571.ラスボス女王は訴え、
「お姉様っ……!良かった……っ。……ほん、とに良かった……っ。」
ティアラがプライドの胸へ再び飛び込んでから。暫くの間、誰の口からも言葉は出なかった。
ステイル、アーサー、セドリックも騎士も誰もが目の前の光景を飲み込みきれない。突然ティアラが見せた特殊能力。彼女が予知の力を持っていたということだけでも衝撃的なものだったが、その後に起こした現象は未だに誰もが信じきれなかった。
まるで白昼夢を見ていたのではないかと思うほど、ほんのひと時で絶望的な世界を体感させられた。
ティアラの予知の影響を受けた途端、彼らはそれぞれの視点で確かに〝そこ〟にいた。その時に感じた絶望も喪失感も、終えた後にもその全てが生々しく彼らの胸に残っていた。
涙をしたのも、声を上げたのも、嘆き苦しんだのも全てが確かに自分の感情だった。だが、終えてみればもう形には残らない。プライドは生きており、自分達は予知を見た時と同じ配置でそこに立っている。誰もが狐につままれたような感覚だった。
更には今ティアラに抱き締められたプライドが本当に正気に戻ったのかさえ、確信できるものはいない。
目の前の彼女は今までのように攻撃性を見せてはいないものの、俯かせるまでの涙を溢れさせ続けたその顔は力無い人形のようだった。邪気が落ちたと言えば納得もできるが、未だティアラとプライドの間で何が起こったのか理解できない彼らには確証すら無い。
『…………ごめん……なさいっ……っ』
プライドの、あの言葉以外は。
目の前で無抵抗に抱き締められ続けるプライドを前に、ステイルもアーサーも目が離せない。ただ、未だにプライドに裾を掴まれ引き止められた時の感覚と、重ねた手の感触は残ってる。プライドに自分の手を重ねた途端、自分達の知る彼女かという希望と不安が入り混じり、酷くその手を震わせた。
プライドの容態を見ようと、一歩一歩恐る恐る七番隊の騎士が再び歩み寄って来る。ティアラの背後から動かないセドリック、そしてティアラを挟むようにプライドの前へと膝を折るステイルとアーサー。彼ら以外にも複数の騎士達が彼女を一定距離から囲い、見守っていた。
「……………………ティアラ。」
ぽつり、と。
顎まで伝いきり、滴となって涙が落ちた瞬間だった。放心していたプライドが長い沈黙の後に再びその口を開く。
ティアラもプライドを抱き締めたまま唇を結び、耳を澄ませた。
誰もが息を殺し、彼女の言葉を待つ。そして俯いていたプライドはゆっくりとその顔を上げる。
「……ありがとう。私も、貴方のことが大好きよ。私の……自慢の妹だもの。」
プライドが、笑う。
眉を垂らした力のない笑顔ではあったが、誰もがよく知る柔らかなその声と、透き通った紫色の眼差しは間違いなく彼らの知るプライドだった。
プライドの言葉に、今度はティアラがその場で固まり震えたまま動けなくなった。ぎゅぅっ……と腕に更に力を込めてプライドを締め付ける。それでも構わずプライドは優しく左腕でそっとしゃくり上げるティアラの背中を摩った。
すると、今度はティアラのすぐ真後ろに佇んでいたセドリックと目が合う。
未だに緊張の張り詰めた様子のセドリックは唇をきつく結び、強張った表情でプライドを見つめていた。敢えて何も言わない彼が怒っているのではないことはプライドにもわかった。
ティアラの背中に添えていた左手をそのまま伸ばす。
棒立ちになったセドリックが降ろした手を取り、指先を包むように掴む。その途端に肩を上下させたセドリックが慌てるように片膝をついた。低い姿勢でプライドを真っ直ぐと覗き込み、喉を鳴らす。
「……言い切れないわ。ありがとう、……本当にごめんなさい。」
柔らかく語り掛け、掴んでいた手を自分と近い高さになったセドリックの頭へ伸ばす。
泥や汗で汚れ、本来の髪質を忘れたかのようにガサつき乱れた金色の髪を撫でる。毛先を整えるように添わすその手と、何よりプライドの言葉にセドリックは込み上げたものを歯を食い縛って堪えた。それでも瞳の焔だけは激しく揺らめき、彼女へ応えるように眉間に力を込めて細められた。
プライドへ伝えたい言葉も、安堵も、謝罪の否定も無数にある。それでも、今それをひと言でも口にしてしまえば自分は止まらないと自覚する。ただ、今は彼女に応えたいと撫でられる頭を深々と下げ続ける。
「っっ……プ、ライドっ……。」
耐え切れず、最初に声を上げたのはステイルだった。
躊躇いと不安の混ざりきらない声色にプライドの手が止まる。手をセドリックから下ろし、またティアラの背中へと左手を添え直すプライドは顔ごと俯かせるようにして視線を落とした。
今、左右にどちらかに顔を向けるだけで両隣にいるステイルかアーサーと目が合うだろうと。そう思えば酷く躊躇った。プライドは自分が何をしたのか全て覚えているのだから。
「ップライド、様……?」
今度はアーサーが呼びかけた。
何故、こっちを見てくれないのか。何故、そんな〝無理をした〟笑顔を浮かべ続けるのか。そして何よりも本当にプライドが戻ったのかという疑いがまだ消えない。
アーサーの揺れた声色にプライドの垂れた眉の間が狭まった。一度だけ口の中を噛み締め、震える身体を必死に抑えて顔を上げる。
「……ステイル。」
最初に、左側へ顔を向ける。
真っ直ぐと身体ごと自分へ向け、目が訴えかけるように見開かれたまま顔の筋肉全てが硬直していた。まだ顔色も悪く、もともと白い肌が余計に青白い。
何か言いたげに僅かだけ開かれた唇は緊張するように震えたまま動かない。隙間から細やかな呼吸だけが紡がれた。
「……アーサー。」
次に右側を向く。
身体ごと向け、片膝を立てた彼は前のめりだった。プライドの呼び掛け一つにゴクリと聞こえるほどに喉を鳴らす。
唇を絞り、顎が震えるほど食い縛る。今にも泣きそうな蒼い目が瞬き一つせずにプライドを映した。石畳みの上で剣を握る手に力がこもり、肩が上がった。
「……二人とも、お願い。」
ゆっくり、一音一音柔らかくそしてはっきりと言葉にする。
プライドの言葉を聞き逃さないように聴覚を研ぎ澄ませる二人は、身を硬らせた。更には〝お願い〟と、続けられる言葉に固唾を飲んで待つ。
騎士達も見守る中、プライドを抱き締め続けたティアラが不意に違和感を覚える。今も自分の背中に回されているプライドの左手、それに対して何故かずっと右手はプライド自身の胸の前に収められたままだった。
そして今、その右手がそっとティアラの団服の内側へと伸ばされる。殆どプライドと密着し、肩に顔を埋めている彼女はその感覚には気付いても、具体的に何をしているのかまではわからない。そして、……気付いた時には遅かった。
「私を、許さないで。」
震えた声で発せられたその言葉にステイルもアーサーも頭の中が白くなる。
身体が指先まで凍りついたように硬直し、息まで忘れたその瞬間。プライドは、ティアラの団服に備え付けられたナイフを音もなく掴み取る。彼女達の身体で挟まれた空間は、覗き込みでもしない限り誰の目にも死角だった。ティアラが気付き、息を引く音が耳を掠めると同時にプライドは手の動きだけでその刃を
「いけません。」
……止め、られた。
パシッ、と。誰にも見えない筈の位置にあったそのナイフを、先に上から掴み取られる。
鎧の手でナイフごと手を鷲掴まれ、非力なプライドは震わすだけでそれ以上動かすことはできなくなった。
自分の心臓へ突き立てようとしたナイフを。
プライドがカタカタと手を震わす中、響めきが起こる。
慌ててティアラが両手で自分の団服を押さえ、プライドから離れるように飛び上がれば背後にいたセドリックにぶつかった。それでもセドリックを背で押すようにして更に数歩下がり、震える身体で自分の団服を身体ごと抱きしめるようにして押さえつける。
いくつものナイフが仕込まれている彼女の団服は、また彼女が手を伸ばせば簡単に奪えてしまうのだから。エリックや騎士達もプライドとティアラの間に入り、それ以上を阻む。
やはりまだ洗脳されたままなのかと、僅かに騎士達が騒めく中でプライドは未だ押さえられたナイフを手放さない。
ビクともしないその手に必死に抗うが、やはり敵わない。下唇を噛み締め、険しい表情を浮かべながら上目だけでナイフを掴む彼を見る。そして、濡れた瞳を更に潤ませながら掠れる声で訴えた。
「……離し、て下さいっ……っ。……カラム隊長ッ……。どうか、どうかっ……っ。」
死なせて、と。恨めしげな声ではない。
心から訴えるようなその声は酷く悲痛だった。だが、それでも彼女の手を握るカラムは「できません」と、真っ直ぐに見返したままひと言で断った。
この場にいる誰もがプライドの語る言葉やその口の動きと表情に注視する中、カラム一人だけがプライドの両手から目を離さなかった。
彼女の、自己犠牲を防ぐ為に。
「恐れ入りますが、プライド様からどうかお離し下さい。」
「ッ。……私、はっ……‼︎今だって本当に正気かわからないんですッ……!また、いつッ……あんな恐ろしいことをするかっ……。」
揺るがないカラムの言葉に、悲鳴のような声で訴えるプライドは再びナイフを握る手に力を込めた。
だがやはりビクともしない。敵わない力を前に、目に再び涙を滲ませ出すプライドは誰の目から見てもボロボロだった。
自分が何故、正気に戻れたのかはっきりとはわからない。今が一時的に正気に戻っているだけか、それともこうしている間も自分の奥底で狂気が燻っているのか。更には原因は病ではなく特殊能力。治療法もない今、騎士達のみならずステイルすらプライドのその不安を否定する言葉が見つからなかった。
お願い、お願いします、と。それでも全く離さないカラムへプライドが涙声での訴えを幾重にも重ね続ける。
力では敵わない、だがだからといって無理矢理カラムからナイフを奪うような気力も残ってはいなかった。潔く手を離すこともできず、固定された位置で手もナイフも固まったまま、前腕から二の腕までが垂れていく。
カラァンッ。
突然金属が落ちる音が軽く響いた。
騎士達やプライドも思わず音のする方向へ目を向ければ、その音を鳴らした張本人が前に出た。
滲む涙を溢れた分だけ頬へ伝らせながら、プライドは掠れた声で彼を呼んでしまう。
「ッアラン、隊長っ……。」




