520.義弟は追い求める。
「私への全許可を剥奪する」
最後の一閃を振り降ろす寸前、女王の嘲るような笑いと共にその言葉が放たれた。
力で押し勝ち、奴の剣を弾き飛ばした後だった。ティアラのアレに醜く取り乱した女王が「最期くらいは遊んであげる」と宣い、この俺に奴を殺す為の許可まで与えた。二度とない、奴をこの手で殺せる機会だった。……ッなのに……‼︎
ギキギキと力を込めた筈の手が言うことを聞かなくなり、女王へと振り被ったまま固まる。
俺のその姿に更に女王は笑い声を上げ、背後からは「兄様‼︎」とティアラからの悲鳴が響いた。……ッやっと、ここまで来たというのに……‼︎女王の部屋から俺達の前に立ち塞がったラジヤ帝国も追い払い、レオン、セドリック王子をも排除し!騎士団長にも道を開けさせた‼︎あと少し、あと少しでこの女を今度こそ断罪できたというのにっ……‼︎
「アッハハハハハ!馬鹿ねぇ⁈大人しく殺されてあげるわけないじゃない!」
俺に剣を弾かれた女王が笑う。
自由になった両手で腹を抱え、背中を丸めて肩を震わせ俺を嘲る。いま、今さえ!腕が動けばこの女を殺せる。母さんを殺させ、俺を隷属に落とし、民を売り、そして愛しい俺のティアラの命までをも奪おうとしたこの醜き害悪を‼︎……っなのに。
「さあ、ステイル。剣を捨て、この場に平伏しなさい。」
女王が命じる、この俺に。
その途端、俺は掲げていた剣から手を離す。カラァンッと無機質な音が響いた直後、俺は石畳みに手足を付け、女王へと平伏した。
抵抗しようとも無駄なのはわかっている。それでもこの女の前で、愛するティアラの目の前で無様な姿を晒すことが耐えられず歯を食い縛る。全身に力を入れ過ぎ、最後にはガタガタと壊れた風車のようにして俺は額を付けた。羞恥と屈辱で死にたくなる。女王の一際大きな笑い声に耐えきれずに強く目を閉じた。眼鏡がずれ、カツンと石畳みに当たる。
「アッハハ!可愛い可愛い私の奴隷ステイル。本当の貴方を愛しいティアラに知って貰いましょう?」
抑揚とは言えないほどに高く波立ち、地を這うように低められた声が俺へ浴びせられる。
ッこんな、こんな人の皮を被った悪魔に、俺は…‼︎
女王の唱える言葉を命じられるままに唱え、問われるままに己が罪を認める。罪なき民を、何人も何十何百も殺し続けた俺の罪を偽りなく吐き出した。
頭を靴で踏みつけられる。ティアラが「もうやめて下さいっ‼︎兄様を離してっ…!」と涙声で訴えてくれたが、それよりもこんな姿を見せたくなく「見るなッ!今すぐ逃げるんだ‼︎」と声の限り叫ぶ。
女王の高笑いが酷く響き耳を穢す。一通り俺を踏み躙り、弄んだ後にとうとう女王から終止符が打たれ出す。
「そこで見ていなさい、出来損ない。」
ガン、と頭を蹴られ眼鏡が落ちた。
女王の穢らわしい舌で清らかなティアラに言葉が投げ掛けられる。
見なくてもわかる、女王がどれほど醜い笑みを浮かべているのか。俺のティアラがどれほど……っ、……怯え、辛い表情を浮かべているのか。
「愛しい奴隷ステイル。……ここまで来れたご褒美よ、貴方を解放してあげる。永遠にね。」
フフッ……ハハハ!と堪えきれない笑いが女王から零される。
「だめっ…」と気付いたらしいティアラの絞り出すような悲痛な声が紛れて耳に届いた。彼女を守りきれなかった悔しさと、母さんの仇を討てなかった自身への怒りと憎しみと、………やっと解放されるのかという、一滴の安堵が混ざり合う。
……ティアラを、この手で殺せと言われなかったことに救いを感じてしまうほどに。
例え何百と殺しても、もう二度と愛する人を手に掛けたくはなかった。この手を彼女の血で染めるくらいならば、この世で最も愛した彼女の手で殺されたい。
─ ………………愛した、……人……?
「そこで見ていなさい、出来損ない。貴方の愛した罪人が自ら命を絶つ瞬間をね!」
ハハハハハッ!と醜い笑い声が響く。
石畳みに転がった剣を足で俺の手元へ転がし、拾えと命じる。やっと顔を上げ、手に力を込めて剣を拾い上げる。本来ならば奴の血に染め上げる筈だった俺の剣だ。
「ステイル。その剣でティアラによ〜く見えるように」
やめて、兄様、お願い、だめとティアラの叫びが何度も何度も放たれる。見るな、逃げろと俺からも再び言葉にするが彼女はその場から動かない。目だけを動かし、何とか彼女を捉えれば目を潤ませ、白い肌を更に蒼白にした彼女が胸を押さえていた。……叶うなら、どうか彼女だけでも生き延びてくれと切に願う。
「自分の心臓を」
やはり、あの時に無理にでも彼女を瞬間移動で逃すべきだった。
上層部が全員殺された時点で、そうしておけば。……俺が、判断を間違った。
「抉り出」
女王の意思を理解し、身体が勝手に動く。
剣を握り、その剣先を自らの心臓へと突き向ける。抉る、ということは簡単には死ねないなと静かに思う。
もう既に女王に逆らう意思も削がれていた。
「し」
恐らく女王は今、俺よりもティアラを苦しめることの方が優先なのだろう。
ティアラがあの告白と奇跡を見せた時から、女王は今までになく狼狽していた。お陰でこうして剣での打ち合いでは奴を追い詰めるまでも至った。……あと、一歩のところまで。
「な」
俺が変に抵抗し、女王の関心がこれ以上ティアラに向くことの方が恐ろしい。
俺が大人しく死ねば、少なくともこの手を彼女の清らかな血で汚さずに済む。
「さ」
刃が、ゆっくりと服を貫き皮膚へと進む。
純白なティアラの目を俺の姿で汚すことだけが躊躇われる。己の心臓に突き立てられる刃を睨みながらもティアラに見るな、逃げろとひたすら喉だけで紡ぎ続け
トスッ。
何か突き刺さるような音と共に、女王の言葉が止まった。
最後の一文字のみを残され、最期の最後を焦らすつもりなのかとも思った。だが、代わりに放たれたのは「ァ……ア、ァァッ……」と枯れたような呻きだった。命令が中断されたことで身体が次第に動き、身体ごと女王の方へと振り向けば
心臓を貫かれ、震える手で胸を押さえた女王の姿があった。
「ァ…ア、ア、ア…ア゛ァァアアアアアアアアアッッ‼︎‼︎」
信じられないものをみるように己が心臓に収められたナイフの柄を睨み、数拍置いて脳が理解したのか獣のような絶叫を響かせた。
ナイフの埋まった根元から血を湿らせ滴らせ、耐えきれず口からグプッと鮮血を吐き出した女王は憎憎しげに一点を睨んだ。見れば、その視線の先にはティアラがいた。
強い眼差しで腕を振るった動作の形のまま強張るように全身が固まっている。水晶のような瞳から涙を散らし、風に煽られ柔らかな黄金の髪が揺れ、宙を泳いだ。……ナイフを放ったのが彼女だと、すぐに悟った。
俺が預けた、過去に母さんを刺したナイフ。それを彼女は俺を救う為に使ってくれたのだと。
─ いま倒れたのは……誰だ?
女王は恨みの言葉を最後に己が血溜まりへと突っ伏すように倒れこんだ。
ベチャンッと血が跳ね、奴の胸に埋まったナイフが更に身体へ押し込まれる。だが、それにピクリとも反応せず、深紅の髪を血で染め湿らせる女王は既に絶命しているようだった。
─ ……………………プライド……?
あまりに一瞬のことに茫然とし、最初は息をすることがやっとだった。
握っていた剣を落とし、カラカラと無機質な音を耳に霞ませながら女王の亡骸を眺める。今まで何億と望み、夢に見た光景だ。コイツの死にゆく姿を、無様に地に這い蹲る姿を、血に染まる姿をこの目にしたいと願った。何度、……この頭を、顔を俺の足でぐちゃぐちゃになるまで踏み潰してやりたいと願っただろう。何度、この身体を原型がわからなくなるほどに裂いてしまいたいと願っただろう。
─ ッ何故⁉︎……何故っ……何故プライドが……⁈救うと決めただろう⁈何故俺はみすみす目の前で彼女を死なせっ……
「兄様っ!」
愛しい声で目が覚める。
女王の頭を踏み付ける前にティアラに呼びかけられた。涙を散らしながら両手を広げて俺の元へ駆け寄ってくる彼女を、俺は全身で受け止め抱き締める。彼女の名を呼び、確かめればそれだけで心が満たされた。
良かった、無事で、もう駄目かとと泣きながら語るティアラを俺からも言葉を返す。それは俺の台詞だと。
ティアラが助けてくれなければ間違いなく俺は女王に殺されていた。それどころか、俺が死んだ後は愛しいティアラまで死なせてしまっていただろう。
─ 何故ティアラがプライドを⁈違うだろう⁈お前はっ!お前は、そんなことの為に腕を磨いたわけではっ……‼︎
一頻り互いの無事と喜びを確かめ合った後、ティアラは俺の胸に埋めていた顔をゆっくり上げた。
肩から覗かすようにその視線は俺の背後にある女王の死体へと向けられていた。俺から離れ、腕を緩めた彼女は身体ごと女王の死体へ向き直る。その場で崩れるように座り込み、その蕾のような唇から一言小さく呟いた。
─ プライドが死……⁈なんだ、なんだこれは⁉︎まさか、これがっ……これが未来だとでもいうのか……⁈
「………っく…ひっ…くッ…!…う、…うぅ…あ゛あ゛っ…‼︎」
ティアラは、泣く。
あんな悪魔の為に涙を流す。あれほどの害悪の為にまで彼女は泣き、更には己が思いの丈を俺に語ってくれた。望んで当然の願いだ。そして、………叶うわけのない願いだった。誰よりも心優しい彼女はその後もひたすら泣き伏し続けた。
「……お前が心を痛める必要などない。……大丈夫だ、俺がずっとお前の傍にいる。」
小さくなる彼女の身体を隣に並び、そっと抱き寄せる。
そっと言葉を紡ぎながら、気が付けば彼女の涙に洗い流されるように俺は目の前の死体を残骸にしてやろうという気は失せていた。心が洗われ、今はただやっと自由になれたのだという喜びと、愛する人とこれからずっと共に在れるのだという幸福だけが胸を満たした。
─ やめろっ……!何故俺は笑っている⁈ふざけるなッ‼︎そんなっ……そんな幸福そうに笑うな……‼︎‼︎
泣く彼女を抱く腕に力を込めて、頭をより掛ける。
小さな彼女の頭が頬に当たった。愛しいティアラ。これからはもう、誰に咎められることも目を恐れることもなく、ずっと彼女の傍に居られるのだと。
夢にまで見た自由が確かにそこにあった。
─ 笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うな笑うなッ……‼︎‼︎……プライド……!プライドッ……‼︎
ただ一つ。愛しい彼女の手を俺や女王の所為で汚させたことだけが呪わしい。
よりにもよってこの世で最も穢らわしい生き物の血に染めてしまったのだから。一生かけて彼女に償いをする為にも、俺は絶対に彼女をこの先
─ 護ると……‼︎プライドを護ると誓ったのに‼︎何故っ……何故護れなかった⁈何故死なせてしまった⁈しかもよりにもよってティアラの手で……‼︎
幸せにすると、そう誓う。
俺の手で、一生を懸けて。自由になったこの身全てを今度こそ彼女の為だけに。
穢らわしい女王亡き今、今度こそ俺の人生は俺のものになった。そして俺の人生は全てティアラに
─ ッッ望むものか‼︎こんなふざけた未来など認めない‼︎プライドを救えず死なせる未来など許しはしない‼︎
俺、はっ……‼︎‼︎
……
…
「ッまだ見つからないのですか……⁈」
息を切らし、衛兵達に尋ねても答えは変わらない。
プライドを探し回って既に一時間。未だにプライドも、アダムも将軍すら姿を現さなかった。
早朝、突然プライドが彼らを部屋に呼び付けた後、姿を消したらしい。またティペットの特殊能力で姿を消しているのだろうが、近くにいるのかどうかすら確かめる方法などない。温度感知の特殊能力者の衛兵は王居内にいない。プライドやアダム達の部屋を全て確認したがやはりどこにも見当たらなかった。姿を消しても逃げ切れないほどに大勢の衛兵を一つひとつ部屋に捜索へ押し込んだが、誰も違和感を感じる者はいなかった。あれだけの人数が入れば、姿は見えずとも身体がぶつかりはする。つまりは部屋は本当にもぬけの殻ということになる。
女王、王配、摂政の私室を確認した後は、母上達の寝かされている部屋へ向かった。だが、良くも悪くも変化はなく連れ出されてもいなかった。
「ッどこにいるのです姉君‼︎一体どういうおつもりですか⁈」
力の限り、その場で声を荒げるがやはり返事はない。
苛立ちばかりが募り、腰に差した剣より先に思わず手枷から垂れた鎖を鞭のようにして床に叩きつけた。ガチャアァンッ‼︎と絨毯越しにも関わらずけたたましい音が響き、周りの侍女や衛兵が驚いたように目を剥いた。
……どうする?騎士団を呼ぶか……⁈
もう彼らは手筈通りであれば、もう暫くで王居に訪れる筈だ。
中には温度感知の特殊能力者もいる。例え城のどこに隠れていようとも視界にさえ入れば見つけ出せる。それにもしティペットがアダム達と一緒ならば母上達を救出する絶好の機会でもある。……だが、ここで騎士団を呼べば最悪の場合こちらの動きが気取られてしまう。それに、少なくとも奴らは城内からは逃げ出していない。城門や城壁の門兵からもそれらしい者は出入りしたなどという報告は来ていない。それともまさか
既にこちらの動きが気取られているということか?
「っ……とにかく、捜索を……‼︎見つけ次第、報告をお願いします。僕は一度、元の姉君の部屋も確認してみます。」
衛兵に中身のない指示を飛ばし、再びプライドの部屋がある方の宮殿へと走る。
城内とはいえ、我が城は途方もなく広大だ。全てを捜索して回れば正午どころか今日一日あっても足りはしない。
睡眠不足の頭のせいか、良案も思いつかない。部屋に戻ってから仮眠もほんの数時間で衛兵に起こされた。
……中途半端な眠りだったからか変な悪夢まで見た。覚えてはいないが、衛兵にプライドの消失を聞く前から鼓動も煩く、何より胸騒ぎが酷かった。
ジルベールも今は城下で民の避難を進めている。アイツの手腕ならそろそろ完了しても良い頃だ。大丈夫だ、まだ正午まで時間もある。通信兵から報告が届き次第、騎士団に王居内を徹底的に捜索させればきっと
「ステイル様‼︎‼︎」
突然、王居内に響き渡るような叫び声が投げられた。
まさかプライドが見つかったのかと、振り向けば衛兵の一人が血相を変えて俺の元へ駆け込んできていた。言葉を返し、促せばずっと走ってきたのであろう衛兵は息を荒くしながら俺の前に跪く。ハァハァと自身を落ち着かせるように呼吸を整えながら「緊急事態です……‼︎」と言葉を発し、一度飲み込んだ後に一息で報告を叫びきった。
ラジヤ帝国軍と思しき軍団が我が国門へ攻め入り始めていると。
直後に砲撃音が鳴り響き、俺達は耳を塞いだ。
全てが、唐突に始まった。
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