474.傲慢王女は要求する。
「やはり、契約書を破かれてしまったことは痛手でしたね…。」
早朝。国の最上層部である女王ローザ、王配アルバート、摂政ヴェストの三人、そして宰相のジルベール、第一王子のステイルのみで開かれた極秘会議でステイルは淡々と呟いた。上層部すら参加を許されなかったその場で、彼らは誰もが暗い影を落とした。
ステイルの言葉にジルベールが深々と頭を下げ「申し訳ありません、私の不注意です」と謝ればヴェストがゆっくりと頷きながら「私もだ」とローザとアルバートへ詫びた。 彼らにとっても、契約書を破かれることは予想外だった。
「昨日、新たに一枚同じ物を発注した。…〝次は〟重々に注意しよう。」
ヴェストの言葉にステイルは無言で視線を落としながら、口の中を噛んだ。
……こんな暴挙に出られるのであれば、最初から複数枚発注しておくんだった。
ラジヤ帝国が再び訪問することは二ヶ月前に知らされていた。
だからこそ厳重な警備と逃がさないようにと衛兵も張り巡らせ、証拠を残せないようにと馬も従者もペンも武器も全て奪ってから彼らを拘束した。アダムを謁見の間に通してから、彼と話す内容も殆どが段取りまで組まれていた。既にラジヤ帝国の調査や法案協議会後は対策会議を何度も重ね、だからこそ今日の来訪にも対応することができた。
アダムを一時的に軟禁する為に来客用の宮殿もラジヤ帝国のみに貸切り、滞在していたセドリックもステイル達の住む宮殿の客室へと移した。
ラジヤ帝国のことには触れず、現段階では暫くは部屋から出ないようにと願い、安全も配慮した。
「一週間後、契約書が届き次第〝もう一度〟催促してみよう。」
一度は既に無理を言って五日で契約書を用意させた。そして次は発注して間も無くの再発注。いくら城からの発注とはいえ、作るのは人間な以上は一週間より早くは難しい。
本来ならばその〝直後〟に行う段取りだったが、契約書がなくなればそれもどうしようもない。
悔しそうに拳を震わしながら俯くステイルにヴェストから一言謝罪があったが、彼は激しく首を振り、言葉を返した。悪いのは非常識な行動にでたアダムの方なのだから。
「ならば、その間に先ずは彼の部下から尋問しましょうか。……それ以上を本人に行うでも、私は一向に構いませんが。」
遠回しに拷問をと、勧めるジルベールは軽く指を鳴らしてみせた。
穏やかに笑んで見せながら「宜しければ、私が」と真剣な眼差しでローザへ告げる。実際、アダム達を拘束した以上は本当に選択の一つではあった。期間が限られている中、手段は選べない。一週間後に契約による尋問が叶わなかった場合を考えて現実的な方法でもある。
「拷問ならば、早々に行うべきでしょう。……傷を残せば隠滅も難しくなります。」
今度は遠回しに言わず、はっきりと言葉にしてジルベールに同乗するステイルからは静かな殺意も零れていた。
残り九日。その間に拷問などで傷をつけてしまった場合、特殊能力者の治療で大体は短期間で癒せるが、万が一勢いあまってしまって深手を負わせれば、最悪の場合怪我人のまま国に帰すことになる。治るまで拘留しても、第一皇子が予定日数以上戻って来なければラジヤ帝国からの不穏は免れない。
本来ならば昨日、契約書で確固たる確証を得てからならば即刻の拷問も辞さない考えではあった。が、その途中で契約書が破かれてしまったのだから。
「まぁ、……最悪の場合は騎士団で〝そういうこと〟に長けた者もおりますが。」
彼の協力を仰ぎましょう、とジルベールが思い出すように切れ長な目を鋭くさせた。
愛想程度に口を引き上げたジルベールの笑みに、王配であるアルバートがテーブルの下から軽く足を踏んで自制を促した。それを受け、顔を引き締めながら「いかがでしょう」とジルベールがローザに尋ねれば、女王である彼女は静かに手を組み、小さく頷いた。
「……今は予定通りに進めましょう。感情的に急いては、取り返しのつかないことになります。決め手が入り次第、それ以上も考えます。もし次の契約書でも確証が叶わなければ、ジルベールの案も視野にいれます。先ずは参謀長と将軍に尋問を……」
ダンダンダンッ‼︎
突然、ローザの言葉を遮るように扉が強く叩かれる。
扉の向こうから慌てるような大声で「会議中に申し訳ありません‼︎」と告げられ、ローザ以外の誰もがその場で立ち上がった。ヴェストがローザに確認を取り、扉を開けることを声を張り許した。
勢いよく扉が開かれ、飛び込んできた衛兵がその場に跪き再び「失礼致します‼︎」と肩で息をしながら声を放った。
上層部の会議中に通常は乱入することなどあり得ない。その場で処置や指示が必要な時以外、どんな報告や事態であっても会議の方が優先されるのだから。それにも関わらず入ってきた衛兵に誰もが異常事態を察知し、固唾を飲んで続きを待った。衛兵は急いできたのか、声が上手く出ないように数秒だけ呼吸の為に沈黙をつくり、深く息を吸い上げてから顔を上げた。「緊急の御報告です‼︎」と荒れた喉を張る。
「ップ……プライド第一王女殿下が!離れの塔から脱走を致しました‼︎ただいま!王居の、恐らくは例の宮殿にっ……‼︎」
例の宮殿。その言葉に誰もが息を飲む。
名を言わずとも、それがアダム達を捕えている来賓用の宮殿であることは明白だった。ジルベールが気が付き振り向けば、既にステイルはいなかった。瞬間移動でプライドの元へと向かったのだろうと一度だけ胸を撫で下ろす。ヴェストが「ステイルはどうした⁈」と尋ねたが、特定の人物の元へ瞬間移動できることを知らない彼らに、場所が不特定のプライドの元に移動したとは言えず「恐らく宮殿に向かわれたのではないかと」と誤魔化し、そのままジルベールは窓の外へと目を向けた。
「ッなぜ王居までプライドを放った⁈衛兵は何をしていた⁉︎」
アルバートにしては珍しい声を荒げようにジルベールの肩が上がる。
拘束をどうやって解いたのかも不明だが、部屋も外側から鍵がかかっている。更には離れの塔の周りにもプライドを守る為に多くの衛兵が警備についている。隙を見て逃げたとしても、それまで衛兵が何もしなかった訳がない。塔から逃げ出し、更には距離的にも離れ過ぎた筈の王居まで野放しにされるなどあり得ない。
離れの塔の窓を飛び降り、常人ならば死ぬ高さから無傷で着地し、阻む衛兵を薙ぎ払い、馬を奪わない限りは。
衛兵が現状で判明していることをなるべく詳細に語り、ローザやアルバート、そしてヴェストまでもが驚愕で目を見開く中、ジルベールは静かに目を閉じた。
これまで、彼一人だけはプライドの驚異的な身体能力と戦闘を目の当たりにしてきた。
人身売買の輩相手に堂々と立ち回り、サーシス王国の城からも平然と飛び降りた王女が、彼の予想をいくらか上回る身体能力を見せたところで驚くには値しない。むしろ、残す疑問は何故今までは逃げなかったのか。何故このタイミングで逃げたのか。何故来訪したことも知らない筈のアダムの元へ向かっているのか。偶然か、それとも。そしてどうやってベッドからの拘束を解いたのかという点だ。
……ステイル様が向かわれたならば、もう収束されただろうか。
彼ならば瞬間移動でプライドを一瞬で離れの塔に戻すこともできる。
そう思い、驚愕を隠せないアルバート達をよそにそっと目で部屋を見回した。……だが、まだステイルは戻らない。プライドとの話が立て込んでいるのかもしれないとまで考えてから一ヶ月近く前のことを思い出す。
プライドの豹変に、耐えられないかのように今の彼女を別人だと拒んだ彼の姿を。
その途端、心臓が大きく脈打ちジルベールは胸元を押さえつけた。一気に気持ちの悪い汗が額から吹き出し、意識的に深く息をする。「一応私も様子を」と、ステイルを追ってプライドの元へ向かおうかとした瞬間。
「……ッ失礼致します。母上……申し訳ありません。」
ステイルの声が、再び部屋に放たれた。
どこか躊躇うような抑えつけた声に、その場にいる誰もが顔を向け……息を、止めた。
「はぁ〜い。ご機嫌麗しゅう、愛しい愛しい私の家族。」
アッハハと軽く笑い飛ばし、口端を引き上げ歪めるように笑う、プライドの姿に。
ステイルは隣に並び肩に手を添えるプライドから目を背けるように俯いていた。拳を握り、微弱に震わせながら上目だけでローザ達を見上げる。驚きで目を丸くする彼女達を確認し、また小さく「申し訳ありませんっ……」と掠れる声で呟いた。
数拍後、プライド!プライド様!と殆ど同時に言葉が放たれた。プライドはその反応を楽しむように余裕の笑みで彼らへ手を振ってみせる。彼女の存在に始めは驚いたローザ達だが、すぐに今度は彼女の姿に絶句した。
第一王女が、人前にも関わらず寝衣姿。更には動き回ったのか衣服が捲れ、部分部分が汚れ、馬の毛がひっつき、更には靴も履かずに露わになった素足は走り回った所為で土汚れも酷かった。
王女とは思えないその格好で、更には薄い布からは身体のラインどころかドレスでは隠れる素肌がはっきり見えていた。ローザが思わず口を覆うと同時にアルバートが直接衛兵に扉を閉めろと声を荒げる。第一王女の醜態を衛兵にすら安易に晒せるわけがない。
「城の衛兵も大したことないわね?騎士団をもっと見習わなくちゃ。」
フフッ……と含み笑いを漏らしながら、プライドは同意を求めるようにステイルの肩を撫でた。
だがステイルは目を逸らしたまま無言で腕を回し、プライドの手を振り払う。
「プライド。……何故、どうやって、部屋を抜け出したのですか。」
どこか覚悟するようにローザがその場から彼女に問い掛ける。目の前で信じられない格好で佇む娘に、女王として必死に毅然とした態度を取ろうと表情を繕った。
プライドはローザからの問いに、静かに口端を引き上げる。この二ヶ月の間に見慣れてしまったプライドの笑みに、目を逸らさずにローザは返事を待った。そしてプライドはそれを嘲るように言い放つ。
「予知しました。可哀想な皇太子殿下が、我が城で酷い目に合う瞬間を。……だから助けに来てあげたの。」
皇太子。
いま、少なくとも城に捕らわれている皇太子など一人しかいない。目を見開き、ヴェストが尋ねるようにステイルの名を呼んだ。ステイルは苦々しそうに顔を歪めると、一度だけコクリと頷き、重々しく口を開いた。
「僕が駆け付けた時には、アダム皇太子のいる宮殿内まで居られました……。」
部屋に入る前に止めには入れましたが……と、低い声で呟くステイルの言葉に彼らは言葉が出なかった。
離れの塔で、プライドがアダムの来訪など知れるわけがない。ただでさえ厳戒態勢で、ラジヤ帝国の来訪自体も極秘で受け入れたのだから。
「酷いじゃない、母上。せっかく会えるのを楽しみにしていたのよ?こんなことをしなければ、ちゃあんと今まで通り大人しく離れの塔に居てあげたのに。」
〝居てあげた〟……その言葉に、ジルベールは背筋に冷たいものが走った。
まるで今迄はわざと捕らわれたままだったかのような言い回しだ。部屋中の誰もがそれを理解し、手のひらを湿らせた。
「ねぇ?今日は私からお願いがあってステイルにここへ連れてきてもらったの。……聞いてくれるわよね?愛しい愛しい娘の頼みですもの。」
女王であるローザに、半ば脅すかのようなプライドの物言いにヴェストが静かに眉を顰める。
ローザは整った顔を毅然と引き締めながら「何でしょう」と一言でプライドを促した。
「もう充分反省したから良いでしょう?いい加減に私を宮殿に返して下さらない?ちゃあんといい子にするわ。」
言葉とは裏腹に全く反省のそぶりすらみせずに、ニンマリとした笑顔のままプライドはローザに問い掛けた。
あまりの図々しいともとれるプライドの要求にローザは一度整った歯を食い縛る。そして、強い眼差しで首を横に振って断じた。
「なりません。貴方はまだ離れの塔から抜けることは認められません。アダム皇太子についても貴方が会うのは認められ」
「じゃあ勝手に会いに行くわ。」
ローザの言葉を上塗りし、凄むような低い声がプライドから放たれた。子どものようなその言い分に、誰もがぞっと背筋を震わせる。
できるわけがない、と言えれば良かったが、現にいま彼女は離れの塔からアダムの居る宮殿内まで自力で辿り着いていた。一体どうやって拘束から抜け出し、塔から逃げ出したのか。ヴェストが再び質問を繰り返そうとすればそれより先に読んだかのようにプライドは笑み、言葉を続けた。
「できるわよ?また何度でも、何百でも私は自力で逃げ出すわ。やろうとすれば簡単よ。」
教えない、と。
その意思が、ヴェストへ向けられた怪しい笑みから嫌というほど伝わってきた。ヴェストがその意図を読み取り眉を寄せれば、反するようにプライドの笑みが引き上がった。もっと困らせたいといわんばかりに笑い、そして言葉を続ける。
「別に騎士や侍女や衛兵なんかを戻さなくて良いわ。私を部屋に戻してくれればそれで良いの。そして母上から正式に私が病ではなく〝正常〟だと認めてちょうだい。……そしたら次からはちゃあんと母上達の言うことを聞くわ。」
ね、良いでしょう?とわざとらしく首を傾げて見せるプライドは、女王であるローザ相手に手を軽く広げてみせた。
あまりにも醜悪な笑みを広げる彼女からは、今の動作にも可愛らしさを微塵も感じられなかった。
「それとも、ずっと私を幽閉する?私はもう嫌よ、何度でも逃げるわ。そして、……毎日何度でも可哀想なアダム皇太子に会いに行くわ。朝も、昼も、……真夜中でもね?」
アッハハハ‼︎と声に出して笑い出した彼女は、まるで自分こそ立場が上のように胸を突き出し、指を組んだ。何かと思えば、プライドは「困ったわぁ」と呟きながら視線でその場にいる一人一人を目で舐めた。
「アダム皇太子。私のこと大分お気に召して下さっていたみたいだし、……毎晩会いに行ったらいつかは一線も超えちゃうかも?」
フフッ……と笑うプライドの紫色の瞳が妖艶とも取れる光に満ちた。
どこか穢らわしい欲すらその目に宿した途端、ヴェストとアルバートから同時に「プライド‼︎」と叱咤が飛ばされた。それに対し、身を竦めるどころかプライドは再びアハハハハ!と天井を仰ぎ笑い声を上げ出した。だが、今度はすぐに高笑いを止め、彼らに向き直る。そしてニヤリ、と脅迫するかのような眼差しを更に強めた。
「私は本気よ?これからは離れの塔にはとどまらない。母上達が認めずに私をこのまま飼い殺すつもりなら、私だって母上達の望まぬことをするわ。本気を出せば、城下に降りることだって簡単よ。」
自分の胸元を指先で指し示し、怪しく笑う。
プライドが本当に何度でも脱走が可能なのかはまだわからない。ただ、脱出方法が不明な上に彼女のその自信に満ちた口振りは虚言とはどうしても思えなかった。
「何故、そうまでしてアダム皇太子に拘る?」
ヴェストが今度は質問を変えた。
アダムに何かされたのではないかと疑問を強めるヴェストの問いに、プライドはすんなりと顔を向け、口を開いた。
「だぁって。アダム皇太子は〝この私〟を唯一素敵だと褒めてくれた御方だもの。ちょっと態度が変わったぐらいでみんな私の元を離れたのに。」
まるで、自分ではなく周囲が悪いかのような口振りに、一度だけ誰もが口を閉ざした。
プライドの言う通り、今の彼女を認めている人間はこの場には誰もいなかった。
「…貴方の言い分はわかりました、プライド。……もう、下がりなさい。」
ステイル、プライドを離れの塔に。とローザが指先で額を押さえながら命じた。
ステイルは再びプライドに触れようと手を伸ばし、そして不自然に直前でその動きを止めた。ジルベールがそれに気付き、少し訝しみながら尋ねようとするより先にプライドがアッハハハ!と笑い飛ばしながら「どうせ無駄よ!」と声を上げた。
「一晩だけ待ってあげる。でもそれからは何度だって逃げるから。……あぁ、そうそう。最後にあと一つだけ。」
良いかしら?とステイルから一歩自ら離れながらプライドはローザに真っ直ぐ紫色の眼光を光らせた。
ローザが無言でそれに応えると、プライドは最後にニタァァァァと口端を裂いたかのような笑みを引き上げた。
「間違っても私から王位継承権を奪うなんてやめて下さいね?母上。……そんなことをされたら」
一度、言葉を切りプライドは乱暴にステイルの手を掴んだ。自分の方に引き寄せるように両手で引き、人外のような笑みをステイルへ刺すように向けた。俯いていたステイルの顔が上げられたことを愉快そうに笑みながらプライドは再びその顔をローザへ向ける。
「今度は、母上の本当に愛しいティアラに刃が向いちゃうかもしれないから。」
アッハハハハハ‼︎‼︎と声を上げて笑い出す。
今までで一番大きなその笑い声は、途中でぷつりと切れた。ステイルの瞬間移動により二人同時にその場から消えたことを確認した彼らは、暫くの間言葉も出なかった。
脅迫。
最後の言葉は、間違いなくそれだった。
この場に現れてから、そのような言葉を何度も仄めかしてはいたが、今の発言は暴力性がその比ではなかった。
自分を王位継承者から外せば、ティアラを無傷では済まさないとプライド自身がそう宣言したのだから。
あまりに常軌を逸した発言と恐怖に、思わずローザは自分の腕を何度もさすった。アルバート、ジルベール、そしてヴェストまでもが顔面の蒼白を露わにしたままだった。
「ッッ失礼致します‼︎」
立て続けるかのように、再び扉から衛兵の声が響いてきた。先程のように駆け込んできた様子はなく、会議が終わり次第すぐにでも報告をと扉の前で待っていた衛兵だ。
御報告をと、プライドのことを知らせにきた衛兵と同じように膝を折った衛兵は、許しを得てすぐその声を張り上げ、ローザ達へと数十分前にあった出来事の報告を果たした。
アダム・ボルネオ・ネペンテス皇太子の同行者が怪我を負わされ、城の医者の元へ搬送された、と。




