578.騎士団長は、居なかった。
「……だが、本当に良かったよ。プライド様を取り戻せたのは大きい。騎士団としての功績以上の幸いだ。」
穏やかな声が騒めき立つ周囲の声に紛れて放たれる。
言葉を掛けられた相手はそれに重々しく頷いた。そうだな、と言葉を返しながら腕を組む。
彼らが並んで歩く姿を目撃した騎士達が、次々と礼をする。王居を守っていた九番隊が拷問塔へ向かうことになってから、その九番隊の穴を埋めるべく王居には各隊の騎士達が集っていた。その騎士の誰もが声を上げ、何故ここにと思いながら彼らへ目を丸くする。
何か問題が起こったのかとも過ぎった騎士もいたが、その前に彼らは手の合図で先の任務へと促した。
「ロデリック。……アダム皇太子達がまだ見つからないのが不安か?」
口だけを動かして尋ねる副団長のクラークは、また他の騎士達へ軽く手を振った。まだ任務が完了していない今、安易に彼らを労うことはできない。
行き交う騎士達に問題ないと合図を返しながら、彼らは歩み続ける。周囲に目を配るクラークに反し、騎士団長のロデリックは低く唸りながら正面のみを捉えた。
「油断はできない。……爆破に紛れて逃げた可能性もある。」
ラジヤ帝国の人間は全員捕らえるか、無力化できた。
奴隷にされた特殊能力者も全員保護することができた。人質にも近かったプライドを取り戻し、透明化の特殊能力者であるティペットもアダムと共に自爆したことが確認されている。だが、死体を見つけられない限り安心できないとロデリックは考える。
拷問塔展望台の瓦礫撤去作業は続いているが、あの規模では少なくとも原型は留めていない。ならば、余計に完全に安心できる日は遠いだろうと覚悟する。
しかも、ロデリックの頭を悩ますのはそれだけではない。
「……ティアラ様の。あれには私も驚いた。」
また頭の中を覗いたなと、ロデリックは横目で口を開いたクラークを見る。
変わらず騎士達へ手で「気にするな」指示を投げながら、人払いでもしてるかのように彼らを送り出す。顔こそ穏やかに笑んでいるが、その声は低く潜めていた。
第二王女である、ティアラの告白。
それは通信兵からの映像を女王であるローザ達と見ていたロデリック達にとっても衝撃だった。
プライドだけではない、ティアラにも予知能力があることが判明した。それがどれほどフリージア王国を揺るがす重大事か。
ハナズオ連合王国の王弟であるセドリックがティアラに協力し続けたことも気になる。騎士達からの報告では、彼らを保護しようとした騎士を腕付くで払い除け逃走し続けた。彼が一体〝どこまで〟知っていたのか、それだけでも今後のセドリックの立場は大きく変わるだろうとロデリックは思う。
更には、フリージア王国の精鋭である騎士がセドリックを止められなかったことも未だ疑問だった。一年前のセドリックの活躍はロデリックも騎士達から聞いて知ってはいた。保護対象者である相手に騎士達も本気は出せなかったことも理解している。だが、それでも王子一人を騎士達が誰も止められなかったことは疑問でしかない。一体ハナズオ連合王国で、どんな戦闘訓練に携わったのかと聞いてみたくもなる。
そして彼が騎士達を払い退けてティアラを塔の上まで導いたからこそ、今の結果がある。……しかし
プライドの反乱、ティアラの予知能力。
プライドを奪還できたことは、ロデリックも心から喜ばしい。プライドとその心を失うことは今や騎士団のみならず、フリージア王国にとっても甚大な損失でしかない。そして自分自身もまたプライドを失えば冷静でいられる自信はなかった。それほどに彼女の存在は大きい。
しかし、同時に新たな波紋が彼女達の元に迫ろうとしているのではないかともロデリックは危惧する。
「だが、そう全てに気を揉むな。……時には、朗報に目を向けることも必要だ。」
「………………………。……………プライド様の、奪還は私も心から喜ばしいと思っている。」
せっかくクラークが遠回しに言ったにも関わらず、無骨な返事だけが返ってくる。
まったくお前は!と、呆れ笑いを浮かべながらクラークはロデリックの背中を叩く。強めに鎧の手のひらで叩かれ、軽く響く程度の音がなる。だが、それでもロデリックは眉間に皺を寄せたまま無言だった。
クラークが言いたいことはわかってる。しかし、まだそれを正直に受け止めたくはなかった。クラークもロデリックのその気持ちもわかっているからこそ、敢えて明言はしない。
「送迎を終えたら、すぐに指揮に戻らなければ。状況がいつ変わるかわからん。」
「……そうだな。陛下直々の私達への勅命だ。先ずはこれを完遂させることを考えよう。」
ロデリックの硬い言葉にクラークも頷いた。
二人で歩み続け、とうとう目的の場所まで辿り着く。軽く見回しただけではその場にいるのは今のところ騎士達だけだった。少し早かったか、とクラークは呟きながらそこを守っていた部下に手をあげる。
守りを固めていた彼らは、騎士団長と副団長である二人に礼をして背筋を張り詰めた。お疲れ様です!と、声を上げる騎士達にロデリックも応える。
「これから少し、私とクラークもここで待つ。……要人の迎えだ。」
ロデリックの言葉に騎士達はピリピリと電流が走る。
奪還戦後の〝要人〟……つまりはそれだけ極秘の存在ということになる。騎士団でも知れるのはロデリックとクラーク二人のみという事実が、どれほどの重要人物なのかを物語っていた。まさかラジヤ帝国の大将かそれとも、と顔色を深刻に変える騎士達にクラークが「いや、大丈夫だ」と笑いながら言葉を続けた。ロデリックの言葉が重過ぎると理解し、騎士達を安心させるように補足する。
「陛下の客人らしい。私もロデリック二人でお迎えするように言われただけだ。恐らくはアネモネ王国のー……、………………⁈」
クラークの言葉が突如止まる。
騎士達へ向けていた目が丸く開かれ、笑った口のまま固まった。騎士達もクラークの変化に気付き、その視線の先である自分達の背後を振り返った。剣や銃に手を添えたが、遠目に見えるその影にすぐ警戒を緩めた。
一人の騎士が、駆けて来る。
夜中で姿もまだはっきりとは見えないが、揺らすその団服のシルエットだけは間違いない。
どこの隊の騎士かと考え、彼らは目を凝らす。姿と隊番号を確認するまでは偽装の可能性も鑑みる。騎士達は身体ごと振り返り、近づいて来る騎士を正面から迎えるべく改めて身構えた。足の速いその騎士は、みるみる内に肉眼で顔が捉えられるほどに近付いてくる。そして、月明かりに照らされた長い銀髪が揺れているのを確認した瞬間、騎士の誰もが目を疑った。
「アーサー、隊長……⁈」
騎士の一人が、掠れかけた声で呼び掛けた。
すると近付いてくるその影は間髪入れず「お疲れ様です‼︎」と当然のように声を上げた。
月明かりが逆光し、駆けてくる騎士からは王居の門に並ぶ彼らは輪郭しか掴めない。更に足を早め、挨拶した先の騎士達の顔を確認しようとしたところで、…………足が止まった。
「…………騎……士団長、……副団長まで……。」
なんで。と、アーサーが絶句する。
騎士団長と副団長である二人が、何故本陣ではなく王居の門前に居るのか。心の準備が全くできていなかったアーサーは門前の数メートル手前で固まってしまった。
ぽかんと口を開け、掛けていた腰の剣から手がブラリと滑り落ちる。走ってきたのとは別の理由で息が切れ、鼓動までもが激しくなる。両足が縫い止められたように動かないアーサーは、目だけで何度も繰り返し交互にロデリックとクラークを見返した。
アーサーを呼び掛けた騎士も状況の整理に頭が追いつかない。その間にロデリックとクラークは無言のままゆっくりと門前からアーサーへと歩み寄る。
騎士達は二人の背中に続くべきとも考えたが、敢えてその場から動かない。万が一に備えて武器こそ構えるが、息すら殺してアーサーへ近付く二人の背中を見守った。
「おっ……、つかれ様です……。」
アーサーの声が一気に口籠る。
違反者である自分がこの場で二人に会ってしまったことに後ろめたさを感じ、思わず一歩後ずさる。
一メートルほどの間を置いて二人は立ち止まった。瞬きもせずにアーサーを見つめたまま、月明かりに照らされた彼を頭の先から足先まで確認する。そして最後にはその右腕を穴が空くほどに凝視した。
「……本当に、…………本当にアーサーか……?」
右腕は……⁈と、珍しく抑揚のない茫然としたと共に近付いてくるクラークにアーサーが肩を上下する。
今までも何度も問われ、疑われた。そして目の前の二人にまで疑われてしまっては堪らない。
この場で偽物と思われて、再びあの殺気を向けられてしまったらと考えると一気に背筋が冷たくなった。急き立てられるように自分の胸を叩き、声を張る。
「ッ自分です‼︎八番隊のアーサー・ベレスフォードです‼︎救護棟から独断で逃走しまし……た。…………。……勝手な行動をして、申し訳ありませんでした……。」
最後だけ声を低めたアーサーは、視線を落とす。
頭をペコリと下げ、父親と同じ色の長い髪が前に垂れた。アーサーの言葉とその仕草に、じわじわと確信が増す。鎧の下の手の平が湿り、無意識に二人は拳を握った。
ロデリック達から返事が返されないことに、頭を下げたままのアーサーはまだ疑われているのかと心中で焦り出す。二人の他には傍に騎士達はいないことを再度確認し、顔を上げる。目だけを強めに鋭くし、声を潜めて言葉を重ねた。
「……父上、クラーク。ジルベール宰相の部屋ン時は……すみませんでした。フード被ってたのも俺で、…………二人ともすっっっげぇ怖かったです。」
ロデリックへの敬語とクラークへの言葉が混ざり、更に普段の彼らしい声が放たれる。
アーサーの言葉に、やはり最上層部を治したのは彼だったのだと二人は理解する。喉を鳴らし、拳を震わした。つまり、今目の前に居るのは間違いなく─……
「あっ‼︎……み、右腕は、その、言えないンすけど、っつーか左腕とか他の怪我も絶対言えなくて‼︎けど、そのっ……、……………………治り、ました。」
やっと一番の報告すべきことを見つけたように声を上げる。
話しながら自分の腕を叩いて示し、回して動かし、手を閉じて開いてを繰り返す。慌てたように自分の完治を証明し、……最後の一言だけは、気が抜けたような丸い声になった。
まるで、いまやっと実感が沸いたかのようにアーサー自身も自分の右腕に視線を落とす。再び閉じては開き、当たり前になっていたその感覚を確かめる。言葉にした途端、今まで張り詰めさせていた緊張感が切れていく。
アーサーが、笑う。無邪気な、砕けた笑みを二人に向ける。口を開き、眉を垂らし、力の抜けた表情のまま、また蒼い瞳が潤み出す。
「…………治りました。」
ぽつり、とまた呟いた。
泣き出しそうな顔で笑う彼は、間違いなくアーサーだった。
途端、クラークが最初に駆け出した。「アーサーッ‼︎」と、目の前にいる彼がアーサー本人であることを確信し、力一杯その腕でアーサーを抱き締める。
突然クラークに飛びつかれ、勢いのままに大きく仰け反ったアーサーだが、すぐにクラークの背中を抱き締め返した。
良かった、良かったと嬉しそうに声を上げ、堪らずアーサーを抱き締めたままその背をバンバンと何度も叩いた。鎧を着込んでいないアーサーは、遠慮のないクラークの手に「あだっ!」と一度声を上げたが、それ以上は堪えて文句は言わなかった。今は自分の事のように喜んでくれるクラークの気持ちの方が嬉しかった。
「見ろロデリック!間違いなくアーサーだ!」
一度離れ、抱き締める代わりにアーサーの肩に腕を回す。
クラークはそのまま反対の手で今度はアーサーの胸をバンッ‼︎と示すように叩いた。また大分痛い一撃だったが、思わず睨んでクラークの顔を見た瞬間、一気に頭から不満も消えた。満面の笑みを浮かべるクラークが、その目に涙を滲ませているのに気付いてしまった。
ぐっ、と気付いてしまったことに口の中を噛んで堪えたアーサーは、一度目を逸らす。兄のような存在でもあるクラークが、そこまで喜んでくれたということが気恥ずかしく、そして泣きたくなるほどに嬉しい。
「アーサー……。」
とうとうロデリックが低い声と共に歩み寄る。
重そうな足取りで近付いてこられ、アーサーの背筋がビシッと伸びる。指先まで真っ直ぐ身体の横で伸びてしまい、肩にも力が入る。はい……‼︎と言いながらも、全身がパキパキと強張っていった。
眉間に皺を深く刻み、怒っているようにも見えるロデリックの姿は逆光の中では余計に威厳が増した。更に闇の中で自分と同じ蒼い目だけが深く光って見える。まさかこの場でぶん殴られるんじゃないかと、半ば本気でアーサーは思いながら眼前で立ち止まったロデリックを見返す。喉を鳴らし、自分より未だ身体も背も上回る父親を見上げた。怒鳴られるかとも思ったが、ロデリックの肩が、そして腕が動き出した瞬間、耳よりも反射的に歯を食い縛る顎に力を込めれば
強く、抱き締められた。
「ッ…………アーサーッ……‼︎」
ぐっ……、と力を込められた瞬間、耳元で父親の声が掠れた。
驚き、目を見開くアーサーは最初反応ができなかった。がっしりと抱き締められ、至近距離から父親である騎士団長の息を引く音までがはっきり聞こえてしまう。
言葉にならないようにそれ以上何も言わないロデリックからは、歯を食い縛る音だけが漏れてきた。
アーサーの頬に自分のものではない涙が滴り落ちる。その瞬間、目の前にいる父親が泣いてくれているのだと彼はやっと理解した。胸が痛くなり、それ以上に温かい。自分の身体が冷たく感じ、それ以上に抱き締めてくれる父親の存在が温かかった。
ロデリックの、背中が丸くなる。肩を震わし、その腕に間違いない我が子を抱き締める。
アーサーが最上層部の病を癒した時から、フードの男がアーサーであることはロデリックもクラークも予想はできていた。だが同時に、アーサーの腕が取り返しがつかない状態であることも嫌という程わかっていた。
そんな筈はない、と。
少しの希望を抱くクラークに反し、ロデリックはその目にするまでは敢えて認めようとはしなかった。
騎士団長である自分が、私情に振り回されるわけにはいかない。冷静に判断し、任務を遂行することこそが役目だと。全てが終わるまで自分の感情にも蓋をした。
アーサーが重傷を負ったと知ってから。そして、……右腕を奪われ、騎士生命を失ったその時から
私情を殺し、嘆きはしないと決めていた。
嘆き、打ち拉がれるのは王族を救出し、国を守りきり、プライドを奪還し全てを収束させてからだと。騎士団長である自分が嘆き、折れてしまえばそれはそのまま騎士団全体の士気にも関わるのだから。
アーサーの父親でもあるロデリックが、騎士団長としての威厳も覇気も変わらず振る舞い続けたからこそ、騎士団は一丸となって奪還戦を成功させることができたといっても過言ではない。それほどに騎士団長の存在は大きい。騎士団の要なのだから。
本陣で最上層部の護衛と、各陣への指揮を執る間も何度か通信兵からロデリックとクラーク宛てに目撃情報も告げられてはいた。アーサーを見かけたと。右腕が健在だった、城門に向かって走っていた、城門でカラム達やハリソンと話していた、拷問塔に走っていったと。
その報告を聞く度に冷静に一言だけ返し、偽物ではないか注意するようにだけ投げ掛けた。確認しようにも、八番隊がレオンを運んで来るまで彼の救護棟には通信兵すら居なかった。その後もアーサーの護衛をしているマートに尋ねたが、約束をしていた彼は異常なしの一言だけを残し続けていた。アーサーが出て行ったなどと言えば漏れなく治った経過から言わなくてはならなくなるのだから。その為、ロデリック達にはアーサー回復の確証は今の今までどこにもなかった。
拷問塔から送られてきた映像には、アーサーらしき影と似た声もした。だが、偽物の可能性も充分ある。騎士の団服を着た別人の可能性も同様に。
月夜の下では、アーサーだと確信を持てる姿はどこにも映らなかった。何度か「アーサー」と名が聞こえたが、それすらも遠目からの視点では声も聞き違う程度だ。
要らぬ期待を持たないように、平静を保ち続けられるようにロデリックは全ての可能性を否定し続けていた。
冷静に考えれば、アーサーの怪我は現段階で完治は不可能。右腕に至っては一生感覚を戻すことすら難しいものだった。にも関わらず完治するなど絶対にあり得ない。
偽者か、別人か、……最悪の場合、何らかの特殊能力で無理矢理身体を動かして救護棟から逃げ出したのではないかともロデリックとクラークは一度考えた。
理由も原因もわからない。一体何の奇跡かとも尋ねたい。だが、今最も確かで、疑いようのない現実がここにある。
アーサーが、騎士として戻ってきたのだと。
ロデリックも、そしてクラークでさえも完全に諦めた。
もうアーサーが騎士には戻れない、元の生活にすら戻れない。
あれほど才能を開花させて騎士隊長まで上り詰めた息子が、七年前から騎士を目指してくれた息子が、……いつか自分の騎士団長の椅子を譲ろうと、越えてみろと語り聞かせた筈の息子が、その未来を間違いなく奪われた。
表に出さずとも、その事実はアーサーが救護棟に運ばれた時からロデリックを嫌でも蝕んだ。喉も胃も圧迫されるような痛みに満ち、一瞬でもその事実が頭を過れば肺が締め付けられた。
今日までの間、一人でいる時に気を抜けば目眩や額を打ち付けた回数も少なくない。国の危機でなければ酒に逃げた可能性すらある。平静を保とうとすればするほどに表情筋が強張り顔からは険しさが消えなかった。ベッドで自分一人の力で起き上がる事もできないアーサーの姿を思い出せば、それだけで心臓が止まる感覚すら覚えた。
生きていてくれた、目を覚ましてくれた。その目から光を失っていない。それだけで充分だろうと何度も自分に言い聞かせた。それでも、……何よりアーサーの気持ちを考えれば余計に血を吐きたくなるほどに全身から痛みを発した。
だが、今彼は確かに此処にいる。
あそこまで重傷を負っていた、一度は生死を彷徨った彼が今は騎士の団服を羽織って自分の足で立ち、目の前にいる。
ロデリックが騎士団長として今まで耐え、背けてきた希望がそこにはあった。
騎士として、任務中に泣くなどあってはならない。だが今だけは耐えられない、耐えられるわけがない。目の前の奇跡を抱き締め、その鍛え抜かれた両腕で確かめた。
消えず、抜けず、確かに自分の腕の中にいるアーサーの存在に肩を震わせるロデリックの背を見守りながら、クラークは本陣での言葉を思い出す。
『では騎士団長、副団長。〝くれぐれも〟宜しくお願い致します』
ステイルがプライドを連れて瞬間移動する直前に語った言葉だ。
〝要人の迎え〟……てっきり救護棟に運ばれたレオンの代理の代表者かアネモネ王国の騎士団長かと考えた。だが、今ならばわかる。あの時、女王であるローザに自分達二人をわざわざ迎えに指名させたことも、敢えて要人の名を伏せたのもステイルの計らいだったのだと。
アーサーへの迎えにロデリックとクラークを派遣する為だけに、代わりに置く九番隊の騎士を十人もステイルは塔から本陣へ瞬間移動させたのだから。
表にいくら出さなくても、ロデリックとクラークがアーサーの負傷に胸を痛めていたのは誰もがわかっていた。
ハリソンを止めたカラムも、アーサーがロデリック達に会わない方が良いという意見に「一理ある」と肯定した。アーサーが本陣へ来ては迷惑という意味ではない。
ロデリックが騎士団長として王族の前に立っている最中で、今のアーサーの存在はあまりにも耐え切れるものではないと思った。
そして今も、敢えて王居の門前に控えていた騎士達もロデリック達を追わなかった。アーサーの健在な姿に彼らも驚き、本当ならば駆け寄って喜びたかった。だがそれ以上に
騎士団長が〝それ〟に戻る瞬間を、妨げたくはなかった。
「………………父上。」
ぽつり、とアーサーは呟く。
息を詰まらせ、自分の頬へ涙を落とし続ける父親へ。
自分の成長を常に喜び、騎士の頂で成長を待ち続けてくれた騎士団長へ。
彼がどれだけ自分に胸を痛め続けてくれたのだろうと、今更になって理解する。
子どもの頃から憧れだった父親が、昔よりも遥かに近く感じられた。手足が重く、胸が痛い。
苦しそうに咽び泣く父親の熱に、気が付けば自分の視界までぼやけ出す。目頭が熱くなり、頬で上から降る涙と混ざり、顎を伝う。ヒリつく喉を鳴らし、顎を上げて鼻を啜り鳴らした。震えるその肩に自分からも手を伸ばし、正面からロデリックを抱き締め返す。子どもの頃は届かなかった父親へ簡単に腕が届いてしまった。
そして、アーサーは言葉にする。既に泣き疲れ、嗄れていたその喉で言葉を紡ぐ。他でもない、ロデリック相手だからこそ言うべき言葉を。
「…………ただいま。」
丸い言葉に、ロデリックはしゃくり上げかけた呻きを咬み殺した。
息を引き、飲み込み、食い縛り耐え続ける。それでもやはり目の前の奇跡に涙が止まらない。すぐには言葉を形成できず、情け無いことに腕の力だけでアーサーの言葉に応えた。
絞め殺すつもりかと思うほど、屈強な鎧の身体で抱き締められたアーサーは本当に圧死するかと少し思う。それでも変わらず、自分もまたロデリックの背中へ力を込める。
暫くすれば月が流れる雲に隠れ、ひと時だけ闇に包まれた。門前の灯だけがうっすらと照らす中、アーサーは確かに聞いた。
「……ッ、…………おかえり……ッ。」
ロデリックの珍しく弱々しい声と、思ってもいなかった返しにアーサーは大きく目を見張り、そして瞑る。
誰も、見なかった。騎士団長の咽び泣く姿など。
月を雲が隠し、夜に溶け、灯りも遠く、影しか見えない中で。城内を行き交い通りすがった騎士達も、王居の門前で佇んだ騎士達も、友であるクラークも、〝誰も〟見なかった。
奇跡のような生還を果たしたアーサーを抱き締め、声を殺して泣き続けていたのは騎士団長ではなく
一人の〝父親〟だったのだから。
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