52.冷酷王女は把握する。
「…見〜つけた。」
…誰かが、笑っている。
引き攣らせたような、嫌な笑いだ。
「ッじょ…女王陛下…⁉︎な、何故…こちらに…⁈」
ジルベール宰相が目を見開き、身体を硬直させている。顔色が悪く、静かに手を震わせている様子は酷く怯えているようにも見える。
「貴方が毎日毎日私に意味のわからない法案を提唱し続けてきたじゃない。今日の法案協議会でも煩わしかったし…あんなの成立させたら色々な特殊能力者が目立って、私みたいな特別な特殊能力が目立たなくなっちゃうじゃない。」
波立った自分の真っ赤な髪を手で払い、さも当然のことのように少女は言う。そのまま、ニンマリとジルベール宰相へ笑ってみせた。
「ジルベール。私の城に隠し物なんて駄目じゃない。ここは下級層の人間の物置じゃなくってよ。….ああ…今は宰相だったわね。ごめんなさい?」
…ああ…。…私だ。
「女王陛下…どうかお聞き下さい。彼女はっ…マリアンヌは、訳があり先代の女王と王配の代からこちらで保護を…」
「知っているわ。全部ステイルに調べさせたもの。」
必死に許しを請うように説明をするジルベール宰相を切り捨てるように彼女は告げる。
…まだ小さい…。…彼女は…今の、私では…ない。
「彼女は、とても特異な病でして…勿論、感染などの恐れは」
「ええ、ないのでしょう?だから父上と母上も城に置いたのでしょうし。」
あどけない、幼い声で冷たく言い放つ。
ジルベール宰相が「それではっ…!」と、希望を持つように顔を上げた。
……こんなジルベール宰相…見た事がない。
「でも嫌なのよねぇ。私の大事な城でこんな病原体が放置されたままだなんて。」
視線の先には…女の人だ。
光に反射してはっきりは見えない。
真っ白なベッド…真っ白なシーツ…
真っ白な…生きているかもわからないほど真っ白な肌の…人。
病原体…⁉︎と愕然とするジルベール宰相に、慈悲もなく畳み掛ける。
「治療方法もなくて原因不明の病なのでしょう?そんなの処分が一番に決まっているじゃない。」
「そんなっ…‼︎」
声が上ずり、自分よりもずっと小さな少女にジルベール宰相が縋りつく。少女はそれをゴミでも触るかのように払うと、傍らにいる少年に声を掛けた。
「ステイル。この病原体を処分し…」
「ッお待ちください‼︎」
ジルベール宰相が、少女の腕を掴む。
少女の冷たい眼差しすら耐え、必死に声を上げている。
「治療の見込みならばあります…‼」︎
強い、強い眼差しだ。瞬き一つせずに真っ直ぐな目が彼女を見つめている。
彼女が何も言わない内に、ジルベール宰相は必死に早口で捲し立てるように訴え続ける。
「私が以前より提唱しております〝特殊能力申請義務令〟‼︎その御許可を頂ければ病を癒す特殊能力を見付け出し、必ずや彼女の病をっ…‼︎ですからどうか、法案制定の御許可と今暫くだけのご猶予をっ‼︎」
「…ぷっ。」
必死に真剣に訴えるジルベール宰相へ、場にそぐわぬ笑いを吹き出す音が響いた。
「アッハハハハハ‼︎おっかしい!病を癒す特殊能力者ですって?そんなのただの噂に決まってるじゃない!」
彼女の笑い声が止まらない。少女らしい、淑女ならぬ笑い声で、目の前の男を笑い飛ばす。
「ッそんなことはありません‼︎我が国には様々な特殊能力者がいます!類似した、怪我を治癒する特殊能力者なら何人も!たった一人くらい必ず居る筈です…!病を癒す特殊能力者が‼︎」
少女に侮辱されても尚、彼の強い眼差しは消えない。
それでも、少女の…私の笑い声は消えない。
アハハハハハハ‼︎アハハハハッ‼︎と、少女の笑い声が何度も響き渡った。
「ハハッ…ハハハッ!…あぁ…面白い。…良いわ。その病原体も処分せずに、貴方の望み通りその法を制定してあげる。」
少女と思えない嫌な笑い方で。いっそその姿は不気味にも見えた。
目を輝かせ、「本当ですか…⁉︎」と歓喜するジルベール宰相に「ただし」と更に口元を吊り上げた。
「宰相の仕事と更に亡き父上の仕事分、二倍貴方が文句言わず五年間見事に働いてくれたらね。そしたら五年後、その法案を正式に法案協議会で成立、制定してあげる。」
あり得ない…!
王配の公務も、宰相の仕事も、尋常じゃない仕事量だというのに。人間一人に出来る筈がない。
「わかりました!お任せください、このジルベール・バトラー。全身全霊で務め上げさせて頂きます…‼︎」
祈るように手を組み、頷く。
感謝致しますと何度も何度も言っている。
……だめ。
それではその人は救えない。
その法案を可決させたら、貴方だけじゃない、たくさんの民が不幸になる。
ジルベール宰相、お願いやめて。
貴方が、一番後悔するのだから。
ジルベール宰相、ジルベール宰相、ジルベー…
……
「………………ジル…。」
目を開き、瞬きした瞬間に涙が伝った。
……
「…プライド、大丈夫ですか?」
ステイルが顔を覗きこんでくれる。
今日は顔色が優れませんが。と心配してくれ、思わず両手を振りながら笑って誤魔化す。
「大丈夫よ、ステイル。ちょっと今日は目覚めが悪かったみたいで…。」
「どんな夢を見られたのですか?お姉様。」
悪い夢は話した方が良いのですよ、と今度はティアラが覗きこんでくれる。
「ありがとう。ステイル、ティアラ。…でも、残念ながら覚えていなくって。昨日あまり眠れなかったせいかしら。」
目が覚めたら何も記憶になくて、涙だけがひたすら伝っていた。あのジルベールと父上との話をずっと思い出していたせいで眠れなかったから、きっとそのせいだろう。
ステイルがすかさず、私の耳元で「ジルベールのことですか?」と聞いてくれた。流石、鋭い。正直に小さく頷いた。
昨日、ジルベール宰相と父上との会話を聞いてしまった後…私とステイルは見つかる前に瞬間移動でティアラ達のもとへ戻った。
ステイルとこのことは絶対秘密にしようと約束したけれど、それからずっと私の頭にはジルベール宰相の悲痛な声が消えなかった。
…前世の記憶で思い出したジルベール宰相の存在も。
アーサーの時と同じで、一つ思い出した途端に頭の中を一気に大量のジルベール宰相についての情報が駆け巡ってきた。
あの後、部屋に戻ってから一つひとつの記憶を整理するのが本当に大変だった。
彼はあまりにも複雑過ぎる攻略対象者だったから。
ジルベール・バトラー。
彼は、乙女ゲーム〝キミヒカ〟の攻略対象者だ。
しかも、全員攻略した上でプレイ可能の隠しキャラクター。国一番の頭脳を持った腹黒策士のステイルに対し、彼は凄腕の天才謀略家だった。宰相として優秀なだけでなく、人を欺き、情報を操り、思い通りに動かす天才だ。ゲームのラストでも彼のルートだと彼自身ではなく、今まで攻略したキャラクター全員が味方になり、力を合わせてプライドを倒す流れだった。彼がその全てを駆使しても思い通りに動かせなかった人間などゲームではラスボスのプライドくらいだ。
ただ、今まで気がつかなかったのも仕方がないと思ってしまう。
理由は私自身にとって記憶の薄いシリーズ第1作目だということ以外に、3つある。
1つ。
隠しキャラだったということ。
2つ。
彼の恋愛だけはもの凄く恋愛要素が薄く、印象が薄かった。
攻略対象者が主人公であるティアラと少なくともキスシーンは絶対ある中、彼だけはキスなんて手の甲止まりだったし愛を説くシーンすらなかった。むしろあまりのアプローチの少なさに加えて中盤からは奥手な筈のティアラの方から「貴方が世界で一番美しいと思えた景色へ私を連れて行って。」と言って彼の手を引いてくれたくらいだ。隠しキャラだからか、メインストーリーも他のキャラより短かったし総じて内容が薄かった。
3つ。
ゲームでの彼の姿がアーサー以上に違い過ぎた。
単に少し老け込むとかいうレベルではない。
彼の姿は他の攻略対象者をプレイしている間はずっと年老いた老人の姿だった。
そしてたまにチラッと出てくるもう一つの彼の姿は、主人公のティアラより年下の十三歳の謎の青年だった。隠しキャラとしてプレイする時も殆どがこの十三歳の姿だ。
正直最初に隠しキャラ解放した時は自分のことを「ジル」と名乗る正体不明の謎の美少年だったし、プレイしてどんどんと彼の正体と心の闇を明らかにする流れだった。
恋愛要素は薄い彼だったけれど、過去だけは重かった。
彼は元々下級層の人間だった。この国は上層部まで出世するのに必要なのは、出生よりも特殊能力だ。彼は自身の年齢操作という珍しい特殊能力と、尋常でない努力と才で宰相まで上り詰めた。
全ては身分を超えてまで自分を愛してくれた、婚約者と幸せになる為に。
でも彼が宰相になって数年後、婚約者が病にかかってしまう。呼吸困難と凍えるような寒さに苛まれ続け、最後には手足の自由すら効かなくなる進行性の病。その上、我が国でしか発症例のない奇病でもあった。だから女王と王配の計らいによって、城の奥深くに隠されるように保護されたのだ。一部の人間にしか知らされていないその部屋で、いつか彼女の病を治す為に。
だが、その二年後に自分達を保護してくれていた王配と女王が死に、新たに女王になったプライドに婚約者の存在を知られてしまう。
そして五年間の労働と引き換えに婚約者の命と、自身が婚約者の為に考えた特殊能力者を見つけ出す為の法案制定の約束を交わした。
プライドが好き勝手に過ごす間、摂政であるステイルと王配・宰相業務を兼任したジルベール宰相が国を実質的に回し続けた。
五年後。約束通り法案が可決、制定されたがその翌日にジルベール宰相の婚約者は息を引き取ってしまう。
その上、彼の地獄はそれだけでは終わらなかった。
その法案を制定した数日後、プライドは全ての国民の特殊能力を把握し、続けるように恐ろしい法を独断で制定したのだ。
これによってゲームが始まる前にこの国は一度、血に染まることになる。
ジルベール宰相はその法に対する罪の意識と最愛の婚約者を失ったショックでそれからずっと年老いた老人の姿と、婚約者と初めて出会った十三歳の頃の姿にしか年齢操作ができなくなってしまう。
隠しキャラルートが解禁されると、最初の選択肢でティアラに「離れの塔から逃げ出す」という選択肢がでる。それを選ぶとティアラはシーツやカーテンで窓から逃げ出し、そこで謎の青年…ジルと出会い、彼の助けにより城下へ逃げ出す事ができるのだ。そして彼と居るうちにその心の傷を知り、癒し、エンディング後のスチルでは元の姿を取り戻して大人になったジルと幸せそうに微笑み合うティアラの姿があった。
ちなみに、ゲームの中で己が語った「ジル」という名前は婚約者に呼ばれていた愛称だったらしい。仮名でもティアラにその名で呼ばせたからか、それとも第二王女でありながら気取らず心優しい彼女に、身分違いで自分を愛してくれた婚約者を重ねたからか、次第にジルも主人公に惹かれていくようになる。
ゲームの中で「結局…どちらにせよ病を癒す特殊能力など見つかりませんでした。」と自嘲じみた表情で呟くジルと、その服の袖を悲しげな瞳で握り締めるティアラはとても絵になっていた。
今思うと、エンディングも恋人同士というより兄妹や父娘のような雰囲気だった。まぁ、大人の落ち着いた恋愛と言われればそうも見えたけれど。
とにかく、いま第一に心配なのはジルベール宰相の婚約者を救うまでの猶予だ。
ゲームの中で父上と母上が亡くなって五年後…つまり今年だ。
そして法案が制定された翌日。
…それが、ジルベール宰相の婚約者が亡くなる日。
私は改めて現状を理解し、静かに喉を鳴らした。




