573.塔は収束へ向かう。
「では、姉君。俺はこれから母上に報告を済ませてきます。…………まだ、そこで休んでいて下さいね。」
涙で腫らした目のまま、ステイルがゆっくりと立ち上がった。
優しい声に、それだけでやっと落ち着いた涙がまた込み上げそうになる。私の隣に付き添ってくれているアーサーと目だけで会話をしたステイルは、柔らかく笑ってくれた。
ええ、わかったわと返しながら母上達と映像を繋いだステイルの背中を見送った。母上達がもう目を覚ましていると聞いてほっと息が溢れた。腰が抜けたように脱力して暫く立てそうにない。
二人に引き止められた後、本陣や各陣営へ報告を回す通信兵達や瓦礫の撤去、アダム達の捜索、被害状況の確認に多くの人員が動かされた。その中、護衛に付いてくれていた騎士達は私達が落ち着くまでずっと見守りながら待ち続けてくれた。
やっと話せる状態になってから、ステイルは私やティアラの代わりに母上達へ報告に動いてくれた。堂々と顔を見せられない私もだけど、ティアラとセドリックも母上達の制止を振り切ってここまで来てくれたらしい。更にステイルがアーサーに「騎士団長と話すか」と聞いたけれど、全力で断られていた。
アーサーもまだ詳しくは聞いていないけれど、今は違反行為中だったらしい。……本当に、私なんかの為に皆がなりふり構わずに駆け付けてくれたのだとそれだけでもわかった。
「塔外の騎士にも重傷者はおりません。まだ本陣より正式な通達はありませんがー……」
騎士の報告が背後からも聞こえる。
塔の下に控えていた九番隊騎士の一人が壁を登ってケネス隊長へ現状を報告に来ていた。今、各陣からの報告は塔の下の座標へ送られている。塔の上の座標に映像を送っているのは本陣だけだ。
元々使われていない塔の上の座標は不明だった。本陣からの映像も、本来なら塔の外へ送られる筈だったけれど、セドリックが座標を速算してくれた。彼曰く、登った螺旋階段の数と塔の上から見下ろした高さと頭の中に記憶された世界地図と城の全体構図で座標は測定できたらしい。ステイルもこれには驚いていた。
レオンやヴァルは、と通信兵に尋ねれば二人とも命に別状はないと返ってきた。
その返答に安心し過ぎて気が遠くなる。レオンも止血が早かったらしく、ヴァルは七番隊の怪我治療の特殊能力者から処置を受けたから一命は取り止めたと。レオンとヴァルの重傷にはティアラとセドリック、そしてアーサーも驚いていた。……二人とも、私のせいでの重傷だ。
七番隊の騎士がそっと私に近付き、怪我はないか確認をしてくれる。一つひとつその言葉に返しながら念の為に診断を受けた。レオンと戦った時に自分でつけた傷や、ステイルから受けた攻撃での打ち身をこの場で診れる分確認してもらう。
「お、姉さまっ……、……っ。」
七番隊の診療を受けながら、顔を向ける。
見れば、ティアラが泣き過ぎて顔を真っ赤にしたまま私に歩み寄ってきてくれていた。さっきまで着ていた白い団服を脱いだ彼女は少し寒そうで。
背後にいるセドリックが自分の上着を無言でティアラに羽織らせた。さっき私がティアラのナイフを奪ったから、団服ごと武器を下げている。いま冷静な頭で思うと、ティアラにも酷い心の傷を作ってしまうところだったのだと後悔する。
「ティアラ。…………ごめんなさい。」
さっきのことの所為で、再び私に近付くこと自体を躊躇っているようだった。……本当に酷いことを重ねてしまった。
ふるふると首を振るティアラに私からも両手を伸ばし、広げて見せる。その途端、目に涙をいっぱい浮かべたティアラが唇を震わせた後に駆け出した。勢いをつけて飛び込んできたティアラを受け止めれば、細い身体でも一瞬息が詰まった。それでも構わず両腕で抱き締めればすぐにティアラからも腕の力が返ってきた。
腕の中で震えるティアラの柔らかな金色の髪を撫でながら、私は静かに考える。
何故、正気を取り戻せたのかと。
理由はわかる、明らかにティアラだ。
彼女の言葉と存在が〝強制的に〟私を正気に引き戻してくれた。
だけど、どうして。
ゲームでも、……ティアラが女王プライドを救うなんてルートどこにもなかった。ティアラや攻略対象者が死んでバッドエンドか、女王プライドが死んでハッピーエンドのどちらかだ。更にはレオンやステイルの話だと私はアダムに操られていたということになる。
予知能力者のティアラに、特殊能力を解くような力は当然無い。
そこまで考えて、……一つだけの可能性が頭に過る。
ティアラは、この世界の主人公だ。
前世を思い出した時から、知っていた。
私はラスボスで、攻略対象者全員の心に消えない傷をつける張本人。そしてその傷を癒やすのが私の妹であり主人公のティアラだと。
彼女こそが攻略対象者と関わり、その心の傷を癒し、女王プライドに立ち向かう。
ティアラが〝攻略〟していたのは誰?
セドリックだと、そう思った。
攻略対象者の中で唯一ティアラに恋をして、今この場にも一緒に辿り着いてくれた彼こそがティアラに選ばれたのだと思った。だけど
もし、そうじゃないのだとしたら。
……思えば、ティアラに抗えなくなっていたのはさっきだけの話じゃない。
もっと、ずっと前から〝ティアラにだけ〟は何故か敵わなかった。可愛い妹だからだと疑問にも思わなかったけれど。
今こうして考えてみると〝それ以上の何か〟が働いていたのだと思えて仕方がない。
たとえば。……二年前、婚約者だったレオンをアネモネ王国に返す為にしようと一人で動こうとしていた時。
『なんで、…なんで馬車の中であんな顔してたんすか…なんで無理なんかしてんすか…レオン王子に弱味でも握られてるんすか…国の為っすか…』
『ありがとう、アーサー、ステイル、ティアラ。心配してくれて嬉しい。でも、本当に大丈夫だから』
心配してくれたアーサーの問い掛けを、私は断った。
大ごとにしたくない、本当にどう転ぶかもわからなかったから、皆を巻き込みたくもなかった。
なのに。……後日、ティアラに問われた私は。
『どうか、もし私達を信じて下さるのなら…ほんの少しで良いのでお姉様の御心を教えて下さい』
すんなりと、話してしまった。
それまで、誰にも言わず隠しきるつもりの事だったのに。本当に、本当に自然と話そうと思えてしまった。
もし、あの時から既に〝そう〟なっていたとしたら。
『お姉様、約束します。絶対にお姉様達の邪魔はしません。第二王女として、必ずお姉様に従います。ただ、運命を共にすることだけを許して下さい。』
……ハナズオ連合王国の防衛戦。
あれも、今思えばいろいろ納得できてしまう。
一年前の防衛戦に参陣したいというティアラの願いも私は断れなかった。危険だと、連れていくべきではないと頭ではわかっていた筈なのに。
いつのまにか私はティアラの懇願には〝抗えなく〟なっていた。
違う、まさかそんな筈はないとも思う。単に妹に激甘な私の言い訳だとも。
でも、……現に私が正気を取り戻せたのはそれ以外理由がみつかない。普通に考えれば単にアダムが死んだことで、遅れて特殊能力が解けただけだとも思える。きっとこの後にもアダムの死が確定されればそう処理される。だけど、明らかにアレは自然に解けたのではなくティアラが強制的に解いてくれたようにしか思えなかった。
単に正気に戻れただけじゃない。まるで悪魔祓いでもされたかのような感覚がまだ皮膚にヒリついて残っている。
勿論、疑問もある。
だって本当に〝そう〟だとしたら、そこには絶対条件が伴う。その条件を満たしていない私を、主人公であるティアラが助けたいと思ってくれたというだけで都合良くあるものなのか。ただし、……もし〝知っていたら。〟
『私も、予知の力を持っています』
そう、ティアラは言っていた。
問題は、いつから予知の力に目覚めていたか。
ゲームでは、少なくとも物語が始まる十六歳の誕生日にはまだ自覚していなかった。そこから攻略対象者と関わり、少しずつ片鱗を見せて、私との最終決戦で覚醒させる。
……だけどもし、〝自覚がなかった〟だけだとしたら。
ティアラは、六歳まで身体が弱くて存在まで秘匿されて城の中で育てられていた。
そしてゲームのティアラは十六歳の誕生日までは離れの塔にずっと軟禁されていた。外の世界と隔絶されて、小さな世界と本の中だけで生きてきた。そんな彼女が、特殊能力に目覚めたとして……予知をしたとして
どうやって、それが予知だと自覚できる?
わかるわけがない。
たとえ誰かの未来を予知したとして、確認する方法もないのだから。
ただ、未来の映像が流れ込むそれをティアラが〝予知〟ではなく単なる空想や夢だと思い込んでもおかしくない。
外の世界に触れて、自分の視たものが現実になったとわかって初めて確信を持てる、気が付ける。自分自身の予知をしない限り、義兄のステイルに国の現状すら隠されていたティアラが予知が現実になったことを知れるわけがない。
もし、ティアラが本当は十六歳より前に予知能力に目覚めていたとしたら。
もし、予知能力で私と同じように十年後のこの未来すら予知していたとしたら。
もし、ティアラが姉である私の未来を予知していたとしたら。
もし、幽閉されず、外の世界に触れて、自分の予知能力を自覚することのできる環境にいたとしたら。
もし、心優しいティアラが姉である私を助けたいと望んでくれていたとしたら……
〝攻略〟
パチン、と。何かが綺麗に嵌まり込む。
……もともとこの世界は、ゲーム通りになるように構築されていることはわかっていた。
戦闘力チートの私は生まれ持って剣や銃、格闘術が使え、触ったことのない銃も当然のように扱えた。
ゲームで塔を飛び降りても平然と着地していた経歴を持つお陰で、その高さ程度の高度なら絶対無事に着地できた。逆に女王のスキルとして不要な料理は強制的に液状化した。
主人公のティアラは料理などの女子力が最初から万能で。
そして彼女の恩恵を受ければ、私も人並みに料理ができた。
ステイルを助ける為にプライドの心臓をナイフで討ち取った経歴を持つ彼女は、現実でもナイフ投げも名手だ。……現実では本人の努力もあるけれど。
ゲームでプライドに指笛や指を鳴らして呼ばれていたステイルは、常人には聞こえない距離からでも音が聞こえてくれる。
特殊能力とは別の、〝ゲーム設定上のチート能力〟
もともと、ティアラは人の心に敏感な子だった。
ヴァルが助けを求めて現れた時もすぐに彼の辛い気持ちに気付いたくらいに。
〝キミヒカ〟……この世界のゲーム〝君と一筋の光を〟
ゲームで主人公であるティアラの役目は攻略対象者の過去や心の傷を知り、寄り添い、癒すこと。
彼らは、ティアラに今まで誰にも話したことのないような悩みや過去、傷を露わにする。その彼らの心の傷を知った彼女がそれを癒すことこそがルート攻略の〝絶対条件〟。
アーサールートで、父親を真似ていた彼が今の自分を受け入れて愛せるようになるように。
レオンルートで、心が病んだ彼が元の完璧な王子の姿を取り戻し、恐怖の対象と戦えるようになれように。
ジルルートで、老人か十三歳の姿しか保てなくなった彼がエンディング後に元の姿を取り戻せたように。
主人公であるティアラは選ばれしたった一人を癒し、救える力を持っている。
絶望に突き落とされた攻略対象者の、たった一筋の光となる為に。
きっと、それこそがティアラに与えられた最大のチート能力だったのだろう。
私がティアラに攻略されていたと考えれば、ゲームでの各ルートの攻略対象者と同じようにティアラの問い掛けや望みに抗えなくなっていたのも納得できる。
傷付けるなんてできるわけがない。あの時点で私はもう既にティアラにとって〝ラスボス〟ではなく〝攻略対象〟にされていたのだから。
ティアラは、十年掛けて私を攻略してくれていた。
『ティアラ・ロイヤル…アイビーです。お会いできて嬉しいです…お姉様』
……何度も
『私、力もありませんし…お姉様のように凄くもありませんけど、私も…私も付いておりますから…!』
何度もティアラは
『お姉様がそのような目に合わないよう、ちゃんとお傍にいます…!』
傍に、いてくれた。
『私の自慢のお姉様なのです』
支えてくれた。
『お姉様なら絶対ケメトとセフェクや、他の人達も助けてくれると信じてます!』
信じてくれた。
『お姉様。私は未だ弱くてお力にはなれません。今回の訪問にもご一緒は叶いません。でも、…お姉様の心に寄り添うことはできます』
止めてくれた。
『だめですよ、お姉様。一人で全部抱えようとしては。お姉様には私も兄様もアーサーも、ジルベール宰相もヴァルもケメトもセフェクも…皆居るのですから』
諌めてくれた。
『お姉様が一人で動いて一人で解決しても、……それでお姉様一人が苦しんだら、辛いのは私だけではないのですから』
寄り添ってくれた。
『今度は私達がお姉様を助ける番ですっ!』
戦ってくれた。
『…っ、…っく。…お、…姉さまも…ッ…兄様もっ…、……生きててっ……良か…っ。…ほんとっ…に、…死ん…ったらと、怖かっ…』
泣いてくれた。
『お姉様。…………貴方を失った未来は、とても悲しいですっ……』
教えてくれた。そして─
『私も……お姉様のことが、大好きですっ……‼︎』
愛して、くれた。
姉として、家族としてのこの私を。
ティアラに選ばれた私が彼女とハッピーエンドを、……幸福な結末を、迎える為に。
「ティアラ……。」
腕の中で喉を痙攣させ続けるティアラに言葉を掛ける。
私を救ってくれた救世主。
私みたいな人間の為に十年も掛けて寄り添い続けてくれた優しい主人公。……いいえ、違う。
「大好きよ。」
私の、愛しい妹。
腕にそっと力を込める。
それだけでまた、ティアラの身体が震え出した。
お姉様っ……と小さく掠れた声で呟くティアラはまだしゃくり上げて泣いていた。金色の髪を変わらず撫でながら、背を落ち着かせるようにポンポン叩く。
まだ、ティアラの全てはわからない。いつから予知能力に気付いていたのか。いつから私の未来を知っていたのか。どうして、自分が私を救えるとわかったのか。まさか私と同じように前世の記憶があるのかと考えながら暫くはティアラが落ち着くのを待つ。
騎士達やステイルやセドリックにもティアラの特殊能力は見られてしまった。隠せるのか、……隠すつもりかどうかもわからない。さっきの私の推論だって全部単なる憶測だ。それも含めてティアラに聞きたいことは山ほどある。ただ、今は
「っ、……私もですっ……。」
ティアラがくれたこの結末を絶対に守りたいと、そう思う。
ラスボスとしてではなく、……〝私〟として。




