579.騎士は聞かされ、
「お待たせ致しました、母上。」
レオンと再会した後、私達はステイルの瞬間移動で再び本陣へ戻った。
泣き腫らし過ぎて瞼が重い。擦ったら余計に不細工になると頭では分かっていても、目の違和感と視界の狭さについ目を指で擦ってしまう。
部屋の外に居た騎士のマートが本陣からの呼出を伝えに来てくれたのは、ちょうどレオンの護衛の為にアネモネ騎士団が救護棟へ到着した時だった。
去る間際、優しく私の髪を耳に掛けてくれたレオンは「彼らに会ったらまた泣いてしまうな」と苦笑するように笑っていた。涙で腫らした彼の目が、自分で言った途端にまた滲んでいた。
アネモネ騎士団は、参戦する前にレオンから指示されていた通りに奪還戦が終息するまではフリージアへの援助を優先し続けてくれていたらしい。……つまり、彼らがレオンの元へ来れたということは
「先ほど、通信兵を介して各陣より報告が入りました。ラジヤ帝国軍の完全制圧、我が国の勝利です。」
そう言って優雅に笑う母上は、既に女王の顔だった。
母上の言葉に、私もステイル達も胸を撫で下ろす。一瞬、安心し過ぎて足が崩れかけたけれど、その途端カラム隊長が背後から支えてくれた。ステイルが椅子を用意させましょうかと言ってくれたけれど断る。原因の私一人が寛ぐわけにはいかない。
母上と話を終えたらしいセドリックとティアラも、その場から心配そうに視線を配ってくれた。大丈夫よ、と笑みだけで返してみせたけれど……やっぱり二人とも顔色が優れない。多分私のことを心配してくれているだけが理由ではないだろう。母上と二人がどんな話をしたのかは、私も少しは見当もついている。
私達が瞬間移動で到着した時から、ティアラは胸の前で両手をぎゅっと握ったまま思い詰めるような表情をしていたし、そのティアラを心配するようにセドリックも表情は暗く、どこかまだ頭の整理がついていないかのように瞳の焔が微弱に震えていた。
広間の隅には、アーサーの姿もあった。私達とも、騎士団長達とも離れた位置に跪いていたアーサーは、玉座に座る母上達の正面になる位置に居た。……まるで、裁かれる時のような配置に、気付いた瞬間背筋が凍った。
騎士団長とジルベール宰相の報告によると、我が国の被害は建物の損壊以外は無し。アネモネ王国からも我が国からも死者は出なかった。重傷者すら殆どいないらしい。
国門や国内で捕虜にしたラジヤ帝国軍も、全員拘束を完了。拷問塔の瓦礫撤去はまだ時間がかかるけれど、少なくとも温度感知の特殊能力者が確認した限りは瓦礫の下に生体反応はなかった。アダム達が死んだと判断されたことで、捕らえていた将軍と参謀長も完全に降伏を示したらしい。
それによって、我が国は正式にラジヤ帝国軍から自軍敗北の報告と、正式に和平違反と勝敗に於ける罰則や罰金、捕虜の返還を含んだ条約締結に来るように皇帝へ書状を出すらしい。……指定日までになっても来ない場合は和平解消、捕虜も返さず我が国から今度は本国に乗り込むことになるとの警告付きで。
それを聞いた途端、ステイルが「ならば、今日明日にでも僕から〝送り付けましょう〟」と前に出た。自分の胸を示し、全身から燃えるような黒い覇気を放っていたステイルに、思わず私が肩を震えた。直後にはヴェスト叔父様が「ならば指定日は一ヶ月後になるだろう」と続いた。きっちりラジヤ帝国から我が国までの片道時間だ。
「民の呼び戻しに関しては後始末を終え次第号令を出しましょう。我が国の勝利、と。……プライド。」
ステイルの言葉に頷いた後、母上が私へ視線を投げた。言葉を返しながら姿勢を正して見返せば、女王の顔をした母上から柔らかな眼差しが返ってくる。
「……貴方が〝回復〟したことについても、同様に。ティアラの誕生祭に招いた各国にも書状を出しましょう。第一王女が〝病〟から無事脱したと。」
最初、どういう意味かわからなかった。
口を開けたまま返答できずに頭の中で意味を考えていると、ヴェスト叔父様が説明をしてくれた。
話によると、私はティアラの誕生祭で倒れてからずっと〝急病〟で城に籠っているということになっていたらしい。一部を除いて国内外全てにそう回してくれていた。
実際、アダムの特殊能力にかかっていたから全くの嘘ではないけれど、……つまりこの二ヶ月近くずっと多くの人達に心配をかけていたのだと思ったら、血の気が引いて冷汗が溢れ出す。同時に、私の暴走が知られていないと理解して、情けないことに今度こそ膝が笑ってその場にへたり込んでしまった。心配をかけ続けていたことの罪悪感と、自己中心な安堵だ。今まで出会った同盟、和平国や民にまだ我が王族の汚点は知られずに済んだのだと思うとバランスを保てなくなった。
本当に、あんな醜態ばかり晒していた私をどれだけ母上達は諦めないでい続けてくれたのだろう。国の恥だから隠蔽したと昔の私なら考えただろうけれど……今は、そうじゃないと心から思える。
今度こそ支えもきかずにへたり込んでしまった私を、近衛騎士達やステイルが呼び掛ける。
プライド様⁈姉君!と呼ばれ、なんとか答えたけれど表情まではついていかなかった。ティアラとセドリックも駆け寄ってきてくれて、アーサーも跪いた状態から身体を大きく私の方へ振り返っていた。私を心配してくれる多くの眼差しに、本当に私は護られていたのだと痛感する。
勿論、だからといって何の罰則もないわけではないけれど。
それでも充分過ぎる。民が、王族に失望せずに済むのなら私自身はどうなっても構わない。
失礼致しました、と謝る私に母上は「構いませんよ」と笑み、視線を私から正面へと移した。
「アーサー・ベレスフォード。」
静かなのに響きのあるその声に、ビリリッと肌が震えた。
アーサーも私の方へ振り返った状態から肩を激しく上下させて母上の方へ向き直る。はい、と返しながら僅かに声が裏返ってた。跪いたまま母上を見上げ、張り詰めた背筋は背後からでも緊張の色がはっきりと見て取れた。
母上は、アーサーの顔をじっと笑んだまま見つめた後、ゆっくりと玉座からその腰を上げた。もともと細い母上は、この数日アダムの特殊能力で寝たきりだった所為で余計に窶れて見えたけれど威厳はそのままだった。
確かな足取りで一歩一歩アーサーへ歩み寄るのを父上がそっと手を貸した。それでももうふらつく様子もなく歩く母上の姿に、アーサーだけでなく様子を見守っていた騎士団長達も緊張を走らせた。
アーサーの目前まで立った母上は、跪いたままのアーサーを覗き込むように視線を注ぐ。
「貴方の健闘は先ほどジルベールからも聞きました。……やはり、貴方の決意は変わりませんでしたね。」
そう言って眉を垂らして笑う母上の言葉に、アーサーが喉を鳴らしてから深々と頭を下げた。
一声で返しはしたけれど、大分上擦っていた。何の話かわからず呆けてしまう私を置いて話を進める母上は、目を閉じて音もなく笑った。
「……我が娘、プライドの為に身を呈して下さったことを心より感謝致します。貴方のお陰でラジヤ帝国からの侵攻も知り、騎士団も迎撃と民の被害を避けることが出来ました。」
いえ、自分はと。アーサーから小さく言葉を詰まらす声が聞こえる。
女王である母上からの賛辞に恐縮する様子のアーサーをステイルが睨む。「良いから受けておけ」と言わんばかりの漆黒の眼差しが鋭く光っている。
「貴方は〝女王である私の指示下で極秘に〟操られていたプライドの抑制と護衛に務め、その任を全うした。……後日、改めて褒賞と勲章を与えましょう。」
「えっ…………⁈」
詳しいことはジルベールに任せますと続ける母上と、アーサーの思わずといった声が重なった。
騎士団長達も驚いている様子で目が丸い。私の背後からも近衛騎士達から息を飲む音がいくつも聞こえた。それに反してステイルはほっと胸を撫で下ろしたように肩の力が抜けていた。まだ詳しい事情を私は知らないけれど、……多分アーサーの違反行為を免除するといった話だろう。
アーサーが行ったことが独断ではなく、女王からの極秘の指示であれば問題はなくなる。更にジルベール宰相なら確実に怖いくらい誰もが納得できる理由を作り上げてくれる。
その証拠に、母上からの指示に「お任せを」と頭を下げるジルベール宰相はにっこりと笑っていた。するとアーサーが慌てるように「いえっ……‼︎じ、自分はっ……」と女王の前だからか必死に抑えた声で異議を唱え出す。多分アーサーのことだからちゃんと罰は正式に受けるつもりだったのだろう。
「ッお気遣い頂き、大変有難く存じます。ですがアレは全て自分の勝手な独断で」
「貴方が望むのならばすぐにでもプライドの近衛騎士、並びに騎士の称号を返還しましょう。」
「………………………………。」
母上の言葉にアーサーが一瞬で黙殺された。
ピキンッ‼︎と身体の端まで固まって、言葉を無くすアーサーにステイルが可笑しそうに笑んだ。
私は私で騎士の称号返還、という話にまず没収されていたことを初めて知ったからそれどころじゃなかったけれど。
思わず背後を振り返り、説明を求めるように視線を投げれば、カラム隊長もアラン隊長もエリック副隊長も私に向けて苦そうに笑っていた。ハリソン副隊長だけがアーサーと母上の方へ目を紫色にキラキラと光らせている。
「……あ、りがとうございます……。有難く、お受け致します。……っ……。」
まだ葛藤しているように、肩をピクピク震わせながらアーサーが頭を下げる。
それを見て騎士団長が敢えて顔に力を入れているように険しい表情をする中、副団長は無言のまま口元が緩んでいた。多分、騎士団長も表に出したくないだけで心中は副団長と同じなのだろうなと思う。アーサーの声だけが苦渋の決断のように萎れている。
すると母上が優雅に腰を落とした。その動作の優雅さ一つ一つが魔法でもかけるかのようで見惚れてしまう。そのまま手を伸ばし、頭を下げたアーサーの頬にそっと触れた。
「貴方がプライドの騎士として、己が身を顧みず戦い続けていたことはこの場の誰もが認めています。胸をお張りなさい。全ての民が、貴方を讃えるでしょう。」
最後の言葉を聞いた途端、顔を上げたアーサーから尋常じゃない緊張が走った。
アーサーだけじゃない、この場にいる全員が息を飲む音で広間内が一瞬だけ騒ついた。さらりと言い放った女王の発言にステイルまで目を見開く。
まさか、それは。と言葉にせずとも、既に誰もが女王の言葉の重さとその意味を理解する。明言こそしないけれど、さっきの話から考えてもそういうことなのだろう。
アーサーへ授ける勲章式の規模がどんなものになるかは想像に難くない。少なくとも数人の見届け人や騎士団の前で行われる〝程度〟の授与式ではないだろう。
騎士団長と副団長も目が転がりそうなほどに見開いていた。父上やヴェスト叔父様は既に知っていたのか、予想がついていたように落ち着き払っていたけれど、ジルベール宰相は凄く嬉しそうだった。笑んだ薄水色の瞳が柔らかく光を放っている。
「いぇ……ぁ、の」
アーサーがまた何かを言おうとしたらしく小さな一音がぽこぽこ聞こえたけれど、もう言葉にもなっていなかった。
口をパクパクさせている姿が背後からでも想像つく。母上はそれににっこりと薔薇ような笑みで返すと、アーサーから身体を起こし、くるりと背中を向けて玉座へ戻ってしまった。置いてかれたアーサーが、完全に石像になっている。……うん、無理もない。




