そして天を仰ぐ。
「あと〜……何分だ?」
花火。と、アランはのんびりと空を見上げながら隣に佇むカラムへ投げ掛けた。
演習が終わり、今回の城内警備に配属されなかった彼らは他の騎士達と同じく演習場で花火の打ち上げを待っていた。他にも城下の見回りや演習場の警備中の騎士もいるが、それ以外の者は自由に過ごす事が許されていた。アランとカラムのように演習場で花火を待つ騎士達も多ければ、城下に降りて祭りを楽しむ者も多い。八番隊の騎士の中には自室で花火も関係なく普段通り過ごす者もいるが、殆どは民と同じように花火の時を待っていた。
「あと十五分……といったところか。もうプライド様達も見晴台に出ている頃だろう。」
カラムの返事に、アランは十五分すら長いと思えば、ふわぁあ……と欠伸が出た。
そのまま暇を持て余すように手の中のジョッキを傾ける。目の前では騎士達がテーブルや酒を持ち出し、宴を開いていた。出来上がっている者こそいないが、地面や建物の屋根の上に転がる騎士も少なくない。アラン自身、今はカラムと語る為に隣にいるが花火が上がるまでには手近な屋根に登るつもりだった。
「あいつらは今年が初めてだよな〜、花火でのプライド様の護衛。」
「去年は私達が担当したからな。」
懐かしそうに零すアランにカラムも頷きながら前髪を指先で払った。
一年前。近衛騎士を任じられてから初めて花火でのプライドの護衛を任された。その時のことをぼんやりと思い出せば、二人とも色々な意味で感慨深い。あの夜は本当に近衛騎士を任じられて良かったと思い、自分達より前から近衛騎士を任じられていたアーサーには悪かったとも思った。
自分達が近衛騎士に所属されるまではアーサーも城外でなければプライドの護衛にもついていなかったのだから。そして、だからこそ今年の花火での近衛任務はアーサーとエリックに譲ってやろうと二人は一年前から決めていた。その為に今夜の近衛騎士の番も調整を前もって行った。
「王都であれば何処からでも大概は見えるが、やはりあの見晴台は別格だ。まさに特別席の名に相応しいだろう。」
空に咲く。と、その言葉が相応しいほどだったとカラムは思う。
当然、最優先はプライドの護衛であり、花火中もずっと空を見上げることはできない。彼らが集中すべきは花火ではなく護衛対象なのだから。
花火鑑賞という意味であれば、特別席の護衛よりも遥かにこうして演習場で眺める方が満喫できる。花火の光一粒一粒を逃すところなくその目に焼き付けられるのだから。しかし、それでもあの特別席での護衛警備の価値は計り知れないと二人は思う。
カラムの言葉にアランも大口を開けて相槌を打つ。
「だなー。それに何と言ってもあそこは……」
……
「〝特等席〟って……アラン隊長、言ってましたよね。」
花火も間近に控えているその時、アーサーは思い出すようにエリックへ呟いた。
女王であるローザを含めた最上層部とそしてハナズオ連合王国も揃い、専用の席に掛けた今。私語が禁じられた訳ではないが、それでも護衛任務中の彼は抑えた声だった。エリックもその言葉に頷くと、同じく小声で「そうだな」と返す。
今夜の護衛が自分達に決まった際、カラムから「決して惚けたり気を抜かないように」と注意された二人だが、アランから受けた言葉は「あそこは特等席だから」の一言だった。
「やっぱ、違うンすかね。同じ城内でも此処と他じゃ。」
「そりゃあそうだろう。王族が毎年ここで見るんだ、それだけの価値はある。」
だが、余所見はするなよ。とエリックはアーサーに軽く釘を刺す。
あくまで彼らの最優先はプライドの護衛。口を開けて花火を眺めることではない。その為に今もこうして自分達だけではなく、騎士団長のロデリックと副団長のクラークを含めた多くの騎士達が護衛と警護にいるのだから。
エリックの言葉に一息で返しながら、アーサーは姿勢を正す。次第に城内の灯りだけでなく、見降ろせる城下の灯りも暗くなり、中には消灯されるものも増えていった。それに合わせるように暗闇でも見張りが可能な特殊能力者の騎士が周囲を見回す。異常なし、と声を掛け合いながら警備と護衛を継続した。
目の前が闇に塞がり出し、とうとう始まるのだと視覚情報から知らされる。それにアーサーは妙な緊張感で固唾を飲んだ。エリックも小さな灯りを頼りに目を凝らし、空ではなく椅子に掛けるプライドへと視線を向けた。そして、
口笛のような甲高い音の後、夜空に火花が咲いた。
ドンッ、と心臓までも震わす音が遅れて響く。
最初の始まりを告げる大輪に、見慣れないハナズオ連合王国やレオンだけでなく、プライド達もわっと歓声を上げた。「綺麗!」「始まりました!」と声も心も弾ませ、直後に連打が始まれば指で指す。あの形は、と見事な空の絵に気付いても声を上げ、プライドをティアラと挟んで座るステイルも相槌を打てば自然と顔が綻んだ。
「また去年よりも見事な出来ですね。」
毎年のことですが、と。そう言いながら見上げれば、既に彼らの視界どころか遠目でも空を埋め尽くすほどの数の花火があげられた。フリージア王国では特殊能力者が製作から打ち上げまでを担うことが多い為、他国よりもその規模も精度も段違いだった。更には年に一度の王族も楽しみにしている行事ということもあり、年ごとに一年前を必ず上回る品質を保っている。ステイルの言葉にプライドとティアラも「そうね!」「段違いです!」と声を上げた。毎年同じような言葉を交わしあっているが、間違いなく素直な彼女達の感想だった。
声を最低限は抑えながらも燥ぐプライド達に、更に高い位置で鑑賞をするローザ達も微笑んだ。「今年も見事な出来ですね」とローザが投げかければ、両脇に坐する王配のアルバートと摂政のヴェストも一言で頷いた。
それもまた毎年変わらない。しかし、その会話をできることこそが今も変わらずフリージア王国に平穏が保たれている証拠でもあった。
女王を含む最上層部の会話を聞きながら、その傍らで護衛を続けるロデリックは無言で肩の力を抜くように息を吐いた。その様子に息の音だけで気付いたクラークも、言葉は発さないまま静かに笑んだ。平和そのものなのも喜ばしいことだが、更にはプライド達が燥ぐ声までも耳に届けば口元が緩んでしまう。視線こそ花火そのものではなく、護衛対象であるローザ達を含める王族に向けられているが、彼ら越しに見える花火だけでも充分に美しかった。
ふと、クラークは思い出したように視線を一度だけ別方向へと振り返る。
見れば、その先には闇夜に紛れるようにして物陰に潜むハリソンがいた。今日は八番隊として王居の護衛を任されていた彼だが、花火の爆音に狙撃や奇襲音ではないかと確認するために高速の足で見晴台まで上がってきていた。毎年花火が上がるたびに奇襲ではないかと危惧して自室から飛び出してくる彼を知るクラークにはあまりに予想通りの行動だった。「大丈夫だ」と知らせるように手を上げて合図をすれば、ハリソンはその場で深々と頭を下げた。次の瞬間には高速の足で闇夜に溶けるように消えてしまう。
その様子に肩を竦めてまた笑うクラークに、ロデリックは「ハリソンか」と短く小声で確認する。それにクラークが答えれば、納得したように頷いた。やはりか、と同じようにハリソンの性格と習性を知ったロデリックも、ある程度の予想はついていた。視線だけは変わらず王族へと注ぎながら、今度は耳も澄ませてみる。
今回のように来賓などで王族が増えていなければ、大花火の警護も衛兵達に任せている彼らだが、今夜の花火鑑賞は間違いなくいつもよりも賑やかなものだろうと確信した。花火の音に紛れないほど楽し気に弾ませ語り合うのが、プライド達だけではないのだから。
「おぉ!あれも〝割物〟だな!だが文献で読んだことのない物も多い!フリージア独自のものか⁈」
「セドリック、〝割物〟というなら、あっちが〝キク〟で反対のが〝ボタン〟で合っているかい?」
「……セドリック、ヨアン。全ての花火を名指しするつもりか?」
興奮気味のセドリックに珍しくヨアンも続く。その様子にランスは呆れながらも笑った。
セドリックから客室でひらすら花火の知識について聞いていたヨアンも、今はいくらかの知識はあった。
気持ちはわかるが他に感想はないのかと、ランスは可笑しそうに二人の会話に耳を傾けた。視界全てに広がる光の花と散る粒子がただただ美しいと彼は思う。セドリックから話しを聞き、覚えこそしてはいないが期待値だけを上げていたランスにとっても花火は予想以上の芸術だった。
こんなに美しいものがあったのかと、改めて外の広さと素晴らしさを思い知る。自国でも流通さえ叶えば是非取り入れたいと思えば、この後にでも早速摂政のヴェストに相談をしてみようと決めた。フリージア王国以外でもある文化ということは、特殊能力者でなくても可能なのか。その危険性と利点、安全面の配慮について聞いてからでも、導入を考えるのは遅くない。だが聞けるならば早い方が良いとも思う。花火の流通といった点だけでいえば、セドリックの隣で花火を眺めているアネモネ王国の第一王子に相談できれば一石二鳥なのだから。
「……詳しいね。どこかで読んだのかい?」
「!ええ、昔に異国の書物で知りました。ですが、実物を見るのは初めてです。」
ランスと同じく、先ほどまでセドリック達の会話という名の解説を聞いて楽しんでいたレオンが今度は言葉を掛けた。
突然の投げかけに驚きながらも返したセドリックは、続けて少し焦るように「申し訳ありません、騒ぎ過ぎました」と謝罪した。自分の隣にレオンが座っているにも関わらず、初めて見る花火の数々に興奮が抑えきれなかった。
セドリックの謝罪にヨアンとランスも続こうとするが、それより先に「いや、むしろもっと聞きたいぐらいだよ」と笑って答えた。商品として取り扱いだけはしているレオンも、セドリックの語る花火の知識だけは把握している。だが、実際にそれが着火されて空に上げられるのを見たのは彼も今日が初めてだった。
「?……レオン第一王子殿下は、何故そちらを……?」
レオンへ謝罪の為に一度視線を花火から彼へと向けたセドリックは、ふと声を潜めた。
見れば、レオンが自分達のように真正面や真上ではなく、敢えて首ごと傾けて視線を別の方向に向けていた。セドリックも視線の先を追えば、確かにそこでも花火は見える。360度どこを見回しても彼らのいる空間は光のシャワーに包まれている状態なのだから。しかし、レオンの視線の先では完璧に花火そのものは捉えられない。
セドリックの問いかけに、目だけを一度彼に向けたレオンは小さく笑った。クスリと笑うように視線を緩ませ、背もたれに寄りかかり膝の上の両指を組む。それから指し示すように再び自分の視線を元の方向へと注ぐと、滑らかに笑みながら当然のように彼の問いに答えた。
「好きなものを二つ同時に見れたら幸せだろう?」
この答えに、セドリックの目がくわりと見開かれた。
肩を揺らし、若干前のめりになるセドリックは、レオンと視線の先を数度見比べた。それからやっと結論に至ると、レオンが自分に見ずとも頷いた。プライドと笑い合うティアラの横顔に目が入った途端、顔がじわじわと蒸気した。内側から熱くなるのを感じながら、下唇を噛み締める前に返事を発する。
「……確かに。激しく同意します。」
先ほどの覇気がなくなってしまったように、元気のないセドリックの声にレオンはまた一度だけ目を向けた。
だが彼の紅潮する顔色にすぐ問題はないと判断すると「だよね」と笑いかけ、再び視線を戻した。レオンに答えたセドリックも今は天ではなく彼女らの方向へ食い入るように燃える瞳を向けていた。
さっきまでの燥ぎようが嘘のように黙りこくるセドリックに、兄二人も気になり目を向けたがレオンと共に向けるその視線の先にすぐ納得をした。ああ……と呟き、互いに顔を見合わせた後は満天の空に表出する花火を見上げ直した。
セドリックと殆ど同じ方向に顔ごと向けるレオンは、明滅する大花に視界を輝かせながら椅子の肘置きに頬杖をついてしまう。花火自体もこの上なく美しく、そしてアネモネの民にも見せてあげたいとも思った。フリージア王国ほど大規模な高技術のものは難しくても専門の知識と技術さえあれば、ある程度は上げられる。貿易で取り扱っている花火を自国にも取り寄せれば良い。彼らもきっと喜んで目を輝かせてくれるだろうと思う。アネモネ王国でも花火を上げられたら、城下の民ともその話で花を咲かせられるだろうかと思えばそれだけで心が踊った。だが、今は別のことでまた彼の心臓はトクントクンと鼓動を速め続けていた。
「綺麗だなぁ。……プライド。」
殆ど溜息程度の息遣いではあったが、それでも口からこぼれ出た。
花火に照らされ、頻繁にステイルやティアラに顔を向ける度、輝く笑みを浮かべた横顔。ドン、ドン、と大花火の音と同時に彼女の笑みは光を増した。ステイルやティアラに向けて語りかける姿も、珍しい形の花火を指す姿も、押さえるように両手を胸の前で合わせて息を飲む姿もその一つ一つが愛おしい。色とりどりの花火も飽きる暇もないほど美しかったが、プライドのその姿は一生見ていても飽きないだろうとレオンは思う。
見惚れるように熱い視線を彼女の横顔に注ぎ続けて、……不意に彼女の正面が目に入った。
視線の熱を感じたかのように、プライドが振り向けばすぐにレオンと目が合った。お互いに視線が合ってしまったことに目を丸くすれば、レオンは見すぎたかなと少し反省した。無遠慮に見つめ続けてしまったことを笑みと手だけでも謝ろうかと考えれば、先にプライドが動いた。レオンと視線が合ったことに嬉しそうに笑みを広げれば、ヒラヒラと手を振った。それに少し驚いたレオンはぽかんとしながら手だけを動かして同じように振り返す。するとプライドは読み取れるように一音一音はっきりとレオンに向けて口を動かした。
「〝き・れ・い・ね〟……だそうです。」
レオンよりも先にセドリックが答えを読み取った。
通訳するように読唇術で読み取った言葉を伝えれば、レオンの胸が高鳴った。セドリックが読み取れたことよりも、プライドからそう呼びかけられたことが嬉しかった。
そのまま正面から見えるプライドと彼女を照らす花火に目を離せないでいると、気付いたようにティアラとステイルがプライドに何かを話しかけた。それに答えるようにプライドが交互に顔を向ければ、再び彼女の柔らかな笑みの横顔が目に入る。
「ステイル第一王子の言葉は見えませんが、ティアラ第二王女がどうかしたのかと聞いておりました。それにプライド王女が「レオンが楽しんでくれているのが嬉しいだけ」と。」
淡々とただ読み取った会話を音読するセドリックの言葉に、レオンは思わず片手で口を覆った。
口角がくすぐったいほど緩んでいるのを自覚しながら、手のひらの中で息を整える。花火に照らされてはっきりと見えるプライドの笑顔が、光の花に囲まれた横顔が、自分のことを語っている顔なのだということだけで頬が熱くなった。自分の聞こえない場所でのそれは、社交辞令でもなく間違いないプライドの本音なのだから。
改めて彼女は本当に彼女だなと思いながら、レオンは口に当てた手を無意識に心臓へあてた。手で触れるだけでもわかるほど心臓がとくん、とくんといつもより少し早めに高鳴っている。
セドリックがなぜ今の会話を聞き取れたのだろう、または読み取ったのかと思いながらも今は「ありがとう」の一言だけで口を噤んだ。
余計なことをまた自分は言ってしまっただろうかと不安に思っていたセドリックは、その答えにほっと胸を撫でおろす。だが、これ以上はプライド達の個人情報の侵害にも入るかもしれないと思い直し、それ以上は彼も続きを言うのはやめた。
それよりも連続で咲き続ける花火と、プライドとステイルに向けてきらきらと笑みを浮かべているティアラに視線を注ぐ。神々しいプライドのみならず、ティアラの姿もしっかりとこの目で捉えられる上、ティアラを自分の所為で煩わせずに済む程度は距離を離されたこの席はまさに〝特別席〟に相応しいとそう思った。
「確かに〝特等席〟だなぁ……。」
吐息のように熱い溜息交じりにエリックは、小さく言葉を漏らした。
その台詞にもアーサーは声が出ない。代わりに首が痛んでもおかしくないほどに激しくブンブンと頭を縦に振った。だが、その中でも視線は変わらずプライドに固定されたままだ。カラムの注意と、アランの言った言葉の意味を二人は正しく理解する。
自分達の視線の先には当然プライドがいる。そして四方八方が花火に囲まれている状況では、彼女に視線を注いでもその背景には必ず花火が入った。何度も目に入るその横顔に、まるでアーサー達の心境を表すよう背後で花火が咲いた。プライド自身が光を放っているような錯覚に目が眩む。
花火がいくつも打ち上げられる度、まるで自分の心臓の音のようだとアーサーとエリックは思った。
鮮やかでありながら淡い光に照らされ、深紅の髪の艶が反射した。更には彼女の持前の白い肌を色づけるように赤や黄色、蒼などの色とりどりの光が照らせば、彼女の美しさは更に増す。〝綺麗だ〟〝絵になる〟と彼女がその背景に照らされる度に二人は何度も思った。いっそ幻想的とも呼べる光景は間違いなく現実だ。この上なく美しい彼女と美しい花火を同時に視界に入れる。花火に目を輝かせ、時には興奮するように頬を染める彼女の表情一つひとつを彼らは眺める〝義務〟がある。
すると、レオンに視線を向けてからステイル達と談笑したプライドが今度はアーサー達へと振り返る。背もたれ付きの椅子から身体ごと向き直り、正面から彼女を捉えれば心臓音に近いそれと、彼女の背景に咲く絢爛とも呼べる火花に頭がぼやけた。綺麗だ、と。その一言では言い表せない、もはや現象だ。
「じっくり花火を見せてあげられなくてごめんなさい。でも、二人と見れてすっごく嬉しいわ!」
合わせた両手を胸の前に添えながら、何の含みもなく笑うプライドに、二人の心臓が一瞬止まった。
代わりに花火がドン、とまた一際大きく轟く。
更にはそれを言ったプライドまでもが照れたように笑う為、余計に心臓が危うくなる。バクバクと心臓か脈拍の音かもわからないまま二人は声も出なくなった。
返事のない二人に、最上層部の前にも関わらず護衛中の二人に話しかけるのはまずかったなと思い直したプライドは「お邪魔してごめんなさい」と小声で小さく謝ると、くるりと背を向けた。いえ、そんなことは、と言いたいが女王の前で声を上げることも流石にできない。更には今のプライドを再び正面から直視して平静を保てる自信もない。顔の火照りを抑えるように、後ろに組んだ鎧の手に亀裂をいれんばかりに力を込めた。緩みそうな気を引き締める為に奥歯を噛み締めれば、落ち着くよりも先に顎が痛くなる。
二人の心情も知らず、再び花火へと正面を向いたプライドは、今度は軽く前のめりに身体を傾けた。隣に座るティアラの方向、さらに向こうへ前のめりに覗けば塔の側面に足場を作ったヴァル達が目に入った。
セフェクとケメトは例年通り花火に夢中で口を開き、空を仰いでいる。時折プライド達と同じように花火を指さし声を上げたが、花火の音に紛れて見晴台までは届かなかった。
目を輝かせ続ける二人とは対照的にヴァルは壁に寄りかかったまま眉間に皺を寄せていた。セフェクが高々と手を上げる度に視界の花火に被ったが、それもどうでもいい。手持無沙汰なように腕を組みながら、途中で欠伸を零す。「見て!今のすごい!!」「あっち!あっちの火の玉みたいにっ……」と興奮が収まらないように声を跳ねさせる二人に適当に相槌を打つか、無視をする。それから何となく顔の動きは変えずに目線だけをずらして見れば、ちょうど自分に顔ごと向けるプライドと目が合った。
すると、視線が合ったかなど目を凝らさないとわからない筈なのに、プライドはヴァルに向けて胸の上まで上げた手を交互に振った。セフェクとケメトに付き合って花火に毎回訪れている彼も、少しは楽しんでくれているだろうかと気に掛ける。
何故かタイミング悪く、毎年プライドからのその合図に気づいて〝しまう〟自分に、ヴァルは音もなく落とすような溜息を吐き、諦める。視線を再び正面の花火に向け、代わりにプライドの方向へ向けて肘から上だけを動かしてヒラヒラと手を振り返した。雑な手の振り方と、向けない顔にそれでもプライドは少しだけ安堵する。
適当な手の振る形が「こっち見るんじゃねぇ」と言っているようにも見えるが、犬を払うような動きではなく、ちゃんと左右に振り返してくれていることに、そこまでは機嫌も悪くないのかなと考える。
ヴァルが振った手を飽きたように下ろしたところで、プライドも再び正面に身体を戻した。すとん、と背もたれに寄りかかり直す彼女の姿に、ステイルが「どうかしましたか」と目線と共に体を起こして尋ねた。それに、ううんと返したプライドはうっとりとした溜息と共に改めて視界に広がる花火を眺め、口を開く。
「今年も凄く綺麗で素敵だから。皆も楽しんでくれているかしらって思っただけ。」
その言葉に、ステイルは静かに微笑んだ。
彼女のその言葉も例年と同じだ。いつも花火を見上げる度に自分だけが楽しむのではなく、誰かが楽しむことばかりを気にする彼女をステイルはティアラと共にずっと見てきた。九年前は、初めて見晴台で花火を見る自分とティアラの手をぎゅっと握りしめてくれた時の事を思い出す。「すごい音でびっくりするかもしれないけれど、絶対大丈夫だから」と笑いかけてくれた日のことは未だに忘れない。男であるにも関わらず、守りたい相手であるプライドに手を握って貰えたことの情けなさと恥ずかしさ、そしてそれ以上に胸が熱くなったことも昨日のことのように覚えている。
衛兵のジャックは、侍女のマリーとロッテは、と口ずさんでいた彼女が年を重ねるごとに花火を楽しんで欲しい人の名前も増えていった。楽しんでくれているかしら、と謳う彼女に今夜は自分達だけではなく、アーサーとエリックも、レオンやセドリック、ランスにヨアン、ヴァル達も同じ目の届く場所にいる。彼らが花火を楽しんでくれていることが、彼女はきっと嬉しくてたまらないのだろうと思う。そう考えていると、ふとステイルはある人物を思い出し、先ほどまで柔らかく緩んでいた顔が少しだけむくれた。
「……ジルベールめ。」
ぼそっ、とプライドにも聞こえないように口の中だけで忌々しそうにステイルは呟いた。
宰相であるジルベールも最上層部に並び、この見晴台で花火を楽しむ権利は持っている。だが、今まで一度も彼がこの見晴台で花火を鑑賞したことはなかった。今夜も既に業務を終了した彼は足早に城を後にしていた。最高の特別席で花火を見るよりも愛する人と、そして今は愛する家族と共に空を見上げる為に。
プライドやティアラと同じくステイルも、ジルベールが家族を優先すること自体に文句はない。ただ、こうして多くが揃ってくれている中で、プライドの目の届く場所にジルベールがいないことが少し今は面白くないと思うことも確かだった。少し前までは、寧ろ居なくて清々すると思っていたステイルはそれを言葉にする気はない。だが、いっそ妻のマリアと娘のステラも一緒にこの場に招待できれば良いのにとも心の中で思ってしまうが、まだ小さなステラにはこの迫力はまだ怖いだろうとも思う。
そして、もしその条件で見晴台での花火を勧められたとしてもジルベールは丁重に断る。それを彼の友である王配のアルバートと、マリアの友である女王のローザだけは知っていた。この日になるとジルベールとマリアは互いの思い出の地でもある、城と城下を一望できる丘で花火を楽しんでいるのだから。
過去には、ベッドで寝たきりの彼女の傍らで小さな窓から漏れる光粒や花火の音だけで夜を過ごしていた彼が、今は愛する人や娘と共に夜空いっぱいの花火を眺めている。共に見れずとも、ジルベール達がそうしてくれるだけでアルバートとローザには充分だった。
「絶対皆さん楽しんでくれていますよっ!」
不貞腐れるステイルに代わり、プライドへ今度はティアラが鈴の音のような声を転がした。
さっきまで花火に夢中になっていた彼女は、身体ごとプライドの方へ向け、興奮で火照った顔のまま水晶のような目を光らせた。
「だってこんなに素敵な花火なんですものっ!毎年絶対楽しんでくれています!きっとたくさんの人が、お姉様が楽しんでくれているかなって思っていますっ。」
両拳をぎゅっと握りながら、力いっぱい力説するティアラが可愛いらしい。プライドは「だと嬉しいわ」と言いながらふふっ、と笑ってしまった。自分が誰かに見てほしいと思うくらいに、皆も目の前の光景に心を躍らせ楽しんでくれていたら本当に嬉しい。そしてその中に一瞬でも自分の存在が過ったなら幸せなことだろうとプライドは思う。
そう思った途端、懐かしむように両手か疼いた。
くすぐったいような、動かしたいような感覚にプライドは一度、姉として我慢するように口の中を噛んだ。だが、耐えきる前にティアラがきゅっと自分の手を握ってくれる。目を合わせれば無邪気な笑顔で「覚えてますかっ?」と自分に投げかける金色の瞳がそこにあった。
自分と考えているのと同じだったことに、少しむずがゆく思いながらプライドも彼女に笑う。「ええ」と返しながらティアラの手に自分の指を絡めて握り返すと、そのまま反対の手でステイルの手を掴んだ。
突然プライドに手を握られ、腕どころか肩を上下させたステイルは、ジルベールのことが全て頭から吹き飛んだ。
引いた息をそのままに呼吸が止まり、顔を向ければティアラと繋いだ手を示すようにしてプライドが照れたように笑っている。「覚えている?」と尋ねれば、忘れるわけがないと思いながら、ステイルは結んだ唇と頷きだけでそれに返した。手を振りほどこうなどと思うわけもなく、ほんの少しだけ握られた手の平に力を込めた。プライドの温度が直接伝わり、花火の音よりもずっと自分の心臓の音の方がうるさかった。
両手で二人と繋がりながら、プライドは改めて空を見上げる。
既に始まって一時間近くが経過しているというのに全く勢いも衰えない。むしろ数が増え、どの花火も自らの一瞬の輝きを主張するかのように音を鳴らし、瞬いた。
ドン、ドンドンといくつもの花火の破裂音が重なり合い、とうとう隣にいる二人の声も本当に聞こえづらくなる。前世でもプライドは打ち上げ花火を見たことはある。家族や二、三人程度の友達と見に行ったこともある。だが、それよりも遥かに大きく鮮やかな花火を、こんなに大勢の大事な人達に囲まれて見れる今は本当に幸せだとそう思う。呼吸の音すら勿体ないと思いながら、プライドは耳を澄ませ、目をいっぱいに開いてその光景を胸にも目にも焼き付けた。
「来年もきっと綺麗なのでしょうね。」
内なる心音と花火、そしてフリージア王国の明るい未来に想いを馳せながら。
活動報告を更新致しました。
宜しければ是非ご覧下さい。
重版出来、ありがとうございます……‼︎
本当に本当に皆様のお陰です。心から感謝しております。
これからもどうか宜しくお願い致します。