そして崩壊する。
「………………へ……?」
その瞬間を目の当たりにしたアーサーも、目を見開いた。
単なる驚愕ではない。爛々と輝いていた筈の目がまるで絶望を前にしたかのように虚ろに濁り、引き上げた口端が微弱に痙攣していた。プライド様?と思わず気遣うような声を掛けてしまうが、それでも全く反応がない。目の前の事態に処理が追いついていないかのように放心していた。
今なら片手でも捕らえられそうだと思いながら、アーサーは恐る恐る彼女の右手に手を伸ばす。すると指先が触れた瞬間、やっと気が付いたようにプライドはアーサーから手を振り払った。
バチィッ!と手同士が弾き合う痛そうな音が響き、改めてアーサーが構えを取る。だが、プライドからはそれ以上追撃もない。
「なん、でっ……⁈」
足が縫い付けられたように動かないまま、わなわなと全身を震わせる。
ティアラが選んだのがセドリックなら、間違いなく彼は自分を殺す為にここまできた。反乱を起こし、ラジヤ帝国を自国へと招き入れ、国際郵便機関すら水泡に帰しかねない暴走と、彼が憎むべきラジヤ帝国との共謀。更に彼を無実の罪で〝ちゃんと〟自分は陥れた。その全ての要素においてセドリックが自分を殺す理由は充分ある。愛するティアラの為に彼が剣を取らないわけがない、のに
彼もまた、殺す気はないと言う。
何故、ここまで来て、せっかく殺して貰えると思ったのにと。
絶望と現実への拒絶がプライドを襲う。
ステイルもアーサーもレオンも、そして何よりティアラに選ばれたセドリックまでもが自分を殺してくれない。ならば自分はどうすれば良いのか、誰が自分を殺してくれるのか。幸福な結末に自分の死が必要不可欠なのにと。
拒絶が混乱に混ざり、頭がフォークで混ぜたようにぐちゃぐちゃと乱雑に混ざり合う。自分は〝死なないといけない〟のに。自分の望みはフリージア王国を堕とすこと。そして幸福な結末を彩ること。なのに自分は
その、どちらも成し遂げられていない。
「…………………………。」
沈黙し続けるプライドに、誰もが訝しむ。
アダム一人だけがプライド自身に何が起こっているかを理解し、猿轡を嵌められた口をだらし無く開けたまま目を輝かせて無言で放心する彼女に見惚れ続けた。
それに反し、セドリックは自分の発言の何が悪かったのかもわからない。また何かやらかしてしまったのかと不安が過るが、周囲の反応も同じようなものだった。ステイルも硬直したプライドの様子を伺い続け、ティアラも胸を両手で押さえつけたまま小さな肩を大きく強張らせた。一歩、近付こうとしたがその瞬間騎士に止められた。
その途端、ティアラを拘束されないようにと更にセドリックが間に入るように前に出る。だが、そこで四人の騎士に挟まれればそれ以上二人も動けなくなる。お姉様っ、と唱えるように呼びながらティアラが必死に石橋の向こうにいるプライドへと届くわけのない手を伸ば
「いっ……あ、あ、ああァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼︎‼︎‼︎」
「っ……⁈」
武器を握った手のまま頭を抱え、俯き、喉を裂くような悲鳴がプライドから放たれた。
狂気に浸り切った彼女に、亀裂が入る。
原動力としかなっていなかった筈の狂気が、どちらも叶わないことで行き場を奪われ頭を犯す。思考を引っ掻き、脳の信号を破壊し、内側から無数の針で刺す。電流を流し過ぎた機械のように内側から熱を発して焦げ出した。
常軌を逸したその声にティアラは思わず足が止まった。ビクッと足を固めて声に押されるように慄くティアラを背後にいた騎士が受け止める。そして声も出ないままにプライドを凝視した。
まるで頭が割れるかと思えるほどの嬌声は、プライドに対峙するアーサーの鼓膜を引っ掻いた。
「プライド様⁈」と名を呼び、一瞬罠かとも思ったが放っとけない。ステイルもまたアダムをつき飛ばして立ち上がる。アーサーが手を伸ばそうとした瞬間、プライドが長い髪を振り乱すように勢いよく顔を上げた。叫び声も同時に止まり、プライドのその表情に思わず誰もが息を飲む。
苦痛に歪み、怒りにも似た激情が煮え滾ったかのような表情に。今まで見た事のないプライドのその表情は憎しみも混じっていた。そして同時に
「ッ‼︎皇太子が‼︎‼︎」
ドミニク‼︎と、直後に隊長のケネスが部下へ呼び掛ける。
叫びにステイルが振り返れば、突き飛ばした先にアダムがいなかった。居たはずの場所に駆け込み、手を伸ばすが何の感触にも届かない。アダムに剣を突きつけていた騎士も辺りを見回し、急ぎステイルを守る形態へと切り替えた。
プライドに注意を奪われている間に消えられた。が、騎士も完全に注意から外していたわけではない。その隙に逃げられるほど騎士は甘くない。それにも関わらず消えたということは
「ッ隠し扉です‼︎‼︎対象は透明化をしています‼︎」
そう言いながら、石橋の向こうから温度感知の特殊能力者でもあるドミニクが駆け込み、銃を構えた。
内部へ入る為の唯一の手段である隠し扉が開かれ、そこにアダムが飛び込んで行くのが温度感知の特殊能力がはっきりと捉えた。ステイル達も目を向ければ、先程までは閉められて石畳みと同化していた隠し扉がいつのまにか開かれている。
逃すかよ‼︎とアーサーが姿が見えないことも構わずに、開かれた隠し扉へ向かい走り出す。温度感知の騎士は全員銃を構え、その場から逃すまいとアダムへと照準を合わせた。アダムが完全に塔の内部に消えるより前にパァンッ‼︎と複数の乾いた音が木霊する。見事に全てが命中し、
銃を構えた騎士が手を押さえ、呻いた。
「ア、ハハハッ……。」
アダムへ撃つより先にプライドの銃が火を吹いた。
さっきまで頭を抱えて激情に飲まれていた筈のプライドが笑っている。痙攣したように引き上げた口端は力なく、目は濁りきっていた。
アーサーがアダムを追おうとプライドから離れたのが失敗だった。銃声に、自分に向けて撃たれたかと反射的に跳ねて身構えたアーサーだったが、プライドの目的はすでに彼ではなかった。
アダムとティペットの姿が見える温度感知の特殊能力者。その手を止め、阻む為だけに彼女の銃は放たれた。
しまった、と誰もが思った時には隠し扉が閉ざされた後だった。痛みを堪えながらその姿を捉えた温度感知の特殊能力者には、はっきりとアダム達が石畳みの下に消えていったのが見えた。
アーサーが閉ざされた隠し扉を開けようとしたが、既に石畳みと同化したそれは外側からは開けない。
ヴァルに塔の下へ落とされて気を失い、とうとう目覚め、上がって来たティペットは隠し扉の隙間から様子を伺い続けていた。気配を殺し、アダム奪還の隙を狙い、そして今。ステイルがアダムを手放し、全員の意識がプライドへ逸れた瞬間取り返す。
閉ざされた隠し扉を開こうとアーサーが剣を突き立てるが、それでも開かない。
他の騎士達も追い付き、開けようと試みるがやはり無駄だった。アーサーが剣を突き立てたそこはもう、他の石畳みと同化してしまって何もない。取っ手どころか繋ぎ目すらわからない。
口の中すら飲み込めず、何か方法はと騎士達が声を掛け合う。銃も、剣も、特殊能力で攻撃しても隠し扉はビクともしない。すると
「アッハハハハハハハハハハハ‼︎ハハハハハハハハハ……アハハハ‼︎アハハハハハハハハハハハ‼︎‼︎」
プライドの大笑いが響き出す。
銃と剣を両手に携え、文字通り狂ったように笑い出す。広げた両腕で天を仰ぎ、危なげに眼光を放ち、深紅の長い髪を振り乱し、顔を紅潮させた姿は月明かりに照らされ、まるで幻妖だった。
一体なにがそこまでおかしいのか。
単にプライドが狂いきってしまったのならばわかる。だが、協力者であるアダム達はプライドを置いて逃げた。そして何故彼らを逃したのか。疑問が次々と浮かぶ中、アーサーはプライドへと駆け出した。
プライド様‼︎と叫び、近付いてもプライドは構えを取るどころか、見向きもしない。本当に壊れてしまったのだと思えるほど甲高い笑いを止めない彼女の手を掴む。すんなりと掴まれ、それでもプライドは肩を震わしたまま笑うことを止めない。
「ップライド‼︎何故奴を逃したのですか⁈‼︎」
ステイルが顔を真っ赤にして叫ぶ。
怒りの感情をそのままに青筋を立てて睨むステイルに、プライドはクククッ……と笑いを堪えても堪え切れない。だが、アーサーに左手を掴まれながら笑うプライドは楽しげに足でリズムを取った。タンッタタンッも踊るように何度も踵を鳴らし、身体を揺らす。踊り出してしまいたい衝動を抑えながら、彼女はやっと笑い声以外を口から放つ。
「決まってるじゃなぁい。だって……」
フフッ……アッハハ‼︎とそこでまた笑い声が溢れ出す。
そうしている間にも多くの騎士がどうにか隠し扉を壊せないか、どうにか内部へと、石橋を渡り次々と騎士が展望台へと移ってくる。ティアラとセドリックを騎士達が護り、引き止めるように囲う。
ステイルが方法を必死に探しながら通信兵へ本陣に報告を投げさせる。それを眺めながら、プライドは笑みを引き上げた。さっきまでの抵抗が嘘のように彼女は逃げる素振りすらしない。だが、観念したとも思えない不気味な笑みが誰の心もざわつかせた。そしてとうとうプライドが首を傾け、恍惚とも見える表情で一度切った言葉の続きを紡ぎ出す。
「これで、やっと終わるもの。」
独り言のようで邪気も孕んだその声は、騒ぎの中では大して響かなかった。
至近距離にいたアーサーと騎士達だけにそれは届いた。は……⁈とアーサーは思わずそれに聞き返す。プライドの笑みとアーサー達の様子からステイルも訝しみ、眉を激しく寄せて見返した。そのまま自身もプライドの元へ駆け寄ろうとした、その時。
足場が、瓦解した。
『もし万が一私が捕まりそうになったら手筈通りにね』
展望台の下方から聞こえた鼓膜を突き刺すような爆発音。
展望台にいる全員が、崩壊と共に足元の亀裂から吹き出す爆風に煽られた。
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