489.騎士は沈む。
「……っとに……プライド様、しつけぇ……。」
ハァッ……、と再び大きく息を切らせながらアーサーは木に寄りかかる。
空を仰げば見事に夜が更けっていた。太陽が沈みきり、月を雲が覆い隠して星すら見えないほどに曇っていた。
早朝から、プライドは何度も何度も目を覚ましては逃亡を計った。
アーサーにより確実に逃亡を妨害されるとわかったプライドにとって、一気に余裕がなくなったこともある。本来ならば、ステイルを無力化さえすれば機会は何度でもあると思っていたのだから。
その結果、プライドはステイルの時とは比べものにならないほど頻繁に離れの塔を抜け出し、何度もアーサーから逃げ、彼の体力切れを狙うしかなくなった。睡眠の時間になれば、特殊能力者により強制的に睡眠に入らされるが、真面目なアーサーが夜も自分を見張る為に短時間の睡眠で余計に体力が消耗されることも読んでいた。
「あの人……、……剣だとやっぱ強ぇし。」
アーサーが本気で自分を力ずくで止めに来ると理解してからは、プライドは剣を持っていた衛兵から一度それを奪った。
槍を持つ時とは比べものにならないほどの強さに流石のアーサーも苦戦し、何とか勝ちは取れたが、その後には衛兵へなるべく持つ武器は剣を避けて欲しいと伝えた。彼らもプライドの剣術の凄まじさを目にしてから全員が武器を槍か大銃に統一してくれた。
プライドにある程度手心を加えているアーサーと本気でかかっているプライドではハンデも疲労の色も違う。いっそ全員へ殺す気でかかれた防衛戦の方が楽だったとアーサーは思う。その上、隙を作ればプライドは刃を自分自身にまで突き立てようともする。
本音を言えば、プライドにはもう二度と怪我をさせたくない。途中からは衛兵が武器を奪われる前に自分が駆け込んで早期解決にも持ち込んだ。
衛兵から、プライドがもう寝静まっている筈だと聞いてやっとひと息つけたが、初日から予想以上に疲労してしまったことも自覚した。
越権行為を侵している彼に対し、衛兵は誰一人悪い顔をしなかった。若干恐れている者は何人かいたが、王族からもアーサーの事実上の黙認許可だけは得た為、彼に協力まではいかずとも助言や声を掛ける者は多かった。こうしてアーサーがぐったりと木に寄り掛かり、捕縛には絶好の状態でも咎めようとも捕らえようともしなかった。
特殊能力者による睡眠は数時間程度とも、衛兵から伝えた。だが、途中で起きたプライドがまた夜中に脱走しないとも限らない。今のうちに二、三時間だけ寝るかとアーサーは考え
「アーサー。」
突然、聞き慣れた声がかけられた。
ピクッ、と幻聴かと思いながらアーサーは顔を上げる。まさか、そんなと汗が冷たくなってドバッと身体中から溢れ出た。心臓が酷く鼓動を鳴らし、反射的に剣を握った手まで脈打った。
さっきの疲れが嘘のように飛び上がったアーサーは、声のした先に目を皿にして疑った。こうして自分が戸惑っている間にもスタスタと軽い足取りで歩み寄ってくるのは
「カラム隊長、エリック副隊……⁈え……⁈」
なンっ…え⁈いや、これは‼︎まさか俺を捕らえに⁈と。驚きのあまり、剣を構えるべきか解くべきかもわからずに狼狽するアーサーに、エリックが警戒を解かせるように「大丈夫大丈夫」と荷袋を片手に声を掛けた。
エリックの柔らかい笑みと、カラムから「顔色は悪くないな」と自分を心配する声掛けにじわじわとアーサーの警戒が解けていく。
「ちゃんと俺達は、許可を得てここにいるから。」
はっきりとそう言い放つエリックに、アーサーは逆に訳が分からなくなる。
ど、どういう…⁈と声を漏らしながら、何かの作戦かと一瞬考えてすぐに否定した。他の誰でもないエリックとカラムがそんなことをするとは思えない。
茫然とするアーサーに、今度はカラムが歩み寄りながら「座っていて良い、疲れているのだろう」と手を下へ下へと振って指示をする。
カラムに言われ、大人しくゆっくりとその場に跪くように座るアーサーは目が皿のままだった。まさか夢でも見ているのかと思いながら口をあんぐり開けてしまう。そうしている間にも、アーサーの前まできたカラムは素手でアーサーの熱や脈を測ると「体調に問題ないな。怪我は?食事は摂れたのか」と再び問いかけた。
「いえ、怪我は全く。腹は……。……それよりお二人は、その、何故ここに……?」
何とも言えない表情で尋ねるアーサーに、エリックは持ってきたパンと果物、水を差し出す。「毒とかは入ってないから」と目の前でパンを小さく千切って食べて見せながら、アーサーへ食べるようにと促した。
訳も分からないままだが、取り敢えず二人が自分に毒を盛るような人間ではないという確信だけでアーサーは礼を言ってパンに噛り付いた。
早朝からプライドを見張り続けていた彼は、殆ど飲まず食わずだった。ちゃんと食料を持参すべきだと反省したのもかなり後になってからだ。途中、こっそりプライドの専属侍女であるマリーやロッテがパンや水を差し出してくれたが、ほとんどずっと緊張状態を保ち、プライドを捕らえて抱え、塔の最上階まで運ぶのを繰り返している彼には足りる量ではなかった。
齧ったパンを少し胃に入れただけで思い出したように腹が減り、アーサーは数口で両手大以上あるパンを食べきった。
「ステイル様からお話を頂いた。……ただし、プライド様がこの塔におられること。そしてお前が逃亡しないように守っているということだけだが。」
他は何も聞かされてはいない。と喉を詰まらせかけるアーサーに水を勧めながらカラムが声を潜めた。
ステイルが⁈と一口含んだ水を噴き出しそうになりながら、何とか飲み込んだアーサーは代わりにむせ込んだ。ゴホッ、ゴホッ‼︎と咳き込みながら「どういうッ……」と絞り出す。噎せるアーサーの背中をさすりながらカラムが言葉を続ける。
「あくまで私達は〝偶然居合わせただけ〟だ。…何も知らず、たまたまここに居る。」
当然、表向きはだが。と言い足すカラムは果物をアーサーに今度は手渡した。礼を言って受け取りながら、まだ戸惑い気味のアーサーにカラムはステイルに先ほどまで呼び出されていたことを説明し始めた。
『アーサーは無理をするでしょう。ですから、他の騎士に不審に思われない程度で彼をサポートして欲しいのです。……勿論、強制ではありません』
詳しくは話せない。プライドのことも現状も話せない。アーサーにも聞いてはならない。ただ、彼を手助けして欲しいと望んだステイルの言葉に誰も異議は唱えなかった。
『せめて夜分だけでも、彼の代わりに見張りを代わって頂ければ幸いです。アーサーも貴方達にならば、きっと信頼して身を休められると思いますから。』
彼ら自体は、プライドが逃げ出しても騎士として許可なく何もできない。だが、その時にすぐ異変に気付き、アーサーを起こすことはできる。
昼間の休息時間では、毎回近衛騎士の誰かが居ないことを誰かに気付かれてしまう。しかし、就寝時間の夜だけでもと。
今は王居と城門、城壁に騎士団は警備が命じられているが、夜に自分達の休息時間中に抜けるくらいは隊長、副隊長の彼らにも難しくない。毛布も食料も水も何も持っていっていないアーサーの状況をステイルから聞き、すぐにカラムとエリックは必要物資を荷袋に詰めてアーサーの元へ向かった。既に王配であるアルバートから夜分のみ、衛兵へ近衛騎士の出入りも許された為、すぐに衛兵にも案内された。
「……ほんっと……敵わねぇ。…。」
ハァ……、と水を一気に飲み終わり、ひと息ついたアーサーは、食べ終えた果物の種を口から出しながら溜息をついた。せっかく格好をつけたのに結局ステイルに助けられてしまったと。
そして何よりも、向こう見ずな自分の行動を理解してのサポートは見事に的を射ていて、一言でいうと「助かる」と心から思った。
「すまないな、アーサー。私達にはこの程度しかできない。」
「情けないけどな。」
カラムとエリックの言葉にアーサーは思わずといった様子で「とんでもないっす‼︎」と声を上げた。
それよりも二人は夜寝なくて良いんですか、と心配するアーサーに二人は首を横に振って笑う。騎士として一晩二晩程度は不眠も慣れている。自分達の休息時間全てをアーサーの休息に注いでも問題はない。
「それに、明日は私達ではなくアランとハリソンが来る。お前は夜は気にせず身を休めておけ。」
「ッハリソンさんも来るンすか⁈」
でぇ⁈と、また大きな声が出てしまう。
てっきりいつもの三人だけだと思ったアーサーは目を白黒させてしまった。その様子にエリックは少し可笑しそうに肩を震わし、カラムは頷いた。
「ああ、ハリソンもアランも心配していたぞ。流石に四人では目立つが、夜は誰かしら私達の内から見張りと食料を持ってくる。とにかく今は休め。」
明日の分の食料もここに置いておくぞ、とカラムの言葉に応えるようにエリックがアーサーの隣に別の荷袋を置いた。更に先ほどの食料を出した方の荷袋からは毛布を取り出し、アーサーに投げ渡す。「まだ夜は冷えるだろ」と言われ、あまりにも至れり尽くせりな状況にまだ瞼が開き切ったまま緩まらない。そうしている内にもカラムに落ち着かないなら私達は少し離れた所で見張っていようと言われてしまう。
「早朝になったら起こしに来るから。それまではしっかり休んでいろよ。」
エリックにも背中を叩かれ、手を振られてしまった。
言葉も上手くでないまま「あ……あの!」と上擦った声で二人を引き止める。背中を向けたまま顔だけで振り向く二人にアーサーは少し詰まり、それでもこれだけはと言葉にする。
「あ……りがとう、ございます……。……すみません。」
自分の事情も、これは違反行為で本来ならば叛逆者への加担になるかもしれないことも飲み込み、何も聞かずにいてくれる二人に言えることはそれだけだった。
ぺこり、と頭を下げるアーサーに、本当にいつもの彼だなと安堵したカラムは軽く手を挙げて返した。それに続くエリックもアーサーへ手を挙げ、「アーサー」と軽く声を掛ける。顔を上げて返事をするアーサーにエリックはヒラヒラと再び手を振ると、満面の笑みで一言預けた。
「ちゃんと格好良いぞ。」
ハハッ、と軽く笑いながら今度こそ完全に背中を向けて去ってしまうエリックに、カラムも同意するように小さく笑った。
自分から離れていく二人の背中を見つめながら、アーサーは自分の顔の熱がじわわわと上がっていくのを感じる。最後の最後に予想外の褒め言葉に恥ずかしさと嬉しさで、身体が硬直しながらも唇だけが震えてしまう。気が付けばエリックの最後の言葉が木霊するように自分の頭に繰り返された。
「〜〜っっ……どこがっすか……。」
ばたん、と。アーサーは寄りかかっていた木から零れるようにそのまま地面に倒れ込んだ。顔が赤いのを遠目からでも気づかれないようにと毛布に包まって丸くなる。毛布の温かさで余計に身体が熱くなった気がしたが、気付かない振りをして強く目を閉じた。
本来ならば自分のやってることも謹慎処分も、騎士達に軽蔑され、自分勝手なことをと叱責されても当然だと、アーサー自身がよくわかっていた。
ステイルが助けを求めに来たのは予想外だったが、そうでなくても近衛騎士が再開されたら殴ってでも剣を向けてでもプライドを止める覚悟が彼にはあった。たとえ行き過ぎて罰せられても、それで近衛騎士を外されても最悪の場合は騎士を退任し、叛逆者になってでもプライドを傍で止め続ける覚悟はできていた。
たとえ王族も騎士団も、国中を敵に回してでも。
なのに、今こうして叛逆者となっても自分にはまだ味方がいる。ステイルは勿論だが、衛兵達や侍女達も自分を冷やかな目で見る者は一人もいない。
更には尊敬する騎士の先輩までもが何も言わずに手を貸してくれた。四人もの心強い騎士が、まだ自分の味方でいてくれることが、孤軍奮闘するつもりだったアーサーにはこの上なく嬉しかった。
……ほんっとに……恵まれ過ぎだ、俺は。
昔から。と、ふと七年前のことを思い出し、今度は胸が熱くなった。
他ならない近衛騎士である彼らに対し、疑う余地など少しもない。最悪の場合でも、あの二人ならプライドを止められるのだろうと思えば余計に力が抜けた。昨晩もステイルとのことで寝ていない彼は、そのままゆっくりと微睡みに沈んでいった。
たとえ何日、何ヶ月、何年経とうと塔の上の王女を止め、そして守ると。……改めて心に決めながら。




