そして見据える。
「ップライド、貴方は御自身が何をしているのかわかっているのですか……⁈この、母上達や衛兵に一体何を⁈」
「貴方が知る必要のないことよ、愛しい我が義弟。」
ステイルの訴えにも、プライドは全く靡かなかった。
むしろ切り捨てるように言い放つと、高い位置からステイルを見下す。それを受け、ステイルは震える手を血が滲むほどに握り締めた。
……協力などッ……できるものか……‼︎
プライドによる女王制の協力。それは同時にフリージア王国を奴隷生産国にすることに頷くことにもなるのだから。
感情を殺せ、殺せ、殺せ、思考を消し去れと頭に言い聞かせながらも自身に込み上げるものにステイルは飲み込まれかける。
まるで悪夢のような光景と、その選択肢にステイルの呼吸が浅く、脳が酸欠を起こしていく。このまま消えてしまいたいと思っても今はもうできない。頭を抱えたくても身体が金縛りのように動かず重い。全身の血の流れが恐ろしくゆっくりになり、手枷の重さ関係なく身体が今にも沈みそうだった。
どうやって逃げ出すか、目の前にいるのはプライドを入れてもたった四人。足で逃げられない相手でもない。扉の向こうは衛兵は無事なのか。もしそうであれば逃げ出し、扉を封鎖して部屋に彼女らを閉じ込めれば良い。その間に騎士団を呼べば、と。そこまで考え、いつどうやって隙を突くかステイルが考えを巡らせ始めた時だった。
「……プライド様。どうぞ〝我々に〟お任せ下さい。」
突然、はっきりとした物言いでジルベールの声が放たれた。
なっ⁈と思わずステイルが振り返れば、先ほどまで将軍を押さえていたジルベールがその手を離し彼を解放しているところだった。
恥をかかされ、怒りをぶつけようと再びジルベールに拳を振り上げた将軍だったが、振り下ろそうとした瞬間にその勢いを利用され、腕を取られたまま背負われるようにして今度は床に背中を叩きつけられた。息が詰まり、身動きができなくなる将軍をジルベールは上から覗き込むと「これから大事なお話ですので」と一言言い捨て、絶対零度の眼差しで動きを止めた。
今度こそ顔面が蒼白になる将軍が黙って頷くのを確認すると、ジルベールはゆっくりと笑みを作って戸惑うステイルの隣に並んだ。
「ステイル様は優秀な次期摂政ですから。私が補助せずとも充分にヴェスト摂政の代わりを勤めて下さる筈です。」
「ッジルベール‼︎お前っ……」
何を言っている⁈と怒鳴ろうとするステイルを、ジルベールは片手で押さえ、無言で制した。それでも横から詰め寄ろうとしたステイルだったが、ジルベールのその手が微弱に震えているのに気付き、口を噤む。
「あらぁ?ジルベール宰相。もう心変わりしてくれたのかしら?」
「心変わりなど、とんでもない。私は以前よりプライド様に多くの誓いを交わしておりますから。今、この場で国を司ることができるのはプライド様のみでしょう。それにー……」
試すように笑うプライドに、ジルベールは言葉を切った。
ステイルから離した手をそのまま自身の胸に置き、服従するようにその場へ跪く。にっこりと繕った笑みが一度緩まり、口だけで笑んだジルベールは怪しく光らせた薄水色の瞳を隠すことなくプライドへと向けた。
「プライド様の〝御望み〟を叶える為には、私を懐に入れて置いた方が宜しいかと。」
含みを持たせるように言い放つジルベールの言葉に、ステイルは眉を潜めた。
深々とこうべを垂らすジルベールの姿にアダムはニヤリと笑みを引き上げ、そしてプライドは
「……ぷっ……‼︎……ハハッ……アッハハハハハハハハハハハハハハハハッ‼︎」
腹を抱え、笑い出した。
苦しそうに何度も何度も笑い、玉座から足をバタバタと振り乱し、笑い声を響かせた。アダムも違和感を覚えるほどの笑い声が暫く続いた後、はぁー……と息をゆっくり吐いたプライドは背凭れに身体を預けながら口端を歪めた。
「流石ジルベール宰相ねぇ……?……そうよねぇ、貴方は……ちゃあんと私のことをわかってくれているものね……?」
フフッ……とまだ笑いがおさまらないプライドは最後に小さく笑い、……数秒だけその表情が冷ややかに歪んだ。口の端だけは引き上がり、笑っているようにも見えるが痙攣し、眼差しは酷く熱量を蓄えたまま怪しく輝いていた。
アダムがプライドの言葉に疑問を抱くように尋ねたが、あっさりと一蹴される。プライドはジルベールにのみ視線を注いだまま口端をとうとう限界まで引き上げた。
「歓迎するわぁジルベール宰相、……ステイル?」
ねぇ?とジルベールから最後にステイルへと視線を注ぐ。
この場で服従を求められたステイルは、一度目を伏せた。だが、見ればジルベールがプライドにこうべを垂れたままその切れ長な眼差しだけを真っ直ぐにステイルへ向けて訴えているのが嫌でもわかった。
今、この場ではジルベールが裏切ったようにしか見えない。だが、ステイルには〝そうでないようにしか〟見えなかった。だとすれば、ジルベールがプライドに従う理由として考えられるのは。
「………俺が貴方には従えば、母上達は生かして貰えるのですね。」
低く小さな声で確認するステイルに、ジルベールは目を閉じた。
ステイルの腕が更にブルブルと震え、鎖がジャラジャラと音を立てだした。ステイルの言葉に、プライドは待っていましたと言わんばかりに「勿論よ」と声を上げ、爛々とその目を輝かせた。
「貴方達がちゃあんと私の言う通りに従えば、母上達は殺さないであげる。〝病人〟に理由もなく手を出すわけがないじゃない?」
嬉々として謳うように言い放つプライドの言葉に、ステイルは心の中で「やはりか」と納得する。
プライドが女王となるのならば、今倒れている三人は邪魔になる。殺さない理由の方がない。他に利用価値がない限り。
静かに、改めて正しく現状を理解したステイルは、顎が痛むほどに強く奥歯を噛み締めた。震える右手で拳の中で爪を立て、ジルベールと同じように跪く。感情を殺せ、殺せ、考えるなと頭に言い聞かせる間もジャラリ、と鎖が床に垂れ、そして自身も深々とこうべを垂らした。
「………仰せのままに。プライド女王〝代理〟。」
両手を枷で戒められ、ラジヤ帝国に自国を売ろうとする王女と皇太子に、ステイルもまた服従の意思を示した。
真の女王も王配も摂政も。誰一人死なせないその為に。
「ええ、宜しくね?ステイル摂政〝代理〟?」
次の瞬間。頭を下げた二人を前に嘲笑うかのような王女の笑い声が響き渡った。
……
「おい、…一体これはどういうことだ…?」
─ 〝城内〟に命ず。騎士団による警備を撤去せよ。
「わからないが、……ジルベール宰相殿の話では陛下からの御意志だと。」
「本当か?しかし、何故突然このようなっ……。」
─ ラジヤ帝国は、無事全員捕縛された。よってフリージア王国の安全も確保された。
─ 〝王居内〟に命ず。女王急病の為、第一王女プライド・ロイヤル・アイビーを女王代理として全権利を貸与する。
「急病だぞ⁈こういう時こそ王居の警備を強化するべきなのではっ……⁈」
「ジルベール宰相のお話では、伝染の可能性がある病らしい。その為、騎士団の安全の為にと。…!それよりもプライド様だ!今のあの御方に何故陛下は……⁈」
─ 〝王宮内〟に命ず。上層部も含み、許可なく王宮内に何人も立ち入らせることを禁ず。
─ ラジヤ帝国の者に従え。
城内は騒然とした。
城内、王居内、王宮内だけに知らされた女王の勅命。ラジヤ帝国の事実を知る上層部の者は誰もが耳を疑い、突然の撤退を知らされた騎士達も戸惑いを隠せなかった。更には王居に住んでいた王侯貴族、摂政のヴェストの家族にも王宮の立ち入りを禁じた。ヴェストの無事もわからないまま戸惑いを露わにする彼女らをジルベールが宥め、暫くは宮殿から出ないようにと説得した。
同時に、王宮内ではジルベールにより収集された衛兵、侍女、従者、医者などの彼らにだけは真実に最も近い内容が語られた。
女王、王配、摂政の身の安全の為、緘口令とラジヤ帝国とプライドに従うようにという指示。発狂した衛兵は秘密裏に城内の救護棟へと運ばれ、離れの塔で倒れた彼らに紛れさせるように保護された。
更に王宮内の侍女と医者達には女王、王配、摂政を極秘に介抱し続けるようにと。
国の最上層部の命を握られたと聞き、彼らはジルベールの指示を最善として頷くしかなかった。
「……順調そうだな、ジルベール。」
一通りの指示と後始末を終えたジルベールの背中へ無表情のステイルが声をかける。
女王であるローザ達を人質に取られた後、二人はプライドに全権利が移る用に工作を命じられた。鎖ごと手枷のついた手元を隠す為、マントのように全身を覆う羽織を身につけた二人は、城内、王居内、王宮内へ指示を回し続けていた。
「いいえ、流石に現状でプライド様の復権は無理がありますからねぇ。王居外には未だプライド様は病として情報が閉ざされておりますし。恐らくこの程度の急拵えではすぐに綻びが生じるのではと心配です。」
上層部も騎士団も馬鹿ではありませんから。と、あっさり情報の瓦解を呟くジルベールにステイルは無表情で見つめ返す。
実際、騎士団からすればラジヤ帝国が捕まったとはいえ情報が突然過ぎる。更には捕まえたからといって、ラジヤ帝国自体への警戒を解く理由にはならない。もともと逃亡する前から警備を強化していたのだから。
そして、プライドの豹変もアダムの本性と企みを知る上層部の多くは王居内に住んでいる。プライドの豹変もラジヤ帝国の侵略の意思も知っている彼らが、騎士団を撤去され、更にプライドの女王代理を不審に思わないわけがない。
「お前ならもっと上手く情報操作ができたと思うのは俺の気の所為か?」
「買い被り過ぎですねぇ。」
ははっ、とステイルの言葉を穏やかに軽く笑い飛ばすジルベールは、目だけで周囲を見回した。
例の透明人間が自分達を見張っている可能性はまだ大きい。今、自分達は泳がされているのも同然なのだから。見回そうとも気配を探ろうとも存在の有無を確かめられないアレが一番ジルベールには厄介だった。
「そろそろ王宮に戻りましょうか。まだ、仕事は山のように残っております。我々も代理として仕事を出来る限り進めて置かなくては。」
王配、そして摂政。その公務を滞りなく回すことも、プライドから今の彼らに課せられた役割だった。
プライドに服従を示してから、まるで何事もないかのように平然と振る舞うジルベールにステイルは無言で隣を歩く。そして
「一応、念の為だ。これだけは今聞いておくぞ、ジルベール。」
王宮へ戻る為の馬車に乗る手前、ステイルが小さく声を潜めた。例の透明人間に聞かれたらと少し緊張で皮膚をヒリつかせるジルベールは「何でしょう」と言葉だけは柔らかく問いに返した。
「まさか〝同じ選択〟をするつもりではないだろうな?」
「もし本気でそう思われるのでしたらこの場で私を殺して下さい。」
ぼやかされたその言葉にジルベールは間髪入れず返す。
軽く目だけで睨むステイルに、にこやかな笑みで返すジルベールへ彼は無表情のまま小さく溜息を吐いた。自分の意図が間違いなく正しく伝わり、そして予想通りの返答に少なからず安堵する。
「……つまらないことを聞いたな。」
「いえいえ、ありがたいことですとも。」
例えこの場を透明人間に聞かれても意味のわからない会話に、二人は確かに互いの意思を確認し合った。
叛旗を翻す、その意思を。
上着に隠されたステイルの右腕が、未だ震え続けているのをジルベールは知らない。




