532.貿易王子は零す。
「…………すごいな…これは。」
最初の予震が始まってから国壁の上に控えた騎士達を一度避難するように呼び掛けた僕は、手摺に掴まりながら下を覗く。僕以外にも特殊能力で落ちる心配のない騎士や、自信のある者は国外の淵まで近付いて彼らを覗き込み、……言葉を失っていた。
圧倒的な破壊力を、目の当たりにして。
「ヒャハハハハハハハハハハッ‼︎」
陥没する地盤から離れた位置で、ヴァルの笑い声だけがはっきりと響き渡る。
配達人として我が国に訪れる時や防衛戦でも彼の特殊能力は目にしたけれど、ここまでの規模が可能だなんて相当だ。本当に彼は優秀な特殊能力者なんだなと改めて感心してしまう。
普通では信じられないことに、彼らの周囲と土壁で塞がれた国門から国壁までを残して、他の一帯全てが地割れを起こしていた。天災のように地震が僕らを揺らす中、敵兵の馬は何頭も乗り手を落として悲鳴を上げていた。ボコボコとまるで地面が沸騰するかのように盛り上がり、かと思えば今度はバコンッとラジヤ軍のいる一帯が陥没した。上から見るとまるで隕石が落ちた後かのように丸い陥没の跡が見えて、彼がやらんとしていることを予想できた僕まで目を疑った。
地面が沸騰し、ボコボコと地割れを起こしてヒビが入る。更にヴァルの笑い声が増すのに比例して、ボゴン、ボゴン、バゴン、ドガンッと何度も何度も地崩れが起き、丸い陥没が更に深くなっていく。その度に兵士の悲鳴や馬の叫びが響いたけれど、逆にこちらは言葉が出ないばかりだった。
もうラジヤ兵の誰もが銃どころか剣を振る余裕も残っていない。震度が増し、敵兵のいる地盤が陥没し、国門の前にいるヴァル達の足元が自分達の背よりも高くなる。……いや、彼らが地面に沈んでいるといった方が正しい。
バゴン、ボゴンと穴が大きく、更に深くなり、地平線のように一帯を埋め尽くしていた筈のラジヤ軍が〝その一帯ごと〟沈んでいった。国門の上にいる僕らの目には巨大な蟻地獄に彼らが嵌ったようにしか見えない。しかもまだドガン、ドガンと固い筈の地表が沈んでいっている。もう僕らの高さからではラジヤ兵の姿を捉えることも難しくなってきた。……この後来る我が騎士団はアネモネ王国側の国門からだろうけれど、そうでなかったら遠回りになったなと思う。
結果としてフリージアもこちら側の国門を使うような同盟国へ援軍を求めないで良かったかもしれないと思いながら眺めれば、それでもまだボコンッドゴン……ドゴン‼︎と大穴が深く深くなっていく音がする。まさかこのまま地の底まで追いやるつもりなのかなと思う深さになった頃、やっと地震がおさまった。
「ヴァル!もう、良いかい?」
ヒャハハハハハハハハハハッと揺れと陥没がおさまっても上機嫌に笑う彼に、真上から呼び掛ける。
彼ら三人以外は地上にいないからか、ぼわんと僕の声は思ったよりも広がった。
僕からの呼び掛けにヴァルの笑い声がピタリと止まる。顔を上げ、不機嫌そうな顔で手だけを軽く上げて応じてくれた。返事が返ってきたことにほっとしつつ、手を振り返すと彼はまた壁面に足を掛け、滑らかにゆっくりと国門上まで上がってきた。彼らが返ってくるのを確認してから、先にフリージアの騎士に「もう揺れの心配はありません」と言葉を掛けた。
「上がってきても大丈夫です。……もう仕事もあまりないかもしれませんが。」
僕らも出る幕はなかった、と少し苦笑すれば、騎士はまだ信じられないように穴を覗き込んだ。
僕も釣られるように覗いたけれど、……本当に深い。ここからでは底すら見えない。うっすらと耳を澄ませば声が聞こえる気がするけれど、かなり下まで沈められたんだなぁと思う。
「……人が楽しんでる時に水差すんじゃねぇよ、レオン。」
壁沿いに上がってきたヴァルは、さっきの上機嫌が嘘のように顔を顰めて僕を睨んだ。
ごめん、と笑って返しながら肩を竦めてみせる。ちらりと目を向ければ、ヴァルの腕にしがみついたセフェクとケメトも怪我一つなくて安心する。僕や周りの騎士達を上目で見上げた後、二人は改めて下を同時に覗き込んでいた。
「もう終わったなら早く確認した方が良いかなと思って。……それで、ラジヤ帝国の兵達はどうなってるんだい?」
ここからじゃ姿も見えないけれど。と言うとヴァルは鼻で笑いながら口端を引き上げて笑った。
ケメト達と同じように覗き込むと「そうだな」と悪い笑みを浮かべれ。ケメトが小首を傾げながら「死んじゃったんですか?」と軽い様子でヴァルに尋ねた。セフェクも少し気になるのか「私達からも見えなかったもの」と小さく頷きながらケメトに続く。
ヴァルは面倒そうに舌を打つとケメトとセフェク、二人の頭にそれぞれ手を置いた。
「死んじゃあいねぇ。……今の所はな。」
生き埋めにしてやっても良かったんだが、とつまらなそうに呟く彼は何か含んだようにケメトに視線を落とした。彼がラジヤ帝国の兵士を生かしていたことが少し意外に思う。
やっぱりまだ子どものケメトの前では人殺しはしたくないのだろうか。……その本人であるケメトとセフェクはわりと平然とした様子だったけれど。ヴァルなら特殊能力で穴の中で逃げられない敵兵全員を串刺しにだってするだろうと思った。だって、彼は今
「ヴァル!セフェク!ケメトっ‼︎‼︎」
突然飛び込んだ鈴の音のような呼び声に、僕らは同時に振り返った。
見ればティアラが騎士達の手を借りて国内側から国壁の上へ再び登ってきたところだった。嬉しそうに息を弾ませるティアラの背後にセドリック王子も続いている。次々と国壁上へ戻ってくる騎士達と同じように目を丸くするセドリック王子を置いて、ティアラはヴァル達の方へ駆け寄った。ティアラ!とセフェクとケメトが迎える中、ヴァルが不機嫌そうな顔のままティアラを目だけで見下ろしている。
「ご無事で何よりですっ!それでラジヤ軍の方はっ……」
「全員地の底だ。生きちゃあいるが、少なくとも自力じゃ上がってこれねぇ。」
テメェで見ろ、と道を開けたヴァルに従ってティアラが下を覗き込む。
一度「きゃっ⁈」と大規模な大穴に声を上げたティアラはその場でペタリと座り込んでしまった。あんな地獄まで続きそうな大穴が目に入ったら驚くのも当然だろう。セドリック王子が慌てて駆け寄り、彼女の背中に触れるか否かほどに薄く離して手を添えた。それから釘付けになった視線の先を彼も覗き込み目を見開く。
「これを……ヴァル殿が……⁈」
唖然とした表情でセドリック王子は目を白黒させてヴァルと穴を交互に見比べる。
彼だけじゃない、フリージア王国の騎士達や我が国の騎士も同じような表情だった。……本当に、彼は何故こんなすごい特殊能力があって七年前に捕まったのだろう。村一つの規模を簡単に地の底に沈められる力を持つ彼を捕まえるのは騎士団も相当大変だっただろうなと思う。
「酒でも注いで火ぃつけてやりゃあ一発で終わる。」
「酒より油の方が良いと思うよ?火の回りもずっと早いから。」
残虐な笑いを浮かべる彼に僕からの訂正すると、何故か目を丸くされた。
きょとん、としたケメトにも似た意外そうな彼の表情に僕も首を傾げてしまう。まさか油の方が燃えると知らなかったのかいと尋ねてみると「そこじゃねぇ」と切り捨てられた。頭をガシガシ掻いた彼は何やら大きく溜息を吐いてしまった。何か彼の予想を反する発言でもしたかなと思ったけれど、思いつかない。
「大穴に閉じ込めたラジヤ兵に関しては、騎士団にお任せするのが宜しいかと!それよりも、我々はっ……‼︎」
セドリック王子がティアラと一緒に座り込んだまま僕らを見上げる。
確かに、それが一番良いだろう。大穴に閉じ込められてから、ラジヤ兵は誰一人発砲すらしてこない。攻撃の意思を見せたらすぐに纏めて殺されることを理解しているのだろう。そうだね、とセドリック王子に言葉を返すとティアラがゆっくりとその場から立ち上がった。
僕らに向き合うように振り返って立つと、一つに括った長い金色の髪が風に流れて靡いた。唇をきつく結び、背中を反るほどに真っ直ぐ伸ばした彼女は間違いなく、第二王女の威厳を宿していた。
肩でゆっくりと息を吸い上げる彼女にセドリック王子も立ち上がり、並ぶ。彼の視線が僕らから少し逸れたと思えば、不意に背後へ気配を感じる。振り返ろうとすれば、その前にティアラが凛とした声を細い喉から解き放った。
「……行きますっ。どうか皆さん、この私に力を貸して下さい。」
はっ‼︎と、複数の威勢の良い声が放たれた。
驚き、僕らもティアラの視線の先へと振り返れば、多くの騎士達が彼女へ跪いていた。どうやらステイル王子か女王への説得は叶ったらしい。
ヴァルだけが、自分の方向に向かって頭を下げる騎士達を不快そうに見て首を反らしている。今にもセフェクとケメトと一緒に単独行動へ走りそうな彼の肩に手を置けば「アァ⁈」とわりと元気な声が返ってきた。
「まずは今の状況を教えて下さい」と騎士達に説明を求めるティアラは小さな拳を握り締め、騎士達と共に国内へと歩を進めた。
「……やっぱり、プライドの妹だなぁ……。」
思ったことが思わずぽとりと口から零れた。
ヴァルにしか聞こえなかった僕の独り言は、自分で言いながら小さく胸を引っ掻いた。僕に向かい、片眉を上げるヴァルは何も言わない。ケメトとセフェクに掴まられたまま、彼もまたセドリック王子の後に続いてティアラの後を追う。
そして僕とアネモネ騎士隊も、それに続いた。




