482.義弟は晒す。
……ずっと、前から気付いていた。プライドが豹変した、あの日から。
「……ッ……プライドっ……‼︎」
民を愛し、国を愛し、俺達をいつも想ってくれた。
初めて出会った妹のティアラのことも、血の繋がらない俺のことも優しく迎えてくれた。
あの人を守る為なら何でもする覚悟はあった、あの時の恩に報いる為なら一生を費やしても良いと本気で思えた。だがっ…………‼︎
「ッッできるものかっ……‼︎」
ドンッ、と再び床を殴る。
振動で俯いたままの顔から眼鏡が落ち、拾う気にもなれずにそれを睨み続けた。いっそ曇らなくなった分、視界がはっきりする。手の痛みに八つ当たるように熱を打つ。
何故十年も前から知っていて、今までずっと話してくれなかったのかと。怒りにも似た感情が腹の奥で煮え滾り、……胸が、痛む。
「……ずっと、怯えていたのですか。……貴方は」
答えのない向こうへと問い掛ける。喉からは泡のように消え入りそうな声しか出てこない。
俺達の前で笑い、嬉しそうに頬を緩め、未来に想いを馳せながら……何処かでずっとこの未来に怯えていたとしたのか。それとも既に諦めてしまっていたのか。
本当に、ただの奇跡だったのか。
プライドが、十年間……俺の家族でいてくれたことも。
十年前、血の繋がらない俺に優しくしてくれたことも。母さんとの断然に絶望した俺に、居場所を与えてくれたことも。……心を、埋めてくれたことも。
もし、プライドが出会った時からあんな王女だったら俺はこんなに幸福でなどいられなかった。
母さんを一人にしてしまったと。……俺はもう一生独りなのだと、殻にこもり続けていた。
プライドに救われるどころか、今のプライドであれば逆に痛ぶられ続けていたかもしれない。まだプライドに背も力も敵わず立場の弱い俺など彼女にとって絶好の玩具だ。
考えれば考えるほどこうしていられるのが奇跡だとわかる。
あんな非道な性格でなくとも第一王女であるプライドが、庶民出の俺へあそこまで心を傾けてくれる必要などなかったのだから。
ティアラに会えても、こんなふうに兄妹として愛せたかもわからない。もしかするとプライドの代わりに優しいティアラを利用しようと考えたかもしれない。……俺は、そういう人間だ。それに母さんと手紙のやり取りなど、プライドでなければ到底思いつくわけがー……、……
…………手紙。
「………。」
駄目だ、いま見てはいけない。
頭では警告を鳴らしながらも心臓が求め、欲する。砂漠で水を求めるように渇望して止まらない。
床の眼鏡を拾い、顔に掛けずに胸ポケットにしまいこむ。床を踏み締める足に体重をかけ、まだ力が入り切らずフラつくままで机に向かう。
施錠した引き出しの一つの鍵を開け、幾重にも凝らした隠し場所の更に奥から一つの封筒を手に取った。
頭の中の警報と、心臓の音がうるさい。それでも構わず、灯りの傍で傷をつけないように丁重に封を開く。数枚に渡った便箋を手に取り、灯りに照らして文字を追う。『ステイルへ』と懐かしい気もするその文字だけで酷く胸が騒ついた。
プライドからの、手紙だ。
アーサーの隊長昇進の祝会で、俺とアーサーにだけ贈ってくれた。
今まで誕生日などにカードを貰ったことはあるが、こんな分厚い手紙を貰うのは始めてだった。
貰った時は嬉しくて、顔が熱くなって声も上手くでなかった。どれほど俺のことを考えてペンを走らせてくれたのかと思えば、それだけで幸福で心臓が破裂しそうになった。
その日の夜、昇進祝いが終わった後に部屋へ戻ってからすぐ読んだ。一度読んだだけで熱が出たように身体中が熱くなり、胸がいっぱいになったにも関わらず、それでも足りずに何度も読み返した。母さんからの手紙以外であんなに何度も読み返したのは初めてだった。
十枚近い便箋は、途中から時間軸が違う為に一度内容が区切られていた。最初がセドリック王子が初めて我が国を訪れた頃に書いたもの、そして残りは防衛戦を終えた頃に改めて書かれたらしき内容だった。
『ステイルへ。摂政業務、本当にお疲れ様。毎日ヴェスト叔父様と一緒に頑張っているステイルが凄く誇らしいです。ステイルが頑張ってくれているから、私も次期女王としての勉学を毎日頑張れます。本当に本当にありがとう。』
最初の数文だけでも、胸が高鳴ったのを覚えてる。その一言一言が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
『ステイルが我が家に来てくれて、本当に良かった。ステイルにとっては悲しいことだったと思うけれど、私はやっぱりステイルに会えたことが嬉しい。正直に言うと、最初は色々あってステイルに対してとても緊張していました。だからこうして仲良くなれた今が凄く幸せです。
ステイルは出会った時からとても良い子で、私よりもずっと大人で、凄く優しい子だったのを今も覚えています。私なんかに勿体ないくらい素敵な弟で、一緒に過ごす時間はそれまでの八年間の人生で一番楽しくて幸せでした。』
言葉の節々からプライドらしさが滲み出て、更には俺が喜ぶことばかりが書いてあった。
最初の一枚目でこれだから、最後まで読み果たせるか心配になった。恥ずかしくて嬉しくて、ずっとこんな内容なのかと思えば心臓まで心配になった。
あの時はただ顔全体が熱くなった文面が、今は顔の一部だけに熱がこみ上げそうで。続きが耐え切れず、でもやめられずに途中で二枚目を捲る。
何も考えずに真ん中あたりの文面に目が止まり、全身が総毛立った。
『まだ七歳だったステイルは覚えていないかもしれないけれど、私はステイルにある約束とお願いをしました。貴方をもう傷付けない、国の皆が笑っていられるようにすると私が一方的に約束しました。』
約束……。十年前の記憶を鮮明に思い出し、息が詰まった。
最初に読んだ時も、やはりプライドも覚えていたのだと少し驚いた。〝お願い〟については存在しか触れられていなかったのが少し気になった。……書けるわけもないと、今ならわかる。
『なので、私から新しく一方的にステイルへ約束とお願いがあります。』
ああ……読んじゃ駄目だ。今、読んだら歯止めが利かなくなる。
それでも、もう既に自分の意思が先立ってどうしても目が文字を追ってしまう。
『約束します。今、ここに書いている手紙の内容は全て真実だけです。お世辞でも愛想でも何でもなく本当に私の気持ちで、心からそうだと思うことしか書いていません。』
もう、前の文章だけでも褒めすぎだったというのに。
それすら真実だと語られていた文面に心臓が激しく鳴り立ったのを覚えている。
『そしてお願いします。これからもずっと、今のままの素敵なステイルでいて。そしてどうか、ずっと傍にいて下さい。弟離れできない姉でごめんなさい。』
顔から火が出そうになった。まだ二枚目だったのに、あの時は顔を覆って暫く机に突っ伏した。子どものように椅子の上で足をバタつかせてしまったことを覚えている。
「…………。」
我慢できず、一気に数枚飛ばす。
その後もずっと、俺との思い出をいくつも遡ってくれていた。その一つひとつ、読んだ時は思い出す度に胸が熱くなり、いっそ焦げるかとも思った。
『これからも摂政業務がんばって。ステイルなら絶対に最高の摂政になれると信じています。貴方は自慢の弟で、最高の補佐です。』
ここで一度目が区切られていた。
次の文面に行く前に何度呼吸を整えたことか。次の便箋からが防衛戦後に書かれた内容だとすぐにわかった。一文目が『ごめんなさい』から始まっていたのだから。
『ごめんなさい。今回の防衛戦で、貴方との約束を破ってしまいました。私が怪我したことで、凄くステイルを傷付けて、たくさんの人に心配させて気を病ませてしまいました。』
最初は少し笑ってしまった。
敢えて書き直さずに追記するところが正直なあの人らしいと心から思えたから。
『本当にたくさん心配して、私のことで苦しんでくれてありがとう。気付けなくてごめんなさい。私もステイルが怪我をしたらきっと同じくらい辛いのに。』
……段々文字が読み難くなり、指が震えているのにやっと気が付いた。
腕まで微弱に振動し、制御がきかない。
『防衛戦のステイル、凄く格好良かった。その前もずっと頼らせてくれてありがとう。ステイルが居なかったら何度挫けていたかわかりません。』
それは俺の台詞だというのに、と。この文を読む度に必ず思った。
頼ってくれてありがとう、貴方が居なければ俺はここまで頑張れなかったと。
腕の制御を諦めて、カタカタと震えるままに数枚捲る。もう頭も俺への警告を諦めた。
セドリック王子が現れてから、防衛戦が終わるまでの俺との思い出がまた細かく書かれていた。こんなことを思ってくれていたのかと、読めば読むほど夜が更けることも構わず熱中した。
残りが三枚ほどになったところで、防衛戦の話が終わったから最初は不思議だった。残りの三枚には何が書かれているのかと。…………その、一文を読むまでは。
『最後に、ステイルの好きなところを書かせて下さい。』
目を疑った。
何を突然と、先へと目を滑らせることを躊躇った。手紙で本当に殺されるんじゃないかと、本気であの時は思ったし、読み直す時にも勇気を要した。
『優しいステイルが大好きです。
姉妹想いで、ティアラにちょっと弱くて、でも頼れるお兄ちゃんのステイルが好きです。
私にとっても頼れて、心強くって、頭が良くて格好良い自慢の弟です。
子どもの頃から努力家なステイルが大好きです。八歳の頃に泣いてしまった私を抱き締めてくれたステイルが好きです。
休息時間になるといつも私に会いにきてくれたステイルが好きです。摂政業務を頑張っているステイルが好きです。時々見せる怒った時の怖い笑顔もステイルらしくて好き。挨拶がいつも礼儀正しいステイルが好きです。本を読む時に』
ずっと、その繰り返しだった。
俺の、仕草や性格や思い出を。その全てを好きだと語ってくれた。
残り一枚目だけでは書ききれず、二枚目もひたすら好きの文字が何度も書かれていた。そして最後の三枚目。後半までその言葉はずっと続けられた。
締めくくる、その直前まで。
『ステイルの嬉しそうに笑った顔が大好きです。ステイルの困ったような笑い顔が好きです。本当にこれからもたくさん、ステイルの色々な表情を見ていきたいと思います。ずっと、ずっと最後まで。』
優しい文字を指先でなぞり、読み紡ぐ。
そして最後の、本当に最後の一文は、書き足す前の手紙と似た最後で締めくくられていた。
『貴方は自慢の弟で、最高の補佐です。そう胸を張って言えるくらい格好良い私の王子様です。』
「……………ははっ……。」
……枯れた笑いしか、出てこなかった。
最初に読んだ時は嬉しくて、心臓がバクバクいって、顔を俯けて悶えてしまったほどなのに。
今はただ、本当に今のあの人とは別人だな思えてしまい、口だけが引き上がった変な笑い顔になる。
こんな変な顔でも彼女は「好き」だと恥ずかしげもなく言ってしまうのだろうかと思うと、そう自惚れてしまう自分が滑稽で肩まで揺れる。はははっ…と今度は敢えて声に出して笑ってみたところで
涙が、便箋を濡らした。
パタタッ……と頬を伝い、喉を伝い、そして落ちた。
数滴が便箋の端に触れ、これ以上は汚さないようにと手紙を顔から離れた位置に避ける。
もう、いつから溢れてしまったのかもわからない。手紙の向こうに確かに存在していた筈のプライドの面影を見つけた途端、堪える暇もなく涙が溢れ出てしまった。
……いま、手紙を読めばこうなってしまうことなどわかりきっていたことなのに。
「アーサーとの約束……破ってしまったな……。」
顔を拭うより先に便箋を封筒に戻す。無くさないようにと引き出しに厳重にしまい込み、最後に鍵をかける。ガチャン、とあの人の面影がまた奥深くに閉ざされた。
指で目元を拭えば、しっかり濡れた。せっかくずっと約束を守る為に耐え続けてきたというのに。
プライドが婚約した時も、もう傍にいられないと思った時も、プライドが怪我した時も、今の今までずっと我慢してきたそれも。……もう、終わってしまった。
一度ならずそのまま泣き続けるのが悔しくて、強く目をこすって押さえつける。泣くのなんて、何年ぶりだと思いながらアーサーと約束した日を思い出す。
『もう、俺は絶対に泣かない』
……俺の方から言ったのに。
余計に情けなくて、赤くなるまで目を擦り続ける。
駄目だ、こんなんじゃ本当に顔向けなんてできない。
『取り敢えず、今日ジルベールに変えられた姿になるまでは泣かない』
『…ンじゃ、俺も付き合う』
大人であるジルベールとの差を見せつけられた時だ。
今と同じように己が無力感に苛まれ、悔しくて悲しくて、まだ子どもだった自分が情けなかった俺が、強くなりたいと改めて思った。
そんな俺のくだらない決心に、アーサーは自分から付き合ってくれた。あれから俺もアーサーも一度も泣かなかった。俺一人ではなくアーサーとの約束だったからこそ今日まで耐えられ
『五年だろ?テメェ一人にやらせっかよ』
……!。
思わず息を引き、驚きのあまり涙も止まった。
衝動のままに立ち上がり、灯りを片手に大鏡へ歩み寄る。着替えの為に用意された全身が写るその鏡に、己の姿を映した。
そこに居た人物に、俺は鏡越しにその顔を指で撫でた。輪郭を確認し、記憶と照らし合わせ続ければ鏡の向こうの人物が目を見開き、顔を微弱に痙攣させているのがわかった。鼻やその周りだけでなく、目まで赤い男だ。
あれから既に五年の月日が経っていた少年だ。
「……もっ……五年、経っ……いたん、だな……っ。」
震えた顎で、嗄れた声がガラついた。
わかった途端、せっかく止めた筈の涙がまた更に勢いを増して溢れ出した。歪んだまま、力なく顔が笑う。今度は耐えるのも諦めて、とうとう嗄れた声が出た。喉が鳴り、肩も痙攣する。喉がひりつき、胸も痛い。鏡に額を当て、そのまま崩れるように膝をつく。だらりと垂らした手の中にあった灯りが同時に着地し、手を離して鏡に手をついた。
馬鹿だ、俺は。もう五年経っていたというのにずっと意地を張り続けていた。
アーサーもきっと年月までは忘れてるだろうと思えば、また口だけが枯れた笑いを少し零した。最後に大きく息を吸ってみれば、吐き出す時に喉で息が酷く波立ち、揺れた。
目もそらせず、涙が止めどなく溢れ続ける己を眺めながら重くなった手でもう一度鏡越しの自分の顔に触れてみる。五年前、渇望した姿の己がそこにいた。こんな再会はしたくなかったと心の底から思いながらも彼を見る。
……昔は、表情を出すのはあまり得意じゃなかった。
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、心では思っても相手にもわかるように表情に出すのが酷く億劫で。それでも、プライドもティアラもアーサーも俺の気持ちを全て理解してくれた。城の人間も気にはしなかった。勿論、プライドの味方になる人間や協力者。取り込むべき相手。よく思われたい相手にはいくらでも取り繕い、プライドを守る為ならば外面を使い分けても来れた。
「……っ、……いつからだ……?」
鏡の向こうの彼へと問いかける。涙を止めどなく流し、顔を歪めながら、どこか可笑しそうに笑っている青年に。
こんな、複雑な表情など昔はできなかった。思っても感じても表には出せなかった。
プライドに出会い、ティアラと出会い、アーサーと出会い、……彼らに出会い。気が付けば、当然のように表情が出るようになっていた。
プライドと話すと、嬉しくて顔が綻んだ。
プライドに何かあると、何度も取り乱してしまった。
泣きたい時だって何度もあった。涙腺が手前まで来たのを何度も何度も飲み込んだ。
プライドやティアラやアーサーだけじゃない、気が付けばジルベールや近衛騎士、ヴェスト叔父様達にだってわかるほど、……色々な表情が出るようになっていた。
いつからだ?こんなに感情が出るようになったのは。
いつからだ?無表情を〝意識しないと〟できなくなったのは。
いつからだ?……こんなに、満たされるようになったのは。
『ステイルの嬉しそうに笑った顔が大好きです』
違う、貴方がいてくれたから。嬉しいことばかり与えてくれたから。
……だからこんなに笑えるようになったんだ。
『ステイルの困ったような笑い顔が好きです』
そんなの、プライドに出会えるまで自然にできなかった。
貴方がいつも俺を困らせて、それ以上に笑わせてくれたんだ。
『本当にこれからもたくさん、ステイルの色々な表情を見ていきたいと思います』
こんなに色々な表情をできるようにしてくれたのは貴方だ。貴方といると感情が膨らんで、つい表に出てしまうくらい、満たし続けてくれたから。
『ずっと、ずっと最後まで』
「…………っ、俺、だって……‼︎……ずっ、と……いたかった……‼︎」
堪らず鏡の向こうに目を逸らす。俯き、鏡に拳を押し付ける。
ずっと、プライドと一緒にいたかった。摂政として、女王となった彼女を支え続けたかった。退任した後だって叶うならばずっと傍にいたかった。だが、だがっ……
「も……う、……っ……貴方の傍には……ッいられない……‼︎」
とうとう嗚咽が漏れた。
悲しくて辛くて「ぐ、ぅアッ……」と呻き、喉が空気だけで酷く振動し続けた。鏡を見ずともにわかるほど、きっとはっきり顔が歪んでいる。言葉にした途端、また手が不自然に震え出す。あててた鏡を揺らし、叩きつけたい気持ちを堪えて強く握った。
……もう、限界だ。
思考すればするほどに、抗おうとすればするほどに精神だけでなく身体も疲労する。いっそこのまま死んだら楽になれると思うほど。
それでも、踠いて足掻いて……なのに届かない。
尋問も、未だ成果は出ない。拷問か、あの契約書が発行さえされれば、全てが明るみに出るかもしれないのに。
……プライドが、俺達の信じた彼女こそが本物だと信じたい。あんな気が触れた王女がプライドだなど信じたくもない。
あの皇太子が原因なのかと殺意が沸くと同時に、……そうであってくれと願う。奴という名の憎しみの矛先がいてくれて良かったと安堵する俺がいる。もし未だに手掛かりも矛先も何も無かったらとうに俺は壊れている。
考えれば考えるほどに情けない。せっかく五年の年月を掛けてもプライドを救うどころか、その手立てすら殆ど得られずじまいだ。十七となり、成人と認められ、次期摂政としても順調だという自負もあった。なのに、こうして何も敵わず、ただ嘆き打ち拉がれる姿など絶対に誰にも見せたくは
『どんなツラしていよォが良いからさっさと来やがれッ‼︎』
「ッ……。」
思わず、食い縛る。微かに舌まで噛み切り、鉄の味が口を満たした。
拳を握る手を強めてから、いつのまにか急に震えが止まったことにも気がついた。抵抗もあるがそれ以上に、アイツの言葉は。
『ンで終わったら今夜絶ッッ対!俺ンとこ来い、話はそれからだ』
『アーサーにっ……相談して……‼︎』
「ほんとにっ……お前達は容赦ない……。」
袖で乱暴に顔を拭い、鏡の向こうの赤くなった鼻と腫れた目を睨む。
胸ポケットから眼鏡を取り出し、掛ける。この程度で誤魔化せないが、黒縁を押さえながら息を整えれば、鏡の自分も少しはまともな顔になった。
眼鏡を指先で押さえながら、一度だけ大きく息を吐く。
……意地になっているのはわかっている。
アイツには格好つけたいのも、情けない姿を見せたくなかったことも、自分が一番理解している。だが、逆を……言えば。
特殊能力を、使う。
その途端、一瞬で視界が切り替わった。久々に見る簡素な部屋とよく知る後姿が、俺の気配に気付き声を掛ける間もなく振り向いた。
「ステイッ……!」
俺の顔に驚いたのか、怒鳴ろうとした顔から驚愕に目を見開き、口が開いたままになる。「アーサー」と名を呼べば、逆に俺の続きを待つように沈黙した。俺が口を開くと共にアイツが息を飲む。
もうこんな言葉、一日に二度も口にしたくはなかった。
プライドを共に守ると約束した相棒だからこそ、意地になって格好つけたくて情けない姿も見せたくなかった。だが、逆を……言えば。
「……助けて、くれ………っ」
アーサーにしか、こんな姿は晒せない。
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