そして告げる。
「ばいば〜い。」
消えられたステイル様を目だけで眺め、見送られたプライド様は未だ、笑みが歪んだままだった。
衛兵に押さえつけられ、医者の治療を受ける彼女はもう抵抗しない。プライド様……と私が声を掛ければまたニタァァ、と女性とは思えない笑みを向けてこられた。……これでは、まるで。
「……楽しい、ですか。」
「ええ、とっても。」
私の問いに笑顔で答えられるプライド様はクスクスと笑いを続けられた。仰向けのまま長い深紅の髪が流した血の染みと共にベッドに広がった。
彼女は、楽しんでおられる。
単なる自棄だけではない。我々を不快にさせることも苦しめることも、……快楽をもってそれを行われている。
「ジルベール宰相。……もっと近くで顔を見せてちょうだい。」
うっとりとしたような雅な声が、私を招く。
治療が終わり、胸元と手のひらの浅い傷は塞がった。腕の傷はまだ痕が薄く残り、医者が包帯を改めて巻き直す。もう一人の衛兵と侍女に指示を出し、割れた陶器を片付けさせる。私が一歩一歩近付けば、プライド様はその度に引き上がった笑みを更に裂かれた。
私の合図で医者が引き、プライド様を押さえていた衛兵もゆっくりと手を離し、入れ替わるようにして一歩一歩下がっていった。身体が自由になった後もプライド様はベッドに倒れこんだまま動こうとされなかった。ニンマリと笑んだ顔を私へ傾け、顔がベッドに半分埋まる。私が傍に添えばやっと埋めた顔を上げ、こちらへと向けられた。
無言で血に染まった手を私に伸ばし、笑う。ある程度治療の中で拭きとられはしたが、服の染みは変わらず。更には整った爪の間にも血の塊が入り込んでいた。
「ねぇ。……これから毎日、私が同じことをやるって言ったらどうする?」
まるで、試すように仰られる。
再び自らの血に染まり、その肌に傷を作り出すプライド様の姿を想像しただけでまた胸が痛んだ。気付かれぬようにと歯の奥だけを食い縛り、耐えればその機微も見過ごさずにまたプライド様は笑まれた。私の返事を待つよりも先に「やるわよ?」と断言される。
「凶器なんて、いくらでもあるもの。まぁ別に構わないわよね?我が国には優秀な特殊能力者がいるもの。何度怪我しようともどうせー……」
「ッおやめ、下さい……‼︎」
あまりにもプライド様の笑まれる御姿が痛々しい。
冷静を装うにも言葉が詰まり、震えてしまう。降ろした拳をそのまま爪が食い込むほど強く握り、荒くなりかける息を止める。私が表情に出せば出すほど、感情的になればなるほど彼女を喜ばせることになるのはわかっているというのに。
プライド様は己を傷付けることに全く躊躇いがない。そして、敢えて敵を作るように私達を不快にさせ、……それを楽しんでもおられる。歪に混ざり合った目の前の女性に、あの御方が遠い場所に行かれてしまったのだと痛感させられる。
「……痛みは、感じられるのでしょう……⁈」
「ええ。でも、〝貴方達が大事に想ってくれていると思うと〟傷付け甲斐があるわ。……私より、ずっと痛そうだもの。」
ありがとう、と全く優しさの感じられない恍惚とした笑みでプライド様は私の髪を撫でられる。我々がプライド様を案じていることを理解して、だからこそ彼女は自身に刃を向けられている。
『貴方は我々の大事な…何よりも大事な存在となる御方です。』
防衛戦で、私自身が伝えた言葉を思い出す。違う、このようなことを望んで伝えたわけでは決してない。
私はただ、あの御方に自身を顧みて頂きたかった。何度も身を晒し、手の届く者に救いを与えようとする方だったからこそ、…っその身を第一に考えて頂きたかった。
『貴方様が危険に身を晒せば胸を痛める者が必ず居ることだけはどうか御理解下さい』
なのにその教訓を、真逆のことで使われるなど。
あの時、プライド様に言葉が届いていたことが今はただただ恨めしい。それを理解して下さったからこそ、今プライド様はこのような暴挙に走られている。プライド様の身を案じる我々を苦しめる為だけに、己が身を粗雑に扱われる。そして狙い通りステイル様は動揺を露わにされ、……私もまた全身を激痛で貫かれる。
今の彼女に、……掛けるべき言葉が見つからない。
激情を言葉にしても、喜ぶだけ。
その行動の愚かさを窘め、説いたとしてもやはり彼女の行動を助長させるだけだ。彼女が傷付き、誰が苦しむか。……今のプライド様はそれを理解して〝しまっている〟。
御自身をどうでも良い存在とも、誰も気に掛けないとも思っておられない。まるで自身を呪い人形のように、その刃を自身に向けることで彼女は私達を攻撃している。
傷の痛みより何よりも、今の彼女は私達を不快に……いや、苦しめることに快楽を覚えてしまわれた。このままでは本当に毎日、彼女は自傷行為を続けられるだろう。特殊能力で傷を治療されても何度も。いつかは、……本当に消せない痕が残ってしまわれるかもしれない。そのようなことになれば、王族としてのみならず女性としてもその立場が……ッああ……そうだ、関係ない。この御方は、破滅を望んでおられるのだから。
いま、この場でどのような言葉を発してもきっと彼女には悦楽に変換されてしまうだろう。この先、きっとこうして訪問者が現れる度に彼女はその身に刃を振るう。そう、もう、本当にこれでは
気が、触れてしまわれたのと同じだ。
もう、だめだ。
プライド様はもう、己を傷付けることに何の抵抗も持っていらっしゃらない。むしろ嬉々として己を傷付けられる今、……残される手段など一つしかない。きっと、私が提言せずとも医者と、そしてヴェスト摂政も同じ判断をされるだろう。もうこれは、教育や指導で賄える範囲をとうに越えてしまっているのだから。
プライド様のその御身を守り、被害者を、そして己が命までを摘み取らぬようにする為には
拘束し、その身の動きを封じることしか方法は無い。
矛先が他者ならば、接触を避けさせれば良い。だが、己自身に触れずに生きるなど……それを監視しきることなど不可能なのだから。
プライド様が。もう、それしかこの御方を守るすべがないのだという事実を、頭が必死に拒もうと違う道へと回り続ける。
私を、マリアを救って下さったこの御方が、多くの者に愛され、望まれたこの御方が何故‼︎こうも醜く変わり果て、そのような仕打ちを受けなければならないのか。頭で理解しても納得ができない。どうにか違う解釈を、それを防ぐ方法をと必死に考えてしまう自分がいる。
息は詰まり、顎が震える。目の前に映っておられるプライド様が、ただの哀しい人形のようにしか見えなくなる。あの御方の意思は破滅のみ。ならば、気付いてしまった私がこの手で今この場で望みを叶え、糸を切って差し上げるべきなのではないかと考えてしまうほどに。
「……素敵。」
突然、またプライド様が目を輝かされた。
私の髪に伸ばされた手がゆっくりと頬から上がり、……私の目元を指で掬われた。
耐え切れず、止めどなく溢れ出すその雫を。
プライド様に触れられた涙が、今度はポツリと彼女の頬に当たった。気が付かれたようにその滴を自分で拭い、楽しそうに小さく声にだして笑われる。無邪気に笑まれるその表情が、今の私には何よりも残酷で。本当にもう、届かぬ場所に行かれてしまったのだという事実に悲しみが津波のように押し寄せる。
「プライド様……。もう、私達の言葉は貴方には届かぬのでしょう……。」
もう影もない。ただ一つ、暴走する己を止める為の自己破壊願望のみを残し、全てが濁り歪められてしまわれた。他者の感情に良くも悪くも揺らされず、理性で己を守ることすらできない彼女は、……きっと一人では自身すら保てない。
ステイル様が報告された以上、もう次にお会いする時はこうしてベッドの上でしか彼女と対面することは叶わなくなるのだろう。
「たとえ、私如きがどう訴えようとも。……きっと貴方の心の表面にすら触れられないことはわかっております。」
涙をプライド様の上に零し続け、喉を震わせば声まで嗄れ、自分の声ではないようだった。まるでこれでは老人だ。
「ですが、……これだけはお伝えしておきましょう。」
私の涙に嬉々としてまた触れようと、伸ばされる手を今度は片手で掴む。
完全に別物へと変貌された彼女に、今度は私から笑んでみせる。目を細めると、その分の目元に溜まった涙が場所を狭められて更に零れ落ちた。ボロリボロリと落ちた大粒がプライド様の口元に落ち、私から拭う。
「私は、……貴方様に会えて幸せでした。たとえこの先に何があろうとも。何千年経とうと、……それは一生変わりません。」
私の言葉にプライド様の表情が快楽以外に変わる。
不思議そうな、怪訝とでも言えるような表情だ。私に掴まれた手を脱力させ、目だけが私に拭われた口元へと向けられた。
「心から感謝致します。貴方様は、もう充分に多くを遺して下さりました。……どうか、あとはゆっくり休まれて下さい。」
大罪人の私がプライド様に救い出され、もうすぐ五年。
本当に、瞬く間に過ぎたひと時だった。
プライド様が居られなければ、ただただ絶望に打ちひしがれるだけの人生で終わっていた。きっとこの御方は、……たった十年で一生分の財産を私達に遺されていかれたのだろう。
口元を拭い終わり、そっと深紅の髪を撫でる。艶やかな髪が揺れ、数本が指に絡んだ。
多くの者を愛し、だからこそ愛されたこの御方がどうか最期まで一人でも多くの者に愛されたままであるように。
そのためにも私は、この御方の遺した物を一つも無駄にしないようにしなくては。
一礼し、身を引けばプライド様がベッドから起き上がる。私は衛兵に指示し、一時的な拘束をと告げた。すぐに動いた衛兵に取り押さえられたプライド様は、また笑い声を上げられたが、私は背中を向けたまま振り替えれなかった。
「貴方はもう、……十年前の御姿すら見失ってしまわれたのですから。」
父親であるアルバートを慕い、己だけでも愛された。
こうしてしまえば、当時の十年前すら愛おしい。己を傷付け笑まれるなど。……こんなに哀しい姿はない。
私を最奥の闇から引き上げて下さったあの御方に、私はこのような形でしかお返しできないことが許せない。
本二冊を回収し、部屋を出る為扉に向かう。もう、視界にいまのあの御方が映るだけで涙が止まらなくなる。
いまのプライド様は、……正気すら失われている。この様子ではもう、人らしい生活すらいずれ困難となるだろう。私が王居に帰った頃にはきっともう、……上層部で決断も出てしまっている。そして同時に、残酷な判断も遅くはないだろう。
「またね?ジルベール宰相。」
「……おやすみなさいませ、プライド様。」
いつかはあの御方すら数百年前も経てば歴史の文字列だけの存在になられてしまう。
私が語り尽くせぬほどの功績と慈悲を遺されたあの御方も、歴史の文字ではたった数行で終えてしまうだろう。……女王ですらない、たった十年の王位継承者のことなど。
ならば私は、あの御方が遺して下さったこの十年だけでも生かさなければ。プライド様がその十年遺して下さったものは決して幻でも、無意味でもない。
プライド様が良き王女としてこの国に確かに存在し、我々民の為に、国の未来の為に身を粉にして下さった真実をこの国の歴史にしかと刻もう。
たとえ書物に残されずとも、私が語り継ごう。たった十年しかおられなかった、眩くも素晴らしく皆に愛された第一王女の存在を。
十年間のあの御方が生きてきた証を、愛された記憶を、愛して下さった事実を、膨大な遺産を、何千何万年経とうと命の限り遺し、語り継ぐ。
それこそが、宰相として生きる機会を与えられた私から、あの御方への手向けとなるのだから。
「っ……。………………っ。…ありがとう、ございました……。」
後ろ手で、扉を閉める。
今の彼女に語ろうと、あの御方に届いたことにはならぬというのに。彼女に告げたい言葉もただ、感謝ばかりだ。
濡れた顔を手と指で拭い、螺旋階段を降りながら息を整える。拭い濡れた手を確かめれば、彼女の血がうっすらと滲んでいた。
……もし、私とあの御方が変われるのならば変わりたい。
私なら、いくら苦しもうとも構わない。もし代わることができ、私が再び正気を失った時は最愛の人か友。そして大恩あるあの方々に躊躇わずにこの息を奪って頂、……だめだ、これではマリアの時と一緒だ。
己が苦しむことで他者に、大事な存在に罪や重荷を背負わせるなどもう私にはあってはならない。私にできることはただ、……本当にただ。
「あの御方の、……生きた証を。」
民に、国に、歴史に還元することのみ。
民の為、王族の為、国の為に生きる。どれほどこの先、これ以上に身を裂くほど辛いことが待っていようとも、それこそが我々が愛したあの御方が私に遺された救いとそして
『貴方自身が利用し裏切ろうとしていたこの国の為に尽くし続けなさい』
……重罰、なのだから。




