569.ラスボス女王は抗えず、
─ 恐かった。
ティアラの首を絞めようとした瞬間、身体の自由が利かなくなった。
主人公であるティアラを殺すわけじゃない。単にそう見せるだけ。絞め上げて苦しめて、そうすれば誰かが私を殺してくれるとそう思った。
ティアラの苦しむ顔も見れる。ティアラを殺されると怯え戸惑い焦る皆の顔が見れる。楽しい愉しい愛しいあの顔が見れると。何度も何度もそう思った、なのに
…………できない。
まるで、隷属の契約に縛られたみたいに自分の意思じゃどうにもならない。
今まで、人を傷つけることも苦しめる事も躊躇いなくできた私が。それが楽しくて楽しくてたまらなかった筈の私が‼︎‼︎………………でき、なかった。
『お姉様』
ティアラだけは傷つけられない。
この子を、傷つけたくない。そうしたくない、そうしてはいけないと全身の細胞が拒絶する。
私の意思じゃない。それ以上の何かに支配されたみたいに身体が言うことを聞いてくれない。息も出来なくなって、口の中が酷く乾いた。細い首を絞め上げようとする身体に力が入らなくてそしてどうしても、抗えない。
『……私は、お姉様が居なくなってしまったらとても悲しいです』
怖いぐらいに、ティアラの言葉が心に浸透する。
そんなの嘘よ、優しい言葉なだけ、だから何?といくらでも言える筈なのに声が出ない。
彼女の言葉を信じられないくらいに受け入れてしまう私がいる。
跳ね除けられない、疑えない、聞き流せない、拒めない。一言ひとことを拒む事もできずに水責めのように無理矢理奥まで流し込まれてしまう。
〝とても悲しい〟
その言葉を受け入れた瞬間、胸が引き千切られるくらいに苦しくなって。
拒めず言葉の意味も意図も全てをその通りに飲み込んでしまった瞬間、全身に痛みが走る。今までの傷の痛みとは比べ物にならないほどの激痛が押し寄せる。
ティアラが、悲しむのは嫌だと。酷く拒絶感がこみ上げた。この子が悲しむと思った瞬間、私まで何故か悲しくなって。
ティアラを殺せない、殺したくない、傷つけられない、傷つけたくない、悲しませたくないと。
感情に支配され、視界が歪む。
喉の奥まで熱くなって、身体が痺れるように重くなる。ぼたぼたと目から何かが伝って、次第に首から胸元まで濡らして喉がしゃくり上げるように痙攣する。
自分でも、何故泣いているのかわからない。ただ、ただ目の前のこの子に抗えないと敗北感が足先を蝕んだ。
涙を拭おうとするティアラの手から、必死に顔を反らして逃げる。
足が杭を打たれたように動かなくて、恐怖のままに突き飛ばしたくても何もできない。金縛りにあったみたいに身体が殆ど動かない。
この子には、抗えない。
何故、と必死に頭で考える。
その間にも足が竦み、震えも涙も止まらずに膝から崩れ落ちる。
引き寄せられたその手を払いのけられない。抱き締めてくれる白い細いその腕に縋りたいと思ってしまう。歯を食い縛り、抗いたくても抗えない。意思がいくら抵抗したくても、身体が言うことをきかない。
怖い、怖い、怖い、と私の肩に顔を埋めるこの子が怖くて怖くて仕方がない。相手が主人公だから?違う。ゲームでも私はティアラをいくらでも虐めたし拒めたし苦しめて傷つけることだって平気にでできた。バッドエンドなら殺すことだってできた私が、ティアラを傷つけられないわけがない。
涙が止めどなく流れ続け、ティアラに抱き締められたまま……思い出す。
─ そうだ、私は。
ティアラの誕生祭で倒れ、目を覚ましたあの時からずっと。
ずっと、ずっとティアラを遠退け続けた。
近付かないで、来ないでと。本当なら、ラスボスとして悪い姉としてあの子も傷つけるべきだったにも関わらず、…………できなかった。
気が付いた時にはあの子を避けて、考えないようにして、なるべく弾いて、苦しめる相手にもあの子だけはいれられなかった。本当なら主人公であるあの子にも憎まれないといけないのに、傷つけないといけないのに、……関われなくて。
あの子の所在も現状もずっと誰にも聞かずに存在自体に気付かない振りをし続けた。関わりたくない、関わってはいけないと、知らない内にずっとティアラだけを避け続けた。最初にあの子が現れた時だって、直接水差しをぶつけたくてもできなかった。水をかけるだけで精一杯で。そうだ、もうあの時から私はずっと……
─ ティアラが、恐かった。
この子には抗えないと、わかっていた。
目の前にした時からこの子には危害を加えられないと逆らえないとわかっていた。ずっとずっと、世界で唯一傷つけられないティアラが恐かった。私の原動力全てを上回るこの子の存在そのものが。
何故?いつから⁇なんで、何故、どうしてっ……
「お姉様。……貴方が死んでしまっては、幸福な結末なんて絶対に叶いません。」
嘘よ、そんなことないわ、知らないくせに、わかってないわと言葉にしたくても吐き出せない。
鈴の音のようなこの声を、……拒めない。言葉の代わりに涙ばかりがただただ溢れるだけで、何とか声を出しても嗚咽にしか変わらない。
この子の言葉を、また受け止めてしまう。嫌でも、拒みたくてもどうしても届いてしまう。怖いぐらいに委ねて、受け入れて、抗えない。
─ ……いつから?
「何、故……ッ……?」
何度も、何度も嗚咽を出して、絞り出せた言葉はそれだけだった。
枯れてしまうぐらいに涙が止まらなくて、引っ掻くこともできず抱き締めてくるティアラの腕へ数本だけ指を掛ける。げほっ、げほっとそれだけで涙と一緒に咳き込んだ。
抗えない、息ができない、逃げたいと。さっきまでの殺されたいという欲求を遥かに上回り襲い来る。
私の問いかけに、今度の返事はすぐには無かった。
涙で滲んだ視界は何も捉えられない。ぼやけた視界と自分の息遣いとティアラの声と存在だけが私を支配する。
おかしい、こんなにティアラに敵わないなんて。
ゲームでも、確かに最後の最後で私はティアラに敗北する。ステイルルートではナイフで殺され、他の攻略対象者ルートでもー……
「…………視たから。」
ぽつり、と呟いた小さな声に心臓が止まる。
私にしか聞こえない微かな声の、その言葉の意味を私は知っている。
どこか覚悟するような彼女のその声は翳り、憂いも混えているようだった。
「予知しました。貴方亡き、フリージア王国の未来を。…………私も、予知の力を持っています。」
黙っていてごめんなさい。と静かに語るティアラの言葉に、私だけじゃない周囲全体が緊張と戸惑いの色を強めた。
大人数が同時に息を飲む音が微かに聞こえる。当然だ、予知能力は数十年に一人だけ。王となる人間のみが持てる特殊能力なのだから。
ティアラの言葉を聞きながら、ぼんやりと私はゲームの対峙シーンを思い出す。
『ッ予知しましたっ…‼︎貴方亡きフリージア王国の未来を‼︎私も予知の力を持っています……‼︎‼︎』
『私には視えます……‼︎プライド・ロイヤル・アイビー……もう貴方の未来はありません‼︎』
主人公のティアラにとって、恐怖の対象だった私へ毅然とした態度でそう言い放つ。
でも、何故?ティアラの予知でちゃんと私が死んでいるのなら何故誰も私を殺してくれないの?何故、幸福な結末にならないなんて言うの?
だって、ゲームの通りならこの後に私を待っているのは……。
「お姉様。…………貴方を失った未来は、とても悲しいですっ……。」
ティアラがそう告げた、瞬間。
〝それ〟は起こった。
ティアラ・ロイヤル・アイビー。この世界の、主人公。
女王である私に立ち向かい、その過程でも片鱗を見せながら彼女は、クライマックスの対峙シーンでその予知能力を覚醒させる。
……十年前。前世を私が思い出した時からずっとわかっていたことだ。
彼女は、己が覚醒した力を女王である私に見せつける。しかも口から出任せとも思えない、疑いようのない方法で。
数十年に一度しか生まれない筈の予知能力者。その二人目である彼女の、主人公の力がラスボスに劣っているわけがない。
ゲームの最終局面で主人公は対峙相手より遥かに優った力を発揮させると決まっている。
だからこそ、ティアラの予知能力はただ予知するだけじゃない。
〝見せる〟
涙で滲みきって、何も見えない筈の視界に〝それ〟は広がった。
目からじゃない、頭の中に映像が勝手に流し込まれる。
ざわざわと、やっと聴覚が正常に機能したかのように今度こそ周りの音が聞こえ出す。
セドリックも、ステイルも、アーサーも、騎士達もこの場の全員が声を漏らし騒めいた。当然だ。ゲームでもティアラと私だけではなく一緒にいた攻略対象者にもそれは見えていた。きっとこの場にいる彼らにもティアラは見せている。
彼女が予知した〝未来〟を。
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