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そして去られる。


「殺す……?……プライド、様を……?」


お前が……?と小さく零したアーサーの言葉に、俺はゆっくり頷いた。

滴る涙が、首を俯かせた途端にパラリと床へ落ちた。泣き過ぎて腫れた瞼と涙で視界がいつもの半分しかはっきりしない。眼鏡まで微かに曇り、余計に見えにくい。それでもアーサーが驚愕に目を見開いているのだけはよくわかった。

どういうことだ、と説明を促すアーサーの声は、まるで必死に自身を落ち着かせようとしているように低かった。


「十年、前…っ、…姉君は、俺にっ……望んだ…ッ」

初めて吐露するその過去は、本当は一生誰にも話すつもりがなかった。

それぐらい、プライドとの大事な……そしてかけがえのない思い出のひとつだった。


忘れもしない、あの時のことは。


俺が王族に養子とされた時、彼女はどれだけのものを俺に与えてくれたのか。

全てを取り上げられた筈の俺に、多くを与え、居場所をくれた。俺の為に、王女である彼女が……まだ殆ど見ず知らずの筈の俺の為に泣いてくれた。そして約束し、俺に……望んだ。







「己が悪き女王になったらッ‼︎……っっ…殺してくれと…‼︎‼︎」







『もし…私がっ…最低な女王に…ったら、…ちゃんとっ……私を殺してね…』

そう、プライドは願った。

熱に浮かされた俺を抱き締め、彼女は願った。

……ずっと、プライドが何かに怯えていることは知っていた。その輪郭すらも掴めないままだった。

だが、今はわかる。


「プライドはッ…知っていた…‼︎十年、も前っ……から!…きっと…己にこんな日がくる、事を…‼︎」

叩きつけた胸をそのまま千切らんばかりに鷲掴む。

胸が裂けそうなほど痛み、鷲掴んで押さえても誤魔化せない。己が無力感に本気で吐き気がする。食い縛った歯から既に血の味がして、それでも構わず噛み締めた。

俺は、何もできなかった。十年も前から彼女がそうなる未来に怯え、その片鱗にも気付いていた筈なのに。


「ッ嫌だ…‼︎たとえどんなに変わり果てても彼女はプライドでっ……‼︎俺は、プライドを守る為にここまでやってきた!あの人を失うなど耐えられない‼︎たとえあの時の彼女の望みが変わらずそうであろうともそんなこと…そんな、…ッなこと…‼︎」

また、不自然に手が、腕が震え出す。

左手で押さえつけ、爪を立てるがもう力が上手く入らない。ガクン、と両膝からも力が抜け、床に膝を落とす。

崩れ落ちた俺にアーサーが「ッおい⁈」と片膝をついてまた俺の両肩を掴んだ。どうしたんだ、と覗き込んでくるアーサーに俺は未だ不自然にガクガクと震え続ける右手を鼻先へ伸ばして見せる。




「従属のっ……契約だ…‼︎」




アーサーが僅かに顔を反らし、息を飲む。

見開かれた目がグラグラと揺れながらも俺の右手へ焦点を合わす。言葉もまだ出ないまま、アーサーは俺の震える右手を横から掴んだ。握力の強いアーサーに押さえつけられ、震えが僅かまで収まった。


「……俺は、姉君を裏切れない…。……隷属の契約のように命令に従う強制力はない。だが、…俺がそれをあの人への裏切りであると思えばもう叶わなくなる。」

人の温もりのお陰か、俺より熱量の高いアーサーの手の温度に少なからず救われる。

涙腺が壊れたまま涙を滴らせながらも、さっきよりまともに言葉を紡げるようになった。


「姉君が、……変わり果ててしまってから。ずっと、十年前の恐れていたことが起きてしまったのだと思っていた。……そして、あの人は願った。悪しき女王になれば己を殺せと。」

今のプライドは、どう考えてもそうなってしまう。

考えずともわかる。今のあのプライドが女王になれば我が国にどれほどの悲劇が起こるか。そして、そんな未来から俺達を守る為にあの人は終焉を望んだ。


「まだ……プライドは王女だ…。…女王、では…ない。」

プライドが王女である内は、言葉の表面上だけならば裏切ったことにはならない。

別に、いま苦しむことではない。ただでさえ、プライドはいま王位継承権が危ぶまれているのだから。……ッだが‼︎

ダンッ、と。気が付けば俺は掴まれた腕をそのまま力の限りアーサーの鎧に叩きつけた。俺の腕の方が鎧に負けて痛み、骨まで響いた。それでも構わずもう一度怒りのままに叩きつけようとすればアーサーに「ッおい!」と力尽くで止められる。


「ッだが違う‼︎違うんだっ……彼女が望んだのはそういうことではッ……ないんだ…‼︎」

血を吐くように叫び、渇き詰まった喉で声をガラつかせる。

腕を掴むアーサーの力に負け、代わりに左手を鎧に打ちつける。ガンッガンッ‼︎と骨に響き、肩より先まで響く。


「プライドはッ……‼︎あの人が望んだのは女王になったら殺して欲しいという意味ではない…‼︎己が暴走に、あの清廉な心を保てなくなったその時にっ…‼︎誰かを傷つけてしまうその前に‼︎‼︎………ッッ止めて欲しいと……望んだんだっ…‼︎」

……知っている。

あの人が、そういう人なのだということは。

女王になれば、国で最高の権力者だ。きっとあのプライドがその権力で誰かを傷つけようとすれば、何万何億……それ以上を不幸にもできてしまうだろう。だからこそ望んだ。……そうする前に己を止めて欲しいと望んだことは。


嫌でも、わかる。


「いまっ……あの人はもう、十年前に恐れた姿になってしまった…!いつ何をするかもわからない……!他者を苦しめる為ならば躊躇いもなく己が身体でも斬り刻むっ……‼︎あんなプライドっ…見ていられない……‼︎‼︎」

ガン、ガン、ガンガンガンガンッ‼︎と、胸の軋みを紛らわすように鎧を叩く。

涙が溢れ過ぎて視界が霞んでもう見えない。ただ手の感触で、また左腕もアーサーに掴まれたのがわかった。両腕を塞がれ、力を込めても騎士のコイツには敵わない。グァ……と呻くように喉を鳴らし、飲み込んでも耐えられない。首を振り俯けば眼鏡が落ちた。カタン、と音を立てて曇った視界が開けた途端、今度は衝動のままに額を鎧へ打ち付ける。ガンッ‼︎と鎧が一際大きく音を立て、頭に響いたが……痛みと関係ないところで、また涙が零れた。ぼろり、と目から落ちた大粒と共に胸の奥に隠し、押し込んでいたものがとうとう口から溢れてしまう。



「……もう……っ、…あのまま彼女をっ……プライドの望む通りに〝殺めないこと〟の方が、……過去の、俺達のプライドを……っ、…裏切ってるッ…気がしてっ……‼︎」



言葉にした途端、心臓に発作のような激痛が走った。

……言って、しまった。

肩を震わし、鎧に額を打ち付けたまま涙が止めどなく溢れる。

プライドが最期へ望んだこと。それはきっと、……俺達や民を傷つけたくないという彼女の優しさだ。

口にすれば、それが真実だと自分の中で定義づけられそうで怖かった。今も右腕がすぐにでも彼女を殺めてやれと、……終わらせてやれと唸り続けている。こんなのはもう呪いだ。

必死に違う、と。プライドはまだ女王にもなれていない、このままいけば王位継承権を失うのだから契約とは関係ないと言い聞かせ、誤魔化し続けた。

あれはプライドではない、別の人間だと思い込み、己が裏切りにも気付かない振りをしようともした。

だが、……どうしてもプライドの本当の望みが女王になるまでは殺さないでという意味とは思えない。更に彼女を別人だと思おうとすれば思うほど、……彼女がプライドだと思い知らされる。

彼女はプライドではない、どうせ王位継承権を失う、王位継承権を失うのはプライドではなく彼女だ、彼女が王位継承権を失うならばプライドには王位継承権がある違うプライドは彼女で彼女が王位継承権を失うならばプライドは女王になれない彼女はプライドだ、と。…思い込もうとする思考が相反し、混ざり合い、何度も狂ったように頭がおかしくなった。


「ティアラにもっ…当たり散らして、……しまった…。」


掠れて糸を引くような息音を出しながらが、懺悔を吐く。ポタタッと涙が鼻先から鎧へと滴り落ち伝った。

だからいっそもう、……プライドの王位継承権を剥奪してしまいたかった。

ティアラが、第一王位継承権を得れば、もうプライドは女王の権力を得ない。ただの、王女となれば……あのまま、変わり果てた事実ごと隠し切り幽閉してしまえば彼女は誰も傷つけずに済むと。そうすれば俺は



今のプライドを、殺して〝やらずに〟済む。



「殺したくないんだっ…。…あの人は、俺の全てだからっ……。」

あの人がどう望もうと、……俺が殺したくない。

どんな形でも良い、生き長らえて欲しい。俺の自己満足のエゴでも構わない。彼女無しの人生なんて、…………耐えられない。


「俺は、もうずっと……プライドに会うのが怖かった…!いつ、この裏切りに耐え切れず、この手で!…彼女を殺してしまうかもわからないっ……!」

一瞬でも俺がこれを受け入れれば、……きっとすぐにプライドを、殺せる。

凶器一つあれば、一分もかからない。そうでなくても瞬間移動の〝所為で〟俺は、何処にいてもプライドの傍に行けるのだから。


誇らしかった筈の己が特殊能力が、今はただただ呪しい。


「限界なんだっ……!今の、あの人を目の当たりにしてっ……殺さないでいられる自信がないっ……!こんな、こんなことの為に、…っ…強くなったわけじゃないっ……」

彼女が泣いてる叫んでる止めてくれと望んでいる。大事な人達をもう傷つけたくないと狂った仮面の下で嘆いている。そう思えば思うほど苦しくて苦しくて堪らない。

相棒へ嗚咽を混じえ、泣き言を吐露し続ける。この上なく情けない、……完全なる弱者だ。


「あと少しでっ…今度こそ、見つかるかもしれない…‼︎ッわかってはいるんだ……どうせ、プライドは戻ってこないと…‼︎アダムを吐かせてもっ…元に戻す方法まで都合良く見つかるとは限らない…だがっ、……」

もう、押さえつけられた拳にも力が入らない。

不自然に震える腕に、焼ける心臓にすら抗えない。まるで、捕らえられたようにアーサーに掴まれた両腕をぶら下げ、項垂れる。


「っっ……諦め、きれないっ…‼︎たった一つでも、あの人を取り戻す可能性があるのならっ……それにも縋らずにプライドを失うなんて嫌だ‼︎無かったとしてもプライドをあんなっ……あんな目に遭わせた連中が居るというのならば許すものか‼︎絶対にその全てを暴き出して殺してやるッ‼︎」

アダムの吐き気のする笑みとそれを受け入れたプライドの引き上がった笑みの並んだ姿が脳裏に過ぎる。

それだけで胃の中が煮えたぎり、空になるほどに煮えて枯れて燃えだし焦げる。殺意がこれ以上なく身体を熱して息が荒くなる。許すものか許すものか許すものか許すものか‼︎‼︎


「絶対に許さない‼︎皮を剥いで肉を削いで犬の餌にしてやる!血を全て抜き溝に捨ててやる!生きたまま土の中でも海の底でも沈めてやるッ生き恥を晒させ串刺しにして業火で炙り続けてやる縛り付け鞭を打ち鼠の餌にしてやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッッ‼︎‼︎」


今まで押さえつけていた感情が殺意が波のように押し寄せ終わることなく溢れ出す。

ここがどこかも忘れて力の限りに叫んでしまう。ああああああ‼︎と最後は身体の激痛と熱を吐き出す為に口から怨嗟だけが声になり放たれた。「ステイルッ‼︎」とアーサーが耳を壊すような声で俺を呼び、掴んだ腕を引っ張った。

その声でやっと黒く塗り潰された意識が薄く透ける。気が付けばまたアーサーに掴まれていた両腕に酷く力が入っていた。ハァッ……ハァ、ハッ……ァ……と、身体全体で息を整え、一体自分がさっきまで何の話をしていたのかと考える。

意識を辿り、俺は再び力のない声で続きを語る。


「……もう…プライドは、……止められない…。俺も、駄目で……衛兵にも……。……策は打ったが…、……次にまた…それでもプライドが逃げ出したら……騎士を派遣することになった……。」

恐らく近衛騎士の誰かだろう。そう続けると、アーサーが僅かに息を引く音が聞こえた。

こんなことになるなら、アーサーが騎士の名を取り上げられる前にするべきだったと後悔する。

だが正式な勅命となれば近衛騎士だけでなく、確実に騎士団にも勘付かれる。せめて、せめて全てがわかるまで何とかしたかった。プライドが治るまでこの経歴を隠し通すか、またはプライドが治らないと確証を得て原因を判明させてから処理したかった。今まで純白で在り続けた彼女までをも汚してしまう前に不穏を広げたくなかった。ほんの僅かで微かな可能性でもそれに縋ってからにしたか













「大丈夫だ。」











バンッ、と。

両腕が解放されたと思えば、アーサーが俺の背中に両腕を回し抱き寄せてきた。

背中に回された腕から、俺の肩を強く叩いて言葉を放つ。……まるで、どこかで聞いたことのあるような台詞だと既視感を感じながら、頭ごと鎧に埋まった額が冷える。


「次は俺の番だ。」


ぐ、と両腕に力を込められ、腕を回された肩が狭まる。

その言葉の意味を、考えを問おうと思う前に……不思議と本当に大丈夫なのだと思えてくる。先程までの恐怖や不安も焦燥も絶望も、全てがなかったかのように薄らぎ晴れた。


「……しんどかったな。」

そっと腕が緩められ、また手を置くようにして肩を叩かれた。

真っ直ぐの蒼色の眼差しは迷いも恐れもなく、澄み切ったまま俺を映す。腰の剣を手だけで確かめたアーサーは、ゆっくり立ち上がると鎧姿のままに扉へと歩き出した。




「俺が、プライド様もお前もティアラも皆まとめて守ってやる。」




五年前のあの時と全く同じ台詞を言い放ち、背中を向けて扉に手を掛けた。

まだ夜も更けり、灯りひとつない暗闇に躊躇いもなく足を踏み入れる。


「任せとけ。」

バタン、とその言葉を最後に扉は閉ざされた。

放心したままの俺を置き、部屋を去る。

指と袖で目を擦り顔を擦り、何が何なのかもわからないままに安心感だけが身体を妙に軽くした。

泣き過ぎたせいで、まだ喉がヒクついた。床に落ちた眼鏡を拾いながら、俺を残したまま置かれた部屋をぼんやりと見回すと


「………………これは……?」


部屋の中は、殆ど空だった。

私物が全て箱に纏められ、広い部屋の隅に積まれていた。元あった家具のみがそのままで、残りは全て部屋の隅だ。





まるで、部屋を空ける前かのように。


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