476.義弟は拒む。
「……そして、目を向けた時には既に消えていたと。」
王居内に設立された救護棟。
そこに訪れたステイルは、静かに同行者が安静にされていたというベッドを確認した。
カーテンで薄く仕切られた外側は衛兵が背中でぐるりと囲み、周囲に目を向けて護衛と監視を行なっていた。怪我人である前にその同行者は来賓でもあり、容疑者の一人でもあったのだから。
ステイルが衛兵から話を聞いてみても、彼らが手を抜いたようには見えなかった。一応、確認の為にベッドの下を覗き込んでもみたがやはり誰もいない。カーテンが仕切られているとはいえ、たかだか布一枚だ。もしこっそり抜け出そうとすればカーテンが捲れ、何より衛兵にもぶつかる。ステイルは腕を組みながら様々な可能性を鑑み、一番現実味のある可能性をいくつか頭の中で並びたてた。
……衛兵の隙をついてカーテンの隙間から逃げ出した。もしくは衛兵の誰かがラジヤ帝国側の人間。特殊能力者による誘拐、または協力者がいる。
宮殿内の救護棟で護衛に守られているということでそれなりの身分の人間だと何者かに判断され、誘拐されてもおかしくはない。
そして我が国の特殊能力者が雇われなどしてラジヤ帝国に加担しているとすれば。
「誕生祭で姿を消していた二人……。」
ふと、過ぎった推論が激しい動悸と共に呟きに出た。
顎に指を添え、思考に入ろうとした瞬間に自分で首を激しく降る。
……いや、あり得ない。そんな筈がない。他なら未だしもここは王居だ。あのジルベールの目にも間者は一人も引っかからなかった。今、目の前にいる衛兵達も見覚えのある者ばかり。そういった特殊能力者もこの中には一人もいない。
ステイルは衛兵を一人ひとり目で見定めながら、何度も自分を落ち着けるように呼吸を整えた。
それでも念のため全員ジルベールに調査させておこうと考える。ステイルにとって、顔見知りだけで信用に値するなどあり得ない。
一瞬、そこまで考えてからジルベール以外にもう一人、彼らを目に通させたい人物を思い出す。だが、目を強く瞑って打ち消した。まだ彼には会えないと自分を叱咤する。
……だが、俺のような特殊能力者であれば。
たとえば自分なら、瞬間移動ですぐに同行者を拐える。毒物であればプライドに飲ませた後に容器を処分することも簡単だ。更にはあの特殊能力者と組めばと、様々な方法を考える。そうしてまた思考が深くなり始めた時に、自分の特殊能力は稀有な存在なのだと二度目の叱咤を己にぶつけた。
……だめだ、どうにも思考が逃げに行く。
そんなの不可能だ、ありえない、ただの空論だと理解しながらもどうしても頭がそちらに逃避する。ステイルは片手で頭を掴み、わざと痛みを与えるようにして押さえつけた。
「……事情は、わかりました。皆さんはまだこの場にいて下さい。……ジルベール宰相にも僕と同じ説明を。」
眼鏡の黒縁を押さえながら、見張りをしていたとは別の衛兵にジルベールへの言付けを任せた。
そして彼ら一人ひとりの謝罪を受け取ってからその場を後にする。他の衛兵にも引き続き同行者の捜索を命じた。
早歩きで玄関へ向かう途中、宮殿にいる皇太子をこのまま首根っこを掴んで床に叩きつけたくなったが、拳を震わせるだけで何とか堪える。実行に移ってしまう前にと、馬車に乗り込むまで早足を更に強め続けた。
「あとは、……………………ティアラ。」
……
「兄様っ……どうしたの……⁈またすごい顔……っ。」
部屋に訪れたステイルに、ティアラは目を丸くした。
今までも何度かティアラの部屋に訪れたステイルだが、会う度にその顔つきは暗く沈み、淀む一方だった。しかし今日のステイルの顔つきはティアラでなくても明らかだった。
無表情に取り繕いながら、扉の前で何も言わないステイルにティアラは両手でその腕を引く。無理強いにならないようにゆっくりと彼を部屋の中へと招き入れた。
部屋のソファーに寛ぐように座らせた後、侍女にお茶をと望む。促されるまま無表情で座り固まる兄に、ティアラは心配するように彼の目の下をなぞった。はっきりと黒ずんだそれが、何度指で優しく擦っても取れないところから汚れではなくクマであることを確認する。
「前よりまた酷くなっているじゃない……!」
一度は顔つきだけでも疲労の色が薄くなったステイルだったが、それからまた数日と経たないうちにまた疲労の色は重なり、濃く、蓄積されていった。
まるでマネキンのように黙ってされるがままになるステイルへ、今度は首筋に手をあてた。小さな手がステイルの脈を測り、とくんとくんと血の流れがティアラの手のひらまで伝わった。速く、だが弱々しい振動に余計ティアラの整った顔が不安で歪む。
「また、無理をしているのでしょう……?お願い、少し休みましょう……。」
至近距離に近づけられたティアラの顔がステイルを覗き込み、ウェーブがかった金色の髪が彼にかかった。
整えられた黒髪を何度も撫で、兄へ背もたれに掛かるようにと優しく肩を押す。ティアラの専属侍女が淹れた紅茶をトレーごと二人の前にあるテーブルに置いた。それにティアラはお礼を言った後、トレーのカップへ振り返っ
「ティアラ。……頼む。」
ぼそり、と静かな声がステイルから放たれた。
同時にステイルの頭へ添えられていた彼女の手がそっと掴まれ、振り返りかけたまま動きが止まった。
自分の手を掴んだまま、それ以上何も言わず濁った黒い瞳を向けてくる兄をティアラは見つめ返す。少し眉間に皺を寄せた彼女は、部屋の中にいる侍女や衛兵達に部屋の外へ出るように促した。
パタン、と最後の一人によって扉が閉められるまでステイルは黙したままティアラの手を離さなかった。部屋の中に二人きりとなり、閉ざされた扉を目で確認してから再びティアラはステイルを覗き込む。
「兄様、何があったの……?ねぇ、まさかお姉様に何か」
「ティアラッ……‼︎」
人目がなくなった途端、ステイルは掴んでいたティアラの手を離し、今度は両手で力強く彼女の肩を掴んだ。
突然の荒げた声と、掴まれた衝撃にティアラは身を硬くした。ステイルの顔を覗き込むためにしゃがんでいた姿勢から背筋が反り、逃げ腰に足が伸びて下がった。だが、それでも力強いステイルの手から逃れられない。俯き、前髪が垂れるステイルから歯を食い縛る音がきつく聞こえた。兄様……、と小さく呟きだけを返せば再びステイルから「頼む」と言葉が紡がれた。
「頼む、ティアラ。……頼む、お願いだ、……お前しか、あとはもう……、……これしか、もう、ないんだっ……‼︎」
一言ひとこと噛み締めるように放つステイルの言葉は、聞いているだけで息が詰まりそうなほどだった。
か弱いティアラの肩に指を食い込ませないようにと細心の注意を払われたその手は酷く震えていた。ステイルが言いたいことを既に理解していたティアラは喉を鳴らし、悲しげに金色の瞳を揺らす。そして「頼む」を繰り返すステイルから再び、荒い息遣いと共に訴えにも近い叫びが放たれた。
「第一王位継承者にっ……女王に、なっ……てくれ……ッ‼︎」
嘆きのような叫びに身を強張らせるティアラは、下唇を噛んだまま表情を険しくさせた。
今までも、何度もステイルから打診は受けていた。その可能性がでてきた、とジルベールと共に伝えに来た時もあり、その度にティアラの答えは変わらなかった。
「……嫌よ。女王にはお姉様がなるんだもの。」
鈴の音のような軽やかな声で重く断じるその言葉に、ステイルはとうとう指の力をわずかに強めた。
ティアラは、何度ステイルが打診に来てもそれを拒み続けていた。その所為での喧嘩が長く続いたほどに。
「ッ言っただろう……⁈姉君は、もう……女王となるのが困難だと……‼︎」
「それでも嫌!母上がどう言おうとも、私は拒み続けます。」
弱々しく必死に食い下がる兄をきっぱりとティアラは突っぱねた。
肩を掴むステイルの手を自分から掴み、降ろさせたまま握り締める。それでも変わらず震え続けるステイルの手をきゅっ、と優しく掴むティアラは真っ直ぐにその金色の瞳で覗き込んだ。
「兄様だって、本当はお姉様に女王になって欲しいのでしょう?その為に、今までのお姉様を取り戻す為に今も頑張っているのでしょう?」
「っ……、……ああ、そうだ……っ。」
問い掛けるティアラの言葉を噛み締めるように返すステイルは、苦痛に顔を歪め、陽の光のようなティアラの眼差しから目を逸らした。
「私が第一王位継承者に頷いたら、お姉様は同時に継承権を剥奪されてしまうわ。私はそんなの嫌!……兄様だって、そんなの嫌でしょう……?」
最後は尋ねるような怖々した声色に、ステイルは言葉に詰まった。
声に出すことを躊躇うように頷いて返せば、ティアラからさらに言葉が重ねられる。
「なら、何故そんなに私に王位継承を望むの?それに私には、……。……私……には、予知……能力なんて」
「ッそんなことを!言っている場合じゃないんだッ‼︎‼︎」
惑うように口籠るティアラを、叩くかのような叫びが部屋中に木霊した。
兄の怒声ともいえる叫びに両手で口を押さえるティアラは瞬きも忘れたまま言葉も出なかった。一気に内側の空気全てを吐ききったようなステイルは、全身を使って呼吸を整え続ける。ぜぇ、ぜぇ、とまるで走ってきたかのような息遣いと共にソファーに前のめりになった身体がふらふらと揺れた。「遅い」「今、すぐ」「もう……」と吐く息と共に掠れた声で呟かれるステイルの言葉に、ティアラは口を押さえた手を離し、片手で胸を押さえながらもう片方の手でそっとステイルの肩を摩り、手を置いた。
「……どうしたの……?」
ステイルの異常さに、自身の鼓動が大きくなることを自覚しながらティアラは絨毯の敷かれた床に両膝をついた。再びステイルの手を取ろうとしたが、それより先に彼は自分の頭を抱え込んだまま蹲ってしまった。
「……頼む、……頷いてくれ……。……お前さえ、名乗り出れば……きっと、すぐに王位継承権も……今なら、すぐ……。」
泣いていないことが不思議なほど弱々しいステイルの声に、胸を痛めながらそれでもティアラは首を振った。
蹲るステイルに見えていないと理解しながらも、彼女ははっきりと横に髪を振り靡かせる。
「ごめんなさい、兄様。私は絶対に頷かないわ。……もう、そうなる前に王位継承権は放棄すると念書も提出するつもり。」
なっ……‼︎と、ステイルが勢いよく抱えた顔を上げた。見開かれた目が、瞼がピクピクと痙攣する。だが、動揺する兄にティアラは酷いとわかりながらも言葉も止めない。
「私の婚約者候補の内、王配になれる身分はセドリック王子だけ。……そして、セドリック王子にも既に同意は得たわ。私を王弟妃として以外では受け入れない、王配にはならないとちゃんと念書と署名も書いてもらったわ。」
あとは、母上に合わせて提出するだけ。と静かな声色で告げるティアラにステイルは呼吸が止まった。
その顔が絶望一色に染まるのを見つめながらも、やはりティアラは発言を撤回しようとはしなかった。真っ直ぐにステイルと目を合わせたまま、また小さく唇を噛み締めた。あまりにはっきりと決意の色に瞳を光らせるティアラに、それが本気ではあることをステイルは嫌というほどに理解した。
「なんッ……何故‼︎……何故っ……何故わかってくれないんだ⁈」
一体いつのまに、先日セドリック王子がこの宮殿に移された時か、いやだが部屋から暫くは出ないようにと伝えられている筈、ならばどうやって、と。
ステイルにしては珍しく言葉が纏まらないように吃り、零れた。叫び、また息が止まり、叫び、唇が震えてそれ以上話せなくなる。頭を抱え、何かを堪えるように歯を砕かんばかりに食い縛り、右手を不自然に震わせ、まるで混乱するかのようにティアラから逸らした視線を彷徨わせた。
兄の今まで見たことがないほどの取り乱しように、ティアラが必死に言葉をいくつも掛けたが、もうステイルには届かない。「俺はっ」「どう、すれば」と辿々しく漏らす弱音がまるで子どものように波打ち、とうもう頭を掻き乱した。それを止めるようにティアラはステイルを強く細い両腕で抱き締める。ふわり、と花のような香りが鼻を掠めて一瞬掻き乱す手の力が緩んだが、今度は全身が酷く震えだした。
「兄様っ!お願い、落ち着いて……!だから、一緒に考えましょう……⁈私達でお姉様の居場所を」
「今のプライドの居場所なんて何処にもない‼︎‼︎俺はもう耐えられないんだ‼︎‼︎」
両手でティアラを拒むように強く突き放し、俯いたまま声だけを槍のようにティアラへ放つ。
ガラついた声が、もう喉が限界だというほどに強く放たれた証拠だった。
まるでプライドをもう見放したかとも取れる発言に、ティアラの瞳が激しく揺れた。「どうして……?」と小さく声を漏らしたが、今は疑問よりもあまりに痛々しく叫び、嘆き、自らの影に押し潰されそうになるステイルの姿の方が遥かに辛かった。
もう一度ステイルに近付き、そっと肩に両手を添える。俯くステイルに向かい「何があったの……?」と優しく尋ねるが、ステイルは何かを堪え、堪え、堪え続け、唇が血が出るほどに噛み締めて肩を激しく揺らした。
「兄様、……嫌なら話さなくても良いわ。でも、お願い。一人でそんなに苦しまないで。」
優しい、木漏れ日のような言葉と声に、ステイルは震えた手でティアラの片手を掴んだ。だが、今度は突き放そうともせず、ただその温度を確認するように優しく握り続ける?
「ッ……す……ない、ティアラっ……。……もう、……………限界、がっ……。」
震えた声で搾り出されたその直後。
ステイルの身体がグラリ、と大きく弧を描くように揺れた。ティアラが小さな悲鳴を上げると同時に、目の前のティアラへ倒れ込むようにしてステイルが意識を手放した。
ソファーから前のめりに落ちそうな兄を必死に自分の身体で支え抱き締めながら「兄様⁈兄様!」と何度も呼ぶが反応はなかった。カタンッ、とステイルの眼鏡が落ち、ぐったりと死んだように動かなくなる兄の体重に自分まで仰向けに倒れそうになる。必死に兄をソファーへ戻すべく耐えながら、扉の向こうに向かって「誰か来て!兄様が‼︎」と叫べば勢いよく扉が開かれた。
「ステイル様‼︎」
何人もの従者や侍女の叫び声が響き、全員が駆け寄った。
ティアラにもたれかかるステイルを衛兵が支え、ソファーに寝かせた時もステイルは呻き声一つあげなかった。
兄様、兄様、と大粒の涙で目を滲ませながら訴えるが、ティアラの呼びかけにもステイルは全く反応を示さない。
急ぎ医者を、と慌ただしく周囲がやり取りをする中、ステイル一人だけが翌朝まで微動だにしなかった。
まるで、吊るされた人形のように。




