471.皇太子は強いられる。
「あ゛あ゛〜!!クッソむかつく‼︎なんだぁあのババア!調子に乗りやがって‼︎」
ドガシャアンッ‼︎と声だけは抑えながら、怒りのままに備え付けの棚を蹴り飛ばす。
来賓用の客室の一つ。逃亡が不可能である上階の一室にアダム達は軟禁されていた。今、この部屋には同行者とアダムのみ。参謀長と将軍も武器を取り上げられたまま別々の部屋に入れられた。他の部下や従者達も捕らえられ、着替え以外は武器どころかペン一本に紙きれ一枚、籠に詰めた鳥にいたるまで私物は全て没収された。
更には部屋の外には多くの衛兵が一人の逃走も許さないようにして廊下に並び、見張っている。部屋に入れられる際に拘束は外されたが、この部屋から自由に出られないと思えばそれだけでアダムは息が詰まった。
苛々と部屋中の物を足蹴にしながら、アダムは窓の外を見る。元々は客室の為か窓は開いたが、飛び降りるには厳しい高さ。更には窓の下にも多くの衛兵が並び、監視をしていた。布で紐を作っても降りきる前に衛兵に見つかるだろう。それを目で確認しながら、アダムは静かに考える。
……まぁ、抜け出すのはわけねぇか。
当然、多少のリスクはある。
抜け出すとすれば深夜。最善ならば明け方かと考える。訪問者が確実に来ない時。もし自分達が抜け出してから誰かに来られ、気付かれれば確実に今度は一生ラジヤ帝国に帰れなくなることはアダムも理解していた。だからこそ最大の注意を払う必要がある。
「ったくさぁ……まさか女王と宰相がバケモンだと思えば今度は王子まで化けの皮被ってやがったとか……きもすぎだっつの‼︎」
ドンッ!と今度は物にも飽きて直接同行者を蹴り飛ばす。
無抵抗に蹴られた同行者は床に倒れ、文句も言わずに無言で起き上がった。それでもアダムの虫の居所は悪いままだ。大声で喚けないことを怒るように、上等な絨毯が敷かれた床を何度も何度も踏みつける。
「証拠だぁ⁈ふざけんな!んなもんあるわけねぇだろ!絶対全部終わったら条件飲まなかったことを後悔させて……」
コンコン。
ピタ、とノックの音でアダムは口を閉ざし、踏みつけた床から一歩離れた。
同行者が大人しく椅子に座り出しているのを確認してから、自身の髪を右に流して整えた。それから低めた声で、扉に向かって「どうぞ」と返事を返す。
「失礼致します、アダム皇太子殿下。」
その声を聞いた途端。一瞬だけアダムは顔を歪め、また戻した。
よりにもよって、と思っている内に堂々と護衛の衛兵と共に現れたのは宰相であるジルベールと、そして摂政のヴェストだった。
重々しい挨拶と共に部屋に入るヴェストに続き、切れ長な目だけを冷たくさせながら笑うジルベールは「先程は突然失礼致しました」と礼をした。言葉とは真逆に彼を守る何人もの衛兵の覇気は敵意に満ちていた。この場でもしアダムが掴みかかってでも来れば、すぐに応戦できるよう武器を構えて彼を睨む。
「これはこれは、摂政に宰相殿。……それで?私はこれからどうなるのでしょうか。」
テーブルを隔てて向かいのソファーにゆっくりと腰掛けて見せるアダムにジルベールが笑いかける。
アダムが余裕の笑みのままソファーを手で二人に勧めると、二人も遠慮なくそれに乗じた。そうですねぇ、とヴェストの代わりに愛想の良い言葉だけは返すジルベールは、そのまま丸めていた羊皮紙を広げて彼に出した。
まさかもう謝罪か、それとも逆に自分の仕業という告発文かとアダムは見当をつけながら書面を目で撫で、訝しむ。
〝フリージア王国への和平反故を侵していた場合のみ、フリージア王国からの問い掛けの全てに嘘偽りなく回答する〟
「これは……?」
「我が国の特殊能力者による契約書です。」
契約による尋問。
にこやかに笑うジルベールからその詳しい説明と、これに名前さえ書いて頂ければすぐにでも解放致します。と説明を受け、アダムは軽薄な笑みのみでそれを聞き流した。
セドリックと同じ説明を受けたアダムは、それにサインを書けば自分が今より遥かに不利になることは目に見えていた。「お断りします」と軽く返し、優位を示すように足を組む。
「おや、何故でしょうか。無実であればこれ以上の保証はないのではと。」
「論外ですね。それにサインを書いた時点で記録に残る。今そう仰ったのは貴方ではありませんか。ラジヤ帝国の皇太子としてそのような生き恥、お断り致します。」
たしかに実際、アダムと同じような理由で断る者もいる。
だが彼の発言はジルベールにはどうみても己にやましい事があると表明しているようにしか見えなかった。
ジルベールは「困りましたねぇ」と軽く返しながら、口だけで笑った。本音を言えば、アダムの腕を掴んで力強くでも書かせてやりたかったが、本人の意思で書かれなければ効果は発揮されない。偽造しようにも、特殊能力者により施された契約書は悪用防止の為の細工もされている。悪用可能な細工なしの契約書を王族が発注するなど出来るわけもない。それに他国の人間相手にならば契約書にサインを書かせる方法が、ないわけでもない。
「本当に、プライド様のことは何もご存知ないと?」
「ええ、勿論。」
「ではせめて治療法についてお聞かせ願えませんかねぇ。」
「最初に提示した条件を叶えて頂ければ。」
相手を馬鹿にするような軽薄な笑みで返し、僅かにアダムは鋭い歯を見せた。
柳に風の彼の返答に、ジルベールがあからさまに溜息をついた。それをせせら笑いながらアダムはテーブルに置かれたペンを雑に二人へ向けて転がした。更にはテーブルに置かれた契約書を摘み上げ、ヒラヒラと自分の鼻先をくすぐるように至近距離で眺めると
ビリリリッ……‼︎
「!何、を……⁈」
破った。
これには流石のジルベールとヴェストも目を丸くした。
ガタン、と立ち上がり、アダムに摘ままれたまま勢いよく真っ二つに破かれた契約書を凝視する。二人の慌てた様子にアダムも少し機嫌良さそうに心からの笑みを浮かべた。
書く意思がないとはいえ、他国の重要書類。それを目の前で破るなどあり得ない。更にいえば、特殊能力者の特注の契約書は城から発注しても届くまで無理をさせて五日、通常一週間は掛かる貴重な品でもあった。
「何度でも同じですよ。私がこの不名誉な契約書にサインを書くことは消してありません。」
謳うように宣言するアダムは口端を引き上げる。
そのまま、この冤罪の代償は大きいですよと長々と彼らに語り始めた。皇太子の監禁、これでは解放されてもプライドのことを他国へ秘匿する気にもなれないと。半ば脅すような言葉の羅列にジルベールは困り笑顔だけで返し、最後は彼の言葉を上塗りするように言葉を放った。
「わかりました。……また、〝改めて〟伺うと致しましょう。」
そう言うとジルベールは、破られた契約書を破片一つも残さず拾い集め、全て綺麗に懐にしまって片付けた。怒り出すこともなくあっさりと引かれ、アダムはわずかに両眉が上がる。
ジルベールは残りの破片がないかを確認し終わると、にっこりとまた笑ってアダムに手を差し伸べた。
「陛下の御考えは私にも全て理解できてはおりませんが。少なくとも皇太子殿下に相応しい最低限の生活だけは配慮させて頂きますので。何かありましたら、ぜひ私にお申し付け下さい。」
アダムと同じように目を細めて笑ってみせるジルベールに、白々しいと思いながらアダムはその手を握る。
ジルベールが女王であるローザと同じように自分を疑っていることは彼にもわかっていたが、無駄に敵に回して独房に入れられる可能性の方が避けたい。「私の無実が晴れれば良いのですが?」と嫌味たっぷりに言葉を返せば、ジルベールはやはり笑みだけでそれに返した。
更にジルベールからアダムの手を受け取るようにしてヴェストも握手を交わし、互いに口だけの挨拶で見つめ合った。固く握られた握手と、ヴェストのもともと柔らかい筈の眼差しと、狐のようなアダムの眼差しが睨むようにぶつかり合う。お互い今すぐにでも相手の頭を鷲掴んで叩きつけたい衝動を押さえながら、ゆっくりとその手を離した。
愛想の良いジルベールがその間にもアダムの同行者の名前を呼び、同じように握手を交わした。「何かお困りのことがあれば遠慮なく」というジルベールの台詞に無駄な懐柔でも狙っているのかとアダムは軽く彼を細い目で睨んだ。ジルベールに続くようにヴェストがまた同行者とも握手を交わし、アダムに対してよりは比較柔らかい眼差しを向けた。
「では、またお伺い致します。」
部屋を出る前に、再びアダムと同行者にそれぞれ挨拶を告げた二人はあっさりと退室した。
扉が閉ざされる簡素な音だけを立てられ、アダムは固めた笑みのままジルベール達を送り出す。足音が遠退き、確実に去ったことを確認してから彼は
テーブルを、蹴り倒す。
けたたましい音に同行者は反応を示さず、ただ部屋の隅へと移動した。
この場で大声でアダムは喚きたかったが、衛兵に聞かれれば面倒だった。「大した用事もなく来んじゃねぇよ」「一体何しにきやがったんだ」と、物を倒す音に紛れながら吐き捨てる。
クソッ!きもっ‼︎うぜぇ‼︎と殺した声で罵詈雑言を繰り返しながら物に当たり散らし、最後には再びソファーに座り、足をひっくり返したテーブルの上でバタつかせた。
状況は、最悪だ。まさか自分達が捕らえられるとは思ってもみなかった。いつものように、彼は全く証拠も痕跡もなく全てを終えたのだから。
「クソッ、クソッ、なんで、どうやって……」
しかも今回は大きな式典。
自分達以外にもフリージア王国と関係が表面上だけで希薄な国はいくつもあった筈だった。にも関わらず、何故自分達に断定できたのか。一体誰がそんな証言をしたのか。
まさか自分の家臣の中に裏切り者でもいるのかと、目の前にはいない将軍や参謀長に殺意を向ける。
罵詈雑言を吐き続けながら、アダムは雑に靴を脱ぎ散らかす。部下も取り上げられ、今の彼は身の回りを世話する従者すら持ち込むことが許されなかった。同行者に対してそのような期待は最初からない彼は慣れない手つきで遠慮なく服を脱ぎ散らかす。床に散らかした服だけを片付けとけと命じ、彼は寝やすい格好でベッドに転がった。
「夜になったら起こせ。それまでに起こしたら殺すからな。今夜にでも必ず……」
一方的そう告げて命じた彼は、ベッドの中に潜って目を閉じた。
現状、己が進退、部下の安否、国際問題、その全てを一度どうでも良いと。彼は、頭の中で丸めて捨てる。今の彼にとって最も重要なのはどれでもない。その最優先事項は
「プライドを、手に入れる。」
ニタァと、涎を零してベッドで笑う。
いずれにせよフリージア王国の滞在は叶い、プライドの居場所もわかった。フリージア王国がどのような手に出ようとも確かな証拠を得ることは不可能。むしろ、プライドさえ手に入られれば己の無実か有罪かもどうでも良い。プライドさえ、彼が望むようにものにすることができればそれはまさしく
フリージアを得たも同然なのだから。
……
…
「…話が違うではありませんか。もう、あれから何日経ちましたでしょうか?────女王陛下。」
……あ……?
「仕方ないじゃない、ジルベールが余計なこと言うんだもの。」
……なんだ…………?俺は、誰と話を……?
「おや、陛下もアレが乗せられていたということは御自覚されておりましたか?」
……目の前の女を、俺が嗤う。ああそうだ、この女が宰相のジジイに上手く乗せられて……。
フリージア王国の法案協議会から明日で三週間。この国の能無し共の所為で、未だ俺は目的を果たねぇままだ。
俺の言葉に女王の顔が何かを思い出すように見開き、そして不快に歪む。女王の向かいの席に腰掛けた俺は、テーブルを挟んだ向こうから肘をつき、堪能する為にじっくりとその愉快な顔を覗き込
「……言ってくれるじゃない?アダム。」
女王が、笑う。
歪んだ表情を誤魔化すように紫色の目を急激に光らせる。気付けば俺は口を閉ざし、身を引いた。すると俺を追うように今度は女王の方からテーブルに身を乗り出し、皇太子である俺の襟首をひっ掴み、引き寄せた。無抵抗に引き寄せられながら、女の顔が鼻先がつくほど間近に迫る。……ああああああああああ駄目だ、なんで、なんで俺は
「いつからそんな口がきけるようになったのかしら?……別に私は良いのよ。約束自体を反故にしたって別に。もう宝石も王子もた〜〜っぷり堪能したもの。……私の機嫌を損ねたら貴方が損するだけよ?」
「……失礼致しました、女王陛下。」
─圧倒的な、支配力。
俺の全ての力を凌駕した絶対的な存在。
女王の笑みに、俺からも口端を引き上げ笑って返す。
額の汗が伝い、鼻筋まで撫でた。「よくできました」と引き攣った笑みを浮かべる女王は、俺を突き飛ばすようにして手を離す。
こんな、この俺がその辺の塵共みてぇな扱いを受けてるってのに、なんで、なんで
「安心なさい?どうせ時間を引き延ばしたって結果は変わらないもの。私はより高い地位と富を手に入れる。貴方は私に約束を守って貰える上にちゃあんと望みも叶えられる。……御不満?」
「……いえ。ありがたき……幸せ。」
アッハハハハハ‼︎と女王が笑う。あっさりと負けを認める俺を嘲笑う。皇太子である、この俺を。……なのに、なんで、なんでなんでなんでなんでなんで俺は‼︎‼︎
なんで、こんなにも気持ちイイ⁇
女の眼差しを浴びるだけで全身に鳥肌が立つ。
息が荒くなって熱が上がる。勝手に引き上がる口の端から涎が垂れる。駄目だこの女王から、この御方から、……抗えない。
『アッハ。……ねぇ、何を気安く触っているの?』
一年前、出逢ってしまったあの日から。
俺の力が、この御方には効かなかった。
〝効かなかった上で、〟不変にこれ以上なく残酷にッ‼︎……美毒に、狂い続けたこの御方を知ってしまったあの日から。
もう、彼女のことしか考えられなくなった。
「跪きなさい、アダム。……私に噛み付いた貴方は駄犬以下だもの。」
調子に乗った女王の言われるがまま、椅子から降りて跪く。
俺が、この俺様が自分の意思で……異国の女王に膝を折る。その途端、女王が恍惚とした目で俺を眺め出した。その眼差し一つすら俺は目が逸らせない。
「計画は変わらないわ。早めたいならば貴方も追手を何人か用意してちょうだい。城に滞留させた貴方の兵士と奴隷より、この国に住む人間の方が有能だし、もっと簡単に見つけられる筈よ。裏稼業の人間なら城下には腐るほどいるわ。」
仰せのままに、と女王に言葉を返す。
それに満足したのか、女王が褒美といわんばかりにその足を俺へ伸ばすように差し出した。そして俺は迷いなく、その足に舌を這わす。
「逃亡したティアラを回収次第……」
俺を嘲り嗤う女王が言葉を切る。
俺が顔を離して女王を見上げれば、まだ足りないわと俺の顎を軽く蹴り上げた。言葉を返さず見返せば、女王は再び笑い声を上げ、爪先で円を描くように動かし、口を裂いて笑う。
……今すぐに、追手を雇わねぇと。
金をいくら積んでも良い、あの第二王女さえ捕まえれば女王は一年前の契約通り
「フリージア王国を奴隷生産国に。」
女王のその声だけで、耳の奥から快楽に犯される。
……それが、この御方との契約。
属州の鉱物と弱小国の支配権の代金。最高に安過ぎる買い物だ。
これで俺はやっと、フリージア王国の連中を商品棚に並べられる。思う存分化け物王国の民を捕らえ、嬲り、嘲り続けられる。……の筈が。
なんで、俺が女王に囚われ嬲られ嘲られている⁇
快感と欲求を抑えられねぇ。
今まで俺の力で築き上げてきた地位も、富も国も奴隷も命もその全て‼︎
「仰せのままに。……我が君。」
女王陛下にっ、捧げずにはいられない……‼︎
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