545.配達人は確かめる。
「なァ……、なんでマートさんまで巻き込ンでんだ?」
うるせぇ、とアーサーからの投げ掛けを一蹴し、ヴァルは窓のカーテンを閉め切っていく。
アーサーと取引成立をしてから、ヴァルは部屋に誰も入ってこないようにとドアも窓も完全封鎖した。一体どういうことだと尋ねる七番隊騎士のマートにも「テメェも巻き添えだ」と断ったまま部屋から出ていかないように牙を剥く。隷属の契約で一般人を監禁や拘束できないヴァルは、逐一部屋にいるアーサーとマートに断りながら部屋を閉じていく。
「本当に、ここにはアーサーとその人しか居ないんですか⁇」
「医者達もいるが、緊急事までは地下に避難している。それ以外はアーサーだけだ。」
騎士団に既に医療部隊としてのある程度の知識や技術がある七番隊がいる為、病気や治療が必要な怪我人が運び込まれない限りは戦場に医者は加わらない。そして現時点で、地下の緊急用の隠し部屋や避難所に逃げ込んでいる彼らを必要とする事態にはまだなっていなかった。本来ならば怪我人のアーサーもそこに避難するべきだったが、あまりにも重体だった為に狭い地下室への避難は不可能だった。
ケメトの質問に答えたマートをセフェクが警戒するように遠目から吊り上がった目で睨む。そりゃあ都合が良い、とヴァルが相槌を打ちながら最後に部屋の外に誰もいないことを確認した。
今はマート以外、騎士は全員国内と城内の警護に回っている。一見無用心にも見えるが、まだ城内に敵が攻め込んでいない証拠でもある。敵が入り込めば一気にここも警戒体制が強まり、多くの騎士が張り込むことになるのだから。
ヴァルが扉を閉め直した途端、ケメトはマートの袖を軽く引いた。「お願いがあります」と丁寧な言葉で断るケメトに、マートは首を捻る。何故ヴァルではなく突然ケメトが話し出したのかと考えながら、次の言葉を待てばケメトは真っ直ぐとマートの顔を見上げて目を合わせた。
「アーサーに、もう一度だけ特殊能力を使ってみてもらえませんか?怪我をしてるところに。」
お願いします、と重ねるケメトにアーサーは目を丸くした。
まさか、と思いながら以前にヴァルがケメトと離れても特殊能力を使えるようになったことを思い出す。後にステイルからその詳細も聞いていたアーサーだが、少なくとも彼が知る限りはケメトはヴァルとセフェク以外には特殊能力は使えない筈だった。だが、もしケメトが誰にでも特殊能力を使えるようになっていたら、と。そう思った瞬間、アーサーの鼓動が速まった。どくん、どくんと湧き上がる期待と緊張を抑えつけながらケメトへ視線を注ぐ。
「構わないが、……もうアーサーには運び込まれた時に処置は行った。僅かにしか回復はしない。……それぐらいの重体だ。」
お願いします!とそれでも折れないケメトの訴えにアーサーは確信する。
確認するように一度ヴァルの方へ振り向けば、軽く睨まれた後に目を逸らされた。最初は、ヴァルの言葉に何も考えずに飛びついてしまったアーサーだが、もしケメトの特殊能力が僅かでもマートに効果を出せればと考える。右腕が動けとまで贅沢は言わない。せめてそれ以外の傷だけでも、左腕だけでも治ってくれればと切に思う。ケメトの訴えに負け、マートが押されるようにアーサーに「良いな?」と確認を取った。そして、一番致命傷になりかけた肩の傷に両手をかざし、特殊能力を使った。
ケメトはそれを確認してから、そっとマートの背に触れる。ぺたり、とケメトが触れた瞬間にアーサーは思わず身構えたが、全く変化は起こらない。
あれ?と予想が違ったのかとアーサーは瞬きを繰り返したが、ケメトは予想通りだったかのように表情が変わらない。そのままマートの背に手をついたまま、もう片手を別の方向へと伸ばし笑みを向けた。
「お願いします、ヴァル。」
少し嬉しそうに笑うケメトに、ヴァルは鋭い目つきで口を一文字に結んだままのっそりと歩み寄る。
背後から「早くしなさいよ!」とセフェクがぐいぐいと背中を押すが、ヴァルは不満げにしかめ面をしたままだった。既に確信を持っている様子のケメトと違い、ヴァルは未だそれに関してだけは懐疑的だった。本当に自分が必要なのか、と。だが、現に今のマートには何も変化は見られない。
『なるほど、二日……ですか。意外と短かったですねぇ』
自分へ手を伸ばし、笑うケメトを眺めながらヴァルは十ヶ月ほど前のことを思い出す。
始めてケメトに触れずに特殊能力で砂を操れ、また二日後には自分の本来の特殊能力しか使えなくなったことをプライド達に報告しに行った時だ。
『ヴァルにだけ可能ということは、ケメトの成長や……あとは心理的要因が関係してる可能性もあります』
ジルベールの分析を聞きながら、顔ごと逸らしたヴァルは何となくケメトとセフェクに目を向けていた。
興味深そうにヴァルの隣から話を聞くセフェクと、自分の特殊能力が二日しか保たないことに残念がるどころか寧ろどこか安心した様子でいたケメトの姿をよく覚えている。
『例えば、特殊能力でも意識下、無意識下で使えるかが特殊能力や能力者によって異なるように、本人の意思が必要な場合もあります』
セフェクに押され、いやいや仕方なくといった様子で前に出る。
諦めずに自分へ手を伸ばし続けるケメトを上から睨む。アーサーに大口叩いておいて失敗すれば良い恥だと本気で思う。
『恐らく、彼自身が無意識下で特殊能力を使う相手を選んでいるのではと。その条件まではわかりませんが、それが今回の件にも関係していると思われます。……ケメト、貴方にとってヴァルとセフェクの違いは?』
それを言われた時、ヴァルは会ったばかりの頃のセフェクとケメトを思い出した。
まだ三歳だったケメトにセフェクは特殊能力を隠せと、知られたら危険だと言い聞かせていた。そして更に、自分の力が強大だということは自覚させられていた。その所為かと、それだけは何となく理解できた。
今でこそセフェクよりは人との関わりが円滑にできるケメトだが、もともとは親に捨てられ、セフェクに拾われる前も後も下級層の人間に石を投げられ続けていた。そんな人間が、ずっとセフェクに。自分が唯一信頼できた人間にそう教え込まれてきた。
プライドやアーサー、ティアラやステイルのことを親しく思っていても、自分の絶対的存在に教え込まれたものは変えられない。どれだけ頭で理解していても、信頼できても、一番底にある過去による人への不信感もトラウマも簡単には拭えない。
ケメトは自分の絶対的な存在にしか特殊能力を解放できなくなっていた。
そして自分だけでなく大事なセフェクのことも助け、大事なものを与えてくれたヴァルもまた、ケメトにとっては絶対的な存在になった。更には、時を重ねて経験を得るごとにケメトの中で最初は同じだった〝絶対的存在〟であるセフェクとヴァルに対しても、考え方は少しだけ方向を変えていた。
『セフェクは、護ってあげたい人です』
自分を拾ってくれた、ずっと護ってくれたセフェクだからこそ。
本当は誰よりも傷付きやすくて繊細な女の子だからこそ、そう思う。今は身長も単純な力も彼女に敵わないが、それでも家族として出来る限りセフェクを護ってあげたいとケメトは思う。そして
『ヴァルは』
セフェクに背を押され、とうとうヴァルはケメトの前に立つ。
嫌そうに顔を顰めながら、ヴァルはその手をケメトへ伸ばす。始終不満と不快しか露わにしないヴァルをケメトは全く気にしない。むしろ今この瞬間、自分とヴァルとの絆がまた一つ確かめられるのが楽しみで仕方ない。ヴァルの我儘を聞いてあげられる今が、嬉しくて仕方ない。
『ヴァルは、護ってくれる人です』
パシンッ、とヴァルがケメトの手を掴み取る。
その瞬間、ケメトに触れられているマートから絶叫が放たれた。
ゔ、ぁあ……ああああぁあああああああああああああ⁈と、今まで聞いたことのないマートの絶叫にアーサーは思わず彼の名を呼ぶ。だが、同時に覚えのある光景だと思えば次第に自分の身体の変化に気がついた。驚きよりも、戸惑いが遥かに大きい。自分の身体から痛みや不自由さがみるみる内に奪われていく感覚にアーサーも思わず目を剥いた。更には折れていた左腕が普通に動いた瞬間「え⁈‼︎」とマートに負けない絶叫が放たれた。直後に喉も完全に回復していることに気付き、その左腕で自分の喉を押さえた。確かめるように自分の肩や腹に触れれば、もう腫れも傷も痛みも感じない。あまりに短時間過ぎる回復に、とうとうアーサーはぽかんと放心してしまう。
『私だってちゃんと護ってあげているのに‼︎』
ケメトからその違いを聞いた時、セフェクがそう言って怒っていたのをヴァルは静かに思い出す。
目の前で怪我を回復させていくアーサーと、やっと絶叫が止んできたマートを眺めながら。
ケメトにとってヴァルは、常に自分達を守ってくれる存在だった。自分だけではない、自分の大切なセフェクのことまで護ってくれる絶対的な存在に。
だからこそ、ケメトはヴァルにだけは全てを委ねられた。身体の成長に伴い、特殊能力も進化させたケメトだが、本人自身の深層心理によりその力は酷く限定的だった。
ジルベールが触れた人物の年齢を操れるように。
ステイルが関係を持った上でよく人物像を理解した人間の場所にだけは直接瞬間移動できるように。
まだ十歳のケメトは〝触れている人物〟から〝触れた人物〟の特殊能力も増強できるようにはなった。しかし、触れている間すら増強できる相手はヴァルとセフェクだけ。更には〝触れた人物〟という、完全に自分の特殊能力を〝委託〟するようなことができる相手は絶対的存在として力を委ねられるヴァルにだけだった。
「……あ……アーサー……左腕っ⁈これは、……お前っ……まさか傷が……⁈」
特殊能力を使い終えたマートは、瞬きを忘れ過ぎて見開いたまま痙攣した目でアーサーを覗く。
自分の特殊能力が突然強まり、暴走するような感覚さえ覚えたマートだが今はそれよりも目の前のことの方が衝撃的だった。ぽかん、としたままのアーサーの左腕をそっと手に取り、さっきアーサーが動かしていたように可動させてみる。どんな動きでも全く問題なく円滑に指先まで綺麗に動いた。包帯を外してみれば、綺麗な腕がそこにあった。腫れが引かれただけではない、完全に元どおりに骨まで接着しているのをマートはその手で確認した。
─ 他者に対し、触れている間も自分の意思では特殊能力を使用できないケメト。
逸る気持ちを抑えながら、マートは「まさか」と次々と手前からアーサーの包帯を外していく。
肩の傷も包帯の下から綺麗に消えていた。あれほど深い傷が、消せない痕が残ったであろう傷が嘘のように消えている。
─ 彼が唯一特殊能力を委ねられる相手であるヴァルに触れた時だけ
おい!喉の調子は⁈と、茫然状態のアーサーから返事がないのも構わずマートが今度は腹部の包帯を少し乱暴に外す。
やはり予想通り、擦り傷ひとつも残っていなかった。試しに強めに圧迫してみたが、アーサーは全く痛みを訴えない。体全体どこにも傷の痕すらない。そして……
「アーサー……‼︎右、……腕……⁈」
マートは目を見開いたまま手を伸ばせない。今度こそ驚きが勝り、身体が動かなかった。
やっと茫然状態から戻ってきたアーサーは、口を開けたままその違和感に声も出ない。今まで、当然だと思っていた感覚を一度は失い、そしてまた今取り戻していることに気がついた。
恐る恐る、本気で信じられないように自分の右腕に目を向けた。自分の意思通りに、その手のひらが開いては閉じるを繰り返している。いっそ怖いと思いながら、アーサーはゆっくりと包帯に巻かれた自分の右腕を上げてみた。本当に何の不自由もなく、右腕が〝元の感覚のまま〟当然のように動いた。
右手を強く開き、カーテンを閉ざされた部屋の中でまるで灯りを見つけたかのように掲げた自分の右腕を眺めてしまう。マートが震える手を伸ばし、今度はそっとアーサーの包帯を外した。左腕と全く同じように、傷痕一つない綺麗な腕がそこにはあった。
「マートさん……」と何かを言いかけるアーサーをマートは「待て、確認させろ」と先ほどと同じように可動を確認し、指示をしてアーサー本人の意思でもいくらか動かさせた。
─ 自分の意思で、他者にもその特殊能力を発揮できるようになっていた。
「……感覚……あります……!……動き、ます……、……っ動きます‼︎腕‼︎身体も!全部ッ‼︎‼︎」
マートさん‼︎‼︎とアーサーが今目が覚めたかのように飛び起きた瞬間、マートがその両腕で力の限りアーサーを抱き締めた。
アーサー‼︎と呼びながら、マートが満面の笑みで腕に力を込める。一瞬だけ背中が反ったアーサーだが、倒れこむことなく持ち堪えた。マートを抱きしめ返しながら、背後にいるケメトを見れば嬉しそうに笑うその笑顔がちょうど目に入った。
ヴァルは既にその場から離れ、セフェクと一緒に遠慮なくカーテンを開き始めていた。バサッ、と外の光景が目に入った途端、アーサーは気が付いたように目を見開いた。今がどのような状況か、そして今〝自分は動けるのだという事実〟がアーサーを急き立てる。
アーサーが目で傍に置かれた服や剣、鎧を確認している間にもヴァルは荷袋を背負い直していた。セフェクとケメトを呼び、開けた窓に足を掛ける。「ちょっ!待て‼︎」と声を上げるアーサーにマートも身体を離して振り向いた。
片眉をあげてアーサーに目を向けるヴァルだが、窓に足を掛けたまま引っ込めない。その間にもセフェクとケメトはヴァルの傍まで来てしまう。
「ッマートさん‼︎すみません俺行きます‼︎さっきのことは本気で極秘でお願いします‼︎‼︎」
跳ねるように飛び上がり、ベッド脇にあった靴を急いで履き込んだ。
え、おい⁈とマートがあまりのことに狼狽すると、アーサーは反対の靴を履きながらヴァルへ「俺も乗せてけ‼︎」と叫んだ。それにはヴァルも「アァ⁈」と声を上げて不快に顔を歪める。
「ッふざけんな‼︎なんで俺が騎士のガキなんざと一緒に行動してやんなきゃならねぇ⁈」
「途中までで良いから‼︎頼む‼︎」
ふざけんな‼︎‼︎とヴァルが急いで逃げるようにセフェクとケメトの腕を引き、今度こそ窓から飛び降りた。
特殊能力を使い、壁面を操り急速降下するヴァル達をアーサーも追い掛ける。鎧を着込むのも諦め、棚に置かれた団服と上着、そして剣だけ脇に抱えると躊躇いなく窓から飛び降りた。普通の騎士でも飛び降りるのに難がある高さにあるそこから躊躇いなく飛び降りるアーサーに、マートは「鎧は⁈」とだけ声を上げた。
万全状態のアーサーがこの程度の高さは余裕だということは彼もよく知っている。窓から消えたアーサーから遅れて「大丈夫です‼︎」という声は聞こえたが、その直後には突然降ってきたアーサーへのであろうセフェク達の叫び声や「ッざけんな‼︎テメェの馬車じゃねぇんだ‼︎」「アァ⁈なんでそんな所に……」「テメェやっぱり怪我人に戻れ‼︎」というヴァルの怒号が洩れ聞こえてきたが、マートが恐る恐る窓に歩み寄って覗き込んだ時には、盛り上がった地面が急速に走り出した瞬間だった。その上にはヴァル、セフェク、ケメトと一緒にアーサーの姿もあった。
その身に、白い団服をはためかせて。
「……夢か?……これは。」
思わず一人ぼやいてしまう。
窓枠に頬杖を突き、あっという間に小さくなっていくアーサーの姿に現実味すら遠退いた。
窓の外を見れば、遠くから戦闘音が聞こえる。それだけがマートにとって現実らしい要素だった。その場に相応しくない半笑いを浮かべながら、マートは見えなくなるまでアーサー達の姿を見送る。
彼の役目はアーサーの護衛。だが、その彼は何故か全回復して戦場へ去っていってしまった。自分も追いかけたいのは山々だが、ここの地下には医者達がいる。そしてこれから激化するであろう状況でここに敵か、もしくは急患が飛び込んでくる可能性もある。何よりも、アーサーの護衛である自分は何処に行っても確実に他の騎士達に質問責めに遭う。その時、どう言い訳すれば良いかもまだ思いつかない。
アーサーに頼まれた。そして取引通りに彼らによってアーサーが全治した。黙認したマートにも、彼らの要求通り今起こったことを黙秘する義務がある。だが、今の状況で理由も言えずに「アーサーは治ったからこっちを手伝いに来た」などと宣えば確実に混乱を招く。自分の居場所は悲しくもこの救護棟しかない。
「覚えてろよ……アーサー。」
置いてかれた若干の恨みと、それ以上の喜びを噛み締めて。
死んで帰って来たら許さない、と。それだけを思ってマートは窓とカーテンを閉めた。アーサーの不在を間違っても城内にいるであろう〝彼〟に知られるわけにはいかない。完治も言えず脱走だけを知られたら自分が八つ裂きにされることは目に見えている。
─ 英雄が今、再び戦場へと飛び立った。
380.381
127-2
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