そして見せつけられる。
「っ……、……お、姉……様っ……‼︎」
暗い暗い、夜の世界。
月明かりに照らされる塔の上で、私はただ顔を覆って嘆くことしかできなかった。…………何故、私は泣いているのだろう。
わからない。ただただ悲しくて。
泣いて、泣いて、泣いて、声も出なくなってきて、……泣き過ぎて壊れちゃったのかしらとぼんやり思う。
私だけじゃない、呻いて、嘆いて、すすり泣く声が周りからも聞こえる。……知っている声と知らない声とが入り混じる。
「……ッ、……プラ、イド……ッッ……‼︎」
…………兄様。
顔を上げた先で、兄様が泣いていた。
歯を食い縛って、両手で顔を覆って膝から崩れたように座り込んで打ち拉がれている。覆った手の上に眼鏡が不安定にずり上がって、俯いた顔から今にも落ちそうだった。
その姿を見た途端また止まらない涙が余計に酷くなる。
辛くて辛くて、兄様が辛そうなのが、泣いているのがもっと辛くて。両手で覆っても声が抑えられない。肩が上下に震えながら、えぐえぐとまた喉が鳴る。〝現実〟でこんな風に辛そうに泣く兄様を見たことなかった。……、……………現実……?
「御報告っ、……致します…‼︎プライド、第一王女殿下がっ……今ッ、……息を、引き取られました……‼︎」
騎士が、特殊能力でどこかに報告をしている。
泣きながら、堪えながら必死に言葉を紡いでいる。……ああ、そうだわ。お姉様が、…………お姉、さま……が
お姉様が、死んでしまった。
私の、目の前で。……そうだわ、だから私も、皆もこんなにこんなに悲しいのに。
今も通信兵が本陣への視点に報告をしている。……きっと、母上も父上もジルベール宰相もヴェスト叔父様も騎士団長も、……すごくすごく悲しんでいる。
周りの騎士も、皆が泣いている。立っていられないみたいに崩れ落ちた騎士もいる。顔を、目を押さえて泣く姿にそれだけで酷く胸が締め付けられた。
栗色の髪の騎士がぺたりと座り込んだまま石畳の上に拳を握り締めて泣いている。全身を震わせて、堪えきれないように打ち拉がれている。
茶色がかった金髪の騎士は膝こそついていないけれど、酷く肩が丸い。降ろした拳を震えるほど強く握って、俯かせた顔から涙が滝のように零れていた。プライド様、と何度も何度とお姉様を呼んでいる。
赤毛混じりの騎士が綺麗にピンと伸びた背筋で立っていて、……目を覆った片方の手の指の隙間から涙をたくさんたくさん溢れ出していた。声も殺して耐えようとしているのが、とても悲しくて。
黒髪の騎士が、目元を鎧の指で抉り出しそうなほど強く引っ掻いている。俯いた顔が長い髪に隠れて見えなくて。石畳に突き刺した剣を震わせていた。
「七番隊の騎士がっ……手を尽くしましたが……ッ。……申し訳……ございません……‼︎‼︎」
苦しそうに、辛そうに伝える通信兵はそこでまた泣き出した。
そこで私はまた見ていられなくなって、涙で滲んだ視界が酷く曇って、顔を両手覆ってしまう。すると『一体……今何が起こった⁈』と突然ここにはいない筈の騎士団長の声がした。
やっと本陣からも映像が繋がった。あの人がここの座標を泣きながら騎士達に紡いでくれたお陰だ。
本陣からの映像だと頭でわかっても、まだ顔が上げられない。お姉様、お姉様とそれしか言葉にできない。いくら呼んでも、……もう返事がないことはわかっているのに。
「お送りした映像の通りっ……プライド様を、……保護致しましたっ…。……捕らえた時には酷く暴れられ、舌を噛まれぬようにと布を噛ませっ……、……ッその、途端、…………ッ……‼︎‼︎」
そこから、通信兵は崩れ落ちて一度息を激しく引いたまま何も言えなくなってしまった。
騎士の報告と本陣からの言葉を聞きながら私は思い知る。
……ああ、……これは現実だと。
思い知った途端に、涙が止まる。
悲しくないわけじゃない、辛くないわけじゃない。今も悲しくて悲しくて死んでしまった方が楽だと思うほど苦しいのに、鉛のような絶望感が涙すら堰き止めた。
顔を、上げる。
涙が止まってしまって流れきった分、また少し視界が暗く晴れる。お姉様、と声にならない声で呟きながら現実へと視線を注ぐ。
……私は、届かなかった。
騎士に止められて、声が兄様にすら届かなくって、私の目の前でお姉様を死なせてしまった。
「ぁぁあ゛ア゛アアアアアアアアアアアアッッ……‼︎‼︎」
……アーサーも、泣いていた。
瞼を閉じさせたお姉様をずっと離さない。
強く抱き締めたまま、温度を失うお姉様に顔を埋めて、ずっとずっと声を上げて泣いている。涙よりも先に声が枯れてしまいそうなほどずっとずっと吠えるように泣いている。
アーサーの隣で崩れ落ちたまま泣き続ける兄様は、……まだお姉様を直視できていない。背中がさっきより更に丸くなっていく。
敵わなかった、間に合わなかった。
背後から私の肩に優しく手を添えてくれる熱だけが温かい。……だけど、その人も泣いている。振り返らなくてもわかる。
今も喉を鳴らして、彼の涙が零れて何度も何度も私の肩を濡らし続けているから。
『プライドッ……プライ、ド……っ……‼︎‼︎』
……母上。
また、聞き慣れた声に振り返る。 いつのまにか、騎士団長ではなくて母上達が通信兵からの報告を聞いていたようだった。
母上が、顔を両手で覆って泣いている。父上が嘆く母上の肩を背後から優しく抱き締めて、歯を食い縛りながら声もなく泣いていた。
父上と母上の背後で、兄様と同じように崩れ落ちたジルベール宰相の姿が小さく見えた。送られた映像方向に顔を向けたまま、放心するように見開いた目から、透き通った涙だけが伝い続けていた。
「………………プライド。」
ぽつり、と兄様がまた唱えた。
凄く静かで、沈むような声で紡いだ兄様は顔を覆った手をパタリと力なく下ろす。指に引っかかった眼鏡が石畳に落ちて、それにも気付かないように兄様がお姉様の亡骸に茫然と初めて目を向けた。
お姉様が息を引き取るまで何度も何度もアーサーと一緒にお姉様に呼び掛けていた兄様は、……お姉様の死を理解した途端、現実から逸らすように顔ごと目を覆い続けていた。
やっと目を向けた兄様が、アーサーに抱き締められたお姉様に手を伸ばす。目を閉じたまま、眠るように顔から力を失ったお姉様は……私達が大好きだったお姉様の寝顔と同じだった。
「これが……、…………本当に〝幸福な結末〟だと……そう、言えるのですか……?」
まるで、お姉様に語り掛けるように呟く兄様が、直後再び唇を震わせた。
お姉様の頬に優しく伸ばした指先が一瞬だけ触れて、……落ちた。そのまま石畳に拳を叩きつけた兄様が、額まで打ち付けて泣き伏した。
「……ッッンじゃねぇよッ……‼︎‼︎」
アーサーが、兄様に応えるようにガラついた声を上げ、言葉を紡ぐ。
吐き出すような激しい声と嗚咽が混じりながら、視線をお姉様に落としたまま埋めていた顔を上げる。顔を上げられないまま石畳と同化してしまった兄様に声を荒げて叫ぶ。
「ごんなン゛はッッ……‼︎」
口を無理に結んだアーサーは、一度そこで飲み込んだ。喉を強く鳴らして腕の中のお姉様の顔を覗く。その途端泣き続けていたアーサーの蒼い目からまた大粒の涙がボロボロ零れてお姉様の顔にかかった。お姉様を抱く腕まで震え出し、剥き出しにした歯を食い縛ったアーサーが、また吼えるように嘆きを響かせた。
「地獄だッ……‼︎」
〝止メナクチャ〟
……
…
「……ラ……?……ィラ、……ティアラ……!大丈夫……?」
……お姉様…?
ゆらゆらと揺り動かされながら、目を開く。
ぼんやりとした視界に、綺麗な深紅の髪が入ってほっとする。私を呼んでくれる、優しい声に……生きているのだと実感する。
酷く喉が乾いて悲しくて、目を開けても全く胸騒ぎが治らなかった。……だけど。
嗚呼……良かった。〝また〟ただの夢だった。
不思議とそう思ってお姉様を見上げながら、薄く息を吐く。
何もお返事を返さない私を心配してくれたように、お姉様が指先で私の目元を拭ってくれる。……また、泣いてしまったのだとそこで気付く。
拭ってもらったことで、鮮明になった視界にお姉様の心配そうな顔が映る。隣でアーサーも同じように心配そうな顔で私を覗き込んでくれている。
とても、とても優しい私のお姉様。私の大好きな、いつも笑顔のお姉様。だけど、今は……
「…お姉様も…泣いてます。」
涙を止めどなく流しているお姉様が、夢の中の兄様達と重なった。
ぼんやりとしたまま、手を伸ばして私からもお姉様の目元を指で拭う。その途端驚いたようにお姉様の紫色の目が丸くなった。
続くように兄様やジルベール宰相も心配してくれて……泣いていないことに、ほっとする。渡して貰ったタオルで目元を押さえつけていると、お姉様が先にジルベール宰相から投げかけられた問いに答えてくれた。
「……何か、夢見が悪かったみたい……。……心配かけてごめんなさい。」
「?一体、どのような夢を……?」
覚えていない、……ふりをする。
どうして今回は覚えているのか私自身わからない。
だけど話す必要なんてない。きっとまたいつもの悪い夢だもの。今はまだ覚えているけれどきっとすぐに忘れてしまうに決まってる。
「…え?…キャアッ⁉︎私お姉様の膝でっ!ご、ごめんなさい‼︎」
ぼんやりした頭がやっと目が覚める。
いつの間にかお姉様の膝で眠ってしまったことに気が付いて飛び起きれば、私が泣いた所為でお姉様のドレスにはっきりと涙の跡が残ってしまっていた。
─ ……当時見た、その悪夢は
「いいのよ。もう外出はしないのだから。私こそ勝手に膝に乗せちゃってごめんなさい。」
怒るどころかクスリと笑ってくれたお姉様は、優しく私の頭を撫でてくれた。
私がうたた寝しちゃっている間にお姉様から膝を貸してくれたのだとわかって、胸が温かくなった。まるで不思議な国の絵本みたい。
─ 本当に、とてもとても怖い夢で
「二人とも疲れが溜まっていたのでしょう。こちらも大体の策は練りました。そろそろ夕食ですし、王居に戻りましょう。」
兄様が気を使うように声を掛けてくれる。
兄様とジルベール宰相はずっとずっと忙しかった中で私が一番に眠っちゃったことが余計に恥ずかしい。ジルベール宰相が兄様の言葉を受けて、くるくると書類を丸め始めた。
─ あまりにも悲し過ぎる世界だったのに
「……プライド様。」
ジルベール宰相が帰って、私達も王居へ帰ることにする。
馬車の中で揺られていると、護衛で付いてくれるアーサーが少しだけ重そうに口を開いた。ちらっ、と上目で覗くようにする彼にお姉様は小首を傾げて笑い掛けた。
─ いくら忘れたくても、何年経っても記憶から消えてはくれなかった。
「?なにかしら、アーサー。」
何か忘れ物?と尋ねるお姉様はとても穏やかだった。
それに比べて私はずっと色々なことで頭がいっぱいで。さっき見た夢のことと、お姉様のドレスに染みを作ってしまったことと、そして……
─ 思ってもみなかった。
「この後、あの罪人のヴァルの様子見に行くんですよね?」
今日、お姉様が城へ帰る途中で見つけた元罪人のこと。
お姉様のお陰で処刑を免れた彼は、人身売買に連れ去られた子どもを助けたくてまたお姉様の元へと戻ってきた。……四年前、隷属の契約に処したお姉様がそう望んだように。
「その時は、絶対に俺も呼んでください」とお姉様に強い口調で続けたアーサーの瞳には強い意志が宿っていた。
兄様も同意するように頷いて、お姉様も一度口を結んだ後に笑みで返す。わかったわ、とその言葉に兄様とアーサーから少しだけ肩の力が抜けた。
そう、いま一番大事なのは拐われた子ども達を助けること。それはきっと、ただの悪い夢よりもずっとずっと大事なことだから。……だけど
─ それが〝予知〟だったと。十三歳だった私には。
〝止メナクチャ〟
あれは、なに……?
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