504.義弟は嵌り、
「ステイル様…宜しければ御食事を御用意致しますが……。」
カラムはそっとベッドの傍らに座るステイルに言葉を掛けた。
夜明けに訪れてからステイルはずっとその場から動かなかった。俯いたまま、その表情は暗く沈んだものであること以外読めるようなものですらない。
カラムの言葉にステイルは一言断ると、また押し黙るように口を噤んだ。
隣に座ることを許されたカラムだが、やはり第一王子相手にこのような場で並ぶのは気が引けた。アランの部屋とは状況が全く違う。腰は下ろしてみるものの、沈んだステイルにどんな言葉を掛けるか、そしてアーサーに少しでも変化の兆しはないかと共にアーサーの横顔を見つめている時だった。
医者がアーサーへと近づき、容態を確認しながら何やら訝しそうに何度も同じ確認をし、首を捻っているのにカラムは気がついた。顔を上げていた七番隊の騎士であるジェイルもカラムの視線に気が付き、顔色を変えて医者へ目を向ける。
「……アーサーに、何か……?」
まさか、と未だ息をしているだけのアーサーに不安が過ぎりながらカラムが尋ねると、その言葉にステイルも顔を上げた。
酷く胸騒ぎがしながら言葉を待てば、医者は「いえ……」と一度言葉を濁す。それでも納得できずに、今度はステイルが「言って下さい」と促せば医者は言いにくそうに口を開いた。
「通常……は、これほどの重傷であれば、怪我以外のものが発症してもおかしくないのですが……。彼は、未だ全くでして……。…………⁇」
当然、無いに越したことはありませんがと自分でもわからないように再び首を捻る医者がアーサーの熱を測る。むしろ、異常だと思えるほどの平熱だと語る医者の言葉に、今度はカラムとジェイルが眉を寄せた。
カラムも、救急に特化した七番隊の騎士であるジェイルもその程度の知識はある。怪我をすれば、それが重傷であればあるほど身体が悲鳴を上げ、発熱や合併症状を引き起こす。だが、言われてみれば気を失ったアーサーは血の気が悪くはあるが発熱どころか魘されることもない。まさか、体温が逆に下がりつつあるのではないかと医者だけでなくカラム達もアーサーの容態に腰を上げ、確認をした。脈にも呼吸にも異常はない。体温も平熱より僅かに高いぐらいだが、アーサーの体温としてはやはり平熱だ。一体何が、まさか病でもとジェイルが小さく不安を口を開こうとした時。
「………………っとに……‼︎」
ぼそり、とステイルが何か唸った。
俯き、額ごと頭を抱え、肩ごと使って息を吐く。ステイル様?とカラムが心配するように言葉を掛けると、ゆっくりと顔を上げたステイルは漆黒の瞳を僅かにギラつかせ、カラムとジェイル、そして医者を順々に見つめた。どこか怒っているかのように、だが先ほどよりは生き生きしているようにも見える眼差しに、全員が思わず言葉も出ずに見返せば彼は静かに口を開いた。
「……大丈夫です。騒ぐことでは、ないと思います。他言することでもありません。僕がそう決めました。……宜しいですか……?」
低く、どこか脅すような凄みを感じさせる声色に誰もが姿勢を正した。
一言ではっきり返事をすれば、俄かに笑みで返したステイルだが、その目は笑っていない。何故なのかはわからない。だが、完全に今のは口止めであることだけは誰もが理解した。きっと治療が効いたのでしょう、と言い切るステイルはその直後に目を見開き耳を、……塞いだ。
「っ……。」
突然、おもむろに耳を両手で塞ぎ、顔を険しくさせるステイルにカラムが呼びかけた。しかし耳を押さえたままのステイルは、それも聞こえないように強く目を閉じる。
頭痛か、耳鳴りでもするのか、険しい表情のステイルは一人で何度も首を振り、食い縛る。流石に心配になり、カラムがその背を摩りながら顔を覗き込めばステイルがうっすらと目を開けた。自分を気遣うカラムに気付き「大丈夫です……」と一言返すと、静かに両手を下ろし、膝の上で拳を握った。
少し不審に思いながらも、カラムは耳を澄ませるが変な音は何も聞こえない。そうしていると、ざわざわと少し部屋の外が騒がしくなっているのに気がついた。騎士達の声から「……ラン隊長⁈」「……れたのですか⁈」と騒ぐ声と、途中からダダダダッと一人分の駆け込む足音が聞こえてくる。
ステイルやジェイルも気が付き、カラムも椅子から立ち上がり扉の方へと身構えた。その足音は一直線にこちらに近づき、とうとう扉を壊す勢いで開け放った。バタンッ‼︎と耳に煩い音と共に飛び込んで来たのはカラムもよく知る騎士だった。
「ッカラム‼︎ちょっと来てくっ……⁈ス、テイル様⁈なん……ここに⁈」
珍しく息の上がったアランは、かなり走ってきたのか汗をバタバタと滴らせながらも予想外の人物に目を見張った。
しかし、すぐに咳込むようにして息を吐き、再び吸い上げるとアランは自分の中で言葉を選ぶ。そしてカラムとステイルに向けてまたひと息で言い放った。
「〝例の場所〟からッ……消えました‼︎‼︎今、急ぎ衛兵が、捜索をっ……‼︎」
隠し、主語を消して伝えたアランの言葉の意図は、はっきりと二人に伝わった。ステイルが椅子を倒して立ち上がり、事情を聞くより先に理解した。先程から何故ずっと〝プライドからの指笛〟が聴こえてくるのかを。
呼んでいる。てっきり離れの塔からまた逃げ出す為にでも自分を呼んでいるかと思っていたプライドが、実際は既に逃げ出した後だった。なら、何故わざわざ自分を呼ぶのか。プライドが逃げ出したのか、それともアダムに連れ去られたのか。
酷く胸騒ぎに内側を荒らされながら、考えきる間もなくステイルは瞬間移動した。アランが自身を呼ぶ声がした気がしたが、その前に声が途切れ視界が切り替わる。
「……アッハ!やっと来てくれたわねぇ、ステイル。」
その途端、最初に投げられたのは聞き慣れてしまったネットリとしたプライドの声だった。
「何度も呼んだのに」と語る彼女の目の前に瞬間移動したステイルは、プライドが無事だったことに安堵した後、やはり罠だったのかと眼光を強めた。「何の御用でしょうか」と言葉を返そうとした寸前、……自分のいる場所に違和感を感じた。
「ッステイル様‼︎今すぐその場からお逃げ下さい‼︎‼︎」
慌てたように上擦ったジルベールの叫び声が横から放たれる。
ジルベールが居たことに、やはり此処は玉座の間かと理解する。だが、ジルベールがいるなら母上達はと振り返ろうとした瞬間
…ガチャリ。
「……⁈」
突然、その両手に重みが加わった。
あまりに突然のことに、振り返ろうとする視線をそのまま自身の両手へ向ける。見れば、その手首にはどこか見覚えのある手枷が嵌められていた。
アッハハハハハハハ!と吹き出すような笑い声が耳を苛みながら、ステイルは震えるその両手を自分の胸の位置まで上げてみた。
ジャラリ、と右手、左手それぞれの手首に嵌められた手枷を繋ぐように長い鎖が足元近くまで垂れている。装飾のついたそれと、嫌でも覚えのある感覚に理由を考えるより先に目眩がした。
「ステイル様……‼︎」と声を上げるジルベールへ焦点も合わないまま顔を向ければ彼もまた同じように手枷を嵌められていた。ラジヤの将軍を床に押さえつけたままステイルに向けて切れ長な目を見開いている。自分と同じ装飾のついた手枷。動きを封じる為ではない、特殊能力を封じる為の特別な道具だ。
「姉君……ジルベール……これは……?」
茫然としたまま頭の処理が追いつかないステイルは、今度こそ広間を見回した。
そしてジルベールの姿から倒れている多くの衛兵、摂政のヴェスト、王配のアルバート、そして女王のローザの姿に何度もステイルは声を上げ、名を呼び、息を飲んで目を疑った。ニタニタと楽しそうに笑う目の前のプライドへ視線を戻す前に目についたのは
「アダムッッ……‼︎!」
ステイルの口から、憎々しげに放たれた低い声にアダムは心地好さそうに愛嬌の良く見えない笑顔でにっこりと笑い返した。
今すぐにでもアーサーのことをアダムに問い質したい衝動を必死に抑え、今はそれよりもと優先順位を選び抜く。
「ッどういうことだこれは‼︎⁈母上達に何をした⁈プライド!何故この者達に協力をしたのですか⁈」
聞かずとも分かってはいる。口から火を吐くように叫び、プライドに詰め寄ったがステイルも頭の中では嫌というほどに全ての状況に察しはついていた。それでも確認するように拒むように声を荒げるステイルに、プライドは恍惚とした笑みで答えた。
「ええ?決まっているじゃない。私が女王になる為よ?」
ぞくっ……、と右手を中心にステイルの全身が震えだした。心臓が動きを止めるかと思えるほどにドクン、ドクン、と恐ろしくゆっくり、そして大きく内側から鳴り響く。口を閉ざし、息を止め、ステイルは必死に抑えるように震える拳に力を込めた。
アハハッ……と笑うプライドは撫でるように軽くステイルの肩に触れ、身を翻す。そのまま優雅な足取りでローザが崩れ落ちた先にある王座へと足を進めた。
「それに、簡単に終わらせちゃったらエンディングまでもたないもの。これくらいのハンデはあっても良いでしょう?」
意味のわからない言葉を紡ぎながら、彼女は飛び込むように王座に腰を下ろす。女王が座ることを許されるその席に、まるで当然のように。
手摺に肘をつき、揃えた指先で顎を支えるプライドは長くしなやかな足を放り、そして組む。
「フリージア王国は、今日をから私のものになる。……ねぇ?ステイル。貴方はちゃあんと協力してくれるわよね?だって、私の補佐だもの。」
カランコロンと擽ぐるような声で問い掛けるプライドに、ステイルは言葉が出なかった。
プライドの言葉は妄言でも何でもない。女王であるローザが倒れた今、現段階で第一王位継承権は誰のものなのか。それはステイルもよくわかっていることだ。
すると距離を置いていたアダムが、プライドに引き寄せられるようにその隣に並んだ。本来、女王の傍に並ぶことを許される王配の位置に立ち、玉座の背凭れ部分に寄りかかった。まるで、自分がその立場の人間だと主張するかのように。
「問題ないわ?な〜にも変わらないわよ全然。ただ、ラジヤ帝国ともっともっと仲良くなるだけ。国の富も今以上になって良いこと尽くしだもの。」
簡単でしょ?と見下すように笑うプライドに怖気が走り、全身が強張る。
その〝だけ〟がどれほどに恐ろしく、取り返しのつかないものになるのか。自身の両手枷を見つめながら、苦々しくステイルは顔を歪めた。ラジヤと関係を深めるということは、ゆくゆくは罪のない国民がこの枷をつけられるということになるのだから。
「協力してくれないなら、……ステイル。貴方も母上達のようになっちゃうわよ?」
そう言いながらプライドが顎で指したのは倒れたまま身体を痙攣させるローザ達だった。実の両親である二人にすらプライドは全く何も感じないように薄く笑い、そして歪むステイルの顔を見て笑みを更に広げた。




