512.義弟は動き、
「お休みなさいませ、ステイル様。」
おやすみなさい、と。いつものように侍女達と挨拶を交わした後、部屋の扉が閉ざされた。
灯りを消し、寝衣に着替えないままにステイルは両手の枷をジャラリと鳴らして息を吐く。
プライドの部屋を出た後は、ジルベールと二人で多忙を極めていた。溜まりに溜まった書類や公務を代理として全て片付け、最後には人質にされているローザ達の見舞いにも向かった。
ローザ達は三人纏めて、王宮内にある宰相であるジルベールの私室に眠らされていた。女王であるローザと王配であるアルバートの部屋をプライドとアダムが。更には摂政であるヴェストの部屋を将軍が使っている為、人質である彼らは、残された寝室に纏めて追いやられた。城内、そして王居内であれば寝室や代わりになる広い部屋はいくつもあったが、極限られた人間しか許されない王宮には寝室となる部屋は女王と王配の部屋以外は摂政と宰相の仮眠室兼私室しかない。王宮内の宰相室ということで、ベッド三つを敷き詰められるほどには広く設備も整った部屋ではあったが、それでも王族が三人纏めて追いやられて良い部屋ではない。その事実にステイルもジルベールも怒りが沸いたが、必死に内側に押し留めた。
呻き、反応もなく、食事すらろくに取れない彼らは医者の手にもおえずに延命させることが精一杯だった。
何か、語り掛けようとは思ったステイルだっだが、今この場にもしティペットが居れば水面下を勘付かれかねないと恐れ「早く目を覚まして下さい」という建前しか言葉も出なかった。
目を覚まさせる方法を、知りながら。
「……さてと。」
机の上の真新しい便箋を一枚取る。ペンを摘み、さらりとステイルは短い文章をしたためた。挨拶と最後の言葉を入れても短過ぎるそれを、インクが乾いたのを確認してから封筒に閉じた。たとえティペットに読まれたところで問題ない、シンプルな報告だけの手紙だ。それを摘んだステイルは、瞬間移動が使えない歯痒さを少し感じながら一度懐にしまい込んだ。
そして、ゆっくりと窓を開ける。外開きに開いた窓は、全開にすれば一気に夜風が部屋に吹き込んだ。月明かりで意外に明るいと思いながら、ステイルは開けた窓をそのままにその場から引いて向かいの扉へ背を預ける。腕を組み、物思いに耽るように目を閉じ続けていると
「ステイル様……!」
突然、部屋から声がした。
大して驚くこともなく再び目を開けるが、開けた窓が風に揺らされる以外は変哲もない。自分以外は誰もいない静かな部屋だ。敢えて黙し続け言葉を待つと、先ほどと同じ声が再び誰もいない部屋で放たれた。
「御迎えに上がりました。部屋の中には、我々以外は誰も居りません。」
その声と同時に、目の前から二人の騎士が姿を現した。
透明の特殊能力者、そして温度感知の特殊能力者の二名だ。ありがとうございます、と小声で返したステイルは扉から背を起こした。ティペットがいないならば扉を塞ぐ必要もないと思い、姿を現した騎士達へと歩み寄る。
「御無事に侵入できて何よりです。……では、行きましょうか。」
笑みで彼らに返しながらステイルは透明の特殊能力者が手渡す、目に見えない縄を受け取った。掴んだ途端、己の姿が消えると同時に見えなかった筈の縄がはっきりと手の中に握られていたのが見えた。縄は透明の特殊能力者の騎士に、更に今自分に声を掛けてきた温度感知の特殊能力者の騎士にも繋がり、その先は窓の外まで続いていた。
縄での降り方は大丈夫でしょうか、と尋ねる騎士にステイルは答える。透明の特殊能力も、縄で壁を降りるのも既に一年前に経験済みだった。
透明の騎士が先に窓から縄を伝って降り、その後にステイルが続く。部屋の窓から温度感知の騎士が縄を掴み支えながら、一歩一歩確実に壁を降りて地面に近付いた。部屋の窓からは深闇になって何も見えなかった地面だが、近付けばそこにはまた一人の騎士とジルベールが立っていた。自分と同じ垂らされた透明の騎士と繋がった縄の端を握りながら、にこやかに笑いかけてくるジルベールをステイルは少しだけ不機嫌そうに睨んだ。
地面に地をつければ「どうも、ステイル様」と軽々声を掛けられ、返事をするより先にステイルは辺りを見回した。自分の部屋の外には当然、警備の為の衛兵がそこら中に並んでいた。透明になったからといって、声まで消せるわけではない。だが、衛兵の誰一人としてジルベールの声に目を向ける者はいなかった。むしろステイル、という第一王子の名に、誰もが振り向かないまま無言で背筋を伸ばしていた。
「……どうも、ジルベール宰相。……彼らへの説明は済んでいるようですね。」
流石です。と低く声を潜めれば、ジルベールは「恐縮です」とにこやかな笑みでそれに返した。
ジルベールの背後を守る騎士は、変わらず辺りを見回しながらティペットや怪しい人物が見ていないかを確認している。彼もまた温度感知の特殊能力者だ。
「衛兵も、城門や王居の門兵達も快く〝理解〟してくださりました。やはり日頃の行いというのは大事ですねぇ。」
ステイルが怒るとわかりながらも、機嫌良くジルベールは小声で語る。
特殊能力者の手を借りて透明に姿を消したまま、ジルベールはステイルを守る為に警備をしていた衛兵一人ひとりを既に説き伏せた後だった。常に城の人間全員を把握しているジルベールにとって、衛兵に〝国の危機〟〝口止め〟〝黙認〟を理解させ、頷かせることは容易なことだった。普通なら僅かなやり取りでは到底納得できる筈がない事情と事態もジルベールの口から説けば、さも飲み込みきれる事実へと変貌させられていた。
……五年前まで悪用された時は厄介だったが。
それでもやはり、ジルベールの口の巧さや人心掌握術は舌を巻くものがあるとステイルは思う。
既にこれで、窓の外の衛兵は全員ステイル達の協力者になったも同然なのだから。
この場で嫌味のひとつでもステイルは言ってやりたかったが、それよりも先を急ぐことを優先させた。自分の部屋から垂らされた縄が落ち、ステイルの代わりに部屋で待機する騎士が静かに手だけを伸ばして窓とカーテンを閉めた。部屋の安全確保と、万が一にも訪問者が来た時に対応する為だ。温度感知の特殊能力者であれば、たとえティペットが現れてもすぐに捕らえることができるのだから。
透明の特殊能力者の縄を握りながら彼らは早足でその場を離れ、向かう。
騎士団演習場に隣接された救護棟に。




