477.義弟は数える。
「……さまっ、……にい……、……兄様……!」
目を覚ますと、外は真夜中だった。
「…………ティアラ。」
暗い世界で、俺に寄り添ってくれていた彼女は心配そうな顔で俺を覗き込んだ。……どうやら、ずっと付き添ってくれていたらしい。
息が荒く、何度も呼吸を激しく繰り返す俺に、ティアラは優しく背をさすってくれた。
「大丈夫……⁈すごく、すごく魘されていたけれど……!」
反対の手でハンカチを持ち、俺の額の汗を拭ってくれる。それだけでほっと呼吸が楽になった。
魘されていた、という言葉に何か夢でも見ていたのだろうかと思考を巡らし、……思い出す。
口を開こうとすれば、不自然に閉ざされた。そうだ、言えないんだと思いながら心配そうに俺の顔を覗き込む彼女に胸が痛む。「ああ……」と呟き返しながら、俺は言葉を選ぶ。
「ティアラ。俺は、……。」
今度は口が動く。
ティアラは何度も俺の額を拭い、水の入ったコップを差し出してくれた。続けるより先に、ティアラの気遣いに甘えて水を受け取り、喉を潤した。ひと息で中身全てを飲み込んだ後、ハァ……と息と共に彼女を見つめ返す。俺は、とまで言ってから今度こそ言葉を口にする。……今だからこそ、話しておきたい。
彼女を女王の元から逃し、逃亡生活を余儀なくさせている今だからこそ。
「俺は、……罪人なんだ。」
宮殿とは比べ物にならない粗末なベッドから身を起こしたまま告げた俺の言葉に、ティアラは金色の目を白黒させて困惑を露わにした。
セドリック王子に女王の企みを明かされ、秘密裏にティアラを過去に母さんと住んだこの家に隠れ住まわせるようになってから、もう……幾日も日が経った。
城にいる間はティアラが追手に見つかっていないか、そしていつ俺が女王にティアラを連れもどせと命じられないかと思うだけで気が休まる日もなかった。隷属の契約を結ばれている俺は、明確に女王に命じられれば抗えれない。嘘をつくことはできても、裏切ることはできない。もし、ティアラを俺が見つけ出し殺せと言われれば、……俺は愛する彼女をこの手に掛けなければならなくなるのだから。
お陰で日に日に精神は削れ、疲労はこれまでの比ではなくなった。女王に限界以上の労働を強制されることは今までにも何度もあったが、精神的には今よりずっと楽だった。……情もない相手を手に掛ける方が、遥かに。
ティアラの元へ瞬間移動してすぐに俺は気を失った。目を覚まして語る俺の懺悔に、ティアラは尋ねるように目を丸くし瞳を揺らす。そんな彼女に俺は「はっきりは言えない」と断り、そして言葉を続けた。
「……本当は、お前に兄と慕われるような人間ではない。俺は多くの人間を……この手にかけてきた。数えきれないほどの命を。」
母さんをはじめとして、何人もの人間を殺めてきた。
最初は恐怖と嫌悪を抱いていたその行為も、数を重ねるごとに感覚も感情も死んでいった。今や、人を殺めることに何の抵抗も感じない。それでも、……彼女の、ティアラの前でだけは綺麗な清廉潔白な良き兄でいたかった。
だが、セドリック王子とティアラの憩いをこの目にし……奴の口から女王がティアラの命を狙っていると知らされた途端、全てがどうでもよくなった。
たとえ俺が死んでも、彼女に俺の醜さや穢れを知られても良い。それでも彼女を守りたいと、……手放したくないと思ってしまったのだから。
「手に掛けたって、…そんな、兄様が……?嘘…。」
信じられないように狼狽え始めるティアラは、震える手を俺に伸ばした。
添えるように俺の両肩へ小さな手を優しく乗せ、瞬きも忘れた目を俺に向ける。
「何か、理由がっ……!……だって、優しい兄様が……人を殺すなんてっ……。」
……言いたい。
誰にも語れなかった、俺の呪われた戒めを彼女に。
だが言えない。女王に隷属の契約については他言を禁じられたままだ。俺自らそれを告白することも叶わない。……罪を罰して貰うことも、責めてもらうことすら叶わない。
未だ信じられないように俺に訴え、詰め寄るティアラに俺は唇を結んだ。
……穢らわしいと思われるだろうか。
虫も殺さないような彼女に、人殺しの兄など受け入れられるわけがない。この場で俺を置いて逃げられてしまっても、「人殺し」と罵声を浴びせられても当然のことだ。必死に訳を聞こうとする彼女へ唇を結び、言えないんだと意思表示をする。信じることを拒否するように涙を滲ませる彼女が途中、息を飲む音を放った。
「……まさか。………隷属の、契約……⁈」
今度は、俺の息が止まった。
何故、彼女が、心の清らかな彼女が、そのような恐ろしい方法に予想がついたのかはわからない。だが、これ以上ない正解を引き当てられた俺は息を止めたまま自分の目が次第に見開かれていくのがわかった。
俺の反応にティアラは確信を持ったように青い顔をして「そうなの……⁈……そうなのね……⁈」と俺の手を握り、息が掛かるほどに顔を近づけながら必死に確かめた。
答え、られない。頷くことも、言葉にすることもできない。パクパクとまるで言葉を奪われたように口だけが動く中、ティアラが「───様に、口外を禁じられたのね⁈だから言えないの⁈」とまた、確信をついた。人形のように口しか動かない、肯定の意思表示ができない、代わりに
涙が、溢れた。
止めどなく、自分でも信じられない程の量の涙が溢れ出す。
もう何年も流れなかった筈の、もう枯れきっていると思っていたものが信じられないほどに溢れてきて止まらない。ティアラがもう理解したかのように「兄様っ……」と涙を滲ませて声を漏らす間も言葉がでなかった。顎が震え、身体が痙攣を起こすように震えるだけで動かない。
理解してくれた、察してくれた。初めて俺を縛り続ける鎖の存在に気づいてくれた。
知られたからといって、契約が解けるわけでもない。だが、それでもまるでこの身が解放されたかのように打ち震え出した。
「兄様っ……ごめんなさい、ずっと気づいてあげられなくてっ……こんなに、こんなに兄様は一人で苦しんでいたのにっ……!」
大粒の涙を零しながら、ティアラがその両手で俺を抱き締めた。
回された腕を掴み、長年ぶりに嗚咽を漏らして泣き噦る。陽の光のような暖かい彼女の温もりが死ぬほどに愛おしく、温かい。言葉にもならず喘ぐ俺に、ティアラは共に涙を流しながら全てを受け入れてくれた。「ゔ……あ゛ぁ……」と喉を鳴らす俺と、女神のように俺を抱き締め続けるティアラを黄ばんだカーテン越しに月だけが小さく覗き見ていた。
「兄様……、……私、決めたわ。私、もう一度お城に戻る。もう一度、────様に会って話してみる。……フリージア王国を奴隷生産国になんてさせない。それに、大好きな兄様に、これ以上酷いことなんてさせたくないもの。」
無理だ、そんなこと。
俺は女王に呪われている。会えば、俺はお前を殺させられる。国も民もどうでも良い。俺なんかがどうなっても構わない。ただ、……ただお前一人だけを守れれば。
いくら想いが募っても、今の俺には言葉を精製することは叶わなかった。喘ぎ、えづき、呻き、首を必死に横に振るがティアラは俺を抱き締める手を強めるだけだった。
「大丈夫。……私だって、この国の第二王女だもの。きっとちゃんと私達の、民の想いを伝えれば────様も、考え直してくれる。」
駄目だ、そんなことあり得ない。
あの悪魔はそんな心が通じるような相手ではない。どれだけ心を尽くそうと、どれほど訴えようともあの女には届かない。無慈悲な奴には何一つ‼︎……そんなこと、俺が誰よりもわかっている。
「そうだわ、騎士団長に相談して見ましょう?〝使いにくい男〟なんて兄様は言ったけれど、とっても良い人よ。きっと力になってくれるわ。それにレオン王子にも話を……」
駄目だ。あんな奴ら信頼できるわけがない。
どう騙そうとも言葉を繕うとも、他の連中のように取り込めなかった騎士団長は、いつも俺へ不信の眼差しばかりを向けていた。どんな言葉を選ぼうとも奴の懐に入れたことなど一度もなかった。
それにレオン王子のような女誑し、あんな外道には死んでも頼りたくも、ましてや清いティアラと同じ空気を吸わせたくもない。
「大丈夫。絶対私が兄様を守るから。……ずっと、私を守ってきてくれた兄様を。………今度は、私が。」
鈴の音のような優しい声に、抗えない。
やめてくれ、お前を失うことだけは耐えられない。このままお前だけでも生き長らえてくれと。……そう言いたいのに、言葉ですらない喘ぎだけしか声にならなかった。
このまま瞬間移動で彼女と共に他国へ逃られれば。……だが、できない。俺は女王の許しなく一定距離を離れられない。できても隣国のアネモネ王国がせいぜいだ。女王の牙がかかっているあの国へティアラを逃しても捕まることは目に見えている。それに何より
俺自身が彼女を、手放したくない。
独り善がりだと、自己中心のエゴでも構わない。もう、彼女へ妹以上の感情に気が付いてしまった今は手放せない。俺が死ぬまでどうかずっと傍にいて欲しい。彼女無しではもう生きていけない。
「っ……ゔ……ァ……ァアっ……すま、ないっ……!……ないっ……ティア、ラッ……‼︎」
お前を、もう止められない。
お前に死が待っていると、女王からお前を守れないとわかっていながらも手放せない。最期までお前と居たい。いっそお前の手でこの俺の地獄を終わらせてくれ。……ッ……止めて、くれ。
醜く鳴り続けるこの心臓ごと、俺という罪人の賤しき命を。
……
…
「………?」
朝陽が……目に入る。
カーテンの隙間から漏れる光が目に刺さった。何度か強く目を瞑ったまま堪え、手の甲で覆う。それでも眩しく、寝返りを打ってから目を覚ます。鳥のさえずりに耳を済まそうとすれば、何故だか外からは衛兵の慌しい声ばかりが耳についた。
……俺は一体……何をしていたのか。……何か、嫌な夢を……みていた、ような…?
魘されたのか、汗が酷い。息苦しく喉が乾いた。目を覆った手の甲も湿り気を帯びていて、顔中が酷く汗を掻いたのだ鏡を見なくてもわかった。
眠る前の記憶が薄い。確か昨日は……、………あぁ……そうだ。それで会議で、…………!。
「ッ‼︎尋問、は……⁈」
ラジヤ帝国の将軍と参謀長への尋問!確か、昨日行う筈だった!一体どうなった⁈収穫があったのか⁈そうだ例の行方不明についてもまだジルベールの見解すら聞いていない!それに、ティアラはッ……⁈
やっと記憶がはっきりする。まだ侍女が起こしに来る時間ではないが、構わない。一刻でも早く昨日の進捗を聞くべく自分で身支度を済ませながら、また気を失ってしまったのだと気がつく。
ティアラに女王戴冠に頷いて欲しいと願い、アイツが王位継承権を放棄とっ……‼︎もう書類は出してしまったのか⁈まさかセドリック王子にまで根回ししているとは思わなかった。その上他の婚約者候補は王配になれないということは、残りの二人は国王か次期国王!いやだがティアラが婚約者候補を決め直しさえすれば……ッ駄目だ!アイツが王位継承権を捨てればどちらにせよ結果は同じだ‼︎
「まさか気を失ってしまうとはっ……‼︎」
自分への情けなさに歯噛みする。いま、俺には気を失う暇などないというのに‼︎
ティアラを一刻も早く第一王位継承者にっ……もしくはプライドの王位剥奪。可能ならば昨日の間に何かプライドを取り戻す有力な情報を得られていたらそれに勝るものは無い!そうでなければプライドはっ……‼︎
そこまで考えた途端に、また右手が不自然に震え出す。拳を握り、ベッドに叩きつけて誤魔化した。今は先ず現状の把握をしなければ‼︎
扉を自ら力一杯開けば、護衛をしていた衛兵が「ステイル様……!お目覚めになられましたか!」と声を上げた。挨拶と共に心配をかけた詫びを伝えようとすれば、その前に衛兵が言葉に悩むように「その、実は」と扉の傍を目で指し示す。何かと思い、顔を向ければ
「……ティアラ。」
毛布に包まり、俺の部屋の扉わきの壁に寄りかかるようにして眠っていた。
兄妹とはいえ、義理の関係である俺に気を遣ってくれたのか。衛兵から夜はずっと扉の前を動かなかったと聞き、肩の力が抜けた。……しまった、自分のことばかりでティアラに心配をかけてしまっていたことにすら気づかないとは。
寝ぼけていたとはいえ、俺もまだ頭が回っていないと思いながら眠ったままのティアラをそっと毛布ごと抱き抱える。
思ったよりもずっしりと重さを感じて驚いたが、すぐにドレスの中に隠している物の重さだなと気付き溜息を吐く。大分眠りが深いのか、目を覚まさないティアラを抱えたまま廊下を歩き、階段を登る。衛兵は心配してくれたが、この程度で根を上げるほどの鍛え方もしていない。
階段を上り終わり、ティアラの部屋まで向かう途中に小さく「……兄さ……、……姉……ま……」と寝言が洩れ聞こえてきた。
「……すまなかった、…ティアラ。」
眠るティアラにそっと謝罪する。
限界が近かったとはいえ、何度もきつい言い回しをしてしまった。
それに、いまティアラが王位継承権に名乗りを上げさせれば今のプライドにそのまま火をつけるようなものだ。
……ティアラは、プライドのことを想って動いていたというのに。コイツが俺やプライドを苦しめる為に何かをするわけがない。それを理解しながら、自分本意の考えに流されてしまった。
「時間までなるべく寝かせておいてやって下さい。……あと、僕はもう平気なのでまた後で会いに来ると。」
ティアラの部屋に通され、彼女を起こさないようにベッドに寝かせる。侍女に伝言を頼み、早々と部屋を出た。あんな廊下や床で眠るなどプライドでもするかどうか……。身体を痛めていなければ良いが。
だが、ティアラのお陰で頭も少し冷えた。思考が一度切られたお陰か、今は昨日ほどでもない。これならあと八日程度きっと堪えられる。
まだこれからだ。少しでも、プライドの為に情報を。
気を取り直し、ヴェスト叔父様とジルベールの元へ行くべく足を強め
「急げ‼︎怪我人を運べ!」
「早く、宰相殿と摂政殿に御報告を‼︎」
……玄関口の前を通り過ぎようとするところだった。
扉から衛兵の「応援を」という声が上がり、耳を澄ませばどうやら王居全体が慌しく衛兵が錯綜しているらしい。嫌な予感がし、指示を回している衛兵の一人に俺は声を掛ける。
「ジャック!」
ジャックと呼ばれた衛兵…プライドの近衛兵でもあった彼は俺の呼びかけにすぐ反応してくれた。
俺の前に跪き「御健在で何よりです」と挨拶を返してくれる。どうやら彼の耳にも俺が倒れたことは届いていたらしい。
一体この騒ぎは何なのかと、尋ねる俺にジャックは一度言いにくそうに口を噤み、それから重々しく低めた声を放った。
「実は、今朝もまた……プライド様が離れの塔から脱走されたと。」
……あと……八、日…、…………。
近々活動報告更新致します。




