478.義弟は詰み、
「…ステイル。本当に身体は平気なのか。」
淡々と語るヴェスト叔父様は書類を纏めながら、目をじっと俺の方に向けた。
ええ、勿論です。と言葉を返しながら俺もヴェスト叔父様から借りた昨日までの進捗状況についての書類に目を通す。
「ええ、勿論です。……それに、また暫くは眠れませんから。」
感情を殺すべく思考を白くすれば嫌でも言葉が淡々となってしまう。
ヴェスト叔父様相手に申し訳ないと思いながらも、今はこれが精一杯だった。昨日、途中で俺が倒れたことに関しては母上を始めとして全員に詫びた。責められはしなかったが、代わりにもう少し休めと窘められた。が、……そうもいかない。特に、今は。
「昨晩の時点では、将軍も参謀長も何も自白はなかったと。」
やはりアダムからの報復を恐れているのか、それとも忠誠心か。
奴らは口を割らなかった。ジルベールも尋問に加わったということはいくらか脅しもしたのだろうが、有力な情報は一つも手に入らなかった。更には例の消息不明者についても未だ不明のまま。全く昨日から進んでいない。今日は他のラジヤの従者達にも一人ひとり尋問を行う。……末端が何か聞きこぼしでも情報を拾ってくれていれば何よりだ。もしそれを終えて何も掴めなければ、次の段階へも進める。痛みを伴う問いにでも入れば、誰か一人くらいは吐くかもしれない。それまでは
『ッステイル様‼︎お仕事中に申し訳ありません!また今しがたプライド様が!』
突然、映像が部屋に現れる。
俺宛の通信の特殊能力を使った衛兵からの連絡だ。書類を一度机に置き、俺はヴェスト叔父様に断りを入れてから瞬間移動をした。
今朝からもう五度目となる、逃走したプライドの迎えと捕縛に。
「あらぁ?ステイル。また早かったじゃない。忙しくないの?」
ハハハッ、と軽く笑いながらプライドが俺へと振り返る。
もう、五度目ともなれば互いに慣れたものだ。馬に跨がろうとするプライドを問答無用で離れの塔へ瞬間移動させた。
部屋の中では、開けられた窓と解かれた拘束。そして部屋の前にいる筈の衛兵が数人、すでにベッドの前に控えていた。俺が瞬間移動のままプライドをベッドに倒すと同時に彼らの手によって再びプライドはベッドに拘束される。
「アッハハ!貴方も大変ねぇ?衛兵が無能なせいで働いてばかりじゃない。」
ベッドに慣れたように無抵抗拘束されながら笑う彼女は口だけを動かす。いっそ口も塞いでしまえばとも思ったが、……実行には移せなかった。
プライドの言葉に周囲の衛兵が苦しそうに顔を歪め、背ける。
今朝から再び逃亡を図ったプライドは、俺がジャックから話を聞いた時には再び王居まで入り込んでいた。宮殿に入る前に瞬間移動で離れの塔へ再び戻し、また時間が経てばいつのまにか拘束を破り、……その繰り返しだった。
拘束具を変えてもみたが結果は同じだ。鎖や鍵付きの物にしたところでプライドが脱走した時には鍵は外され、元の場所に掛けられていた。部屋を出入りする侍女を疑ってもみたが、彼女らが不在の間すらプライドは脱走を繰り返した。それに、プライドの専属侍女でもあった彼女達がそのようなことをするとも思えない。
窓をまた固定しようかとも考えたが、どうせ割られるだけだ。本気のプライド相手でも騎士ならば何とかなったかもしれないが、衛兵では誰一人敵うものはいなかった。
ただでさえ、王女相手に過失の恐れがある発砲もできない。その身を壁にして阻もうとも容易くプライドは乗り越え、更には一撃を与える余裕すらあった。武器や馬などもその場の衛兵から奪って逃亡する為、手の施しようがなかった。
プライドから受けた言葉に、何人かが俺に今朝のように詫びようとする。
だが、その前に俺から「構いません」と一言断じた。むしろ、うち内で対処しようとして失敗しアダムとの接触を良しとされる方が困る。いっそ、プライドが拘束をどう解いているかだけでもわかれば良いが、依然として謎のままだった。王女であるプライドがベッドに拘束されている中、部屋に始終男性である衛兵を置くこともできない。何度か専属侍女にも監視を頼んだが、やはり気がついた時には拘束は解かれるばかりだった。
事情を知っている近衛騎士の復帰も案として出たが、やはり騎士一人でも派遣を要請すればプライドのことが騎士団に勘付かれてしまう。近衛騎士ならば尚更だ。
彼らの復帰に何かしらの推察はついてしまうだろう。今はできる限り情報の流出は最小限にしなければならない。………なのに、俺は。
「……姉君。貴方も、いい加減に無駄だとは思いませんか。僕から逃げられる訳がないでしょう。」
俺からの返答にプライドはベッドの上からニマニマと気味の悪い笑みを浮かべた。
「そうかしら?」と謳いながら、俺からその目を離さない。
今のところ、俺がプライドの逃走の報告を受けてすぐに瞬間移動で駆けつけている為、プライドはアダム皇太子に会うまでには至っていない。
父上にも許可を得て、通信手段を持つ特殊能力者の衛兵を離れの塔に配備させてもらえた。お陰で何かあればすぐにヴェスト叔父様の部屋にいる俺へ報告がされる。
通信兵の中でも、己を中心とした映像を送れる特殊能力者だ。彼ならば緊急時に移動しながらでも俺に報告ができる。自分の視野や視点から映像を送る特殊能力ではどうしても単独での移動しながらの報告には不向ー……、……!
…………そうだ。
「あらぁ?ステイル。……ワルイ顔。」
なにか良いことでも思いついたのかしら、とプライドが目だけを固定したまま俺を嗤う。
どうやらうっかり表情に出ていたらしい。……まぁ良い。今はそんなことよりも母上に提案だ。
プライドから身体ごと背中を向け、再び衛兵に警備と何かあったらすぐに報告をするようにと伝える。どうせまた逃げ出してしまうのだろうが、せめてあと数十分はそのまま大人しく
「ねぇ、ステイル?」
べったりと。粘着質な彼女の声が俺にかけられる。
聞かずに瞬間移動してしまえば良いのに……抗えない。プライドの声に名を呼ばれ、振り向かずにはいられない。眼鏡の黒縁を押さえ、一言だけ、一言くらいと自分を誤魔化し彼女へ振り向いた。
プライドは引き上げた笑みのまま、顔だけを俺に向けていた。俺がその場から立ち去らずに止まったことを確認した彼女は、その口をゆっくり開く。
「──────────────?」
……最初に、立ち止まったことを後悔した。
何故、よりにもよって今、彼女の言葉に耳を傾けてしまったのだろうと、学習しない己を恥じ、怒りが込み上げる。
その言葉を脳が処理すると同時に喉が干上がり、息が止まった。見開いた目をそのままに黒縁を押さえた指先が震える。
俺の反応に満足とばかりに引き上げた笑みを浮かべた彼女は、それ以上はなにも言わなかった。最初から、俺のこの反応が見たかったとばかりに。
これ以上、彼女の毒に触れる前にと俺は無動作のまま瞬間移動する。
視界が切り替わり、ヴェスト叔父様の執務室に戻ってやっと呼吸が再開された。ヴェスト叔父様に声を掛けられるより前に、フラつき、自分の机に手をついた。机が俺の体重で傾き、上に乗っていた書類が床にいくつから落ちる。彼女から受けた先制にうな垂れるように身体の力が入らず、その場に座り込んでしまう。「どうしたステイル⁈」とヴェスト叔父様がわざわざ席を立って俺の元に駆け寄ってきてくれた。そのまま俺の背にそっと手を添えてくれる。
「申し訳ありません……また、……やられました……。」
姉君に。とぽつりぽつり呟けばヴェスト叔父様が瞬時に察しがついたかのように息を飲んだ。「大丈夫か……⁈」と心配され、一言答えながら不自然に震え出す両手のひらを茫然と眺める。
……もう、だめか……?
気持ちが悪いほど冷え切った頭でそう過ぎった瞬間、恐怖で全身が身震いする。駄目だ、それだけは。
「ッそれよりもヴェス……叔父様っ……!僕に、考えが……あるの……ですが……!」
良かった、喋れる。
そう思いながら俺は背中をさすってくれるヴェスト叔父様へ向き直る。どうかお力を貸して下さいと訴えれば、眉間に皺を寄せながらも俺に言葉の続きを促してくれた。
駄目だ駄目だ絶対に駄目だ。その為にはもうなりふり構っていられない。俺はまだっ……
『ッステイル様!御報告致します‼︎申し訳ありません、もうプライド様がっ……』
また、映像が現れる。ついさっき拘束したばかりだというのに。
俺に向けたその声に絶望感が息を引く。どうすれば良い?俺は、俺はもう─
もう、止められないというのに




