そして望む。
ガチャリ、と脱ぐ拍子に枷の鎖が音を立てた。
短く握っていた鎖から手を離せば、ジャラリジャラリとうるさく音を立てる。
身体を肩から手まで覆っていた羽織が取り払われたその姿に、ロデリックやクラークのみならず騎士達の誰もが思わずといった様子で声を漏らし、響めいた。宰相と第一王子にあり得ない拘束の存在に、ロデリックが「それはっ……」と言葉にしたが、それ以上は出なかった。
「驚かせて申し訳ありません。……これが、最もわかりやすい説明かと思いまして。」
予想していたように、にこやかに笑うジルベールは手を広げて鎖を見せた。
並ぶステイルも見せつけるように両手を開き鎖を鳴らして見せれば、とうとう騎士達から「一体何がっ……⁈」「あれは特殊能力者用の……‼︎」と騒めきが広がり出す。
すると、騎士達の騒めきを打ち消すように一歩前に出たステイルがロデリックへと声を張った。
「騎士団長。今すぐ彼らを僕らと救護棟へ。演習場だけでなく、救護棟周辺……特に先日運び込まれた者とアーサー隊長の元に彼らを護衛に付けて下さい……‼︎」
馬車から周辺に確認を終えた騎士を目で指したステイルに、ロデリックの表情がはっきりと変わった。クラークが騎士達に急ぎ救護棟へと数人を先に走らせる。
「……一度、我々もアーサー殿の元へお伺いさせて頂いてもよろしいでしょうか騎士団長。」
宜しければ話もそこでと、ジルベールが問えば、ロデリックからも一言で帰ってきた。
ステイル達も先行した騎士達を追うように早足で救護棟へ向かう。足を前に出す度にジャランジャランと音を立てる鎖が煩わしくなり、ステイルは再び短く持った。ロデリックから騎士達へ演習場の警備を厳戒にしろ‼︎と指示が放たれ、クラークから各隊に細やかな指示も投げられた。歩きながら騎士達に指示を投げるロデリックとクラークに紛れ、ステイルが「ジルベール宰相」と声を張り、呼び掛ける。騎士団の手前、言葉を整えたステイルに鋭い眼差しで見られ、ジルベールは一瞬だけ速めた足が緩んだ。
「まだご存知ないと思いますが、アーサー隊長は貴方が思っている以上に深刻です。……無理をさせることは僕が許しません。」
意味深なステイルの言葉にジルベールは目を丸くした。
同時に話が聞こえていたロデリックやクラークの空気が変わったことに気付き、違和感と共に胸が酷く騒ついた。アーサーが重傷であることも、意識不明であることもジルベールは報告を受けている。だが、詳しくどのような怪我かまでは把握していない。当然、ジルベールもアーサーに無理をさせるつもりは無い。更に言えば、目を覚ますまではいくらでも待つつもりだった。
だが、その根底まで覆すかのようなステイルの言葉に不安が募る。ジルベールが様々な状況を頭の中で想定しようとする間にも、歩きながらステイルはロデリック達に「まだ目は覚ましませんか」「今の護衛は」と尋ねた。
救護棟に入り、速めた足のままアーサーの病室へ入る。護衛として先に到着した九番隊の騎士と七番隊の騎士、そして医者がベッドを挟むようにして控えていた。九番隊の騎士から「室内は異常ありません」と報告を受けながら、ロデリックから順番に中に入り、アーサーのベッドを囲むようにして並んだ。騎士達が椅子を用意し、アーサーの顔が見えるその横にステイルは腰を下ろした。向かいの席にはロデリック、クラークも掛け、背後には騎士二人が控えた。だが、ステイルの横の椅子を騎士に勧められたジルベールは、あまりの光景に一人座ることもできずに固まってしまった。
「アーサー……殿……⁈」
これは……⁈と目を見開くジルベールにステイルは一度目を伏せた後、傍にいる医者へアーサーの容態について説明を促した。
あまりの重傷の数々と執拗なまでに惨たらしい傷。そして、何よりも縫合し終えた右腕の説明を受けた時にはジルベールの視界が一瞬で暗転した。事態の深刻さと、アーサーが失ったことの重さに言葉も出ない。更には、こうして生きていることの方が奇跡のようなアーサーの状態に、ジルベールはやっとステイルにかけられた言葉の意味を正しく理解した。呼吸が早まり、喉から妙な音を漏らしながらも額に汗が伝う。瞼を痙攣させ、首から肩までを強張らせながら、ジルベールは眠るアーサーを覗き込んだ。血色も悪く、呼吸以外の反応もないアーサーの姿に、過去の記憶が重なり目眩が襲う。
「ジルベール宰相。……今は、こちらの状況を。」
狼狽を隠せないジルベールにステイルが静かに言葉を掛けた。
無表情に見えるその瞳の奥が酷く陰っている要因の一つに触れ、ジルベールは息を飲んだ。失礼致しました、と低めた声で紡ぎながら椅子に今度こそ腰掛けた。自身にとっても大恩人の一人ではあるアーサーだが、この場で最も辛いのが自分ではないこともジルベールは理解した。改めて向かい席にいるロデリックへ頭を下げながら、この状態では確かにいくつかの状況打破は難しいと考える。
「……先ず、現状から御説明しましょうか。」
一度息を深く吐き、呼吸を整えた後ゆっくりと向かいのクラークとロデリックへ目を向ける。医者を一度部屋の外に退室させ、ジルベールは順を追って説明を始めた。
ティアラの誕生祭からのプライドの豹変、それからラジヤ帝国への容疑、捕縛から逃走、そして昨日起こったプライドとアダム達による反乱と最上層部三人が人質にあっている現状。一つひとつ丁寧に語ったジルベールだったが、それでも話を聞いていた騎士達の驚愕は隠しきれなかった。ジルベールの話が終わるまで黙って聞くことに徹しはしたが、開いた口も塞がらず筋肉が酷く強張った。ロデリックだけでなく騎士の誰もが瞬きも忘れて状況把握に努めたが、あまりの情報量に飲み込み切ることで精一杯だった。明らかに現状はプライドとラジヤ帝国による反乱と侵略行為。自分達の知らないところでそこまでのことが起きていたことに、冷静は保てても全身の毛が強張るような感覚に襲われる。
ジルベールが話し終わると、今度はステイルが口を開いた。ジルベールの話し中は何かを打ち隠すように目を伏せっていたステイルだが、最初の言葉と共に顔を上げ、その漆黒の瞳が真っ直ぐにロデリックへ向けられた。
「アーサー、……アーサー殿は。当時姉君を止める為に、離れの塔に居てくれました。彼のお陰で、僕らもラジヤ帝国に向けて次の手を打つことができました。」
ですが、こんな結果に。とその言葉は掠れるように小さく、静まり返った部屋でなければ消え入るほどだった。
「全ては姉君の、身内の恥を隠そうとした僕ら王族の責任です。……始めから、騎士団に伝えていればこんなことには。」
拳を握り、目を逸らすように俯くステイルは歯を食い縛る。
もし、王居内で収めようとせず騎士団に協力を仰げばプライドの暴走も、何よりアーサーがこんなことにはならなかったかもしれないと思えば自身への怒りで身体が肩から震え、熱くなった。この場でアーサーの父親であるロデリックに腕の一本を折られても仕方がないと思うほどに。
「……いえ。今日まで察知できなかった我々の落ち度もあります。この怪我も、……アーサー本人の意思で選んだ結果です。」
一度視線をアーサーへ向けたロデリックは手に力を込めた。騎士団長として冷静に判断し、受け入れなければならないと己を律す。
騎士団に非などない。それはステイルもジルベールもわかっている。だが同時にロデリックやクラーク、護衛の騎士達も原因不明のまま豹変して手のつけられなくなったプライドを秘匿したことも、必要な処置であったことを理解していた。そして、今は
「それでは、……今は。この先をどのようにお考えでしょうか。ステイル第一王子殿下。」
一番重い言葉が、ロデリックから放たれる。
現段階でプライドが反乱を起こし、ティアラはハナズオに、そして女王であるローザ達が無力化された今。フリージア王国に唯一残された王族はステイルしかいないのだから。
真剣なロデリックの視線に、ステイルは顔を強張らせた。眉を寄せ、口の中を噛み締めた後に飲み込む。拳を握り締め、震わせれば枷の鎖がカチャカチャと小さく音を鳴らした。
「……僕は、姉君と〝従属の契約〟を交わしています。裏切ることは、……できません。」
低めながら落ち着かせようとした声はわずかに上擦り震えた。
ステイルの言葉に思い出したかのようにロデリックとクラークは息を飲む。ステイルはあくまで正当な王族の血統ではなく養子。そして従属の契約はフリージア王国の民ならば誰もが知っていることだった。言葉の出ないロデリックへ「今、この場にいることも本当に危ういぐらいで」と口だけで笑うステイルは疲れ切っていた。眉を垂らし、苦笑に見せようとするがあまりにもその笑顔は歪だった。
「あくまでジルベール宰相の付人と監視としてここにいるだけです。……僕から皆さんに姉君へ叛旗を翻すように指示をしたり、その協力や反勢力として台頭することはできません。」
だからこそ、ステイルは何も話せなかった。
自分を騙しジルベールに促されるようにして騎士団演出場までは来れたが、既に自身にプライドへの叛旗の意思があることも自覚している。アーサーのことは謝罪できても、事情を話すだけでもプライドへ叛旗を翻す為の誘いになってしまう。動かしたくてもその考えが過れば口が不自然に動かなかった。
一度口を閉ざし、自分の手を見つめれば十年ぶりにかけられた拘束がそこにはあった。恐らくプライドが城内の安置所から盗み出したのであろう品。装飾などがあしらわれてはいるが、特殊能力を防ぐ為の枷。それを目にすれば、嫌なほどにステイルは自身の立場を思い知らされた。
─ 俺は、罪人だ。
いま、こうして騎士団とジルベール側にはいるが、彼がプライドに相対することは叶わない。
むしろ、次にプライドへ会った時にジルベールや騎士団が繋がったことを話してしまう可能性もある。あくまで、ステイルは〝プライド側〟から逃れられない。
─ プライドを失いたくないと、立場を失わせたくないと足掻いた結果がこれだ。
「ただ、客観的立場で意見を言わせて頂くならば。姉君、……プライド・ロイヤル・アイビー第一王女がラジヤ帝国と癒着した反乱分子であることは否定できません。」
事実だけを語ろうとすれば、口は動いた。
ただ、その事実があるからといって、ステイルが協力することはできない。〝裏切り〟の定義は、契約を交わした本人の意識による。例えプライドがどのような立場になっても、彼だけは自分の意思で見捨てることができない。
はっきりと告げられたステイルからの事実に、ロデリック達は喉を鳴らした。つまり、今自分達が剣を向けるべき相手はと、それを理解する。
─ 俺は、彼らと共に国を守る側になる資格などありはしない。
「ですから。……もし、騎士団が今すぐにでも王宮へ向かい、姉君達を反逆者として討ち、母上達を救い出すおつもりならば。この場で僕を捕らえ、投獄することをお勧めします。」
ちょうど、枷もありますし。と両手を上げてみせればまた鎖が鳴った。
ステイルの言葉に、ある程度予想をしていたジルベールも苦々しく顔を顰めた。ステイルをここに連れてくると決めた時から、本人がそれを望むことも予想はできていた。自分一人が騎士団演習場に訪れれば、その必要もなく済んだ。だが、従属の契約に縛られたステイルを〝保護〟するにも必要だとも思った。
─ いっそ、プライドが殺されるならば俺も責任を取って処罰されるべきだ。……そう、されたい。
「僕が貴方方の味方につくことは不可能です、騎士団長。できることは、…今こうして大人しく〝両手か、首を〟差し出すことくらいですから。」
もう、疲れたと。その想いが頭に過った瞬間にステイルの身体に酷く陰鬱な気配が纏わり付いた。
プライドを救う為に、守る為に、殺さない為にと何度も何度も立ち上がり、その度に潰され、希望を得てはそれ以上の絶望に突き落とされ過ぎた。更にいまや、プライドは過去の彼女が恐れていた女王〝代理〟までその立場を手にしてしまった。
プライドを止め切れず、アダムに奪われ、国の中枢を握られ、ティアラを手放し、アーサーを失いかけた。今の最善は、どうしようもなく一つの結論しかなかった。その為に、自分はジルベールと共にここに来たのだから。
─ せめて俺からの情報流出で騎士団やアーサー、ティアラやヴァル達を危険に晒させない為に。
いま、ステイルとジルベールのみが握っている情報は知られるには危険過ぎる。
判明すればいつ、プライドやアダムに居場所を知られた彼らが命を狙われるかわかったものではない。
ステイルの言葉にロデリックとクラークは深刻な面持ちで互いに顔を見合わせた。彼らにもわかっている、それが確かに最善であると。自分達がそれを知った以上、国の為にそして女王であるローザ達奪還の為に動くことは必須だ。その結果、アダムだけでなく最悪の場合プライドの命を奪うことになろうとも。
……残酷な決断だ、とロデリックは思う。
今、この場で知らされたことばかりが多過ぎる。ロデリックはまだ、プライドが豹変した姿を目の当たりにはしていない。七年前から忠誠を誓い、尽くそうと決めた相手であるプライドに。その成長と、何より女王となる日を楽しみに思っていたプライドに。自分は、剣を向けろと粛清しろと騎士団全体に告げなければならない。ステイルの口から告げられた、プライドがアーサーを討ったという言葉を聞いてもまだ信じられず、不思議なほどに戸惑い以外の感情は沸かなかった。十年前すら遥かに凌ぐ加虐性と横暴さは自分の知るプライドとは全くの別物過ぎた。そんなプライドに怒りや憎しみを持つなど、騎士としての立場が無くても無理な話だった。今はそれを現実として受け入れ、立ち上がることしかできない。国の為、民の為。そして過去のプライドが願い続けた平和な国の未来の為にもその決断は避けられな
「……った……に……。」
突然。
静まり切った部屋に、ぽつりと声が落とされた。
掠れ、擦り切れたような弱々しく小さな声だった。誰もが肩から身を強張らせ、目を見開き口を閉ざす。最初は顔も動かせず、見開いた目のまま、自分以外も聞こえたのか確認するように目配せし合う。互いの驚愕と息も止まったその表情を確認し、示し合わせるように視線から首がゆっくりとぎこちなく声の方へと向けられた。
最初に口を開けたのはステイルだった。信じられないように全身が内側から震え出すのを感じながら、彼の名を呼ぶ。
「……アー……サー……?」
ベッドで眠り続けていた筈のアーサーが、ぼんやりと俄かに口を開いたままその目を開けていた。
焦点が定まらず、半分しか開いていないその目が数秒経ってから一度だけ瞬きをした。まだ意識が定まらず、ぼやける視界で放心し続ける彼を、今度はロデリックとクラークが同時に呼んだ。突然の大声に意識が引き寄せられ、瞬きを更に繰り返すアーサーは、とうとうその蒼い瞳を丸く開き、……光らせた。
疑い、驚き、希望を抱き、茫然とするステイルは一年前のある言葉が強く頭に過ぎった。
『だって、アーサーは私の英雄だもの!』
─ 〝俺達の〟英雄が目を、覚ました。
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