513.義弟は依頼する。
「……失礼致します。」
コンコン、と音を鳴らした後。
部屋の外にいる騎士達により扉が開けられ、騎士団長のロデリックはゆっくりと部屋に入った。ジルベールとステイルがにこやかに迎えいれる中、アーサー一人だけが、少し気まずそうな面持ちでロデリックと
その肩に担いだ参謀長とを見比べた。
「ご指示通り〝アーサーへの人相確認〟として連れて参りました。……まぁ、間違いはないでしょうが。」
「わざわざお手を煩わせて申し訳ありません、ロデリック騎士団長殿。」
助かります、とジルベールが腰を上げ、アーサーの前を開ける。ステイルも立ち上がり、ロデリックが通りやすいようにとベッドの端に避けた。
宰相と第一王子に道を開けられ、僅かに恐縮だと思いながらロデリックは肩に担いだ男を背もたれ付きの椅子に座らせた。全身を痙攣させながらも必要な力が入っていない参謀長は、背凭れに上手く体重を預けられていなかった。逆に目の前のベッドに倒れ込むように背を丸め、シーツに顔を正面から突っ伏した。逃亡防止の足枷がガチャリガチャリと音を鳴らし、包帯を巻かれた足が痛んだのか呻きを上げる。仮にも病人且つ怪我人を無理に椅子に座らせる状態にアーサーは気が咎めたが、取り敢えず治せば良いとすぐに思い直した。早速触れようとし、両腕が使えないことを思い出した。「あ」と口を開けたあと、少し考えるように眉を寄せた。
「取り敢えず、触りゃァ良いンだよな……?」
「何なら足で踏み付けるか?」
いやそれはしねぇよ……と、割と本気で言ってる様子のステイルにアーサーは掠れた声で言葉を返す。
恨みがないかと聞かれれば間違いなくあるが、アーサー自身はそういうことをしたいとは思えない。むしろステイルの方が、目の前の男を生きたまま絨毯にしてやりたい程度には思っていた。
ジルベールが念のため、ベッドに突っ伏した状態の頭を押さえつけるように鷲掴んだ。そのままにっこりとした笑みで「どう致しましょうか」と尋ねられ、アーサーは目の前の男がもう不憫になった。誰がどう見てもこれから病を治される参謀長より一生物の大怪我を負わされたアーサーの方が被害者なのだが、本人は気づいていない。
そして考えた結果、アーサーはシーツに倒れこんだ参謀長の丸い背中へ上半身をペコリと倒した。深く御辞儀するような体勢になり、曲げた拍子に腹部が痛んだがそのまま額が参謀長の背中に当たる。参謀長の上に今度は突っ伏したような状態で暫くアーサーはじっと体勢を固める。一歩後ろの位置で腕を組み、初めてアーサーの特殊能力を目の当たりにするロデリックは固唾を飲んでそれを見守った。
暫くし、自分からアーサーは頭を上げる。束ねていない長い銀髪が揺れ、自身の顔に掛かった。そのまま無言で突っ伏した状態の参謀長の背中を見下ろせば、頭をジルベールに押さえられたままの参謀長の肩がピクリと動いた。突っ伏したままの息苦しさのせいか小さく呻き、数秒かけてから寝惚けたままに自分の顔を起こそうとベッドに両手をついた瞬間
ジルベールに手刀を叩き込まれた。
必要より若干力が強過ぎた手刀に、顔を突っ伏したまま「うぐ⁈」と短く呻く。気を失い、今度こそ完全に脱力したまま倒れ込む。
「なるほど、俺の時もそうしたのか」と軽く嫌味を言うステイルにジルベールは苦笑しながら参謀長の頭から手を離した。ジルベールに押さえつけられた時の体勢のまま脱力する参謀長は、顔こそ見えないが先ほどのような痙攣もしていない。
「少し強めに処しておきましたので。早くとも朝までは目を覚まさないでしょう。」
そう言いながら、参謀長から離れたジルベールはそのまま優雅に振り返る。
「では、もとの場所にお願いします」と言いながら笑みを向ければ、ロデリックが口を強く閉じたまま目だけを丸くしていた。初めて目の当たりにするアーサーの特殊能力。病状の重さはわからないが、それでも廃人同様になっていた相手を僅かな時間で完治させたらしい事実に驚きを隠せない。騎士団で選りすぐりの優秀な怪我治療の特殊能力者さえ怪我を治すには日数を必要とするのだから。
ジルベールが察したように「無理もありません」と小声を掛けた。ステイルも気を取り直させるかのように「くれぐれも他の騎士達には治ったことを気付かれないようにお願いします」と念を押した。張本人であるアーサーだけが何故ロデリックが驚いているのかもわからないように瞬きを繰り返した。
ステイルの言葉を受けて何とか返事を返したロデリックは、再び気を失った参謀長に歩み寄る。殆ど片腕で軽々と彼を担いだロデリックは、部屋に入ってきた時と同じようにして部屋を出た。
「……これで、後は朝を待つだけですね。」
「本当に任せて良いんだろうな、ジルベール。」
勿論ですとも、と扉の方を眺めながら言葉を交わすジルベールとステイルの背中越しにアーサーも顔を向ける。いまだに何故ロデリックがあんな反応をしたのか自覚はない。話そうにも、自分と目は合わせてくれても殆ど話しかけてこないロデリックに、気付けばアーサーの方が引け目を感じてしまう。
………やっぱ、父上も気になるよな……。
ステイル達に気付かれないように目だけでチラリと右腕を見る。
一年前のロデリックとのやり取りを思い出しそうになり、ブンブンと激しく首を振った。今はそれを考える時ではないと自分を叱咤する。
「……これでお前のことは気付かれずに済むだろう。」
振り払おうとする思考に、丁度ステイルの言葉が掛けられた。顔を向ければ腕を組んだままのステイルが軽くアーサーへと振り返る。
「お前が目を覚ましてくれて良かった。……そうでなければ瞬間移動を使っても不可能だった。」
アーサーが意識不明中でも触れさせれば病を治せたかどうかはわからない。
だが、絶対安静のアーサーを動かしても逆に参謀長を連れてきても騎士達の目には必ず不自然に写ってしまう。
いっそアーサーが一生目覚めないものとし、彼の特殊能力がバレることも構わずであれば方法はいくらでもあったが、ステイルも当然ジルベールもそのような決断は取りたくなかった。ステイルの言葉に首を捻りながら「やっぱ意識ねぇと特殊能力使えなかったか?」とアーサーが尋ねたが間髪いれず「そういう問題じゃない」と断じられる。その二人のやりとりを聞きながらジルベールは少しだけ微笑ましく思ってしまう。
『アーサー隊長は貴方が思っている以上に深刻です。……無理をさせることは僕が許しません』
そう、自分に言ったのはステイルなのだから。
本当の本当に急を迫られたような事態にならない限り、アーサーを病を治す為の〝道具〟のような扱いをしたくなかったのだろうとジルベールは思う。そのまま「近々、陛下方や衛兵にもお力を貸して頂く時はくると思います」と声を掛けるとアーサーはこっくりと頷いた。その時もまた、アーサーの正体が知られないように手を打たねばと今からジルベールは笑顔のまま考えを巡らせる。すると、アーサーは少し気がついたように「あのっ…」と口を動かした。
「…陛下達は、騎士団で救出することはできないンでしょうか…?」
掠れたアーサーの言葉に、二人は無言のまま目を見合わせた。
当然、ステイルもジルベールもロデリックもそれを考えなかったわけではない。むしろ王族を最優先事項とするならば、今すぐにでも救出しに騎士を派遣するべきだ。しかし
「確かに…騎士団の手によれば、陛下方を救出することや恐らく皇太子やプライド様、将軍程度ならば拘束することも不可能ではないと思います。……ただ、ティペット嬢に関しては。」
最初に口を開いたのはジルベールだった。最後は少し苦々しそうにその声を低め、アーサーに説明を始めた。
温度感知の特殊能力者以外、誰も姿を確認することができない存在であるティペット。彼女が、いつどこにいるかは全く見当がつかない。万が一ローザ達を救出してから、もしくはアダム達を捕らえてからティペットのみが身を隠していて見つからなかった場合、その間に何らかの方法で国外にいるラジヤ帝国に報告をされれば最悪の事態も起こり得る。
二日後といっても、二日後きっかりにラジヤ帝国がフリージア王国に攻め込んでくるとは限らない。アダムに指定された日を待ち、国門付近に潜伏している恐れもあった。もし、異常を知ったラジヤ帝国がすぐにフリージア王国へ攻めてきた場合
避難が完了していない、城下の民がどうなるか。
既にジルベールの指示と騎士団の誘導により、城下では避難指示が行われた。だが、大国であるフリージア王国は当然ながら城下どころか王都だけでも規模は他国と桁違いだ。全ての民に周知し、逃すには当然時間が要る。
「ラジヤ帝国が訪れた時の所持品に鳥もいた。中枢を握られ、没収したそれも全て奴らの手に渡っている今、……連絡手段もまた奴らの手の中だ。」
水面下で民の安全が確保できるまで下手なことはできないと、言い切るように口を開いたステイルの言葉は重かった。そのまま襷を繋ぎ、話し出す。
「騎士団で温度感知の特殊能力者も数に限りはある。救護棟と騎士団演習場、母上達の救助にアダム達の拘束……新兵を入れてもそこで人数は限界だ。そして彼ら以外に奴を捕らえる術は無い。」
ステイルの言葉にアーサーも騎士団での温度感知の特殊能力者を頭の中で数える。
確かに、と。
その上で更にティペットを捕らえられる数はいない。隠密活動にしても透明の特殊能力者もまた数は限られている。
「ティペットを先に処理することも考えたが、……いつ、どのような時に奴がアダムと連絡を取っているのかもわからない。ティペットとの連携が途絶え、少しでも不審に思われたらアダムは間違いなく人質を一人は見せしめに殺すだろう。」
全てを同時にはできない。
ラジヤに様々な箇所を押さえられている今、優先順位を選び抜かなければならなかった。もし第一王子であるステイルが「なんでも良いからさっさと王族を助けろ」と喚けば騎士団も動かざるを得なかったが、ステイル本人がそれを良しとしない。彼にとっては〝全員が無事に終わること〟が絶対条件の中、王族か民かなど選ぶわけにはいかなかった。全てを守り抜く為に、少ない時間で万全を期すことが最優先と考えた。
ステイルの説明に納得したようにアーサーは頷き、改めて事の重大さを肌で感じた。国家転覆と言ってもおかしくないほどにフリージア王国は危機的状況だった。つまりは民の避難が水面下で完了するまでは何もできないというステイルの言葉に、うっすらと不安までもが沁みるようにせり上がってきた。
「………まぁ、こっちもその間に何もしないわけではない。民の避難の指揮、城内の衛兵達への懐柔もこの後ジルベールが夜通し行う予定だ。」
緊張と不安を露わにするアーサーに、ステイルが顎でジルベールを軽く指す。ジルベールもそれに応えるように二人へ頭を下げながら「懐柔などとんでもない」と柔らかな声で笑んだ。
「透明化の騎士と温度感知の騎士と連携して〝説得〟に回るだけですとも。」
我々の行動をアダム達に教えず黙認するように。城下の情報を城に入れないようにと、と。そう、さらりと言い放つジルベールに今度は別の意味でアーサーの額から汗が伝った。
……この人、本気でやろうとすりゃァ一人で革命できちまうんじゃ……。
説得といっても、プライドの豹変も含めて事情を知っているのは王居や一部の衛兵のみ。
突然上層部が乗っ取られたから騎士団やこちらの動きを報告するな、協力しろなどと言われて納得できるわけがない。にも関わらずそれを全員に納得させようと……むしろ〝当然可能〟というように笑うジルベールが少し恐ろしいとさえ思った。味方で良かったと思う半分、そういえばジルベールが五年前まで何をしていたかをアーサーは思い出す。
現状は未だ不利。だが、騎士団全体が動き、目の前の二人が黒い笑みを浮かべているのを見るとそれでも何とかなってしまうような気がした。
─ そして、この翌朝。
「……っ……?」
カーテンから強く溢れる朝日に、男は目を萎めた。
反射的に目を手で覆い、呻きながらぼんやりとした頭を覚醒させる。聴覚もまばらな中、騒めきが騒々しくいつものように怒鳴りつけようかとも考える。だが、叫ぼうとすれば何故か喉が酷く渇いて枯れていた。
─ 事態は更に動き出す。
誰か水を寄越せ、と言おうとしたところでやっとここがどこかと考える。
瞬きを繰り返しながら記憶を巡らせれば、私は何故ここに、一体何がと思考と疑問が次々と湧き出した。次第に雑音のような騒ぎ声をやっと聞き取れるようになってくる。「目を覚ましたぞ」「騎士団長!」「こちらです‼︎」と口々に同じような言葉ばかりが繰り返し響いた。
「おやおや……〝偶然〟にも、こちらにお見舞いに上がっているところで幸いでした。」
落ち着いた、妙に明るい声が放たれる。
その声だけで妙に背筋が寒くなったが、自分に放たれたその声にやっと彼は身体を起こした。
「おはようございます。グラエム・オールチャーチ殿。」
足を曲げようとした途端、激痛が走り「ぐあっ⁈」と声に出た。
ガチャガチャとそこで足に違和感を感じ、包帯を巻かれている片脚だけでなく両足が拘束されていることに始めた気がついた。これは、何の、私を誰だと思ってとわからないままに声を上げ、周囲を見回した。見れば、扉の前には自分に薄い笑みを向けた薄水色の髪の男と騎士団長らしき男を含む多くの騎士達が警戒するようにこちらを睨んでいた。
─ フリージア王国にとっては最高の好機。そして
薄水色の髪の男に息が止まった拍子にとうとう彼は比較的新しい記憶を一つ取り戻す。
その途端、額から顔から首から全身から汗が一気に吹き出し、ガタガタと身体が震え出した。そうだ自分はあの時、と思い出せば恐怖が吹き出した。同時に何故いま自分はと疑問が過れば、自分に笑いかける男が再び口を開く。「それとも」と続けながら切れ長な目を更に鋭くさせ、明らかな殺意を隠さないままに。
「こうお呼びするべきでしょうか。グラエム・オールチャーチ参謀長殿……?」
─ ラジヤ帝国、参謀長グラエム・オールチャーチにとっての最悪の日がいま訪れた。




