572.貿易王子は食い縛る。
『御報告致します‼︎プライド第一王女殿下を奪還成功致しました‼先ほど︎特殊能力も切れ、正常に戻られております。恐らくアダム皇太子のー……』
通信兵により、プライド奪還とフリージア王国の完全勝利は本陣を初めとした各陣営に伝えられた。
報告を全て聞き終わる前にどの陣営も歓喜に湧き上がった。報告が回った頃には既にどの陣営も全てラジヤ帝国軍の無力化、もしくは制圧を完了していた。各陣営から折り返すように本陣へ被害状況報告も送られ、建物の損壊以外の被害は微々たるものだった。
更には潜伏していたアダム達以外城内の侵攻は無し。侵略国であるラジヤ帝国の大群を前に、フリージア王国は現段階で死者を一人も無くして防衛と奪還に成功した。
「ッだから!もう戦終わったなら良いでしょう⁈」
一人の青年が、目を覚ます。
歓喜に沸いた声よりも遥かにその少女の声の方が彼の耳に響いた。うすぼんやりとした視界で瞼を開けば、清潔感のある天井が目に入った。
自国の城内では見た覚えがないなと思いながら、何度か瞬きを繰り返せば今度は聴覚にも意識がいく。彼が目を覚ましたことに付き添っていた医者達も騒ついたが、彼らの声すら甲高い声は上まわっていた。
「私達もヴァルのところに連れてって‼︎ねぇ!せめて何処にいるのか教えてよ‼︎」
「何処の救護棟ですか⁈城内ですか⁈王居ですか⁈それとも……」
甲高いセフェクの声と、まだ男性として未発達のケメトの声が連続して青年の耳を叩き続ける。
目だけを向ければ、自分のベッドの横で二人の少年少女が騎士に詰め寄っていた。大人相手に話すのが苦手な筈のセフェクまで今は物怖じせずに騎士へ食ってかかっている。二人の問い掛けに騎士が「駄目だ」と、はっきり返す。
「まだ警戒は取れてない。それに何度も言っているが、彼は一命を取り留めた。目は覚めていないが心配はいらない。だから暫くここで待て。」
「場所だけ‼︎場所だけ教えて下さい‼︎」
「教えたら絶対に逃げるだろう。」
騎士団演習場の救護棟。
レオンが運ばれてきてから、頃合いを見計らって彼の護衛に加わった七番隊騎士のマートだが、セフェクとケメト相手にも容赦はなかった。それに対し「別にいいじゃない‼︎」とセフェクが怒鳴っても「絶対駄目だ」とまた即答で言葉を返してしまう。
他にも護衛の騎士は何人もいたが、二人の言葉にまともに応答してくれる騎士は七番隊の彼だけだった。他は全員関わりを嫌う八番隊の騎士な上、他の七番隊はレオンに治療を施し救護棟まで連れた後は元の陣営に急ぎ戻ってしまった。
ヴァルのところへ行きたいと望む自分達に、八番隊の通信兵に頼んでヴァルのいる救護棟へ通信を繋いで近況を聞いてくれたマートに二人も訴えるしかなかった。
運び込まれてきた青年の治療の為地下室から飛び出してきていた医者達が声を掛ける中、彼の視線は天井から彼らへ向いていた。
「…………セフェク、ケメト……?」
青年がやっと頭まで意識が回り、声を出す。
青年の掠れた薄い声に、騎士やセフェクとケメトも振り向いた。目を丸くし、息を飲む。
今までずっとヴァルと同じく絶対安静で眠っていた彼が、初めて目を覚ましたのだから。
「「レオン‼︎」」
レオンの寝かされていた部屋の扉前で護衛の騎士に詰め寄っていた二人が駆け出す。
ベッドに眠るレオンの元へ駆け寄るのと、騎士が「レオン殿下が目を覚まされたぞ‼︎」と叫ぶのは殆ど同時だった。
隣国の第一王子を呼び捨てにした彼らは、ベッドに寝かされていたレオンを覗き込む。
「もっと早く起きなさいよ‼︎心配するじゃない!ねぇ!あの騎士何とかして!」
「もうお医者さんが特殊能力で治療してくれたから大丈夫らしいですよ!あの、ヴァルが別の救護棟で……」
レオンへの心配とヴァルに会いたいという要望が二人の中で入り混じる。
子犬の喧嘩のように何度も吠え続ける二人に、レオンも少し目を丸くしてしまう。傷の痛みこそ特殊能力で今は抑えつけられているレオンだが、記憶はまだ僅かに混濁していた。
何故彼らが此処に、ヴァルは一緒ではないのか、何故自分もこんなところに、と記憶がまだ不鮮明なままだ。ポカンとしたまま何故自分がこんなところにいるのかと今更ながら考える。
医者達が畳み掛ける二人を窘めたが、それでも止まらない。医者や騎士からしても、保護した時からレオンと一緒にいた二人だ。今まで目を覚ますまでずっとレオンに付き添っていた二人を、レオンの許可無しに引き離すのは判断にも難しい。
茫然としていたレオンだが、次第に二人の訴えを聞きながら記憶を寸前まで辿り切る。医者が体調についても聞いてくるが、彼からの口から放たれたのは答えではなかった。
「アネモネは。……っ、……プライド、は。」
ぽつりぽつりと放たれたそれは、自国の騎士とプライドの安否だった。
レオンの言葉にマートが前に出る。失礼致します、と断ってから挨拶の後にレオンへ告げる。
「アネモネ王国からの援軍騎士団も死者や重傷者は居りません。レオン第一王子殿下の援軍により、無事我らの勝利です。アネモネ王国とレオン第一王子殿下には心より感謝しております。」
最初に、通信兵から届いた報告が告げられる。
勝利の報告だけは、例外なく救護棟にも本陣から映像が送られた。元々はアーサーがいた部屋に映像が送られた為、レオンの警護に加わっていたマートもその時は声に気付いてから急ぎ駆け戻らなければならなくなった。今、彼は八番隊の騎士達には「アーサーは他の騎士が護衛している」と言い張っているのだから。
レオンと共に援軍に駆けつけたアネモネ騎士隊、そして後から応援に続いたアネモネ騎士団も殆ど被害はなかった。
特殊能力者の相手をしなかったこともだが、何より彼らの用意した武力がラジヤ帝国を圧倒したことも大きかった。レオンの負傷を聞いた後も、彼らはレオンの命令に則りフリージア王国の応援に全力を尽くしていた。
「お目覚めになられたこともすぐお伝えします」と騎士が続けるが、レオンはそれでもまだ安心できない。再び次の言葉を放とうとしたが、今度は先にケメトが声を上げる。
「主も無事に取り返せたそうです‼︎ついさっき連絡が来ました!主は元の主に戻りました!もう大丈夫です‼︎」
弾むような明るいその声にレオンは目を見開いた。
医者に言われたまま身体は動かさずに、顔だけを向けていたレオンだが、ケメトの言葉に「本当かい……⁈」と身体を起こしそうになった。だが、思うように身体が動かず、軽く仰け反るだけで終わってしまう。
衣服を脱がされ、今は肩や至る所に包帯を巻き付けた上に簡易的な服を着せられていたレオンだが、それでも身体は重かった。包帯をきつく巻き付けられ、更には血も足りない。マートが怪我治療の特殊能力を処置したので動かないで下さいと改めて伝えたが、それでもレオンは落ちつかない。
「本当に、……本当にプライドは正気に……⁈取り、戻せたのかい……?」
まるで期待することを恐れるように尋ねるレオンに、セフェクとケメトは一度互いの顔を見合わせる。それから、コクリコクリと頷きながら今度は傍にいるマートへと目を向けた。本陣からの映像を直接受けた彼がそれにはっきり頷き、レオンに告げる。
プライドの奪還成功、そして彼女が正気を取り戻した事を。
「っっ‼︎……ーーーっっ…………。」
確信を得た途端、見開いたレオンの目から大粒の涙が滲み出た。
言葉もなく唇が乾き、喉が苦しくなった。安堵から頭がクラつき、自身の胸が酷く上下するのを自覚する。
大丈夫ですか⁈レオン殿下、と呼ばれても頭が追いつかない。涙が止まらず、とうとうポロポロと零れて枕を濡らす。
誰もが驚いて見返す中、レオンはゆっくりと動かした手の甲を自らの目に当て、隠した。息遣いが聞こえるほど意識的に大きく呼吸を繰り返し、自分を落ち着けたレオンは震わす唇でまた言葉を唱える。
「っ……、……良か、った……‼︎」
力無い声と共に白い肌を紅潮させて泣くレオンから、か細い嗚咽が漏れた。
甲の下の目を強く瞑り、黒にした視界の中で最後に見たプライドの姿を思い出す。
あまりにも残酷で悲しかった彼女が、またいつものように笑える日が来るのかと。自分が愛した、太陽のように眩しく笑う彼女の姿が浮かび、酷く身体の中が軽くなる。
王族として、情けない姿は見せられないのにと、頭では理解しながら安堵が耐えようもなく涙を込み上げさせた。毛布の下にある反対の手でシーツを掴み、力を込める。歯を食い縛り、嗚咽を殺そうとしながら泣くレオンは暫く言葉が話せなかった。
自分達の目の前で泣き続けるレオンの姿に、ケメトとセフェクも言葉を無くす。
王子であるレオンの口から自分達をヴァルのところに行く事を許して欲しい、ヴァルがレオンを助けたのだと騎士達に証言して欲しい、傷が痛むのか、レオンの体調はどうなのか、ヴァルのことだけでなくレオンのことも心配したのだと。言いたいことや思ったことはまだあった。だが、自分達よりずっと幼く耐えながら泣く彼に今だけは言葉が思い付かない。
セフェクが、最初に手を伸ばす。
顔を隠し、肩を震わせて泣き続けるレオンの蒼い髪を指先でちょこんと撫でた。それでも、気付く余裕がないように手の隙間から涙を伝わせ続けるレオンに、恐る恐るセフェクが更に手を伸ばす。
指先から指全体で、そしてゆっくりと最後は優しくレオンの頭を撫で始めた。髪の流れに沿うように繰り返し何度も撫でれば、その感覚に気が付いたようにレオンからも嗚咽が僅かに止んだ。
次にケメトが毛布越しにシーツに皺を作り続けるレオンの手に気付く。
毛布の下に手を潜らせ、強張り続けるレオンの手に届かせた。両手で挟むように、毛布よりも温かくレオンの手を包み、そして反対の手でシーツの代わりに彼の手を取り、指を絡ませてぎゅっと握り返した。
アネモネの騎士は無事だった。
プライドの手を自分の血で汚すことなく、そして彼女の心も取り戻せた。
女の子らしい手に頭を撫でられ、子どもらしい小さな手に震えを受け止められる。安堵と幸福感がレオンを満たし、包み込む。
奪還戦の完全勝利。
それは、フリージア王国の勝利であると同時にアネモネ王国の勝利でもあった。
傷を負い、プライドに敗北し、アネモネ王国の援軍の誰より先に倒れてしまったレオンもまた、今この時間違いなく
一人の、勝者だった。




