575.本陣は受け入れる。
「母、上……。…………っ。」
アーサー達に見送られ、ステイルの瞬間移動で本陣へと戻った私達はすぐに迎えられた。
アダムに私が襲わせ、発狂させられていた母上達は、騎士隊が拷問塔へ向かう前に目を覚ましたのだとステイルから聞いた。……目を覚ませた理由は、一人しか思いつかない。
本陣に瞬間移動してからステイルの背後に引いて背中を丸くしてしまった私とティアラだけれど、ステイルがその場を引く前に父上の方から両手を広げて飛び込んできてくれた。
護衛の騎士やセドリック達がいる目の前で。
本当に、本当に躊躇いないくらいにすぐに。その場から引こうとしたステイルも捕まえて、顔を上げることもできなかった私とティアラを三人纏めて抱き締めてくれた。
驚いて顔を上げてしまえば、父上の目からもう涙が伝っていて。こんなに間近で父上の顔を見るのも久々だと思うと同時に、……昔から変わらない父上の吊り上がった目と優しい泣き顔を見たら込み上げた。
父上、父上と私もティアラも謝罪より先に父上の背中に掴まって抱き締め返してしまう。泣いて、嗚咽が出そうになった時にやっと「ごめんなさい」が出る。
良かった、と繰り返して泣いてくれる父上に、私もティアラも涙が止まらない。ステイルもまた一緒に抱き締めてくれて、父上の腕の中に囲われたまま覗いて見れば彼からも溢れるような笑顔が見えた。
気がつくと、ヴェスト叔父様もそっと駆け寄ってきてくれていた。……私と、ステイルと、ティアラと。順番に怪我はどうだと頬に触れて覗き込んでくれる。
父上に抱き締められたままでもわかる私やステイルの怪我を見て、痛々しそうに顔を歪めながら頭を何度も撫でてくれた。「辛かっただろう」と本当に心から心配するように言ってくれてまた嗚咽が溢れた。
そうして暫く抱き締め続けてくれた父上が、途中で振り返ったと思えばそっと私達から腕を緩めた。私達も合わせるように手を離して、目を拭おうとしたところで……止まった。
母上が、信じられないくらい強い眼差しで私達を見ていたから。
父上の背中から覗かせた母上は、薔薇のような唇をきゅっと結んでいて柔らかな目元はいつものように化粧もされていなかった。それでも女王としての気品と威厳は変わらない。この国の真の女王。……私が、玉座から引き摺り下ろした人は、凛とした背筋で胸を張り、金色の瞳を見開いていた。白くて細い両手で胸を押さえ、震わせ、雪のように白い肌の顔を紅潮させて
目にいっぱいの涙を溜めていた。
ティアラにも似た泣き方に、やっぱり母上なのだなと思う。そして、私の母親だ。
父上が母上へ促すように前を開ける。ふらり、ふらりと歩み寄ってきてくれた母上はすごく躊躇いがちだった。
女王として、操られていたとはいえ反乱を起こした私か、それともティアラの違反行為か。そう思いながらティアラと並んで口の中を飲み込めば、次の瞬間には母上は少女のような泣き顔で私達に腕を広げてきてくれた。
父上のように母上も細い痩せ細った腕で力なく私とティアラ、そしてステイルを抱き締めてくれ、……思わず身体が強張った。
まだ力が入らないかのように私達に回す腕は父上ほどの力強さは無い。その上、カタカタと小刻みに震えていた。真ん中に立っていた私の肩に顔を埋めた母上に、その香りに懐かしさが溢れ出た。女王である母上が、騎士達の前でこんな姿を見せるなんて思わなかった。
「……っ、……貴方を、…っ…また、見失ってしまっ……ごめんなさいっ……‼︎」
耳元で、小さく上擦り気味の声が囁かれる。
喉が鳴るのを押さえるように堪え、泣いてくれる母上から直接身体の震えが伝わってきた。あんな酷いことばかりした私に、王女として酷い醜態ばかりを晒した私に謝ってくれる母上は本当に〝母親〟だった。
「母上」と呼びながら、その温もりと言葉に思わず茫然としてしまう。
さっき、父上やヴェスト叔父様と一緒に駆け寄って来なかったのは、私達に怒っていたからじゃなかった。きっと、ずっと躊躇ってくれてたその理由は
私の、所為だ。
「……母上の予知は、間違っていませんでした…。……また傷付けてしまってごめんなさい……っ。」
また、母上が責を負ってくれている。
私が、アダムに操られているのだと気付くのに遅れたことを、きっと。私達に触れることを躊躇ってしまうくらいに。
……わかるわけがないのに。私だってずっと気付けなかったのだから。十年後を予知していた私すら、誰かの仕業ではなくただゲームの設定で元に戻ってしまうのだとしか思わなかった。
「っ……あんな、酷い私を……見捨てないでいてくれてありがとうございます……っ……母上……‼︎」
そこまで口にしたら、涙が溢れたままに喉まで痙攣し始めた。
肩に埋まった母上の頭を私から抱き締め、引き寄せる。その途端、母上の震えが酷くなった。するとステイルとティアラが母上を支えるように左右から強く抱き締め返してくれた。私からも母上の頭を抱き締める手に力を込める。
ちゃんと、覚えてる。
離れの塔に移動させられる前から、女王である母上自ら何度も私に会いに来てくれた。
酷い言葉を重ね、捻り続ける私に母上も父上もずっと耐え続けてくれた。顔色を悪くして、苦しそうに顔を歪めながらそれでもずっと私に呼び掛け続けてくれた。もう、親子の縁どころか独房に入れられても仕方ないくらい酷いことを繰り返した私を、……必死に説き続け、ちゃんと向き合ってくれた。
母上を抱き締めながら、こんなに私を想ってくれる家族が居たのに死を選ぼうとしてしまったと胸が引き絞られる。ティアラが見せてくれた予知でも、あんなに、あんなに悲しんでいてくれていたのに。
今にも崩れそうな母上を、そっと父上が背後から肩に手を添えるようにして引き寄せた。私達から柔らかく離れ、涙で腫れた顔を隠すように両手で顔を覆う母上が父上の胸に寄りかかる。抱き寄せた母上の肩を撫でながら、父上が目だけで「大丈夫だ」と私達に告げてくれた。
そして吊り上がった眼差しをそのまま私達へ指し示すように後方へと配った。私達も釣られるように顔を上げ、……息が詰まる。
玉座の横で、ジルベール宰相が音もなく泣いていた。
ジルベール宰相、と呼ぶのも口の動きしかできない。
今度は私の方が近付くのも躊躇った。胸を両手で押さえつけながら唇を噛み締めて、……さっきの母上と同じ仕草をしてしまっている自分に気付く。
するとティアラが私の背を押してステイルが手をそっと引いてくれた。言葉に出さなくても「行きましょう」と言われているようで、一歩一歩躊躇いながらジルベール宰相へと歩み寄る。
私達が本陣に来てから、……いやもしかしたらそのずっと前からジルベール宰相は足を縫い止められたように動けないようだった。
玉座の横。いつも父上が立つその背後の位置に立ったまま、顔を両手で覆っていた。両手に枷を嵌めて泣き続ける姿は本当に痛々しくて。いつも綺麗に伸びていた背中がまるで老人のように丸まっていて、薄水色の髪が垂れて更に顔を横からも隠していた。顔を覆った指の隙間からポロポロといくつも雫が落ちていて、目の前まで来ても声が掛けられない。
ステイルとティアラが殆ど同時に軽く掌で私の背を叩く。ポンッと促され、胸を押さえる手に力を込めてから今度こそ彼に声を掛ける。
「っ……ジ、ルベール宰相……っ、……本当に、……っ。本当に……」
ごめんなさい。
……その言葉すら、言うのがずるい気がした。
私は今まで、どれだけ酷いことを彼にしただろう。単に枷を掛けただけじゃない。敢えてジルベール宰相を傷付けることを沢山言って、私の為に心さえ痛めてくれた彼を嘲笑って更に苦しめた。城の中で彼がどれだけ私の為に尽くしてくれただろう。
言葉に再び詰まってしまう。私が謝れば、彼がどう答えてくれるかわかるから。
私の呼び掛けに、目に見えてジルベール宰相の肩が大きく上下に震え出す。何かを言おうとして、嗚咽が喉に詰まったように言葉ではないものが漏れ出した。
すると、ステイルが先に口を開く。「ハリソン副隊長」と背後に呼び掛けた途端、私達の横に風が吹く。黒い影が一瞬見えた気がしたけれど、ガチャンッという短い音と同時に消えた。
ジャラララッという音と共に、ジルベール宰相の枷が鎖に引き摺られながら上等な絨毯の上に落ちた。軽くなったその腕に、ジルベール宰相の顔が俄かに上がる。私がローブちゃんに付けさせた特殊能力の枷からやっと解放された。
ジルベール宰相が特殊能力を使えば、ステイルを子どもの姿にして枷から抜くことができるかもしれない。何より、立場を理解させて私と敵対させるにも丁度良いとそう思って私が付けさせた。……そんな、理由で。
こんな、優しい人に。
気が付けば、言葉より先に手が伸びた。
痕こそ残っていないけれど、ずっと枷を嵌められていたジルベール宰相の冷たい手首に触れる。指の隙間から滴る涙が伝って湿っていた。痛かっただろうか、重かっただろうか苦しかっただろうかと、そう思うだけで胸が締め付けられる。
こんな姿じゃ、奥さんのマリアやステラにも会えなかっただろう。それだけじゃない、私は彼の家族ごとフリージア王国を戦火に巻き込んだのだから。
あれから五年。今度こそ私は私の手で彼を苦しめてしまったのだと思い知る。
触れられたことで、ジルベール宰相が濡れた眼差しをとうとう私に向ける。弱り切ったその表情に五年前を思い出した。
ごめんなさい、とまた言葉が喉で詰まってしまう。掴む彼の手首に少し力を込めて、私の熱で温める。
ジルベール宰相が息を引くように唇を歪める。薄水色の切れ長な瞳を垂らし、涙を溢れさせながら私の手を掴み返してくれた。貴重品を掴むような力で、肩と同調するように掴んでくれる指まで震わせて。
「っ……っっ……、……ぉ、待ち……して、おりましたっ……‼︎‼︎」
〝プライド様〟と。掠れる声で、最後は途切れ途切れに言葉をくれた。
嗚咽が強まり、咳き込むようにジルベール宰相がまた涙を零す。五年前と同じ弱々しいその姿に堪らず彼の丸まった背中に腕を回し抱き締める。
掠れさせたその言葉に、心臓も胃も全てが掻き乱された。涙と一緒に色々なものが込み上げて、とうとう濁った声で「ごめんなさい」と言葉が口から零れてしまう。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいと。本当に子どもみたいにその言葉しか出なくって。ジルベール宰相に犯したことを思い出せば出すほど辛くて自分が許せなくて堪らない。
「……っ、……ド、……まッ……」
込み上げたような音の後、ジルベール宰相から私を包むように抱き締め返してくれた。
私の無事を、この場に生きていることを確認するように強く、それ以上に優しく抱き締めてくれたジルベール宰相が私の頭の上で涙を降らす。今にも崩れ落ちてしまいそうなジルベール宰相は、それでも私を抱き締める腕を緩めなかった。
「っ……思い留まっ……下さりッ、……っっ……ありがとございます……!」
嗚咽が酷く混ざりながら言ってくれたジルベール宰相の言葉に、私まで腕の力が強まった。
私があの時、本当に自分で死んでしまったら間違いなくジルベール宰相のことも今以上に傷付けたのだと思い知る。そう思ったら、あの時の言葉が釣り針のように引っかかり血を滲ませた。
『私は、……貴方様に会えて幸せでした。たとえこの先に何があろうとも。何千年経とうと、……それは一生変わりません』
離れの塔で、私の醜態を前にジルベール宰相が言ってくれた言葉だ。
あの時は辛そうに歪んだあの顔が愛しくて楽しくて堪らなかったジルベール宰相の涙で濡れた顔が、今はひたすら胸をかき乱す。本当に本当に沢山言葉で彼を傷付けた。言葉が刃物だったら殺していたと思うほどに。
今ならわかる。あれが、どれだけ優しい言葉だったのか。あそこまで酷い言葉ばかりで刺した私に、信じられないくらい優しい言葉をくれたことを。……だから。
「私も、会えて幸せです……っ。……私にとっても……っ、……一生変わらなっ……。……っ、……あんなに、あんなに私をっ……」
言葉にして、また込み上げる。
ジルベール宰相も私の言葉に気が付いたように、大粒の涙を降らせた。指も肩も震わせて、大きく息を吸い上げたと思ったら小刻みにそれを吐き出した。彼の息に合わせ、私からもちゃんと言いたかった言葉をはっきり紡ぐ。本当に、ずっと、ずっとジルベール宰相は
「あんなに……大事にしてくれた人だから……っ。」
優しかった。
本当に、本当に優し過ぎるくらい優しくて。
私の言葉に、激しく息を引く音がはっきりと聞こえた。私を受け取める手の平も振動し、指一本一本の感触がわかるほどに力が強まった。
傷付いて、追い詰められて、嗤われて、それでも私のことで心を痛め続けてくれた。
ジルベール宰相がとうとう声を漏らして泣き噦る。「お待ちしておりました」とまた、滲んだ声で唱えてくれて、それに返した途端私も足が震え出す。
目をジルベール宰相の肩に押し付け、自分の涙が熱を帯びていることを理解する。……やっとこの人の優しさをちゃんと受け取れたことが、嬉しい。
何も……なかったことには出来ない。
私の罪も罰も残っている。だけど、今はただこの人達の優しさを受け取りたい。
私なんかを見捨てないでくれた人達の。
「ありがとう」と、その言葉を最後に絞り出せた時、錘一個分身体が軽くなった。
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