479.騎士は去る。
数分前。
「……では、次は馬上訓練に移ります。十五分後には次の訓練場所に移動しておいて下さい。」
演習に一区切りをつけ、次の指示を回すアーサーに八番隊の騎士達が同時に声を放った。
それでは、と解散の号令をかけたれば次の瞬間には整列をしていた騎士達が散開していく。各自短い休憩や、次の演習に備え既に移動を始める者などそれぞれだ。ただ、八番隊は他の隊と違い全く隊員同士の談笑は無い。
彼らの背中を見届けながら、アーサーは小さく息を吐く。数秒前まで居た副隊長のハリソンも、号令と同時に次の移動へ向かってしまったのか既にいない。
周囲を一度見回せば、もう新兵が自分達の使った器具や演習場所を片付け始めようと駆け込んできていた。「失礼致します!」と声を掛けられ、自分も次の演習まで少しは余裕があるから手伝おうかと考えた時
「ッッアーサーーッ‼︎‼︎」
…信じられない絶叫が、信じられない相手の声で放たれた。
反射的に振り返り、アーサーは目を丸くする。人前で自分を呼び捨てにする筈も、ましてやこんな大声を上げる訳でもない相手が物陰から姿を現した。
「ステイルッ……様……⁈」
新兵や他の騎士の手前、何とか取り繕いはしたが何より驚きが隠せない。
もう二ヶ月近く自分から接触を計らなかったステイルが突然、更には人前で現れたのだから。新兵達が大慌てで気が付き、跪く。比較的ステイルに見慣れた騎士達も「ステイル様……⁈」と声を漏らして様子を伺った。だが、ステイルはまるでアーサーしか見えていないように真っ直ぐ駆け出し、そして身体ごとぶつかる勢いでその両肩を掴んだ。
ガシッ、と強く掴まれ驚きのあまりアーサーは声を漏らす。言いたい事は山ほどあったが、今は何よりステイルの異常さに戸惑った。「ステイル様、一体…」と何とか言葉にすると同時にステイルが「アーサー」と言葉を放つ。
ステイルの言葉を先に聞くべくアーサーが口を閉じれば、彼の肩を掴むステイルの手が震え出した。歯を食い縛り、眼鏡の奥から信じられないほど大きく見開かれた目がそこにあった。一度アーサーの蒼い瞳と目が合い、次には逸らすように顔を俯ける。そのまま食い縛った歯から掠れた声を絞り出した。
「ッ……助けて、くれっ……‼︎」
ギュゥ、と掴む手に更に力が込められ、団服越しの鎧に爪を立てるステイルの指の方が痛んだ。
ステイルの弱々しいその声と言葉に、アーサーは限界まで目を見開いた。「すまない、もう……時間が……」と零すように呟くステイルに、アーサーは自分を掴む腕を掴み返した。
強く力を込められ、ステイルの肩が上下する。思わず顔を上げ、目の前にいるアーサーへ向けるとその途端に顎ごと顔を掴まれた。突然のことに言葉も出ないステイルに、問答無用でアーサーは無理やりその顔を自分の方へ真っ直ぐと向けさせる。
「……なんて顔してやがる。」
あまりにも痛々しそうなものを見るように顔を歪めるアーサーに、ステイルは息を飲む。
アーサーは返事を待たないままステイルの顔から手を離すと、自分達の様子を窺っている騎士に向かい口を開いた。
「誰か‼︎騎士団長とハリソンさんに伝言を……」
「なんだ隊長。」
ッだ⁈と、突然のハリソンにアーサーが背を反らして声を上げる。
先ほどまで居なかった筈のハリソンが、目と鼻の先まで来ていた。どこかでこちらの様子を窺っていたのだろうと見当をつけながら、アーサーは改めてハリソンへと向き直る。
「すみません自分は急用で抜けます!代理を宜しくお願いします。あと騎士団長にもその旨の報告を!」
早口で告げるアーサーにハリソンは「承知した」と短く答えながら彼と、そしてすぐ横にいるステイルを見比べた。目が合うと同時にぺこり、と遅れて挨拶をするハリソンに、ステイルも短く言葉を返す。その間にもアーサーは「それとっ……‼︎」と繋げながら団服を脱いだ。時間もなく、ぐるぐると小さく纏めると押し付けるように乱暴にハリソンへ託した。
「これ、預かっていて下さい。」
お願いします、と強く言い切るアーサーに、ハリソンは少し眉を上げた。だがすぐに「わかった」と一言返し、その場から下がる。
ハリソンへ改めて頭を下げるアーサーは「いくぞ」と小声を掛けると返事も待たずにステイルの腕を引っ張り駆け出した。瞬間移動を人前で使うのを避けるためにと騎士達が居ない場所まで走り抜け、それから息を整える間もなく「手短に言え!」とステイルに怒鳴った。
「姉君……がっ……離れの塔から逃げた……‼︎もう、何度も、何度も何度も逃げる……‼衛兵じゃ敵わない、このままではアダムと接触してしまう、俺はもうあの人を止められない……‼︎」
険しい顔で、支離滅裂になりそうな言葉をステイルは必死に並べたてた。
切迫した状況に息を荒げながら吐き出すステイルの言葉を、アーサーは一文字残らず飲み込んだ。全部を把握はできない。だが、自分がどうすべきなのかだけははっきりとわかった。ステイルの腕を掴み上げ「わかった」と大声を彼に放つ。
「連れてけ。ンで終わったら今夜絶ッッ対!俺ンとこ来い、話はそれからだ。」
睨み殺す勢いでそうステイルに言葉を刺すと、彼が頷く前に「さっさと飛ばせ‼︎急いでンだろ‼︎」と脅すように怒鳴った。「ああ…」と苦しそうに顔を歪めた後、ステイルは言葉も見つからないまま瞬間移動させる。
最初から決まっていた、彼の覚悟も知らぬまま。
……
「母上、これは僕の責任です‼︎僕がアーサー隊長にそのように指示を出しました‼︎」
玉座の間。
公務中のローザの前に膝をついたアーサーを庇うように、ステイルは前に出た。
プライド・ロイヤル・アイビー第一王女への暴行。更には傷を負わせたとして、衛兵と共に王居へ訪れたアーサーはそのまま報せを受けたローザの前へと呼び出された。
映像には映らなかったまでも、通信兵からの報告でそれを知ったステイルとヴェスト。更に、報告受けたジルベールと王配のアルバートもローザの元へと集まっていた。
ステイルの弁護に耳を傾けたローザは、整った表情のまま「それはまことですか」とアーサーに尋ねた。詳細は既に衛兵とヴェストから聞いてはいるが、第一王子であるステイルの発言も聞き捨てるわけにはいかない。
「いえ、ステイル様に指示頂いたのはプライド様を止めて欲しいという旨のみでした。怪我を負わせたのは自分の意思です。」
真っ直ぐと怖じける様子もなく言い放つアーサーに、ステイルは思わず「アーサー‼︎」と怒鳴った。今、自分の指示と言えば少なくとも重罪は免れたかもしれないというのにと。
だが、そのステイルに目も向けずに真っ直ぐ自分を見上げてくるアーサーにローザは軽く首を傾けた。判決はもう頭には浮かんでいたが、それより先にともう一言アーサーに尋ねてみる。
「何故、貴方はそのようなことを行ったのですか?」
「……。……今、あの状態のプライド様を暫くお止めするにはあれしかないと判断しました。あの御方は、……とてもお強いので。」
今度は少し言葉を選ぶように告げるアーサーに、ローザは静かに頷いた。
そうですか、と返しながら優雅な動作だけでアーサーの側に控えた衛兵に下がるように命じる。
「……騎士、アーサー・ベレスフォード。今回の件は、こちらの落ち度があります。貴方の処分については〝保留〟と致しましょう。この件については他言無用。……そして、………ここからは私からの個人的な質問です。」
〝個人的な〟……その言葉にアーサーは不思議そうに瞬きをしながら、喉を鳴らした。
自分の処分については予想よりも遥かに寛大なものだった。一体何かと、先ほどよりも緊張に身を硬くしながら、言葉を切ったローザを待つ。
すると彼女は深く一度息を吐き出した後、先ほどの整った顔を少しだけ悲しげに影らせた。そしてゆっくりと金色に揺らした瞳をアーサーへと向け、言い放つ。
「その決意は、……変えられませんか。」
ピクッ……、と。
アーサーの目が獣のように見開かれた。息を飲み、全身が総毛立つように肩を上げ、筋肉全てを強張らせる。
ローザの言葉の意味がわからないように、ステイル達は怪訝な表情を露わにするが、アーサーだけは全く違う反応だった。身体を酷く強張らせ続けた彼は数十秒の沈黙の後、はっきり「はい」と口を動かした。
「もう、決めました。……申し訳ありません。」
そう告げて、両膝をついたまま深々と頭を下げるアーサーにローザは片手で目を覆った。「やはり、そうですか……」と一人呟く彼女は、ゆっくりと手を下ろす。伏せてしまった眼差しをそのままに「そうですよね……」とまた哀しげに呟いた。ローザのその表情を変わらず真っ直ぐ見上げたアーサーは、決意の意思をはっきりと彼女に向けていた。
「……ならば、今の私が貴方にして差し上げられることは……これだけです。」
そう小さく言いきると、ローザはゆっくりと玉座から立ち上がった。
姿勢をしならすように美しく伸ばし、まっすぐとアーサーを見定めた。更に玉座より高い位置から見下ろしてくるローザにアーサーは更に顎を上げる。
「先ほどの処分を改めます、アーサー・ベレスフォード。」
氷のように冷たく、低い女性の声色にアーサーは息を飲む。
処分の改め、という言葉にステイルとジルベールも身構えた。先ほどまで、処分を保留とされたことに少なからず胸を撫で下ろしていた二人は一瞬で喉を干上がらせた。
「我が国の第一王女、プライド・ロイヤル・アイビーへの過失により、騎士隊長並びに騎士の称号を一時的に剥奪。そして無期限の謹慎処分を命じます‼︎」
広間中に響き渡るその声は、もう変更の意思はないと言わんばかりに強く放たれた。
これ以上は拒否も弁護も認めないとばかりにローザはアーサーに「判決は以上です、立ち去りなさい」と言葉を掛けると、衛兵に扉を開けさせた。
何も言わず、少し茫然とした様子のアーサーは衛兵に促されるまま立ち上がる。そして反論もなくその場にいる全員へ順番に頭を下げた。背中を向け、去ろうと足を前に出した時「ただし」と気がついたようにローザの言葉が続けられた。
再び振り向き、ローザへ正面を向けて姿勢を正せば彼女は既に玉座に掛けていた。
「……今回の騒動を止めて下さった御礼です。その剣だけは、変わらず所持を認めましょう。」
表情こそ厳しく整えられたまま向けられたその声は、先ほどよりも優しくかけられた。
アーサーは腰の剣を無意識に押さえると、確認するようにそれを見た。口を強く結び、最後に無言で頭を深々と下げた。そして今度こそ、アーサーは玉座の間から立ち去った。
そしてもう、振り返りはしなかった。




