退室を許可された。……けれど
「母上。……その件で、一つお願いがあります。どうか御許し下さい。」
私から、母上に願い出る。
へたり込んだ状態から何とか立ち上がり、背筋を張って玉座に座る母上を目で見上げた。
私から願い出ると思わなかったのか、母上が少し驚いたように目を開く。金色の瞳を丸くして「何でしょう」と返してくれる。ティアラやステイルからも視線を感じたまま私は意を決して願う。
「今回の件で──………」
……
キィ……
「…………。」
扉が、開かれる。
金具の細い悲鳴を上げた直後、そこから現れた彼らは何も言葉を発しなかった。
足音すら最小限に抑え、一人また一人と足を踏み入れる。一人には広すぎるその部屋に移された彼は、寝息すら立てずに無音のまま眠り続けていた。白いベッドで眠る彼の傍には少年と少女が眠りに落ちていた。
騎士や医者達に用意された敷き布や毛布にも転がらず、用意された椅子に座ったままベッドに突っ伏していた。護衛に付いた騎士達に掛けられた毛布のみ被り、彼に掛けられた毛布を掴んで眠っていた。人の気配や音に敏感な筈の彼らが、誰一人部屋の中に入ってきた複数の気配に反応しなかった。
「ヴァル……。」
声を最小限に抑え、プライドはベッドで眠る彼の名前を呟いた。
地下室から避難命令を解かれた専属侍女のマリーとロッテと再会を果たし、着替えも終えたプライドは寝衣ではなく室内用の過ごしやすいドレスに身を包んでいた。傷に包帯こそ巻いているが、全身を磨かれ髪も整えられた彼女は王女としての佇まいだった。更にティアラ、ステイル、セドリックも汚れを落とし、治療後は身形を改めた格好でプライドの隣に並んでいる。ステイルも杖と衛兵の補助を受けながらプライドの後に続く。
プライドの背後には近衛騎士二名と、ステイルとティアラ。セドリックの護衛の騎士と衛兵、そして彼女の近衛兵であるジャックも続いていた。
既にヴァル達の護衛で部屋内に控えていた七番隊の騎士達があまりに豪華な並びに一度は目を剥いた。プライドが目の前に現れたことも驚いたが、それ以上に彼女がこの部屋に訪れたことに驚いた。
騎士や衛兵が背凭れのついた椅子を用意し、セフェクとケメトが眠る傍と反対側に四つ並べた。そこに頭側からプライド、ステイル、ティアラ、そしてセドリックが順番に腰を下ろす。
女王であるローザに許可を得たプライドは、身仕度を整えてすぐヴァルの部屋へ向かった。
ティアラとセドリックもヴァルの容態が心配だと強く面会を望み、そしてステイルもプライドが行くのならば共にと同行を名乗り出た。もともと複数人用の部屋だったそこに、今はヴァルの眠るベッドしかない。他のベッドは全て撤去され、王族の護衛が守りやすくなるように広々とした空間にされた。
騎士団演習場に隣接された救護棟で受け入れの準備が整い次第、彼もレオンと同じくその救護棟に移されることも決まった。重鎮用の部屋であれば広い上に設備も更に整っている。何より騎士団が常留している為、安全性も高い。騎士団や王族関係者、その客人でなければとても受けられない特別待遇でもあった。そして
今のヴァルには、それを受ける資格があった。
「……お陰で、多くが助かったわ。ありがとう。」
囁くように低めた声で、プライドは聞こえるわけもない彼に語り掛ける。
プライドの言葉に、ティアラとセドリックも同時に強く頷いた。二人をアネモネからフリージア王国に連れて来たのは他ならぬ彼だ。
王居内までの移動、そして表での大きな功績としては国門に迫るラジヤ帝国軍の一網打尽。敵軍を国内に入る前で大幅に減らし、無力化させたことは戦況を大きく好転させた。レオンとアネモネ王国騎士隊がフリージア王国の危機を知ってすぐに駆けつけられたのも彼にある。
更には、プライドが正気に戻りレオンが目覚めてから発覚した重傷の理由。
暴走するプライドからレオンを救出する際にティペットに負わされた。
しかも、ヴァルはその重傷を負ったにも関わらず怪我をおしてレオンを連れ逃亡した。アネモネ王国第一王子の命を救ったという功績は両国にとっても計り知れない。
彼が間に合わなければプライドはレオンを確実に殺していたと、彼女本人から聞かされた時はステイルだけでなく、その場にいる全員が青ざめた。隣国の第一王子を殺したとなれば、取り返しのつかない結果は免れない。
ステイルもそれを思い出し、腕を組んだまま小さく頷いた。ティアラが連れてきた彼が、まさかそこまでしてくれていたとは夢にも思わなかった。
「本当に、……助けられてばかりね。」
貴方には。と、プライドが眠るヴァルの髪にそっと手を伸ばす。
怪我治療の特殊能力だけでなく、部屋に運ばれて来た時には医者による治療も施された彼は衣服も着替えさせられていた。薄い傷は消毒され、顔も汚れは拭き取られたが髪だけは元の硬い髪質と土埃で乱れ固まったままだった。ちくりと髪先の硬さを感じながら、指先で流れにそって何度も撫でる。触れられても全く反応を返さないヴァルは、力の抜けた表情のままだった。寝息も聞こえず、少し不安になって顔を近付ければやっと薄く息を吐き、吸い上げる音が聞こえてきた。
呼吸を確認できた後も顔を離す気になれず、プライドは暗闇に目を凝らしながら彼の顔を覗き込む。
部屋の外で聞いた医者の話では、今はもう命に別状はない。傷自体は深かったが、他には酷い外傷もない。怪我治療の特殊能力も受けた為このまま時間を掛けて眠らせておけば、いつかは目を覚ますだろうと説明された。ステイルに瞬間移動されたセフェクとケメトも、医者からその話を聞きヴァルの顔を確認した直後は電池が切れたように眠ってしまった。
プライドの背後には最初にプライドの護衛に付くことになったカラムとアーサーが控えている。他の近衛騎士達は一度自身の隊で任務と指揮に戻っていた。なるべくヴァルに対しての安否を表に出さないようにするカラムとアーサーだが、二人もまたヴァルの容態を聞いてからはずっと気になっていた。単に知り合いというだけではない。
口にこそできないものの、二人はヴァルが重傷を負う前に何をしていたかを知っている。カラムにとってはアランの命の恩人だ。何故、どうしてアランが助かったのかは未だにカラムもわからない。だが、間違いなく彼らがいなければアランは命を落としていた。
そしてアーサーもまた、ヴァル達が居なければプライドの元に辿り着くのは愚か、救護棟から飛び出すことすらできなかった。プライドも救えず、アーサーは感覚のない右腕と共に一生絶望と後悔を引きずって生きていかなければならなかった。
そんな彼が、その後に重傷で運ばれたと聞けば気にかからない訳がない。今こうしてプライドの背中越しに眠っているヴァルの姿を確認するだけで、自然と二人の顔に力が込もり、険しくなった。奪還戦の勝利条件とは関係なく、彼が〝生きていて良かった〟と心から思うほどに。
感謝も按じる気持ちも、言葉も飲み込み、背後に組んだ拳を握る。
この場で、ヴァルの更なる功績を口にすることは簡単だ。だが、それを誰よりもヴァル自身が望まないことも知っている。
だからこそ、セフェクとケメトも護衛の騎士の目が多いこの場で特殊能力を使おうとは思わない。ヴァルが助かるなら、死なずにいつかは目覚めてくれるなら待とうと決めた。
彼は、誰にも知られない。
前科者であるヴァルは、レオンやセドリックのように自国と共にフリージア王国の歴史へ名を残すことも、ステイルやティアラのように公的に知らされ讃えられることも、アーサーのように表彰されることすらない。
彼の功績、その全てを知る者は少年と少女を除いて誰も居ない。そして何より彼自身が強くそれを望む。
「ゆっくり、……ゆっくり休んでね。皆が、貴方の回復を願っているわ。」
そう囁いたプライドはそっと、毛布の下にあるヴァルの手へ自分の手を潜らせた。
自分より遥かに大きいその手に直接重ね、組むように指を絡ませて握った。彼の反応を祈るようにぎゅっ、と組んだ手に力を込める。それでも、彼から反応はなかった。
無抵抗に握られた手から、とくんとくんと血の脈動だけを感じ、プライドは指に神経を研ぎ澄まさせる。近付けた顔を彼の横に埋め、セフェク達のように椅子に座りながらベッドへ上半身だけを倒して沈める。
至近距離でヴァルの横顔を眺めていると、安堵で力が抜け、頭の輪郭がぼんやりと薄れて意識が遠のき出した。ヴァルと繋ぐ手へ最後にもう一度だけ力を込め、目を瞑る。すぐ隣にある彼の口から薄い寝息が耳に届いた。
微睡みにそのまま身を任せれば、閉じた瞼の向こうからうっすらと陽の光が差し込んだ。暗闇に包まれていた部屋が、薄暗さへと変わっていく。
騎士の一人が白いカーテンを閉めたが、それでも木漏れ日のような明るさは部屋を照らした。
死者を出さず、英雄が再び立ち上がり、一人の王女を奪還した。
辿るべき運命では幸福な結末に何の爪痕も痕跡も残さなかった彼は今、この場の誰もが認める貢献者だった。
長かった夜が、終わりを告げた。
奪還された王女は朝陽と共に眠りに落ちる。
最も深い傷を身体に残し、そして多くを救った配達人の目覚めを待つ為に。
皆が取り戻したフリージア王国を、誰よりも今は彼に見て欲しいと心から願いながら。
名もなき救済者の隣で終息を迎えた。