552.王弟は選ぶ。
「おやおや、……まさかここまで嗅ぎづけられるとは。」
深紫色の髪が畝り、俺達を見て笑う。
言葉とは裏腹にこの男は俺達をまるで待ち構えていたかのようだった。獣のような細い目とその奥の赤黒い瞳。何よりねっとりとした軽薄な笑みに殺意が湧く。やっと見つけた隠し通路を入ってすぐ、その男は現れた。
ニヤニヤと薄い笑みが俺達を舐め、嘲笑う。身体が沸騰するように熱くなり、俺は腰の剣を迷わず握った。
俺は、この男を許しはしない。俺にとって憎き大敵……兄貴と兄さんを最初に苦しめた元凶の一人‼︎
背後にいるティアラに下がるように声を掛け、俺は剣を構える。
「ッ一年前の恨み、ここで晴らしてくれる……‼︎ラジヤ帝国……‼︎」
「おや、何処かでお会いしましたか⁇」
しらばっくれるな‼︎と、俺は声を荒げる。たとえこの男が俺を知らずとも、俺は知っている。知らないとは言わせない、覚えがないなどと言わせない。何故ならこの男はっ……‼︎
「我が名はセドリック・シルバ・ローウェル‼︎‼︎ハナズオ連合王国サーシス第ニ王子!一年前に貴様らが侵略したチャイネンシス王国の片割れだ‼︎」
吼える。
目の前の男に殺意を持って息を吐く。
俺の叫びにティアラが「セドリック……‼︎」と心配そうに呼び掛ける。大丈夫だ、と返しながらも俺の胸は酷く騒ぎ出す。俺の叫びに薄く笑みを広げるあの男に殺意しか湧かない。
─ これは。……ああ、知っている。この男の、顔を。
ラジヤ帝国。元はと言えば、奴らが我が国に侵略の刃を向けなければあのような悲劇は起こらなかった!
俺を知らないだと?ふざけるな。俺がティアラの婚約者として城へ訪れた後、貴様は女王と並んで俺を見下ろしていただろう‼︎ティアラを惚れさせるのは順調かと、あの悪魔の隣で不快な笑みを浮かべていた‼︎俺をハナズオ……ッサーシス王国の王子と知った上で、女王の偽りに踊らされているのを楽しんでいた分際で……‼︎
─ ……ッ忘れるものか。
女王は、俺との約束を守る気など最初からなかった。
たとえ、ティアラを惚れさせ手にかけたとして……それで苦しむ俺の顔もまた眺めて楽しもうと、その上で今度こそ俺から最後には全てを奪うつもりだった。
罪なき王女をこの手で殺めた俺の着替えまで兄さんにさせるつもりだったと聞いた時は、血が凍った。そして最後は、……俺がサーシス王国へ帰国したところで我が国をフリージア王国騎士団で侵略するつもりだった。
女王の策を知ったステイル摂政が、城下に身を潜める俺達の元へ瞬間移動で現れ、そう教えて下さった。……もう逃げられる場所など何処にもないのだと思い知らされた。
生き抜く道は互いに自国を捨てて知らぬ国へ逃げるか、それともティアラが女王に名乗り出るかの二つ。
そして俺達は覚悟を決めた。鎖や土壁の特殊能力者や追っ手を突破し、城まで辿り着き、そして
「ああ〜!…………そんな国、ありましたっけ?」
「貴、様ッ……‼︎‼︎」
殺してやる……!
その決意を胸にとうとう俺は駆け出した。
ラジヤ帝国も剣を握り、俺を迎える。挑発に乗せたと確信の笑みと共に奴は俺の剣を払い、突きを繰り出した。だが、跳ねて避けた俺は逆にその剣を弾き返す。
奴の剣を振られては払い流し、隙を突かれる前に避け続ける。ここまで来るまでに多くの追っ手や騎士の闘いを目にした。一年前には嫌という程、フリージア王国騎士団の凱旋を目にしたのだから。彼らの技を借りれば、指令台に踏ん反り返った皇太子など敵ではない。
剣を打ち、払い、時間をかけて奴の動きを全て見切っていく。全ての攻撃の流れを記憶した俺には、奴の戦闘の癖も手に取るようにわかる。
「ッそこだ‼︎‼︎」
奴が次の動きに移る前に、剣へ力が抜ける間を見計らい弾き飛ばす。
キィィンッ‼︎と質の良い鋼の音が鳴り響き、ラジヤ帝国の剣が宙に舞った。奴の懐がガラ空きになった今、とどめを刺すべく剣を振り上げる。すると奴もまた同時に動いた。拳で挑むつもりなのか、自ら剣の範囲に飛び込み、そして
俺に、触れた。
……ザシュッ、と。
口ほどにもなく、ラジヤ帝国の身をこの剣で斬り裂いた。
本当に触れられただけだった。拳で無ければ毒針でもない。押し飛ばされることもなく、ただ俺に触れた奴はただこの剣の餌食になりに来たようにしか見えなかった。
─ !駄目だ、まだ殺してはならんというのに‼︎プライドを、彼女を戻す方法は奴しかっ……
しかし、ラジヤ帝国は信じられないと言いたげに血走った細目を限界まで見開き、俺を見た。
何か言おうとしたのか、口は開いたがゴブッと言葉の代わりに血溜まりを吐き出した男は俺へ触れる手を伸ばしたまま崩れ落ちた。肩から斜めに斬り裂いた傷は、鮮血から肉の奥まで覗かせる。
自分で傷を押さえる気力もないようにぐちゃりと自らの血溜まりの中へ倒れ込んだ男は、あっという間に虫の息となった。最後は指先一つ動かすことも叶わないまま、瞳の色が落ち、最後には血色を失い絶命した。
─ …………なんてことだ。
瞬き一つ、呼吸ひとつしなくなり、血に染まる男を前にティアラは顔を両手で覆っていた。
今ので軽蔑されたか、それともこの男にも心を痛めたのか。彼女はまだ塔から出て暫くしか経っていない、戦も知らない乙女だ。衝撃なわけがない。……だが、しかし。
「……すまないティアラ。……怪我はないか。」
「……っ。ううん、大丈夫っ。行きましょう、早く────様を止めなくちゃ‼︎」
彼女は、強い。
顔を両手から上げた彼女は、下唇を噛んで強い眼差しを俺に向けた。自国を救う為、覚悟を決めた彼女の心は俺と到底比べられぬほどに強かった。
そうだな、と言葉を返して彼女へ手を差し出す。たった今、敵とはいえ人間を一人手にかけた男の手だ。だが彼女は迷いなくその手を掴み、握り返した。
上層部も殺された今、残された道は女王の暴走を止めること。そして俺は奴を討つ覚悟で挑むと決めた。
たとえこの身と引き換えにしても、女王を野放しになどできない。奴がいる限り、必ずまた同じような悲劇が引き起こされる。…………もう、あのような目に遭うのは俺達だけで充分だ。
「…………嗚呼、……本当に来て……しまったんだね。」
通路を走り続けてきれば、また影に阻まれる。
まだラジヤ帝国の手の者かと剣を構え、……止まる。その前にティアラがその男の名を叫んだからだ。
「レオン王子殿下っ……‼︎」
何故貴方が……‼︎と叫ぶその声は悲痛を混じえていた。
レオン王子、確か女王の婚約者。名ばかりの王配……だろうか。俺も姿を目にするのは初めてだった。ティアラの誕生祭でも女王との謁見でも一度も姿を現したことのない男だ。半端な長さの蒼い髪をボサボサと乱したまま流し、血色の悪い肌がまるで死人のようだった。ジトリと湿った目と、何より王族とは思えない鬱々とした表情が戦意すら感じられない。
レオン王子はティアラの言葉に悲しげに瞳を揺らすと「スープの礼をこんな形ですることになるとはね」と自嘲じみた笑みを零した。剣をぶらりと握り下げ、死んだ眼差しを俺へと向ける。
「悪いことは言わない。……ここで引き換えすんだ。この先、たとえ僕を殺せても君を更に苦しめるものしか待ってはいないよ。」
更に苦しめる……?どういうことだ。俺は、苦しみの連鎖を断ち切る為にここまで来たというのに。
なにかの陽動かとも考えながら、俺ははっきりと彼の言葉を断ずる。更に苦しめるとは何だ、女王の圧政を超えるものなど有りはしないと告げてもレオン王子の表情は鬱々としたまま変わらない。そうか、と短く返した彼は今度こそ剣を構える。そして、震える手で言い放った。
「僕も、……僕の為に。そして、君がこの先で〝彼〟と殺し合いをするくらいなら、その前に終わらせてあげよう。…………それくらいしか、できないから。」
僕には。とやはり哀しげに翡翠色の瞳を揺らすレオン王子は、次の瞬間には俺に飛びかかってきた。
〝彼〟とは一体誰のことなのかわからない。レオン王子までもが何故、俺達の前に立ちはだかるのか。まさか本気であの女王に惚れているとでもいうのか。……俺には全く理解できない。
「お願いしますレオン王子殿下っ!私達はこの国の為にどうしてもこの先にっ……」
「ッティアラ、下がっていろ。」
必死な訴えるティアラを再び背中に隠す。
彼女の声は、……届かない。必死に訴えるティアラの言葉もまるで聞こえてすらいないかのように、レオン王子は剣を抜いている。その翡翠色の瞳は、酷く濁っていた。
更には自ら抜いた刃にすら怯えるように、見事な構えに反してその手を酷く震わせた。一瞬、迷いを感じているのかとも思ったが、……それ以前に刃への恐怖があるかのようだった。
だがそれでもレオン王子は止まらない。歯を食い縛り、何かに追い立てられているかのように俺へと駆け出した。俺も彼へと応じ、石畳みを蹴り上げる。
負けるわけにはいかない。
我が国の為、フリージア王国の罪無き民の為、そしてティアラを、……今度こそ大事なものをこの手で守り抜くその為に。
銀色の一閃が走る、互いに交差し火花が散る。そして
─ 何故俺は。
……何故、また傷つける?
もう、散々多くを傷つけてきただろう。
兄貴を追い詰め、兄さんから全てを奪い、民の血に染まり、ティアラを殺そうとし、プライドを救う唯一の方法を己が憎しみの為に殺し、更にはレオン王子にまでも刃を向ける。
俺は、どこまで愚かなんだ。あの女王に陥れられ、……いやプライドに救われた時に全て理解し……、…………………………?
─ 俺の現実は、どこだ?
全てを守りたい。
愛したティアラを今度こそ守りたい。
フリージア王国を救いたい。
プライドを救いたい。
女王を殺し、全てを終息させたい。
この手を伸ばし、断罪したい。
どういう、ことだ。何故、俺はどうしてー……
……
…
「ッセドリック王子っ……‼︎ここ、にもお姉様は居られないならっ……、……次、に……。」
ティアラの息を切らせた叫びを聞き、振り返る。
彼女へ返しながら俺も息を切らす。大した高さではないが、やはり鎧姿で登り下りを繰り返すのには骨が折れる。今も、彼女より先に屋上に上がり隠し扉を捜索しはしたが、やはり体力の限界はある。
ここまで体力勝負となるならば、昨夜は体調にも万全を期すべきだったと今更ながら後悔する。アネモネ王国に一秒でも早く船を着かせる為にと気を張っていれば、殆ど眠れもしなかった。……しかも、その短時間の睡眠すら眠りが浅かった。悪夢でも見たのか、目を覚ましては魘されるのを二度は繰り返した。
息を整え、俯くティアラへ目を向ければ彼女も未だ息を切らせている。慣れない鎧姿で身体も細い彼女ならば余計に辛いだろう。
ヴァル殿と再び別行動を取ってから、四つめの塔を登り切った後だった。護衛の騎士と共に中の階段を全て登り、途中で隠し扉などが無いか確認し、屋上に上がってから更に捜索し、そして再び階段を降りて次の塔を目指す。…俺達はそれをひたすら繰り返していた。
ヴァル殿と共に行動していた時は、屋上へ登れば特殊能力で帰りは降ろされた。逆に屋上へと特殊能力で上げられ、そこから階段を降りながら調査をすることで時間も短縮できた。だが、今は階段の往復をどちらも繰り返すしかない。
しかも、登りは体力こそ奪われるが一歩一歩確実に上がれるから良い。だが、降りになれば体力の消耗と共に膝が震え、ティアラは既に何度か転倒しかけた。
「っ……行きます……‼︎次の、塔の場所……っ。……セドリック王子はご存知ですよね……⁈」
案内をお願いします、とやはりまだ息を切らせているティアラの膝はまだ震えていた。
座り込んでは余計に立てなくなると知っているからか、両膝に手をつき、背を丸くしていた彼女が再び姿勢を正す。確かに、当然城内の塔の配置は全て頭に入っている。だが、……。
「…………。」
膝を震わす彼女から一度離れ、俺は塔の上から下を見下ろす。
それなりの高さがあるが、城内の塔の中では並の高さといったところか。だが既にこの高さでも、登れば最初よりも息を切らす時間が長引くほど彼女の体力は削れている。俺一人であれば、飛び降りることはできるだろうがティアラを抱えてでは難しい。体勢から重量やバランスも一人の時とは違い過ぎる。
「……っ、……ごめんなさいっ。……そうでしたね、……セ、ドリック王子は、直接降りられるならば先に待っていて下さいっ……。私も、すぐに追いつきますから。」
俺の思考を読んだかのように、彼女が俺に背中を向けて歩き出す。
扉に向かい、階段を降り始めようとする彼女を俺も追う。俺が駆けたことに足音で気が付いたのか、ティアラが首を捻らせながら振り返った。俺が塔から飛び降りなかったことが不思議らしい。一年前、防衛戦で俺がプライドを追って城から飛び降りたのを彼女は知っている。
「……あの高さは難しかったですか?」
壁に手をかけながら、一段階段を降りる彼女が俺に問う。
難しくはない。だが、俺一人では意味がない。
首を振り、それでも納得いかない様子のティアラの隣を横切り、先に彼女の前方まで降る。この位置でなければ、今までのように転倒した彼女を受け止められない。彼女と足並みを揃えながら、俺は言葉を返す。
「お前から離れては共に行動する意味がない。お前が降りられないならば、俺も階段を使う。」
「…………可能な限り体力の温存はすべきですっ。」
俺の言葉に呆れたようにティアラが息を吐く。
今度は転ばないようにちゃんと気をつけますから、と前方に立った俺の裾を引いた。近道があるならば使うべきだと俺に再び塔の外を指で指し示す。だがそれも断り、丁重に彼女から手を離させる。
「気にするな。もしお前の足手まといになった時は置いて言ってくれて構わない。……少なくとも、お前の体力の限界よりは長らえてみせる。」
「〝共倒れ〟という言葉をご存知ですか?」
手は離してくれたが、代わりに怒ったように頬を膨らませる。
当然、言葉もその意味も知っている。そう答えながら、階段を彼女に合わせて早足で降りる。今回は手摺の無い階段の為、壁に手をつく彼女は降りにくそうだ。
確かに俺が体力を無駄に消費し、万が一の時に彼女を守れなければ意味がない。……だが。
「お前を手離したことをこの先で後悔するくらいならば、それでも構わない。……大丈夫だ。倒れる時は俺一人で良い。」
もし、俺が離れている間にティアラに何かあれば。……彼女の望みが叶わぬ事態に陥れば、俺は一生後悔することになる。それならば、俺が彼女の負担を少しでも減らして朽ち果てる方がずっと良い。
今度こそ、大事なものをこの手で守り抜くその為に。
「離れはしない。絶対に。」
手摺がないならばと、彼女に俺から手を差し伸べる。
降りるのに壁よりは掴まりやすいかと思ったが、……断られた。俺の言葉に怒りで顔を真っ赤にした彼女は壁に手を付くどころか、両拳を握り降ろしたまま踏み鳴らすように階段を降り出した。どうやら言う事を聞かぬ男だと怒らせてしまったらしい。俺から完全に目を逸らしてしまった。
まだ膝が辛いのか、フラつきながら降りる彼女に声を掛けながら、彼女の先を降りる為に俺も足を速める。大丈夫か、と彼女が転倒しないか留意しながら降りれば「なんでもありませんっ‼︎」と半ば怒鳴られた。
彼女をまた怒らせてしまったことを反省しながら、それでも共に階段を駆け降りる。
怒りに任せて階段を駆け降り続けた彼女がやはりフラつき、転倒したのを再び受け止めたのは更に十七段目を降りた直後だった。




