568.ラスボス女王は潰える。
「ップライド‼︎アーサー‼︎‼︎」
足場が崩壊していく中、爆煙と共に消えた二人の方向へステイルは声を張り上げた。
爆破直後から崩壊が始まり、瞬く間の内に足場から崩れ出してから、爆風で飛ばされかけたところをステイルは隊長のケネスや騎士達に守られた。適した特殊能力を持つ騎士は石橋の向こうの塔へと急ぎ飛び移り、ステイルも傍にいた特殊能力者の補助により落下する寸前に半分に崩壊した石橋へ引っ掛かった。
縄を操る特殊能力者が縄を石橋に巻き付け、その縄に騎士達やステイルを抱えたケネスが掴まりぶら下がる。背後からケネスに捕まえられたステイルは、騎士達へ振り返るよりも落ちていったアーサーとプライドへ手で空を切り目で追い続けた。
「ステイル様‼︎暴れないで下さい‼︎縄が切れれば終わりです‼︎」
ケネスの叫びが崩壊する塔に響く。
退避が間に合わず、崩れ出す瓦礫にしがみついた騎士達も何人か落ちかけている。
爆風の中、アーサーだけが落下するプライドに引き摺られ追うようにして塔の表面を裂き落ちていった。石橋の向こうの塔からは多くの騎士達が仲間やステイル達を助け出そうと手を尽くす。
プライド様は⁈アーサーは‼︎と叫ぶが爆煙と瓦礫に二人の姿は既に掻き消されてしまっていた。特殊能力者が引き上げられそうな位置の騎士を回収し、飛び移れる者は手を貸し、石橋に巻き付けられた縄を複数人で必死に引き上げようとする。丈夫な縄とはいえ、ステイルと共に数人もの騎士がぶら下がっているロープは簡単には引き上げられない。
プライドとアーサーの姿がもうどこにも無いことにステイルの息も心臓も止まった。減速していたとはいえ、瓦礫の中で降下していった二人を救出できる特殊能力者などこの場には
─ 風が、吹いた。
突然、不自然にステイルの眼前に風が吹く。
突風のようなそれに思わず目を凝らした瞬間、別の場所で崩落寸前の瓦礫にしがみついていた騎士が一瞬で彼らの遥か頭上へ放り投げられた。
ぐわっ⁈と叫び声が連続する中、石橋にぶら下がっていたステイル達より高く放り上げられた騎士達は塔の上まで吹っ飛び、それぞれ自力で受け身を取るか、他の騎士に受け止められる。
闇に溶けた黒い影が、高速の足で次々と崩壊する寸前の瓦礫の上を飛び移り、しがみついている騎士達を安全な塔の上へと投げ飛ばしていく。崩落で瓦礫の塊が落ちていく中で逆に騎士達が打ち上げられる光景にステイルが言葉を失うと、今度は自分達が捕まっていた縄が突然ぐんぐんと引き上げられ出した。塔の上に救出された騎士が増えたかとケネス達が顔を上げれば
「ッハリソン‼︎ステイル様はこちらだ‼︎‼︎」
カラムだ。
怪力の特殊能力を持つ彼が、単身でステイル達がぶら下がるロープを引き上げていた。更にその隣ではアランがハリソンから投げ飛ばされてくる騎士を受け取め、エリックが「ステイル様‼︎」と声を上げながら橋の下にぶら下がる彼らを覗き込んできている。
三人の近衛騎士に気付いたステイルは、ジルベールへ去り際に託した言葉を思い出す。
『ジルベール。……一つ、お前を見込んで〝相談〟がある』
ステイルは、託した。
ジルベールに「近衛騎士達を拷問塔に招集して欲しい」と。
今、戦場で隊長格を四名も各陣から離れさせることが無謀なことはわかっていた。逆に無駄に戦力を削り、統率者を欠かしてしまうことで戦況を揺るがす可能性もある。
だが、それでもと。
アーサーが戻り、プライドの元へ向かう今。
彼の力になってくれる騎士を……何より、自分が信頼できる騎士達をプライドの元へ一人でも多く集わせたいと思った。予知をしたローザの言葉通り、自分が考えられる限りの〝万全を期す〟その為に。
そしてティアラとセドリックの逃亡を引き金に、ジルベールは判断した。
女王ローザを含む最上層部を説得し、騎士団への指令を決断させると決めた。
ティアラとセドリックの逃亡と、ステイルがプライドの潜伏先であろう拷問塔に向かう今、確実に王族全員を守りきる為に確実な戦力増強が更に必要であることを。そしてまたローザもジルベールから〝説得〟の必要もなく、ステイルからの案であるそれに即断で許可を下ろした。
近衛騎士への勅命に代わり、彼らが空ける穴を補強する人材配置の采配もジルベールの手腕だからこそ騎士団長であるロデリックへ提案できた。
『ッ緊急です‼︎‼︎本陣から騎士団長より映像とお呼出しが!』
ロデリックの命により本陣を護っていたエリック、そして城門防衛に居たカラム達へ要請がかけられた。新兵より馬が届き次第、全員で拷問塔へ向かえと。
エリックとも合流し、彼らは拷問塔へと急いだ彼らが特殊能力で塔へと上げられた時には、アーサーがプライドを追い詰めた後だった。
アダムが騒ぎ出す直前にはプライドとも一度目が合ったが逸らされた。その後も様子を伺っていれば扉からセドリックとティアラまでもが飛び出してきた。塔の内部で数々の騎士達を払い除けて来たセドリックも優秀な近衛騎士四人に囲まれ動くことができなくなった。が、塔が爆破された今。近衛騎士達は
「ッハリソン‼︎‼︎おい‼︎ステッ……イル様はこっちだ‼︎ッおい‼︎」
アランが投げ飛ばされてくる騎士達を次々と受け止める中、何度も声を上げるがハリソンには届かない。
暗闇の中で己が目と月明かりだけを頼りに崩落から逃げ遅れた騎士やステイルを探すハリソンは、石橋の下に吊るされた彼らにまだ気づかなかった。崩壊音が酷い中、高速で空を切り続ける彼に簡単には声も届かない。
時間はない。地上にいる騎士もこの崩落では二人を受け止めるどころか、全員が退避するので精一杯だとアランが焦る中「ハリソン‼︎‼︎」とカラムもまたロープを引き上げながらまた声を張る。 続けて焦燥に歯を食い縛ったエリックが
パァンッ‼︎
ハリソンを、狙撃した。
突然ハリソンに銃を抜いたエリックに思わずアランだけでなくカラムも驚いて手が止まった。
銃弾は高速で移動するハリソンの眼前を見事に通り、最後は瓦礫に当たった。突然攻撃を受けたことでやっとハリソンの注意がエリック達へと向いた。
「ハリソン副隊長ッ‼︎ステイル様に!早く‼︎‼︎‼︎」
凄まじい形相でハリソン相手に声を荒げるエリックが煙を吐いた銃でステイル達を指し示す。
やっと気付いたハリソンは目を見開き、高速の足で一瞬の内に彼らが掴まるロープへと飛び移った。突風のような風圧の直後、人間一人分の体重が追加されたロープをカラムが問題なく上へと引き上げ続ける。
風が吹いたと思うと同時に至近距離へ現れたハリソンに、流石のステイルも口を結んで身を反らす。紫色の瞳が自分を映したと思った瞬間、カチャンカチャンッッ‼︎と急に金属音が鳴り、そして
手枷が外された。
高速で特殊能力者用の枷が解錠され、鎖の重さに引き摺られるまま下へと吸い込まれる。
自分の両手を戒めていた枷が外された、と。それを理解した瞬間ステイルは姿を消した。
理由も経過もどうでも良い。
封じられていた瞬間移動を解放されたステイルは、たった一つのことしか考えなかった。プライドの元へ、アーサーの元へとそれだけを渇望する。
瞬間移動し、彼らに触れたと思ってすぐに安否確認より先に塔の上へと瞬間移動する。カラムがロープを引き上げるよりも先にステイルがアーサーとプライドと共に姿を現した。
どさっ、と。三人分の着地音が鳴り、それからやっとステイルが脈打つ心臓を押さえつけながら二人を見やれば
「……っ。…ッおせぇよ……。」
プライドを両腕で強く抱き締めたまま仰向けに転がったアーサーが、数秒放心した後にステイルへ向けてヘラッと力なく笑った。
せめてプライドだけでもと、彼女を頭ごと抱えたアーサーが地表に叩きつけられる寸前だった。
頭から落ちる体勢から瞬間移動で背中を打つ体勢へと変えられた彼は、たった数センチ上からだけ石畳みに背中を打ちつけた。覚悟していた衝撃よりも遥かに軽いそれに、強張りきった身体がほつれる。
ステイルも瞬間移動した時には殆ど地面の上だった為、今こうして確認するまで彼らの安否もわからなかった。
アーサーの気の抜けた声に、無事だとわかった瞬間ステイルまで力が抜ける。がくんっ、と崩れ落ちるようにアーサーの前で両膝をつき「悪い……」と皮肉を口にする余裕もなかった。
「……ぇ。……う、そ……⁈なんでッなん、で‼︎‼︎」
抱き締められたまま、顔を彼の身体に突っ伏し押さえつけられていたプライドは状況を把握するのがアーサーより更に遅れた。
目を覚ましたかのように、慌てて状況を確認しようと起き上がるプライドをアーサーが今度は捕まえるよう両腕で抱き締めたまま押さえつける。
「ッ離して‼︎‼︎」と叫んでバタバタ暴れるプライドだが、力では当然アーサーには敵わない。銃を撃とうにもアーサーに背中で石畳との間に銃ごと手を挟まれて引き金が弾けなくなる。
唯一自由な右手に握られた剣をがむしゃらに振るが、刃の失った柄だけのそれはただの鈍器でしかなかった。プライドの腕力では殺傷するほどの武器にはならない。石畳みやアーサーへと何度も振り回すが、頭にぶつかっても彼は少しも腕の力を緩めない。
エリックが押さえつけるようにプライドの右手を掴み、力尽くでとうとう剣を奪い取る。それでも踠くように拳を振るおうとする手をエリックは片手で掴んだまま制した。続けてアーサーの背中にも手を伸ばし、彼女の銃も引き金を引けないように掴み押さえ、奪い取る。
いああァァアぁあ、ああああ‼︎と奇声にも近い金切り声を上げるプライドの姿は直視し難いものだった。
男性二人に押さえつけられ、乱れたドレスから足を構わずバタつかせたている姿は何も知らない者が見たら彼女の方が襲われているかのように見える。
騎士達の中からティアラが「お姉様っ‼︎」と声を上げるが、アランや他の騎士達に行く手を阻まれた。並ぶセドリックも彼女をプライドの元へ行かせようとするが、ハリソンに腕づくで制された。
せめて無事が確認できるようにと騎士達が二人の前を開きはするが、それ以上は進ませない。今のプライドはそれほどに危険なのだから。
ティアラの必死な叫びはプライドどころかステイルにすら届かない。意識の焦点も合ってないのではと思うほど叫び続けるプライドは、アーサーやエリックが何度その名を呼んでも返事と呼べるものを返さない。
「ッアダムは‼︎⁈奴は‼︎……展望台、は…………。」
プライドの見るに耐えない姿に顔を険しくさせるステイルは、周囲を見回した。
激しく声を荒げ、騎士に呼び掛けながら爆破があった石橋の向こうへと改めて目を向ければ
何も、なかった。
ガラガラと音を立て、瓦礫の墜落音だけが聞こえてくる中、石橋の先にはもう何もなかった。
塔の上から特殊能力者の騎士やハリソンが助け出したお陰で死者はいない。石橋に巻きつけたロープに捕まっていた騎士達もたった今カラムの手によって全員が引き上げられた。だが、さっきまでステイル達がいた展望台は完全に崩壊し、瓦礫の塊が積み上がっているだけだった。
ぽかんと口を開けたままステイルは愕然とする。
アダムは、と……聞くまでもなかった。彼らがいたのは展望台の内部。更には爆心地でもある。
たとえ、火を付けてから他の階に逃げたとしても、塔がここまで崩壊すれば瓦礫に潰されるのは免れない。確認するように目だけを騎士達へ向ければ、誰もが首を無言のまま横に振った。
味方の生存すら危ぶまれた中、内部に逃げたアダムとティペットを確保することは流石の騎士にも叶わなかった。
九番隊の隊長であるケネスが被害状況を通信兵を介して聞くがやはり騎士の被害は無く、そしてアダム達の姿を誰も確認できなかった。
「………………姉、君は。」
膝をついたまま、自身の身体が重力に引き摺られるように重くなっていくのをステイルは感じていく。
お姉様っ‼︎と何度も泣きそうなティアラの声が耳を掠めるが、脳まで届かない。彼女の声だけではない。騎士の報告すらも殆ど彼の耳には届かない。現状を整理しようと脳の歯車が回り出し、歪な音を立てて残酷な現実を組み立て紡ぎ出す。
通信兵がプライドの確保の報告をする為に視点を固定し、本陣へ方向する。だがそこにアダムの確保という言葉は当然なかった。
もし、アダムが死んだのならば特殊能力によっては能力者が死ぬと同時に効力を失うものもある。だが、目の前で暴れ、踠き、奇声を上げ続けるプライドはどう見ても正常ではない。
「……と少しで終わったのに‼︎‼︎やっと‼︎やっとやっとこれで幸福な結末がっ……‼︎ッ死なせ……て‼︎‼︎死なせなさいよ‼︎‼︎私、はこの世界のエンディングをっ……」
やっと奇声を以外を放ったと思えば、彼女の言葉は支離滅裂な上に意味不明だった。
アーサーに抱き締められたまま身体ごと押さえつけられ、顔すら上げられない。上半身だけ起こしながら、足がバタバタと振り乱される。「落ち着いて下さい‼︎」と何度もアーサーが叫ぶがやはり届かない。
まるで野生動物かのように暴れ続けるプライドは、とうとう押さえつけられた状態から顔を突っ伏せられたアーサーの肩にまで噛み付いた。
ガブッ、と咬み千切るつもりで顎に力を込めたプライドの歯にアーサーも思わず声を上げた。鍛え抜かれた身体だからこそ、女性の顎に噛み切られはしなかったが、歯型がくっきり残り、血が沁みるほどに食い込んだ。痛みに堪えながらもプライドを離さないアーサーに代わり、エリック以外の騎士もプライドを押さえるべく手を伸ばす。
顔を押さえ、誰か舌を噛まないように布を!と騎士達が声を上げる中、ステイルはただただ声が出ない。
目が虚ろになり、自分の身体ではないように動かない。頭がぐらぐらと揺れ、目の前で多くの騎士達にプライドが取り押さえられている光景を脳がただの悪夢だと処理しようとする。
プライドに手を伸ばしたい。そう思っても、身体が拒絶する。
触れて現実だと確認したらお前は正気を保っていられるのかと、脳へ問い掛ける。誰よりも聡いステイルだからこそ、今の絶望的な状況を理解する。
奪還戦は失敗だと。いくら被害が無くともラジヤ帝国を叩き伏しても、彼が最も取り戻したかったものはもう二度と戻らない。
騎士の一人が布を持ってプライドへと駆け寄る。正気を失った彼女がアーサーから口を離すように、そして舌を噛み切ろうとする前にとプライドの口へ布を
「ッお姉様から離れなさいっ……‼︎」
三本の刃が、場を裂いた。
震わした低い女性の声の直後、ステイル達の真横を一瞬で何かが鋭く抜けた。
トストストスッ‼︎とプライドと騎士達との間を裂くようにして過ぎ、石畳に突き刺さったそれはナイフだった。
何人かの騎士はハリソンかとも思ったが振り返れば違う。ハリソン自身も僅かに目を丸くしてその視線をセドリックの隣に並ぶ女性へと注いでいた。
金色の丸い瞳が鋭く光り、その眼差しはプライドの周りに集う騎士とステイルへと向けられてた。
「…………ティアラ。」
まるで、いまやっと気が付いたようにステイルが口を開く。
ナイフを放ったティアラを急いでアランや騎士達が押さえるが、ステイル達の意識が自分へ向いたことでティアラは今度こそはっきりと言葉を放った。
「兄様、お願い。お姉様の元に行かせて。次は私の味方だってッ約束したでしょうっ……⁈」
自分を騎士達から解放するように訴えるティアラにステイルは、惑う。
女王であるローザからの命令はティアラとセドリックの保護と本陣への回収。二人は本来ここに居てはならない人物だ。
何より、正気を失っているプライドにティアラを近づければどうなるか。もしプライドが自分の手でティアラを傷つけてしまえば取り返しのつかないことになるのは明らかだった。「お願い」と必死に訴えるティアラに、第一王子として、彼女の兄として首を縦には触れない。……だが。
「………………〝お前の敵になるのは〟か。………確かに、……そういう約束だったな……。」
『約束する。俺がお前の敵になるのはこれが最初で最後だ』
独り言のような小さな呟きがステイルの口から、零れた。
小さく振り返り、プライドを見る。今も多くの騎士達に押さえつけられ、アーサーも肩の痛みに耐えながらその腕を離さない。アーサーを庇おうと伸ばした騎士の腕にまで噛み付いたプライドは既に獣だった。
鎧の腕に歯を立て、痛みに呻いた後も死なせて、死なせて、殺して殺して殺しなさいよと呪いのように吐き続ける彼女はもうティアラの姉としての面影はない。
一度目を伏した後、ステイルは無言で騎士達に合図をする。
第一王子の命に従い、アランもハリソンも騎士達全員がティアラとセドリックから手を離し、道を開けた。
突然解放され、二人は前のめりに倒れかける。すぐに体勢を立て直したセドリックはティアラに駆け寄り、彼女を守るようにその傍に付く。いつステイルに瞬間移動で強制退去されるのかと燃える瞳を揺らし続けた。
「…………何かあれば、すぐお前達を本陣へ瞬間移動させる。……すぐに、だ。」
膝をついたまま、力なく告げるステイルにティアラはこくんっと頷いた。
タン、タン、とプライドに歩み寄る彼女は迷いがない。セドリックを連れて歩き、そして膝をつくステイルの横を通り過ぎる。ふわり、とウェーブがかった金色の柔らかな髪を揺らし、プライドの前に立つ。そして女王ローザにも似た女性らしい声でアーサーとエリックを含めた騎士達へ言葉を放った。
「第二王女、ティアラ・ロイヤル・アイビーが命じます。お姉様を離して下さい。」
今すぐに、とはっきり告げる彼女にアーサーも耳を疑う。
今のプライドがどれほど危険で、手離せば逃げるか暴れるか、最悪の場合は死のうとするかもしれない。なのに、何故と。
だが、今までのティアラからは見たことのない王族らしい強い眼差しとその覇気に、騎士達はゆっくりとプライドから離れ出す。エリックも躊躇いながらも手を離し、最後にアーサー一人が残った。だが、手放せるわけがない。彼女をもう二度と失わない為に、そして誰も傷つけさせない為に。
「アーサー、大丈夫です。……私を、一度だけ信じて下さい。」
身を強張らせ、瞬きも忘れて喉を鳴らすアーサーに、優しくティアラが笑い掛ける。
膝を折り、視線を合わせるようにその場にしゃがむ。そして痛みに耐えながらプライドを守り続けたアーサーの手にそっと小さな手を重ねると、彼の腕の中にいるプライドの深紅の髪を撫でた。「お願い」と、もう一度唱えられたアーサーは恐る恐るその手を緩める。
その途端、喚き散らしながら起き上がるプライドは激情を剥き出しに身体を起こし、アーサーを突き飛ばしながら振り返った。「ふざけないでちょうだい‼︎‼︎」と別人のような金切り声まで上げ、髪を掻き上げた。
何をするかわからない第一王女はもう全くと言って良いほど余裕がない。汗を滴らせ、顔を真っ赤にし、肩で息を荒げながら歯を剥き出しにして髪を振り乱す。そんなプライドにティアラは怖じける様子もなく立ち上がる。
「お姉様。……私が、わかりますか?」
優しい、鈴の音のような声はこの場に最も不釣り合いだった。
まるでいつもの朝のように語りかけるティアラの言葉に、プライドは鋭く目を尖らせる。素早く背後で身構え出すアーサーも、膝をついたままのステイルも、ティアラの背後に佇むセドリックも今の彼女の視界には入らない。この世界の主人公を前にプライドは優秀な頭脳で思考を巡らした。
……今この場でティアラを傷付けてみせれば、誰かが私を殺してくれるかしら。
ただ断罪を、殺されることだけを考える。
ニッタァアァアアアアア、と再び怖気の走る笑みが広がり出す中、それでもティアラは揺るがない。背筋をピンと張り、金色の瞳の水晶が月に照らされる。白く細い手は、団服の中のナイフを構えることなく無防備に降ろされたままだった。
「ええ?わかるわ。……ティアラ。良いのかしら?か弱い貴方が私に勝てるとでも思って⁇」
「思いませんっ。……私は、一度もお姉様に勝てたことなんてありませんもの。」
ニタニタと邪気に染まった笑みで更に歩み寄るプライドへティアラは笑う。
にっこりと、いつもの優しい笑顔でプライドを迎えて見せた。彼女の堂々たる振る舞いにプライドは高々と笑い出す。アッハハハハハッ‼︎と、今のこの対峙がまるで新たなゲームの最終決戦のようだと思う。
ティアラの細い首を絞められる距離。背後にいるセドリックは動かない。顔を険しくさせながら、ただ彼女達を見据え続けるだけだった。
なら、彼の目の前で愛しいティアラを嬲れば良い。騎士や攻略対象者にティアラを殺そうとする自分を見せつければ、きっと誰かが殺してくれる。そう思い、笑いながらもプライドは最初にティアラの柔らかな金色の髪に手を伸ばした。
そっと、触れ慣れた感触を指先で味わい、慈しむように両手で彼女の長い髪を搔き上げる。
屋上全体に緊張が張り詰める中、ティアラの小さな顔から細い首まで露わになった。そして流れるようにプライドは彼女の首に手を掛け、そっと包み込むように
「…………ッ⁈……ッ、…………ぁ。……ァ、ア……ッッ……‼︎‼︎」
停止する。
突然、ティアラの首を締めるかと思った彼女の手が硬直したことに誰もが息を飲んだ。
プライドの背中しか見えないアーサー達の目から見ても、その不自然さは明らかだった。プライドに向き合うティアラの柔らかな笑顔だけが、深紅の背中越しに小さく見える。
「お姉様。……私は、お姉様が居なくなってしまったらとても悲しいです。」
ティアラは、訴えかける。
誰もが言葉も出ない中、悠然と佇み、プライドに向き合った。自分の首に掛けられた手を払いのけることもなく、ただそこにいる。
プライドは答えない。硬直させた手をカタカタと震わせ出したかと思えば、今度は全身が酷く震え出す。限界まで目を見開き、自分の手と微笑むティアラとを見比べる。
正面からそれを見つめ続けていたステイルにも間近で見守っていたセドリックにも何が起きたのかはわからない。
だが、プライドの異変だけは火を見るより明らかだった。僅かに開いた唇まで痙攣させ、動かなくなるプライドに誰もが緊張の糸を張り詰める中。それは、突然落ちた。
ぽつん、と。
最初こそ、小さな球体だった。
それを目の当たりにしたステイルは口を開けたまま声が出なかった。瞬き一つ、身動ぎ一つできないままプライドのそれから目を離せない。
ぽつん、ぽつん、ぽつん。
硬直し、目を見開いたままのプライドから次々と大粒の涙が溢れ、零れ出す。
目元から頬に伝い、顎まで届くことなく石畳みへと落ちていく。プライドの足元に水滴が落ちたことに気付いたアーサーも目を丸くした。ステイルの背後に控えたアラン達もその様子に呼吸も止まる。
「……お姉様。」
さっきまで微笑んでいただけだったティアラが、初めて動く。
哀しげに瞳を揺らし、白く細い手をそっとプライドの顔へと伸ばした。涙をそっと拭おうとするティアラに、プライドは怯えるように首を反らす。歯を食い縛り、だがそれ以上は何もしない。目の前にいるティアラを突き飛ばすことも、首を絞め上げることも何一つ。
足がガクガクと激しく震え出し、プライドは苦しそうに歯を食い縛ったまま首を何度も横に振り乱した。
自分の指をと意思を込めるが、どうしても震えるだけでそれ以上叶わない。比例するように涙だけが粒にもならずに溢れだし、ボロボロと頬から首まで酷く濡らし出す。喉がしゃくり上げ、目が泣き腫らして次第に赤くなる。
「……ゔっ……ふ、ぅッ……っ」と喉だけが音を出し、紫色の瞳がティアラから離れない。
やっと目を強く瞑るようにして視界からティアラの姿を完全に締め出した後、とうとう耐えきれないように膝から崩れ落ちた。
ティアラの首に掛けていた手が力なく滑り落ち、石畳みの上へと垂れた。がくり、と糸の切れた人形のようにその場に座り込んだプライドは、涙をぼたぼたと零すだけで動けなくなる。肩を酷く上下させ、しゃくり上げる彼女へ合わせるようにティアラもゆっくりその場に再び膝をつく。
そのまま今度こそプライドに手を伸ばせば、簡単にその背まで腕を回せられた。
引き寄せ、優しくその身体を抱き締めても、全く抗われない。まるで身を全て委ねるように妹に抱き締められるプライドは、際限なく涙だけを流し続けた。自分の肩に顔を埋めるようにして笑うティアラにただ、ただただひたすらに歯を食い縛り、
恐怖した。
556
559
555-2
566-1
492




