485.義弟は報される。
「ッそれは……どういう……⁈」
早朝、朝早くから王座の間に駆け付けたステイルは言葉を詰まらせた。
昨夜遅くアーサーを見送った後、追うべきか以上に〝追ってはならない〟と感じた彼は、部屋の戸締りをし自室へ戻った。アーサーの言葉による不思議な安堵と、そして彼の部屋が異常に整頓されていた事実に言い知れない不安を感じながらもベッドに入った。久々に涙を流した所為か、それとも彼への信頼ゆえにか数時間は泥のように眠った。だが、それから数時間後、侍女に起こされ着替えを終えた直後、ヴェストの使いに呼び出しを受けたステイルは息を切らして王座の間へ急ぐことになった。
早朝からのプライドの脱走が既に三回。そして一回目以降は王居へ〝報告の間もなく〟終息しているという事態に。
「……言葉の通りです。プライドは今朝から三度も逃走し、そして全てが止められています。……彼によって。」
ローザは小さく息を吐きながら、ステイルに静かに告げた。
〝彼〟と含んだ言葉にステイルは聞かずとも確信できた。プライドを止められる人間など、数えられる程度しかいないのだから。
ステイルと同じく、城に入ってから現状を聞かされたジルベールもステイルの表情に確信を持った。彼が希望を持つ相手こそ片手分しかいない。少しの憂いを感じながらもジルベールはヴェストの説明を待った。
一度目は早朝。
侍女が起こしに来る前に逃亡を図ったプライドを〝謹慎中の〟アーサーが止めに入ったという。プライドが衛兵に危害を加えていたところを止め、即座に無力化した。自らの手でプライドを離れの塔へ戻すと、その後は彼女が飛び降りる窓の下付近で衛兵と共に留まり続けているという。
ただし、全てを〝無断〟でだ。
誰からの勅命を受けたのでもなく、謹慎中にも関わらず無断で離れの塔に近付き
無断で越権行為とプライドへの暴行を行い
衛兵の制止も聞かずに無断で離れの塔と彼女の部屋に踏み入り
無断で今もその場から立退かないでいると。
無理に強行しようとすれば、彼は剣を構えて反抗の意思を見せた。更には自ら〝叛逆〟であることも認めた上だった。
「ただし。……お陰でそれから先は全て速やかにプライドの逃亡が阻止されています。衛兵にも被害はなく、全て彼一人が請け負っています。」
そう言ってローザは、ヴェストの説明の端々に狼狽を隠せないステイルとジルベールへ静かに断った。
王配であるアルバートもそれに頷き、二人の意を汲むように「騎士団の派遣は必要ないだろう」と告げた。その言葉にほっと息を吐くと、ステイルは無言で降ろした自身の拳を強く握り締めた。
「先日の彼への処分。……やはり姉君はこうなることを既にご存知だったのでしょうか。」
図るかのように問うヴェストの言葉に、ローザは額へ指先を数本添えた。
少し考えるように沈黙を保つローザにステイルは目を丸くする。落ち着いた頭と睡眠を充分に取れた脳が、やっと昨日のローザの処分言い渡しの不自然さを感じとった。ジルベールも少し納得したように顎を上げ、細く息を吸い上げる。
早朝一度目の衛兵からの報告。
それが最初に届くように指定されていたのはヴェストの寝室だった。連絡を受けたヴェストはすぐにでも自分の部屋の外を見張る通信兵に命じ、騎士団を派遣をすることも可能だった。だが、…。それを事前にローザが留めていた。「次にプライドが逃走した場合、騎士団を派遣するのは王居に接近する間際まで待つこと」と。
昨日の会議で、そう決めていた。その時の精神的に切迫していたステイルは、単に寸前までは騎士団派遣を躊躇ってくれただけのことだと思い込んでいたが、今は一本の線に繋がった。
「……彼は、……騎士を、退く覚悟でした。プライドを止め、そして騎士団に己が叛逆による火の粉をかけない為に。」
少なくとも予知した未来では。とゆっくり言い放つローザの言葉にステイルは身が凍る。
既にローザに処分を言い渡される時には、アーサーがそのつもりだったのだということに。
『もう、決めました。……申し訳ありません』
ローザの問いに、そう答えたアーサーの謝罪の意味を。
自分が事情を話す前、一体いつからそんな覚悟をしていたのかわからない。ただ、自分より遥か先にアーサーが覚悟を決めていたということだけを理解する。思えば思うほどに口が乾き、酷く胃の中がざわついた。
「ですから私は敢えて〝一時〟剥奪と謹慎を命じました。……彼の固い意思には、それしかしてあげられませんでした。」
不甲斐なくはありますが、と若干弱々しく放たれたローザの眼差しは哀しげに揺れていた。
あくまで彼女にできたのはアーサーが騎士を自ら退任せずに済む応急処置。一時剥奪された今、彼は騎士団とは書類上関係ない立場。更には無断謹慎中の彼が騎士団の演習に出なくても騎士の誰もが不思議には思わない。
本来ならば、アーサーがそのような暴挙に出ないように彼を一時拘留したり、騎士団長へ目を光らせるように伝え、とどめることもできた。だが、たとえどのような妨害をしてもアーサーの意思は固いことをローザはその眼を見て理解した。
「ヴェストの言う通り、彼のいま犯している違反は多く、全て合わせれば重罪です。……騎士団に彼の捕縛を命じ、場合によっては死罪や永久投獄もあり得るほどの。」
ステイルの顔から一気に血の気が引く。
呼吸が止まり、ローザへ言葉を飲み込みながら「冗談じゃない」と心の中で叫んだ。アーサーのお陰でプライドを止めることができている。更には彼の行動は全て自分やプライドの為だ。彼女の名を陥れない為、そして従属の契約に苦しむ自分からプライドを守る為に一人戦う彼を処罰など嘘でも頷きたくはなかった。
心臓が酷く遅く、そして重く重低音を鳴らす中、ローザは低い声色でジルベールに「それで間違いありませんね」と確認を取った。法律関連に携わるジルベールが誰よりもその判断に適している。ええ、仰る通りですと続けるジルベールにステイルが切り傷を与えそうなほど鋭い眼差しを突きつけた。
「ただし。……彼の行動が本当に〝自己のみの判断〟とされた場合は、となりますが。」
ジルベールからローザに対しては珍しく、どこか念を押すような低い声が放たれる。
足元から冷やすような声と共に、ジルベールは「当然、女王陛下もその為に彼への処分を決められたのだと存じます」と切れ長な目を研ぎ澄まさせた。丁寧な下からの口調ではあるが、その裏側には「まさか彼をこのまま使い捨てるおつもりではありませんよね?」という意思もはっきりと見て取れた。アルバートはその様子に少し眉間に皺を寄せながらもジルベールからローザへ目を向けた。彼女がそのようなつもりでないことは、昨晩から彼も理解はしていた。ジルベールとアルバートの視線を受け、一度息を吐いたローザはコクリと一度だけ頷くように顎を引いた。
「今は、……彼を信じましょう。このまま、彼の望む通りに。私達は〝まだ〟正式には彼の行いを認めることはできません。我々は外部に情報を漏れることを防ぐ為に騎士団を要請できず、……衛兵も敵わず、強行する彼を黙認せざるを得なかった。そういう状態です。」
いま、離れの塔にいる衛兵にも彼を強制退去させる必要はないとだけ連絡を。とローザに告げられ、アルバートは深々と頷いた。
「全てが終わった時。……彼に与えるものが〝勲章〟となるか〝処罰〟となるかはまだわかりません。騎士の称号を返せるかどうかも同様です。……ただ、今の彼がプライドの為にそこにいることだけは確かです。」
ローザの言葉にステイルは強く頷く。
アーサーがどれだけの覚悟でそこに居ることを担ってくれているか誰よりも理解しているつもりだった。そして処罰など許すものかと胸の奥でチリチリと熱を灯し
「そうですね?ステイル。」
……た、途端。ローザから響かせるような声で突然投げ掛けられた。
思わず僅かに詰まらせた声で「は、い……⁈」と緊張の色を露わにする。背筋を正し、ローザと目を合わせる。すると彼女はじっとステイルを見つめた後にうっすらと笑みを浮かべてみせた。
「……貴方と彼は確か友人でしたね。ならば、間接的に援助をしてあげなさい。王族の私達が直接関わることは許されません。ですが、それ以外であれば。……ある程度は譲歩しましょう。」
詳しくはアルバートに相談しなさい、と続けるローザは、まるでアーサーの行動にステイルが何かしら関わっていることを察しているかのような口振りだった。
自分がアーサーの叛逆行為を心の内で支持していることにも気付かれているのかと、先程とは違う冷たい汗がステイルの背筋を伝い、湿らせた。表情を取り繕いながらローザに答えるステイルに、彼女は今度こそふんわりと、しかし不敵ともとれる笑みを浮かべてみせる。
「……昨日よりも大分顔色が良くなりましたね。」
ンぐ⁈
思わず今度こそステイルは唇を結んでしまう。勘付かれている、という確信とともに、改めて目の前の母親でもある女性がこの国の最高権力者なのだと思い知る。
深々とローザに頭を下げ、言葉を返しながら「御心配お掛け致しました」と伝えるステイルに、その場にいる全員が静かに安堵した。昨日までステイルの様子が明らかに異常で焦燥の激しいものであったことは誰の目にも明らかだった。だが、今朝から……特にアーサーがプライドを止めているという報告を聞いてから目に見えてステイルの調子が戻ってきている。いつもの冷静な彼の帰還に胸を撫で下ろしながら、ヴェストは切り換えるように「では」と会話に入った。
「ラジヤ帝国と、そして先日のステイルからの案についてですが……。」
ヴェストの口からラジヤ帝国の同行者の行方不明の件と続いて昨日ステイルから提案された策についての進捗状況が改められる。最後に「人選に関してはジルベールが」と続ければ、今度はジルベールが恭しく一歩前に出た。それに一度だけ喉を鳴らしたステイルは、昨日とは全く異なる強い眼差しで報告に意識を向けた。
もう、彼の恐れは無くなったのだから。
〝プライドの被害はもう出ない〟〝一部で噂が留められている今ならまだ、彼女の権威も修復できる〟〝ラジヤの企みを明らかにし、戻す方法の有無がわかるまで〟と。自分を騙し騙しに言い聞かせ、手の震えが止まっていることに一人安堵する。
戦場へ身を投げてくれた相棒に応える為に、水面下へと優れたその智を注ぎ出す。
プライド・ロイヤル・アイビーを最後まで守る、その為に。
……
「……まぁた?アーサー。」
衛兵から奪った槍を手に、彼女は笑う。
すでに六回目になる逃亡に、それでも彼は立ち塞がった。
「また、ですよ。プライド様。」
淡々と、水底のように静まり切った蒼色の瞳が彼女を捉える。
既に今日だけで五回、一人でプライドを捕らえたアーサーを取り押さえようとする者も二人の間に入ろうとする者もいなかった。どれほどにプライドが逃げようと彼は必ずその足で追いつき、彼女を止めるのだから。
「本当に、……もう全部無傷で私を捕らえるつもり?優しい優しいアーサー?」
「何度でも。絶対に逃しません。」
試すように敢えて引き上がった口端で嗤い、呼びかけてみてもアーサーは揺るがない。
抜いた剣を片手に一歩一歩、プライドへと歩み寄る。すると、後退りすることなく彼女は笑みを広げて槍を握り直した。そして槍先をあろうことか、自らの首へと当てて笑って見せる。
なにを……と、一度アーサーが立ち止まった。既にプライドが自らに刃を突き立てたことがあるのはセドリックから聞いていた。まさか、と思い目を見開けば彼女は笑う。
「じゃあ、私が先に傷をつけちゃおうかしら?」
そう言って言葉と同時に刃を突き立てる手に力を込めた。薄皮が切れる感覚がプツリと感じ、滲み出ようとする血の感覚が首をくすぐった。目の前でアーサーが構えていた剣を下ろし、その揺るがなかった表情が戸惑いと驚愕に歪むのをじっくり眺め
パァンッ‼︎
……る途中で、手から槍が弾かれた。
突然の強い衝撃が槍から手を響かせ、痺れさせた。あまりに突然の音と衝撃に、プライドの方が驚愕に目を見開きアーサーへと視線を刺す。
「ンな棒立ちの隙だらけじゃ何度でも止められますよ。」
淡々と言い切る彼はまだ煙を細く吐く銃を懐に仕舞うと、一気にプライドの懐へと駆け込んだ。
あまりに素早い動きに一歩たじろぎ、彼が来るであろう位置に槍を構え、それまでだった。次の瞬間には鳩尾へと掌打が決められ、プライドは意識を手放した。遠退いていく意識の中で「すみません、傷治療の特殊能力者を」と何処までも落ち着いた彼の声が微かに届いた。
プライドの首筋の痛々しい生傷に少しだけ顔を顰めた彼は、まだ傷が浅いことを確認すれば全てを飲み込み前を見た。
両腕で守るべき彼女を抱き抱え、その足を離れの塔へと進め行く。意識を手放した彼女へ、静かに言葉を紡ぎながら。
「さぁ、帰りましょう。」
彼に揺らぎなど、ありはしない。
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